鹿にあらざるもの
「鹿にあらざるもの?」
山本 和希はパンケーキを咀嚼しながら、言葉をオウム返しする。
「そうっす! 北米のアパラチア山脈で目撃されてる未確認生物……いわゆるUMAっすよ! 山本先生そういうの好きですよね」
山本は宙に目を漂わせながら、ぶっきらぼうに答えた。
「僕は天才小説家だからな」
カチリ、と音を立ててフォークを皿の上に降ろすと、ハンカチで口元を拭く。
「当然、ネタになりそうな話題なら、好きだよ」
対面に座る男……高橋Kと名乗る男は、山本の言葉を聞いてパチリと指を鳴らす。その言葉を待ってましたと言わんばかりに頬を緩ませ、スマホでとあるネット記事を見せてきた。
「2000年代初頭から、数多くの目撃談があるUMAっす。一番古いやつだと、1800年くらいに奇妙な鹿を見たって話が残ってるっすよ」
「奇妙な鹿、ねぇ。それでその鹿にあらざるものってUMAはいったいどんなUMAなんだ?」
「名前の通りっす。一見すると鹿のように見えるけど、よく見たら鹿じゃない」
山本は肩を竦め、大袈裟に『呆れた』というポーズを取った。
「君ぃ、僕をからかっているのかい? それのどこがUMAなんだ。ようは鹿に似た別の生き物ってだけだろ。ゴリラがUMAだった時代はとうの昔に過ぎてるぜ」
しかし高橋Kは食い下がる。
「いやいや、そうじゃないんすよ。本当に不思議なんすけどね、鹿じゃないっていうのは、こう、鹿って種類の生き物ではない……みたいなレベルの話じゃあないんすよ」
山本は目を細め、3回指でテーブルを叩いた。
「そうイライラしないでくださいよぅ」
「するに決まってるだろ。いいからさっさと続きを話せ。下らないものだったらもう君とは二度と会わんからな」
うへぇ、と高橋Kは嫌な顔をする。しかし話があると言って山本をカフェに呼び出したのは自分自身なので、言葉を飲み込んで話を続けるしかないのだ。
「鹿って、四足歩行じゃないっすか」
「当然だろう。鹿が二足で立つってのか?」
「鹿にあらざるものは二足歩行をするらしいっす」
山本は一瞬、呆気に取られたかのように呼吸を止めた。しかしすぐに鼻から空気を吐き出し、視線で話を促す。
「他にも、鹿にあらざるものは、他の草食動物と違って人間を怖がらない。逆に襲ってくることもあるらしいっす」
「単なるゾンビ鹿病じゃないのかね」
狂犬病みたいなやつ、と山本は補足する。しかし高橋Kは首を横に振った。
「病気になっても、鹿は二足歩行しませんよ」
「まあそうだな」
高橋Kはコーヒーを啜ると、山本の目を見て反応を伺う。山本はそれに気づいたのか、鼻を鳴らした。
「で?」
「で、で……? で、って言うのは……」
「他にはないのか、そのUMAに関する情報は」
「ああ、そういう……。いえね、あるにはあるっすがだいたい似たようなものばかりっすよ。それより興味があるなら行ってみません? もしかしたら実際に見れるかもしれないっすし」
「ははぁ、下心丸出しだな。僕に話をしたのはそれが目的かい。旅費を出させようって魂胆だな。君ぃ、ただ自分が旅行に行きたいだけなんじゃあないのかい」
高橋Kは悪戯っぽく舌を出す。
「可愛くないぞ」
「山本先生お金持ってるでしょ。本もいくつか出版されてますし……取材旅行なら経費で落ちるっすよ!」
「あのねぇ、君、出版社をなんだと思ってるんだい」
サムズアップする高橋Kに、山本はため息で返事をした。
「で、日程は? いつがいい?」
□■□■
ケンタッキー州、南部。アパラチア山脈にアクセスするにあたって、高橋Kはこの場所を最適とした。
「どうしてここにしたんだい?」
ホテルで荷物を降ろしながら、山本は気だるげに聞く。
「博物館があるんすよ。先住民インディアンの資料が多数保管されてる博物館が」
「はぁ、そういえば君は歴史オタクだったな」
「いやいや、俺の私欲を満たすためだけにこの地域を選んだ訳じゃないっすって」
高橋Kは移動に際して必要な最低限の持ち物をバックパックに詰め込む。朝日が昇りゆく姿を窓から眺めながら。
「鹿にあらざるものは、インディアンが語る人食いの精霊……ウェンディゴと関わりがあると思ってるんす」
「ウェンディゴ……ふむ、確かにあの精霊も鹿の姿をしていたな。それでいて人を襲い、二足で立つ……」
「鹿にあらざるものとの共通点が多数あるっす。間違いなく、無関係じゃない」
「なら、どうするんだ? 先に博物館から行くのか?」
「いえ、それもいいっすが、やっぱり先に現地に足を運んでみたいっすよ。というかその予定で現地のガイドまで雇ったんすから」
「ふぅん。まあいいさ。帰りの航空機のチケットももう取ってしまったしな。時間はそうない。早速アパラチア山脈に向かうとしようか」
ホテルを出れば、すぐににこやかな笑顔を浮かべた黒人の男が2人に歩み寄ってきた。
「こんにちは。あなたがガイドさんですね」
「……高橋、君英語行けるのか。意外だな、高校も通ってないような顔してるくせに」
高橋Kは山本を無視することに決めた。黒人の男性は頷きながら、後ろにある無骨なワゴン車を指さした。
「そうさ。よく来たな、日本人ども。早速コイツに乗れ」
「酷い訛りだな……」
促されるまま車に乗り込むと、すぐにそれは発進する。目的地は最寄りの国立公園だ。
「鹿を追っかけるんだっけな。森の中に入る準備はしてきたか?」
「あぁ。ところで話はこの男から聞いているだろうが、あなたは鹿にあらざるものを知っているか?」
ガイドは表情を変えず少し肩を下げると、なんてことないという風に口にした。
「聞いたことはあるぜ。観光客からその名前を聞くのは初めてだがな」
「ほう。なら誰からその名前を聞いたんだ?」
「冒険家を名乗るアメリカンな兄弟から……あとはムーだかなんだかの記者を名乗る奴もいたよ。そいつらもその不気味な鹿目当てでガイドを頼んできた」
「あなたはガイドをして長いのか?」
「俺が何歳に見えるって? せいぜい5年くらいだよ」
口振りからするに、5年間で鹿にあらざるもの関連でガイドの仕事を受けたのは2回だけ……ということだろう。山本はそう推察した。
「だが、この辺りのことなら誰よりも詳しい自信がある」
「そうかい。で、あなた信じてるのかい? そのUMAを」
「あぁ? そりゃ当然……」
話をしているうちに、既に公園の中に入ってしまっているようだった。舗装されているのかいないのかよく分からないような道を、ワゴン車は勇敢に進む。
「見たことあるからな」
公園の大部分は平原で、奥の方に森があるようだった。アパラチア山脈の麓から、その入り口まで……という具合だろう。それより奥に行く予定はない。高橋Kはバックパックから双眼鏡を2つ取り出すと、片方を山本に手渡した。
「何か見えるか?」
「……特に何もないっす。もうしばらく進めば、小さな湖があるはずっす。そこでならたくさん生き物が見られるはずっすよ」
2人は車の窓から身を乗り出すようにして、辺りを見渡した。地平線の彼方まで続くのは自然の景色ばかり。動くものはない。しかしその状況もすぐに終わった。
「……鹿だ」
しばらく公園を進むと、ようやく1匹の鹿が見えたのだ。
「……鹿っすね」
車が近づくと、鹿は一目散に逃げていった。もちろん、四足歩行で。
「今のは鹿か」
「鹿っすね~」
しかし2人は諦めない。ガイドに指示を出し、どんどん奥へ進む。すると今度は鹿の群れに遭遇した。
「群れの中に紛れているかもしれない。探そう」
双眼鏡でしらみ潰しに、1匹ずつ観察する。どこかおかしな点はないか。妙な点はないか。しかし、どれも普通の鹿のように見えた。少なくとも見ただけで分かる……というようなことはなかった。
「これも鹿か」
「鹿っすね~」
当然のことながら、車が近づくと鹿は逃げた。一行はまた新しい群れを探すために進路を変える。
「おっ、あそこにもいるじゃないか。連続で遭遇できるとはな」
するとすぐに次なる鹿の群れを見つけることができた。
「妙だな。鹿ばっかりじゃねぇか。いつもはもっと……」
ガイドの呟きは2人には届かなかった。双眼鏡を掲げ、鹿の群れを視界に収める。すると次の瞬間、高橋Kは息を飲んだ。
「……先生」
「どうした。見つけたか?」
「あの鹿、目が正面に付いてないっすか?」
山本は高橋Kの目線の先を見た。そこにいたのは、まるで人間のように、正面に2つの眼球を生やした鹿のような生き物だった。草食動物は普通、目が横にある。それは天敵となる肉食動物から逃げるために、広い視野が必要だからだ。
「なん……だ……? あれは……」
その目は、知性を携えていた。一目見ただけで、それが鹿ではないと、鹿の皮を被った別の生き物であると、鹿にあらざるものであると、山本は粟立つ鳥肌と共に感じ取った。
その生き物と目が合う。
そいつは、笑った。
「今すぐ引き返せ!」
急ハンドルが切られ、タイヤが空回りしながら発進する。山本は双眼鏡を放り出し、車の下にうずくまった。そいつと目が合った瞬間から、吐き気と悪寒が止まらなくなったからだ。
「……ッ! 追ってきてる! もっと速く!」
「チクショウ! これ以上出ねぇよ!」
高橋Kとガイドが怒鳴り合う声と共に、遠くから蹄の音が聞こえた気がした。
□■□■
気づけば、山本はホテルの真ん前にいた。既に辺りは少し暗くなりつつある。
「何が……」
記憶がすっ飛んだような感覚に、山本は戸惑う。高橋Kはそんな彼女の腕を掴むと強引に部屋まで連れていく。
「今すぐ帰りましょう、先生。アレはヤバすぎる」
「何を……いったい何があったんだ? まだ取材は――」
「先生はアレを見ていないから言えるんですよ! アレはUMAなんてものじゃない! もっと恐ろしいものです!」
高橋Kの腕は震えていた。よく顔を見れば、いつもヘラヘラとしている彼はガチガチと歯を鳴らしながら怯えていた。
「笑いながら……わ、笑いながら……車より速かった……逃げ切るためには、ああするしか……」
「……そういえば、あのガイドはどうした? 姿が見えないが……」
高橋Kは山本の言葉に耳を貸さず、部屋で荷物をまとめはじめた。その有無を言わさぬ態度に、山本は威圧されるしかない。
「君、少し落ち着いた方が……」
「うるさい! 良いから早く先生も荷物をまとめてくださいよ!」
高橋Kは腕を振り回す。華奢な山本ではその暴力に抗うことはできず、壁に叩きつけられる。
「あ……」
それを見てか、少し正気を取り戻した高橋Kは眉を下げた。山本は非難するような目で高橋Kを見つめた。
「君が女性に暴力を振るうような人間だとは知らなかったよ」
「……っ、今のは違うんす」
高橋Kは気まずくなり、思わず目を背ける。その先には窓があった。そしてその窓には。
鹿が、笑っていた。
「うわああああああああああああ!」
突然絶叫した高橋Kに驚き、山本も窓の方を見る。その鹿は……鹿にあらざるものは、蹄で窓を叩き割ると、二足で立ち上がり、部屋に入ってきた。
「く、来るな!」
高橋Kはたまたま近くにあった灰皿を投げつける。しかしそれが命中することはなく、鹿にあらざるものは高橋Kに接近。そして両の蹄で、高橋Kの頭を挟む。
そして、つぷり、と。
「帰りの航空機のチケットが1枚無駄になってしまったじゃあないか!」
目の前のあまりにもあり得ない光景に、山本の感情は麻痺していた。赤い化粧をした鹿にあらざるものは、笑いながら、笑いながら、山本に近づいてくる。
「やめろ、頼む、来るな」
笑いながら、笑いながら、笑いながら。




