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大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


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黒羽ノ介 ― 空の神話の転換点

(語り部:黒羽ノ介)


空の“痛み”が頂点に達した日

1980年代後半、新空港の建設と伊丹廃止の議論が地上の会議室を白熱させていた頃、伊丹の上空は異様な、そして不気味なほどの重圧に包まれておった。


すべての気流が息の根を止められたように、ピタリと沈む風


大型ジェット機の爪痕が歪んだまま、濁った色で引き裂かれた雲


煤煙と微震動が混ざり合い、皮膚にまとわりつくざらついた大気


異変を察知した渡り鳥たちが、高度を落とし、地を這うように低く往く


わしは黒い羽を硬く震わせ、かつてない大気の軋みに身をすくめた。


「……限界や。伊丹の空の器が、もう、これ以上ないほどに満ちて、溢れようとしとる。」


かつて坂東たちが生み出したあのプロペラ機の「黄金期の輝き」も、森川たちが心血を注いだ「次世代ジェット機の力強さ」も、すべてが遠い神話の昔の出来事のように、この重苦しい大気の中に埋没していった。


空の声が“変わった”瞬間

わしは太古の昔から、この摂津の、伊丹の空の声を聞き、それを祀ってきた存在や。


だが、何千年も不変だったその「空の声」が、この夕暮れを境に、決定的にその色を変えた。


かつて、人間が初めて翼を得た頃の空は――「もっと高く」「もっと遠くへ」と、人間の飽くなき野心を祝福し、背中を強く押す若々しい声やった。


しかし、幾千、幾万の銀翼に身を削られ続けた今の空から響いたのは、悲痛な、掠れた老人のような声やった。


『……静かにしてほしい。』

『これ以上、私の身体を切り裂かないで、休ませてほしい。』

『……痛い、痛い……。』


わしは五臓六腑を鷲掴みにされたように胸を締めつけられ、宙空でよろめいた。


「空が……偉大なる天そのものが、ちっぽけな人間に向かって、涙を流して助けを求めとる……」


③ そして、空は“新しい言葉”を発した

そのときや。


絶望の呻きに満ちていた空の、そのさらに奥底、世界の境界線のような場所から、わしが数千年の生涯で一度も耳にしたことのない、地響きのような「意志」が響き渡った。


『私は……変わりたい。人間の都合で消されるのではなく、自ら、新しく変わりたい。』


わしは目を見開き、その言葉の重さに息を呑んだ。


空というものは、古代からずっと同じ姿で、同じ法則で、同じ季節の巡りの中で、超然と神話を守り続ける「不変の領域」のはずやった。


それが――人間が流した血と油、そして怒りと祈りにあてられて、自ら「変化」を望んだのだ。


これこそが、天と地がひっくり返るほどの、本当の『神話の転換点』やった。


黒羽ノ介は悟る ― “空の神話は人間と共に変わる”

わしは長い間、大いなる空は人間ごときに影響されない、不変不動の神聖な存在やと思い込んどった。


しかし、この伊丹の空だけは、世界のどこにある空とも違っていた。


爆音と騒音の地獄に、血の涙を流しながら苦しみ、怒った街。


それでも空を見上げ、命をかけて翼を守ろうとした不器用な整備士たち。


飛行機の利便性を愛する人々と、その存在を激しく憎み、拒絶した人々。


そして、すべての国際線を背負って、海の向こうに生まれようとする新しい関空。


空は人間を突き放してはおらんかった。むしろ、人間の泥臭い歴史のうねりと、その血の通った葛藤と共に、自らも傷つき、形を変えていく存在やったんや。


「空は……天孫降臨の昔のように上から人間を見下ろすもんやない。地上の人間たちと共に、傷を分かち合いながら、新しい神話を紡ぐ生き物やったんやな……」


わしはその圧倒的な事実に、全身の毛羽が逆立つほどの震えを覚えた。


陽斗の存在が“新しい神話”の鍵になる

大気の中に、静かな、しかし確固たる空の意志が満ちていく。


『黒き羽の守り手よ……あの子に、私のこの願いを伝えておくれ。』


あの子――言うまでもない。森川 陽斗はるとのことや。


陽斗は、引き裂かれかけた空の痛みも、二重窓の向こうで耳を塞ぐ街の人の痛みも、その両方を自分のことのように理解できる、この世界で唯一無二の存在。


いつしか実の親子のようになり、正式に「森川の養子」となって、その頑固な職人の血と誇りを受け継いだ男。名実ともに、空と街を繋ぐ強固な「橋」となった男や。


わしは格納庫の屋根の上で、夕日を浴びながらスパナを握る青年の姿を見つめ、深く悟った。


「陽斗……あんたや。あんたという一人の人間が、これからの全く新しい空の神話の、真ん中に立つんやな。」


黒羽ノ介は“役目の終わり”を感じ始める

空の声が「超然たる神の言葉」から「人間と共に生きるための言葉」へと変わったことで、わしは己の胸の奥に、ある静かな変化が訪れるのを感じとった。それは、長い役目の終わりを告げる、穏やかな鐘の音のようやった。


わしは、太古の荒ぶる風や、人間を寄せ付けない古い神話を守り続けてきた古い幻獣。


空が人間と手を取り合い、自ら「変わる」というのなら、わしが神の使いとして、上から人間を導く役目もまた、もう必要なくなる。


「わしは……これからは主役やない。人間と空が紡ぎ出す、新しい神話の行く末を、ただ傍らで見届けるだけの影になるんやな……」


しかし、その悟りのなかに、寂しさはひとかけらもなかった。


わしの目には、はっきりと見えていたからや。陽斗がいる。森川がいる。そして、傷つけ合いながらも空港を守り、街を愛し続ける無数の人々の手が、そこにはある。


空はもう、孤独に天高くで泣き叫ぶ、一人ぼっちの存在ではないのだ。


空の神話は“伊丹から”書き換わる

空の最奥から、世界の始まりのような爽やかな風が吹き抜けた。


『ここから始めよう。人間よ、街よ、整備士たちよ。私と共に、新しい時代の空の神話を。』


それは、かつてのような天孫降臨の奇跡でも、古代の権力者たちの戦でもない。


“人間と空が、お互いの痛みを抱きしめ合いながら、共に歩んでいく神話”や。


世界で最も激しく衝突し、最も深く許し合った、この伊丹の空からしか始まり得ない、新しい時代の教科書。


わしは夕闇の空へ向かって、その生涯で最も大きく、最も美しい漆黒の羽を広げ、大いなる空の声に応えた。


「往こう。わしはこの眼で、最期の瞬間まで見届けてみせる。森川が繋ぎ、陽斗が言葉を翻訳し、伊丹の人間たちがここから作り上げていく、世界一泥臭くて、世界一優しい、新しい空の物語を――!」

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