表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大空の第三者 〜八咫烏が辿る、関西80年の銀翼の記憶〜  作者: velvetcondor guild


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/81

33

黒羽ノ介 ― 空の異変を深く読み取る

(語り部:黒羽ノ介)


空の“音”が変わった

ある日の朝、わしは伊丹の空の、誰も到達できぬほど高い場所を静かに舞っていた。


そのとき――わしの鋭い耳が捉えた空の「音」は、かつての黄金期のものとは、まるで違っていた。


吹き抜ける風の鳴り方が、やすりで削られたようにざらつき


千切れる雲の裂け方が、ガラスが割れるように鋭く尖り


大気の底から響く空気の震えが、地鳴りのように深く澱み


誇らしげに上昇していた気流が、何かの重圧に負けたように下へ下へと沈む


わしは全身の羽を硬く震わせた。


「……空が、明確に痛がっとる。」


あの眩しかった高度経済成長期の、どこまでも軽やかで優しかった空はもうどこにもない。いまの伊丹の空は、人間たちの欲望のすべてを、無言でその背中に抱え込んで煤けていた。


空の“呼吸”が乱れ始めた

わしはこの地に生きるすべての風の「呼吸」を読み、それを道標にして飛ぶ存在や。


そのわしの目から見ても、この日の空の乱れ方は、ただの天候の悪化や台風の予兆などでは決してなかった。


一定のリズムを刻めなくなった風が、あちこちで衝突し


一度ねじれた気流が、二度と元の滑らかな形に戻ろうとしない


鳥たちが恐れをなしたように、互いの距離を測りながら飛ぶ高度を激しく変え


雲が、見えない刃物で切り裂かれたように不自然に千切れていく


わしは荒れ狂う風の渦中で呟いた。


「空の呼吸が……完全に狂うてもうとる。」


これは自然の気まぐれやない。伊丹の空そのものが命を損なわれかけている、いわば“生命の機能不全”の現れやった。


次世代機がもたらした“不可逆の歪み”

人間たちが「ジェット時代の寵児」と崇めるあの美しく、速く、強大な次世代機。


しかし、あの怪物の放つ一筋の航跡は、太古の昔からこの地を包んでいた空の流れを、根本から、そして不可逆に変質させてしまっていた。


地上のすべてを巻き込むような、ジェットエンジンの強すぎる吸入


音の壁を打ち破らんとする勢いで、空気の層を容赦なく引き裂く暴力


排気熱によって、一瞬で雲の成分を変質させる熱量


自然が何万年をかけて作った風の行く道を、力任せに叩き潰す傲慢


わしはその目に見えない大気の破壊を、全身の羽毛で克明に感じ取っていた。


「あの美しい機体は……この空の秩序を、内側から完全に壊し始めとるんや。」


空の“痛み”が、わしの羽に伝わってきた

わしは、この伊丹の空を何百年、何千年にわたって見守り続けてきた八咫烏やたがらすや。


空が傷つくということは、すなわちわしの肉体が引き裂かれるのと同じこと。


巨大な銀翼が滑走路を蹴って爆音とともに舞い上がるたび、わしの漆黒の羽は、共鳴するように微かに、しかし激しく震えた。


超高温の熱によって、空気が生々しく裂ける痛み


逃げ場を失った風が、狭い住宅地の間で悲鳴を上げる痛み


逃げようとする雲が、逃げ切る前に力任せに押しつぶされる痛み


わしは胸の奥を激しく抉られる想いで思った。


「空は……もうとっくに、耐えられる限界のキワに近づいとる。」


華やかな黄金期の輝かしいスポットライトの裏側で、伊丹の空は誰にも気づかれることなく、静かに、血を流すように傷ついていたんや。


空の“声”が変わった

わしは、この大気が発する微細な「声」を聴くことができる。


その、かつては誇らしげに響いていた声が、この日を境に、完全にその色彩を変えてしまった。


プロペラ機がのんびりと飛んでいた頃の空は――


*『もっと高くへ飛んでこい』『もっと遠くの世界を見せてやる』*と、挑む人間を優しく励ますような、包容力に満ちた声やった。


しかし、いま風の合間から漏れ聞こえるのは、全く別の呻き。


『もう、身体が重くて支えきれない』


『喉が、熱気と煙で苦しい』


『お願いやから、ほんの少しだけでええ、静かにしてほしい』


『これ以上、私を切り裂かないで。休ませて……』


そんな、弱り果てた悲痛な懇願が、ちぎれた風の中に混ざってわしの耳へと流れ込んでくる。


わしはあまりの切なさに胸が締めつけられ、大空の真ん中で声を上げて鳴いた。


「空が……傲慢になった人間たちに、必死で助けを求めとる……!」


そして、わしは“未来の影”を見た

乱れる雲の隙間に向かって、わしが強く目を凝らしたその瞬間。


時空の歪みの向こう側に、これからこの伊丹を襲うであろう、暗く濃い「未来の影」が、はっきりと幻視えた。


地上を埋め尽くす住民たちの、耳を覆うほどの激しい怒号と、さらに増大する爆音


政治の嵐に巻き込まれ、次第にその翼をもぎ取られていく空港の縮小


街を避けるようにして、不自然にねじ曲げられていく新たな航路の迷走


そして、人間の都合に振り回され、ますます回復の兆しを失っていく空の破滅


それは、伊丹の空という存在そのものが、存続の危機という名の暗い奈落へ向かって、真っ逆さまに落ちていく未来の双六すごろくやった。


わしは冷たい風を吐き出しながら呟いた。


「森川、少年……あんたらの掴んだ誇りを、木っ端微塵に打ち砕くような、本当の試練の嵐が、もうそこまで来とるぞ。」


それでも、空は二人を信じていた

空の声は、確かに深い苦痛の底で喘いでいた。


しかし――その絶望の呻きの、さらに奥深く、最も純粋なコアの部分には、かすかではあるが、絶対に消えない確かな「希望の光」が、灯火のように残されていたのをわしは感じた。


大気は、そのかすかな震えの中で、確かにこう囁いていたのだ。


『……けれど、あの二人なら。あの油に塗れた両手なら……きっと私を、ただ利用するだけやなくて、心から守ってくれる』


森川と少年。


時代がどれだけ荒れ狂い、技術が怪物の姿に変貌しようとも、未だに「空は嘘をつけへん」と信じ、その声に耳を澄まし続ける、愛すべき地上の仕事人たち。


わしは黒い羽を大きく広げ、乱気流を力強く捉え直した。彼らの未来を見つめるわしの瞳に、再び熱い灯がともる。


「どれだけ深い影が街を覆おうとも、あの二人こそが、この試練の先にある『人間と空の、本当の和解』という名の、新しい神話を紡ぎ出す者たちなんやから。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ