第9話 証拠は亡霊ではなく、だいたい台帳にある
転機は、亡霊でも芝居でもなく、書類から来た。
地味だ。あまりにも地味だ。物語の転機が帳簿から来るというのは、読者の期待を裏切っている気もするが、現実の事件はだいたいそうだ。
劇的な自白や派手な追跡劇で解決する事件は少なく、大半は誰かが地道に紙をめくって見つけた矛盾で片がつく。
見つけたのはホレイショーだった。
ホレイショーは、ハムレットが芝居と剣と独白で暴走している間、黙々と城の記録保管庫を調べていた。弁護士に「欲しい証拠の種類」を聞き、一つずつ当たっていった。
友情というのは、派手な場面で発揮されるものとは限らない。埃っぽい地下の書庫で、何百冊もの帳簿を一冊ずつ開くのも、立派な友情だ。見映えはしないが。
* * *
「ハムレット!」
ホレイショーは走ってきた。彼が走ることは珍しい。走る時は本当に重大な発見があった時だ。
「どうした!」
「鍵の貸出記録だ!」
「鍵?」
「城の管理台帳を片っ端から調べた。薬品庫の鍵の貸出記録が残っていた」
ハムレットは身を乗り出した。
「父君が亡くなった夜、薬品庫の鍵をクローディアスが借りている!」
ハムレットは固まった。
こういう瞬間、派手な独白より事務記録の方が強い。現代社会はたいていそうである。
「本当か」
「本物の記録だ。管理係の署名入り。しかも返却時刻があいまいだ。記録係も妙な上書きをしている」
「消された形跡が?」
「かなりある。元の文字の上から別の日付を書いている。インクの色が違う」
「でかいな」
「でかい」
さらに、当時の医師の記録も見つかった。
ホレイショーが城の医務室の書棚の奥から引っ張り出してきたもので、公式の診断書とは別に、担当医が個人的に残していたメモだった。
「急病死として処理したが、耳周辺の変色と皮膚の不自然な症状あり。原因不明。上からの指示で深追いせず」
「上からの指示……」
「つまり、医師も怪しいと思っていた。でも追及できなかった」
さらにさらに、会計記録まで出てきた。
城の会計帳簿を遡って確認したところ、父王の死の直前に不自然な金の動きがあった。
「父王の死の直前、叔父クローディアスの私的口座から、王都の薬品商へ不自然な送金。金額は大きくないが、時期が合う」
「しかもその薬品商は、市中には出回らない種類の薬品を扱っている」
「毒を?」
「直接的にはそう書いていない。だが弁護士が言っていた"状況の積み重ね"には、かなり有力だ」
ハムレットは唇を噛んだ。
ここに来て初めて、「勝てるかもしれない」と思った。
亡霊の言葉ではなく。
芝居の反応ではなく。
紙と数字と、誰かの署名。
それが、真実に形を与え始めていた。
* * *
弁護士に資料を持ち込むと、彼女は初めてはっきりとうなずいた。
これまで何度報告に行っても、弁護士の表情は「厳しい」か「かなり厳しい」の二択だった。うなずかれたのは初めてだ。
「これは大きいです」
「本当ですか!」
「はい。鍵の記録、医師の所見、送金履歴。亡霊の話を抜きにしても、告発の現実味が出てきました」
「やった……!」
ハムレットは拳を握った。報われた気がした。自分ではなくホレイショーの努力が報われたのだが、それでも嬉しかった。
「ただし」
「またただしか」
「ここから先は、あなたは余計なことをしないでください」
「余計なこととは」
「単独行動、挑発、剣、芝居、絶叫、メタファー過多の独白、全部です」
「人生の大半を否定された」
「否定しています」
弁護士はペンを置き、真っ直ぐハムレットを見た。
「ここから先、あなたの仕事は何もしないことです」
「何もしない?」
「はい。何も喋らない。何も仕掛けない。何も刺さない。証拠が仕事をする段階に入りました。あなたが出る幕ではありません」
「最も難しい任務だ……」
「分かっています。でも、あなたが黙っている間だけ、この事件は前に進みます。それは統計的に証明されています」
「統計的に」
「あなたが動いた日は全て後退し、動かなかった日は全て前進しています」
「それは統計ではなく悪口では」
「事実です」
ハムレットは深く息を吐いた。
「分かりました。何もしません」
「お願いします」
「何もしないことに全力を尽くします」
「その表現が既に不安ですが、よろしくお願いします」
ホレイショーが横で笑っていた。
「ホレイショーさん」
「はい」
「あなたの調査が素晴らしかったです。今回の最大の功労者はあなたです」
「ありがとうございます」
「ハムレットさんの功績は」
「何もしなかったことです。今日は特に邪魔しませんでした」
「……褒められているのか」
「褒めています」
「複雑だな」
「複雑でも、勝てればいいだろう」
ホレイショーはそう言って、ハムレットの背中を叩いた。
帰り道、ハムレットは空を見上げた。
夕焼けが広がっている。
「父上。もう少しだ。もう少しで、あなたの真実に形が与えられる」
空は何も答えなかった。
だがそれでよかった。今必要なのは亡霊の声ではなく、帳簿と署名だ。




