第6話 劇中劇『耳に毒を流し込む男』、配慮ゼロで上演
ある日、ハムレットは一つの作戦を思いついた。
思いつく、というのは語弊がある。ひらめいた、というのも違う。正確に言えば、「暴走の新しい形が生まれた」というのが近い。
「芝居だ」
ホレイショーは嫌な予感しかしなかった。
この男が「いいことを思いついた」と言う時、いいことだった試しが一度もない。
「芝居」
「父上の亡霊が語った手口そのままの芝居を叔父に見せる。動揺したら黒だ」
「雑だな」
「だが分かりやすい」
「分かりやすいけど雑だな。そもそも動揺したからといって犯人とは限らないぞ」
「名案だと思わないか」
「思わない。でもお前はもう止まらないだろう」
「止まらない」
「だろうな」
ホレイショーは三度目のため息をついた。今日まだ午前中だ。
* * *
ハムレットは城に出入りしていた旅芝居の一座を捕まえた。
座長は穏やかそうな中年男で、「どんな演目でも」と営業スマイルを浮かべていた。ただし、その笑顔は次の打ち合わせで完全に消えることになる。
「やってほしい芝居がある」
「喜んで。どのような題材でしょう」
「王の殺人だ」
「……はい?」
「まず、王に似た男が庭園で昼寝をしている。そこへ怪しい男が忍び寄る。そして耳から毒を注ぐ」
「なかなか攻めた内容ですね」
「その後、怪しい男は王の妻を奪い、王座に座る」
「……これ、どこかのご家庭の話では?」
「フィクションだ」
「フィクションに見えませんが」
「大丈夫だ。タイトルをつけるから」
「タイトルは」
「『耳に毒を流し込む男』」
座長は顔を引きつらせた。
「もう少し婉曲なタイトルは」
「直球の何が悪い」
「直球を超えて暴投です、殿下」
「では『ある国王の最期について考える劇』は」
「内容は同じですよね」
「同じだ」
「タイトルを変えても本質は変わりません」
「では初案のままで」
座長は泣きそうな顔をしていたが、王子の依頼は断れない。芸術家の苦悩というのは、たいてい作品ではなく発注者によって生まれる。
* * *
数日後、城の大広間で特別公演が始まった。
題目は『耳に毒を流し込む男』である。直球にもほどがある上に、ポスターまで作らせた。
ポスターには耳のイラストと毒瓶が描かれていた。遠回しという概念が抜け落ちた人間が宣伝をするとこうなる。
客席には、クローディアス、ガートルード、ポローニアス、オフィーリア、その他宮廷の面々が座っていた。
ハムレットはホレイショーの隣に座り、小声で指示した。
「叔父の表情を見ていてくれ」
「分かった」
「少しでも動揺したら合図を」
「分かった。でも動揺しなかった場合は?」
「しなかったら……芝居がつまらなかったということだ」
「そういう問題じゃない」
幕が上がった。
舞台の上で、王に似た男が眠る。金の衣装、王冠、堂々たる体格。どこからどう見ても先代の王に似せている。似せる努力がすごい。
そこへ、いかにも怪しい男が現れる。黒いマント、忍び足、手には小瓶。怪しさの見本市のような出で立ちだ。
ここまで怪しいと逆にコメディだが、本人たちは大真面目だ。
怪しい男が王の耳に近づく。
小瓶を傾ける。
液体が耳に流れ込む。
ここで客席がざわついた。
ガートルードが目を丸くした。
ポローニアスが「なかなか前衛的ですな」と見当違いのコメントをした。
オフィーリアが「え、これ大丈夫なの?」と小声で言った。
傍から見てもだいぶ気まずい。
身内の前でやる出し物ではないし、犯人だった場合はなおさら居心地が悪い。「親族の集まりで流す映像」の最悪例を更新していた。
そして、叔父クローディアスの顔色が変わった。
最初は微かな変化だった。眉が動き、唇がわずかに引き結ばれ、額に汗が浮かぶ。
次の場面で怪しい男が王の妻に近づき始めると、クローディアスの手が肘掛けを握りしめた。
彼は突然立ち上がると、そのまま席を立った。
「陛下? まだ途中ですが――」
「気分が悪い」
それだけ言って、大広間から出ていった。
ハムレットも立った。
「見たかホレイショー!」
「見た!」
「今のは黒だ!」
「かなり怪しかった!」
「顔色が変わった! 汗をかいていた! 帰った!」
「確かに帰った!」
「勝ったな!」
「いやまだ何も勝ってない!」
ハムレットの興奮は理解できる。しかしホレイショーは興奮しながらも冷静さを失っていなかった。
この男の偉いところは、テンションが上がっても理性がついてくるところだ。
一方、残された客席では。
「何なのあの芝居」ガートルードが青ざめている。
「若者の芸術表現は時に過激なものです」ポローニアスが的外れに解説している。
「あれ、ハムレット殿下の企画だよね……」オフィーリアが疲れた顔をしている。
客席全体に「今のは何だったのか」という空気が充満し、誰一人として楽しんでいなかった。
エンターテインメントとしては完全な失敗だが、ハムレットの目的はそこではない。
* * *
その足で二人は弁護士事務所へ向かった。
「先生! 大変です! 叔父が芝居の最中に退席しました!」
ハムレットは息を切らしていた。走ってきたのだ。
弁護士はいつもの椅子に座り、いつもの無表情でこちらを見ていた。
「どういう芝居でしたか」
「父殺しの再現です」
「なぜそういうものを上演したのですか」
「叔父を動揺させるためです」
「題名は」
「耳に毒を流し込む男」
弁護士は目を閉じた。
三秒間、何も言わなかった。この三秒間に何を考えていたかは分からないが、辞任の二文字が頭をよぎった可能性は高い。
「配慮がゼロですね」
「動揺して帰りました! これは証拠です!」
「犯人ならそうでしょう」
「では!」
「犯人でなくても帰る可能性があります」
「なぜ!」
「たとえば"親族に当てこすられている"と感じた場合です。あるいは、"甥が自分を公開処刑しようとしている"と感じた場合です。どちらも犯人でなくても退席理由として十分です」
「そうか……」
「そうです」
「ではこれは証拠にならない?」
「状況証拠として弱いです。"芝居の客が帰った"は立証の根拠になりません」
「弱いのかよ!」
「むしろ"甥がかなり情緒不安定"という印象を周囲に与えた可能性の方が高いです」
「つらい」
「あなたの作戦はだいたいそうなります」
弁護士は書類を整えた。
「整理しますと、あなたは今回、(一)親族が居心地の悪い芝居を上演し、(二)王が不快になって退席し、(三)それを証拠だと主張している。以上ですね」
「はい」
「それは証拠ではなく嫌がらせです」
「紙一重では?」
「紙ではなく崖です。崖の向こうとこちらくらい違います」
ハムレットはがっくりと肩を落とした。
「あの……もう少し穏便な方法はありますか」
「最初からそう言ってください」
「すみません」
「謝罪の回数が増えるたびに、事態が悪化するの法則みたいなものですね」
「法則化しないでください」
弁護士は小さくため息をついた。
だが完全に見放してはいなかった。この依頼人は面倒だが、嘘はついていない。
嘘をつかない面倒な人間というのは、弁護士としては嫌いではないのだ。ただ、もう少し静かにしてほしい。




