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第3話 狂人のふりをした結果、全員が普通に心配した

 弁護士から帰った翌日、ハムレットは決意した。


「よし。狂人のふりをしよう」


 ホレイショーは足を止めた。

 城の中庭でコーヒーを飲んでいたのだが、この手の発言にはいい加減慣れたつもりだった。しかし慣れたのと受け入れたのは違う。


「なんでそうなる」


「叔父を油断させるためだ」


「古典っぽいな」


「私は古典の住人だからな」


「今やってるのは現代法廷コメディなんだが」


「大丈夫だ。狂人は軽く見られる。周囲が私を軽く見れば、叔父も隙を見せる。教科書通りの心理戦だ」


「どの教科書だ。載ってたら学問を疑え」


 しかしハムレットは聞かなかった。

 この男は「名案だ」と自分で思った瞬間に、もう走り出している。ブレーキがない車に乗っているようなもので、方向は合っていても途中で必ず何かに衝突する。


   * * *


 そうしてハムレットは城に戻ると、大胆な行動に出た。


 まず、ネクタイを頭に巻いた。


 次に、廊下の観葉植物の前に立ち、腕を組み、厳かに言った。


「お前は知っているはずだ……あの夜、何が起こったのかを」


 観葉植物は何も答えなかった。植物なので当然である。


 さらにハムレットは廊下の自動ドアに三回だけお辞儀をし、「お前は真実の門番だ」と呟き、最後にコピー機の前に立って剣を突きつけた。


「覚悟しろ」


 コピー機は静かに紙詰まりを起こした。

 偶然だが、どことなく反撃のように見えた。


 この一連の奇行は、三十分で城中に広まった。


「殿下がおかしくなった」

「いやもともとおかしかったのでは」

「もともとおかしかったのがさらにおかしくなった」


 解釈はいくつかあったが、どれも好意的ではなかった。


   * * *


 最初に反応したのは、ポローニアスだった。


 ポローニアスという男は、本人はたいへん有能ぶっているが、だいたい話をややこしくする。

 説明している本人だけが筋が通っていると思っていて、周囲を疲れさせるタイプの年長者というのは、時代を問わず存在する。

「聞かれてないのに分析を始める人」全般のリーダーのような男だ。


「分かりました! 殿下は恋煩いで狂ったのです!」


 ポローニアスは自信満々に宣言した。

 なぜそうなるのか、一般の人間には理解が難しいが、ポローニアスの中ではかなり論理的な推理だったらしい。


「恋煩い?」


 ガートルードが怪訝そうに訊いた。


「そうです! 殿下は、我が娘オフィーリアに想いを寄せていた。しかしそれが報われず、心が壊れたのです!」


「何の根拠が?」


「若者はみなそうなのです!」


 根拠ではなく一般化だ。これで宰相が務まるのだから、デンマークの人事は一度見直したほうがいい。


 その娘オフィーリアは青ざめた。

 オフィーリアはハムレットの想い人枠である。想い人枠と聞くと華やかだが、この話では主に周囲の男たちの判断ミスに巻き込まれて疲弊する役である。


「お父さま、私は何もしていません」


「だからこそだ! 何もしていないのに狂う、それが恋だ!」


「いいえ、それは誤診です」


「診断したのは私だ!」


「医者でもないのに」


 ポローニアスは娘の指摘を華麗にスルーした。この男のスルースキルだけは一流である。


   * * *


 母ガートルードは心配した。

 再婚のタイミングについては色々言われているが、息子のことは本当に心配している。心配の仕方が若干ピントを外しているのは別として。


 叔父クローディアスは警戒した。

 叔父だけが「あれは演技かもしれない」と思っていた。面白いことに、犯人だけが冷静な分析をしていた。善人ほど騙され、悪人ほど疑うというのは皮肉な話だ。


「あの甥は何を企んでいる……」


 クローディアスは王座で顎を撫でた。怪しいが、怪しい人間ほど怪しい人間を正確に見抜く。泥棒が泥棒に気づくようなものだ。


 そして弁護士は呼び出されて頭を抱えた。


   * * *


 弁護士事務所。

 弁護士はいつもの無表情で座っていたが、今日はわずかにこめかみがぴくぴく動いていた。プロでも限界というものがある。


「何をしているんですか」


「狂人のふりです」


「今すぐやめてください」


「なぜです」


「"ふり"なのか本当に分からなくなります。外から見て判別がつかないことをわざわざやる意味がありません」


「それが狙いです」


「こちらの信用まで一緒に落ちます」


「しかし相手が油断を」


「あなたを見て周囲全員が緊張しています。油断しているのは文字通り、あなただけです」


「そうかな」


「そうです」


 弁護士は深く息を吐いた。業務上のため息としてはかなり重い部類に入る。


「裁判所は、情緒が安定していて、話が整理されていて、事実と推測を分けて話せる人を好みます」


「まるで私の逆ですね」


「その自覚があるなら今すぐ戻ってください」


「しかし古典では――」


「今は現代です」


「つまり……」


「つまり、相手を油断させる前に、味方が全員不安になっています。計算が根本から破綻しています」


「計算外でした」


「計算してから動いてください。お願いします」


 ハムレットは渋々ネクタイを首に戻した。

 狂人のふりは一日で終了した。歴史的に見ればかなり短い狂気だったが、被害は確実に出ていた。特にコピー機が。


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