第10話 法廷開幕、帳簿は剣より強し
王国中がざわつく中、ついに事件は正式な審理に入った。
国家対クローディアス事件。
先代国王毒殺の疑いで、現国王が起訴されるという、前例のない事態だった。ニュースでは連日トップで報じられ、SNSでは「#デンマーク裁判」がトレンド入りした。
傍聴席は満員だった。
普段は空席が目立つ傍聴席だが、今日は廊下まで人が溢れていた。
「王家の毒殺事件だって」
「ずっと王子が騒いでたやつ?」
「でもあの王子、だいぶ様子おかしくなかった?」
「ネクタイ頭に巻いてたらしいぞ」
「コピー機に剣突きつけたって聞いた」
「あれで訴えが認められるの?」
「そこなんだよなあ」
評判というのは便利なようでいて、裁判ではあまり便利ではない。
正しい人間が常に落ち着いて見えるわけではないし、おかしな人間が間違っているとも限らない。人間は見た目より複雑だが、見た目の印象はやたら強い。
ハムレットは傍聴席にいた。
弁護士から「証言台に立つ必要はありません。座っていてください。ただ座っていてください」と言われていた。
「ただ座っている」を任務として言い渡されるのは、なかなか辛いものがある。
裁判長が入廷した。
白髪の混じった壮年の男で、厳格そうな面構えだった。法廷という場所の威厳を体現したような人物だ。
「静粛に」
木槌が鳴り、法廷が静まった。
* * *
検察側は、ハムレットと違って順番に話した。
まず鍵の貸出記録。
「事件当夜、被告人クローディアスが薬品庫の鍵を借り出している記録があります。管理係の署名入りです」
スクリーンに帳簿のコピーが映し出された。日付、時刻、借り出し者、署名。すべてが揃っている。
「しかも返却記録に不自然な上書きがあります。元のインクと上書きのインクの色が異なっており、記録の改竄が疑われます」
次に医師の所見。
「先代国王の死亡時、担当医が個人メモに"耳周辺の変色と皮膚の不自然な症状"を記録していました。公式の死亡診断書は急病死ですが、担当医は疑問を感じていたものの、"上からの指示で深追いしなかった"と記しています」
次に薬品商への送金履歴。
「事件の一週間前、被告人の私的口座から王都の薬品商に送金がありました。この薬品商は、一般に流通しない特殊な薬品を取り扱っています」
そして、父王の死によって最も利益を得たのがクローディアスであるという事実。
「先代国王の死により、被告人は王位を継承し、先代の配偶者と婚姻しています。動機は十分です」
証拠は地味だが、地味な証拠はしばしば強い。
人は劇的な告白に惹かれるが、法廷が好むのは帳簿である。
主人公が叫ぶ「あいつが犯人だ!」より、会計士が静かに提出する「この送金記録をご覧ください」の方が、判決を左右する。
物語的には地味だが、法廷的には王道だ。
* * *
クローディアスの額に汗が滲んだ。
弁護側(クローディアスの弁護団)は反論を試みた。
「鍵の貸出記録は、日常的な業務の一環として説明がつきます。被告人は城の管理にも関わっていました」
検察が切り返す。
「深夜二時に薬品庫の鍵を借りる日常業務とは、具体的にどのようなものですか」
「……夜間の在庫確認です」
「在庫確認を深夜二時に?」
「被告人は勤勉な方なので」
「深夜の勤勉さが偶然、先代国王の死亡時刻と一致する点について、弁護側のご見解は」
苦しい。
弁護側は苦しかった。事実の壁は、話術では越えられない。
さらに追い打ちがかかった。
「新証言があります」
検察官が書類を取り出した。
「城の庭師が証言しています。事件当夜、庭園付近で被告人が一人言をしていたのを聞いた、と」
「内容は」
「"耳からなら気づくまい"」
法廷がざわついた。
傍聴席がどよめく。
クローディアスが立ち上がる。
「誤解だ!」
「では何の話ですか」
「耳掃除だ!」
「夜中の庭で?」
「そうだ!」
「"王はもう終わりだ"とも発言していますが」
「比喩だ!」
「何の」
「耳掃除のだ!」
もう少しうまい言い逃れがあるはずだが、追い詰められた人間はだいたい変なことを言う。そして変なことを言えば言うほど、たいてい不利になる。
裁判長が冷ややかな目でクローディアスを見た。
「着席してください」
クローディアスは座った。
座った瞬間、彼の肩が小さく落ちた。それを見逃した人間は法廷の中にいなかった。
ハムレットは拳を握った。
言いたいことが山ほどあった。「ほら見ろ」と叫びたかった。だが隣で弁護士が無言でこちらを見ていた。その目は「動くな」と言っていた。
ハムレットは動かなかった。
奇跡だった。




