消費MP2:部屋割り
「……五人で三部屋?」
「経費節約だよ」
盗賊の平坦な声が宿屋のロビーに響く。いつもの事務連絡の口調で、悪びれる様子がない。勇者は嫌な予感がした。嫌な予感しかしなかった。
「誰かと同室ってことか」
戦士が荷物を床に下ろしながら言った。
「三部屋で五人なら、二人部屋が二つと一人部屋が一つだろ。まあ、俺と魔法使いが——」
戦士はちらりと魔法使いを見た。一瞬だけ見て、すぐに目を逸らした。
(うわ、絶対に一瞬目がハートだった)
とても悪い予感がした勇者の胃が小さく軋んだ。
「あっ、じゃあ一人部屋は私ですね」
僧侶が穏やかに手を挙げた。
「は?」
戦士が振り返った。
「なんでお前が一人部屋なんだよ」
「信仰上の理由です」
「信仰上?」
「就寝前と起床後に祈りの時間が必要なんです。同室の方がいると集中できませんので」
僧侶は微笑んでいた。申し訳なさそうではあったが、譲る気配は一切なかった。
「いやいや、それは——」
「戦士さん。信仰に口を出されるのは、ちょっと困ります」
声は柔らかかった。柔らかいまま、完全に壁だった。
勇者は僧侶の表情を見ていた。あの顔だ。「これは信仰の問題です」の顔。この顔が出たとき、僧侶を動かせた試しがない。
「……ちっ」
戦士が舌打ちした。が、それ以上は突っ込まなかった。僧侶は以前信仰を蔑ろにした戦士に、傷口をぐりぐりとつつきながら回復の聖法をかけていた。戦士のうめき声はあの時初めて聞いた。さすがに学習したようだ。
僧侶はカウンターで鍵を一つ受け取ると、「おやすみなさい」と微笑んで階段を上がっていった。まだ夕食前だった。
残り四人。二部屋。
(ここからが本番だ)
勇者は腰のポーチに手を伸ばした。小瓶の数を指先で確認する。三本。昨日のキルパク裁判で一本減っている。
「じゃあ残り二部屋だけど——」
「盗賊と同室でいい」
魔法使いだった。壁にもたれたまま、誰の顔も見ずに言った。
ロビーの空気が変わった。
「明日の旅程と経費の整理がある。同室の方が効率的」
「え——」
戦士が声を詰まらせた。
「……効率ぅ?」
「移動中にやると時間が潰れる。宿で済ませたい」
魔法使いの声は平坦だった。部屋割りの相手を選んでいるのではなく、作業環境を選んでいるだけの声だった。盗賊が小さく頷いた。
「明日の宿の手配もあるし、荷物の棚卸しもしたかったから。ちょうどいいね」
二人の間には感情がなかった。業務連絡のやり取りだった。だからこそ戦士には手が出せなかった。
「……俺は」
戦士の声が小さくなった。
「俺は——その、魔法使いとは幼馴染だし——」
「それと部屋割りに何の関係が?」
「昔は一緒のベッドで寝たりしたじゃんか?」
「幼少期の話。今は関係ない」
魔法使いが振り向きもせずに言った。
悪意はなかった。本当に分からないのだ。幼馴染であることが部屋割りの基準になる論理が、魔法使いの中に存在しない。
戦士の手が、大剣の柄を握った。握って、離した。怒鳴れなかった。魔法使いには怒鳴れない。
「……別に、いいけど」
声が落ちた。ダウナーの兆候だった。勇者はそれを見逃さなかった。
(まずい。戦士が沈むとあとが長い)
「あー、いや、ちょっと待ってくれ。あの、別の組み合わせもあると思うんだ。例えば戦士と魔法使いが同室で、俺が盗賊と——」
「盗賊と話があるのに? まったくもって非効率」
魔法使いが遮った。
「僕さ、勇者と同じ部屋嫌なんだよね。足臭いから」
盗賊も即座に反応した。
勇者が口を閉じた。靴の中で蒸れている自分の足に意識がいった。戦士が壁にもたれて黙っている。魔法使いと盗賊はもう荷物をまとめ始めていた。
そのとき、魔法使いの手が止まった。
「……ねえ」
魔法使いが盗賊の方を向いた。
「なんで三部屋なの」
「え?」
「五人パーティーで三部屋。普段は一人一部屋取っている。路銀がそこまで減った覚えはない」
ロビーが静かになった。宿主がカウンターの向こうで、聞くともなしに聞いている。
「……経費節約、って言ったよね」
「うん。言ったけど」
「何を削った?」
盗賊の手が止まった。布をたたむ動作が、一瞬だけ遅れた。
「……宿代を少し調整しただけだよ」
「調整って何。そもそも宿代は五部屋で取るように計算していたはず」
「二部屋分の差額を、パーティーの宿泊費から移転しただけだよ」
「移転? その差額はどこに?」
「当然、埋め合わせだよ。この前僕の煙玉、鉤縄、使ったでしょ」
「各々の装備は各々の持ち金から出すルール」
「報酬が平等になったからね。もともと道具代は経費だったのに。道具を多く使う僕の分は経費にならないとおかしいよね」
戦士が壁から背を離した。
「……待て。宿代をくすねたってことか?」
「くすねたんじゃなくて、道具の経費を補填しただけ。平等分配って言ったよね、勇者が。でも僕の装備は自腹でしょ。ナイフの研ぎ代、煙幕の素材費、罠の部品——全部自腹。なのに取り分は戦士と同じ。おかしいよね?」
(前回の話が戻ってきた)
勇者は頭を抱えたくなった。平等分配という自分の提案が、こういう形で跳ね返ってくるとは思っていなかった。いや、思うべきだった。
「おかしいのはお前だろ! 勝手に宿代抜いておいて——」
「勝手じゃないよ。経費の補填は正当だよね?」
「正当もクソも、相談なしにやるのが問題だろうが!」
「戦士に賛同」
「相談したら反対されるでしょ。だから事後報告にした」
「それを勝手っつってんだよ!」
戦士の怒声がロビーに響いた。カウンターの向こうで宿主の眉が動いた。
「あの、ちょっと、声を——」
勇者が割って入ろうとした。
「そもそも平等分配がおかしいんだ! 俺が前に出て削ってる間、お前は後ろでナイフ磨いてただけだろ!」
「ナイフ磨いてたんじゃなくて索敵してたんだけど。僕がいなかったら増援に気づかなかったよね」
「知るかよ! 増えても倒すことに変わりはねえだろ」
「戦士。それ、本気で言ってる? 増援倒したのは僕の罠だよね?」
勇者が両手を広げて間に入った。
「ちょっと落ち着いてくれ。いやだから、前回の平等分配の話はまだ決着がついてないわけで、ただ、宿代を相談なしに削ったのは確かに——いやでも盗賊の経費の言い分にも——」
「勇者さん」
階段の上から声が降ってきた。僧侶だった。手すりに手をかけて、困ったような顔でこちらを見ている。
「まだ決まらないんですか?」
ロビーが凍った。
「お祈りを始めたいのですが、騒がしくて集中できません」
「——お前は一人部屋取って祈ってたんだろうが!」
戦士の怒りが僧侶に飛び火した。
「ええ。ですから、静かにしていただけると」
「静かにしろじゃねえよ! 降りてきて話し合いに参加しろ!」
「私は部屋割りに不満はありませんので」
「お前だけな!」
「いや、部屋割りは僕と魔法使い、臭い戦士と臭い勇者で決まってるよね。不満あるのは戦士だけだよね」
「そうですね。皆さんが何に揉めているのか、正直よく分かりません」
僧侶の声は階段の上から降ってくるので、物理的に見下ろされている形になった。
「なあ、魔法使い。俺って足臭いか?」
「足が臭いのは確か。ちゃんと洗浄したほうがいい」
「……まじかぁ」
勇者は確認して自滅。かなりショックだ。
「降りてこい! 魔法使いを一人部屋にする!」
「ええ……。私、お祈りが……」
「お客さん」
宿主の声だった。低く、太く、穏やかだった。穏やかだったが、二度目はないという種類の声だった。
「もう少し静かにしていただけますかね。他のお客さんもいますんで」
勇者は即座に頭を下げた。
「すみません、すぐ——」
「そもそもこいつが宿代をくすねたのが——」
「だから経費の補填——」
「均等に抜いたって全員の取り分——」
「お客さん」
宿主が二度目の声を出した。穏やかではなかった。
「——出てってください」
沈黙。
「全員。今すぐ」
カウンターの奥から、猟銃に似た何かが見えた。剥製の猪の頭が、ランタンの光の中でにやにや笑っているように見えた。
五分後、五人は宿の前の街道に立っていた。
夜風が冷たかった。星が出ている。虫の声がやけに大きい。荷物は全員の足元にまとめて転がされていた。僧侶が一人部屋で過ごした時間は、およそ十五分だった。
「……野宿?」
戦士が呟いた。
「野宿だね」
盗賊が淡々と答えた。
「全員同じ空の下。部屋割り争い、解決したんじゃない?」
誰も笑わなかった。
魔法使いが地面に座り込んで荷物を枕にした。
「寝る」
一言だった。怒っているのか諦めているのか判別がつかない。たぶん両方だった。
僧侶は草の上に布を広げ、正座して空を見上げていた。
「星が綺麗ですね。あっ流れ星……なにかの啓示かもしれません」
戦士は大剣を地面に突き立てて、それにもたれかかるように座った。魔法使いに同室を断られたのが尾を引いているらしい。何も言わなかった。
盗賊は少し離れた木の根元に座り、帳簿を取り出した。ランタンの小さな灯りで、何かを書き込んでいる。おそらく今日の経費だろう。宿代の欄には何と書くつもりなのか、勇者は考えないことにした。
勇者は皆から少し離れた岩に腰を下ろした。ポーチから小瓶を取り出す。残り三本。
胃痛がすぅっと引いていく。星が綺麗だった。それは本当だった。ただ、明日の宿をどうするかは誰も決めていなかった。
勇者はブーツを脱いで、そっと足を嗅ぐ。
「……うわ、くさ」




