第十七章 静まる水面
仁の調整は、即効性があった。港区の案件は回り始め、欠勤は減り、連絡は定時内に収まる。数字は滑らかになり、報告書の行は短くなる。噂が好む隙間が、次々と塞がれていった。
伏見の喫茶店で、真は同じ女と向かい合った。以前と同じ席、同じカップ。だが、話題は広がらない。「最近は落ち着いたね」。それだけだ。南区の名前は出ない。港区の影も出ない。噂は、語られなければ痕跡を失う。
現場からも音が消えた。事故報告は通常値に戻り、問い合わせは事務的だ。真が名簿を開いても、異常は見つからない。初期のコードは統一され、過去はきれいに折り畳まれている。仁の調整は、会社を守り、人を守り、そして噂を終わらせた。
だが、終わったのは音だけだった。真は、終わり方が早すぎると感じた。問題は、解決するときに痕跡を残す。今回残ったのは、沈黙だけだ。水面は凪ぎ、底は見えない。
その夜、仁は報告をまとめる。数字は美しく、上層からの評価も高い。感謝のメールが届き、次の案件の話が進む。善意の調整が、正しく世界を動かしている。そう信じられる材料は、十分に揃っていた。
同じ時間、真は港区の地図を閉じた。行っても何もないだろう、という予感があった。噂は消え、過去は整理され、誰も困っていない。困っていないから、誰も声を上げない。
真は携帯を伏せ、目を閉じた。気づきかけて、目を逸らす。その仕草が、また一つ、噂を静める側に回ったことを自覚しながら。水面は静かだ。静かすぎるほどに。




