第一章 幼稚園の砂場
名古屋市郊外。夏の終わりに近い午後、幼稚園の砂場は前夜の雨をまだ抱えていた。乾ききらない砂は靴底にまとわりつき、歩くたびに小さな抵抗を残す。赤津仁は、誰に教えられたわけでもなく、赤いバケツを自分の正面に据えた。対する黒瀬真の手には、黒いシャベルがあった。色の対比は偶然だったが、二人の距離を妙に際立たせていた。
仁が砂を掬おうとした瞬間、真のシャベルが触れた。乾いた音が一度だけ鳴り、時間が止まったように感じられた。教師の声は遠く、鉄棒の影が砂の上に長く伸びている。仁は視線を逸らさない。指先に力を残したまま、微動だにしない。その沈黙は、年齢に似合わない強さを帯びていた。
真は一歩引いた。だが、引いた瞬間、喉が小さく鳴るのを自分でもはっきりと感じた。湿った土の匂いが鼻に残る。負けたという感覚よりも、ここで目を逸らしたら何かが決まってしまう、そんな予感の方が強かった。仁は譲らない。真は引く。そうして遊びは続き、砂は形を失い、城は崩れ、最後に残ったのは赤いバケツだけだった。
その日の帰り道、二人は同じ方向に歩いた。住宅街の舗道、夕方の匂い、犬の鳴き声。言葉はなかった。並んだ背中の距離だけが、二人の関係を測る定規だった。この沈黙が、長く続くことを、どちらもまだ知らない。幼稚園の砂の感触が、後の人生の細い糸を密かに繋ぐことを、まだ誰も知らない。




