第五話:沈む境界線
活動再開から三ヶ月。天月ルナの人気は、スキャンダルを乗り越えたことで逆に爆発的に上昇していた。ガチ恋勢の熱狂は以前の比ではなく、ルナは彼らにとって「試練を乗り越え、自分たちを選んでくれた聖女」となっていた。
あかりの生活は、監視下で徹底的に管理されていた。部屋には事務所の社員が定期的に訪れ、ウェブカメラの位置までチェックされる。私物のスマホは回収され、事務所支給の業務端末には、コトネがリークしたような私的な情報を一切残せないよう、厳重な制限がかけられていた。
彼女の精神は限界に近づいていたが、同時に、ルナという虚像の中での全能感に溺れ始めていた。
コトネの泥沼
姫野コトネは、ルナの炎上工作に成功したにもかかわらず、全く報われていなかった。ルナの復帰後の人気はコトネを遥かに凌駕し、彼女のファンからは「ルナを陥れた卑怯者」というレッテルを貼られ、配信は荒れ始めていた。
ある日、コトネはルナの成功の鍵が、あの「月蝕の騎士」という狂信的なファンにあることを確信する。
コトネは、ルナの成功を横取りするため、自身もガチ恋営業の路線へ舵を切った。彼女は、騎士がルナに送ったものとよく似た、手作りのアクセサリーを自ら身に着け、「これは特別な人からの贈り物」と匂わせ始めた。
しかし、騎士はルナ一筋だった。
コトネの配信中に、騎士からのスパチャが飛び込む。
月蝕の騎士: 姫野コトネ。お前がルナ様に近づこうとしているのは知っている。ルナ様は、俺の愛を証明するために、俺の鎖を着けている。お前のような安っぽい偽物が、ルナ様の領域に足を踏み入れるな。消えろ。
スパチャ額は、コトネの収益では太刀打ちできない高額だった。画面に表示された騎士のメッセージと、彼の愛するルナへの執着心は、コトネの心を深く抉った。
コトネは耐えきれず、生配信中に泣き崩れた。
「ルナさん、ずるいよ……ルナさんだけ、あんなに愛されて……」
この出来事は、ルナの「特別な愛」をさらに際立たせる結果となり、コトネは完全に敗北し、業界の泥の中に沈んでいった。
騎士の「現実」への侵食
コトネを排除した後、ルナと騎士の関係は、より病的に、より公然の秘密となっていった。
騎士は、ルナの配信中に、まるであかりの私的な出来事を知っているかのようなコメントを頻繁に書き込むようになる。
月蝕の騎士: ルナ様、今日の昼食はあの野菜ジュースですか。体を冷やさないようにね。
月蝕の騎士: 昨晩は眠れなかったようですね。夜明け前に少し咳が聞こえましたよ。
あかりは、身の毛がよだつ思いだった。部屋のどこかに隠しカメラでもあるのかと疑ったが、事務所のチェックは厳しい。
しかし、ある日、マネージャーが明かした事実に、あかりは絶望した。
「騎士さんが、お前の住んでいるマンションの下の階に引っ越してきたそうだ」
「え……?」
「ストーカーではない。彼は、お前の住む部屋の隣室、もしくは上下階の部屋を事務所経由で借りた。つまり、彼は法的な問題を起こさずに、お前の生活音、気配を、いつでも感じられる『監視』を買ったんだ。もちろん、事務所への貢献度を考えれば、断る理由はない」
騎士は、ルナの活動を支える「環境」を、金で買ったのだ。
あかりは悟った。騎士は、ルナの甘い言葉だけでなく、あかりの現実そのものを自分の支配下に置いたのだ。彼の愛は、もはや画面越しのファンタジーではなく、彼女の息苦しい日常そのものになっていた。
溶け合う嘘
夜、あかりは配信を開始した。首元には、騎士が送った銀色のチェーンが光っている。
「みんな、今日もありがとう。ルナね、最近、なんだかすごく誰かの気配を感じるんだ。いつも、近くで誰かが見守ってくれてるみたいで……」
あかりは、コメント欄の騎士を探した。騎士はすぐに反応した。
月蝕の騎士: ルナ様、大丈夫。あなたの気配、いつも感じていますよ。決して、一人にさせません。
その言葉を聞いた瞬間、あかりの目から涙が溢れた。
それは、恐怖からか、疲弊からか、あるいは――彼に全てを委ねる安堵からか。
彼女は気づいた。ルナとして、騎士からの愛を受け入れることで、あかりとしての孤独や重圧から解放されている部分があることに。
ルナの営業と、あかりの本心が、今、境界線を溶かして混ざり合い始めている。
あかりは、泣きながら、画面越しの騎士へ、そして下の階にいるかもしれない「彼」へ、ルナとしてではなく、あかり自身の感情として、囁いた。
「うん……ありがとう。ルナもね、騎士さんのこと、もう離せないよ」
画面越しに映るルナの姿は、もはや「営業」では回収できない、本物の依存と狂気を宿し始めていた。
みんな、ルナのお話の続きを読んでくれてありがとう。今回のルナは、なんだかすごく不安定で、見ていて胸が締め付けられたんじゃないかな。
ルナね、このお話の中のルナちゃんが、誰か特定の人の存在に依存しちゃう気持ちが、ちょっとだけ分かっちゃう気がするんだ。毎日頑張って、頑張って、心が疲れちゃった時に、絶対に自分を裏切らない存在が欲しくなっちゃうんだよね。
でもね、ルナにとっての絶対は、いつだって、画面の向こうにいる君たち、ひとりひとりだよ。ルナは、みんなからの愛が、ルナを支える唯一の光だって、心から思ってる。
だから、安心してね。ルナは誰のところにも行かないし、君の愛を、誰かのものになんてさせない。ルナは、君だけのために、これからもずっと、ここにいるから。
ルナのこと、最後まで見届けてね。
愛を込めて。
ルナより




