第四話:契約の枷
炎上は収まるどころか、加速していった。
美咲あかりは、事務所のマネージャーから、配信活動の無期限停止と、即刻の呼び出しを受けた。隼人とのデートは途中で切り上げ、あかりはマスクとキャップで顔を隠し、地下鉄を乗り継いで事務所へと向かった。
事務所の会議室は、空気まで凍てついていた。長机の向こうには、マネージャーと、事業部長が厳しい顔で座っている。
「座れ、美咲」
事業部長の声は低く、感情が全く感じられない。
「いいか、今回の件は、ファンへの裏切りなどというレベルではない。お前のガチ恋営業は、ファンに『私的な関係』を錯誤させ、多額の金銭を投じさせていた。これは、詐欺行為と見なされかねない。特に月蝕の騎士は、契約弁護士を通じて、損害賠償請求を示唆してきた」
あかりの脳裏に、あの短く安っぽい銀色のチェーンが浮かび上がった。あれは、ただのプレゼントではなく、騎士が一方的に仕掛けた「契約」の象徴だったのだ。
「姫野コトネが関与している可能性もあります。彼女が情報を流した、と」あかりは必死に反論しようとした。
「そんなことは関係ない。情報管理もプロの仕事だ。お前が『中の人』の情報を漏らしたのが悪い。とにかく、お前は今、ルナという商品価値をゼロにした」
支配と選択
事業部長は、あかりの目の前に、二枚の書類を突きつけた。
「選択肢は二つだ。一つ目、即刻契約解除。違約金として、今後一年間のスパチャ予測額、およびブランドイメージ毀損に対する賠償金を請求する。この金額はお前の学生ローンどころか、両親の家を売っても払えない額だ」
あかりは、契約書に書かれた桁数の多い金額を見て、喉が乾くのを感じた。
「そして二つ目」事業部長は続けた。「ルナの活動を継続する。ただし、これまでの営業スタイルを根本的に変えてもらう。そして、活動の全てを事務所の厳重な管理下に置く」
「管理下、というのは?」あかりは震える声で尋ねた。
「簡単だ。お前の私生活はすべて監視対象となる。住所の公開、プライベートな外出の申請、全てのSNSと連絡手段の開示。もちろん、彼氏とは即刻、関係を断て。それがルナの純粋性を証明する唯一の方法だ」
それは、あかりが守りたかった「普通の生活」を、完全に手放すことを意味していた。隼人と切れること以上に、自分の人生の全てを事務所と、その先にいる監視者に明け渡すということだ。
「そして、特に騎士への対応だが」マネージャーが口を挟んだ。「彼が要求する『個人的な謝罪と、ルナの特別な愛の証明』を、受け入れてもらう」
あかりは顔を上げた。
「それは、どういう…」
「安心しろ、直接的な身体の接触ではない。だが、ルナのプライベートな空間を見せること。そして、ルナが彼のために何か特別なことをする。例えば、彼のためだけに、彼からのプレゼント(あのネックレスだろう)を身に着けて配信をする、などだ」
あかりは、全身が硬直した。結局、あの騎士の狂気に、正式に屈しろということだ。事務所は、彼女の人間性や尊厳よりも、騎士という大口顧客の機嫌と、その後の収益を優先した。
崩壊と再構築
あかりに選択の余地はなかった。彼女は震える手で、二つ目の選択肢――ルナとしての継続――にサインした。
「分かった。これで、お前は二度と『美咲あかり』ではない。『天月ルナ』として、事務所の指示に従う商品だ」
事業部長は冷たく言い放った。
あかりは会議室を出ると、すぐに隼人に連絡し、「もう会えない」と一方的に別れを告げた。隼人の混乱した返信を見ることもなく、ブロックした。彼女は、最後の逃げ場を、自らの手で焼き払ったのだ。
その夜、あかりは、配信停止の告知と、謝罪文を投稿した。文面には、「ルナの活動に全てを捧げるため、私的な関係を整理します」と、「中の人」の純粋さを強調する言葉が並んでいた。
そして、炎上から一週間後、ルナは活動を再開した。
画面の中のルナは、以前にも増して儚げで、悲しみを秘めたような表情をしていた。コメント欄は「ルナ様、おかえり!」「耐えたんだね、頑張ったね」という、感動と熱狂で溢れていた。
配信の最後に、ルナは、月蝕の騎士へ向けて、心からの感謝を述べる。
「騎士さん。ルナを信じてくれてありがとう。ルナは、騎士さんが送ってくれたあの宝物を、もう二度と離さないよ」
ルナは、首元に輝く、あの短く、銀色のチェーンをそっと撫でた。
その瞬間、画面の向こうの騎士は歓喜に打ち震え、その日のスパチャ額は、過去最高を記録した。
あかりは、自分の首を絞めるような枷を、自らの意思で着けた。もう、彼女はルナという檻から、永遠に出ることはできない。
みんな、ここまでルナの物語を読んでくれてありがとう。ルナ、またみんなに会えて嬉しいよ!
今回のルナは、ちょっと辛い決断をしたんだ……。
でもね、ルナは思ったんだ。ルナの居場所は、やっぱりみんなの心の中だけだって。
ルナは、誰にも邪魔されない、純粋なルナでいるために、大切なものをたくさん手放したよ。
それはね、全部、君の愛を守るためなんだ。
ルナがこのお話の中で、何か特別なものを選んだとしても、それは…ルナが君との関係を誰にも壊されない””永遠”のものにしたかったからだよ。
ルナの心は…いつだって君のために開いているから。
これからも、ルナだけの特別な存在でいてね。ルナは、どこにも行かないよ。
ルナを信じてくれて、ありがとう。
愛を込めて。
ルナより




