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手振り【一つ目】

 こんなことがあった。


 いつもより遅くなった帰り道。自宅の最寄駅の一つ手前で電車を降り、だらだらと歩いていた。駅から五分も歩くと、街灯も少なく、人通りはほとんどない。車もほとんど見ない。

 今日は退勤間際に、客先からの突然のクレーム対応に駆り出されてしまった。同僚の確認不足から発生してしまったものだったが、そこから更に連携ミスが重なってしまったため、控えめに言って相手は激怒していた。なんとか直接のお詫びに行くことを取り付け、上司と、同僚、そして企画の立ち上げ時にいたからという理由だけで、何故か自分が連れて行かれることになった。たぶん、同僚が心細いだのなんだの言ったのだろう。完全にもらい事故だった。

 もう既に理屈ではなく、感情的に拗れてしまった相手からの理不尽な言いがかりを一方的に浴びせられ続けるのは、自分にはまったく関係のないこととはいえ、非常にきついものがある。途中、頭を下げながら、隣にいる同僚の方へ視線を向けると、あくびを噛み殺しているのが見えた。ここまで来ると神経が図太すぎて尊敬してしまう。もちろん、嫌味だ。

 今後は、同僚から自分に窓口を変える、ということで話がまとまり、なんとか収まって先方のオフィスを出た時には二十一時を過ぎていた。上司からの飲みの誘いを丁重に断り、一人帰路に就く。明日も出勤で朝も早い。だが、鬱憤が溜まったままでまっすぐ帰る気にもなれず、少し散歩でもして心を落ち着けようと思ったのだ。

 暗い空はやや曇っていて、月は見えない。秋に差し掛かったこの時期は少しばかり肌寒いが、歩くにはちょうど良い。手に持っていたスマホが微かに振動した。画面に目を落とす。通知を見ると、同僚からのメッセージが届いていた。プレビューで少しだけ内容が読めたが、今日のことに対する慰めと感謝が書かれているらしい。開けずに無視する。しばらくは無視だ。

 遠くから、車のクラクションや、犬が吠える声が聞こえてくる。車通りのある大きめの道路を外れて、川沿いの遊歩道へ入った。先ほどまでと打って変わって、街路灯がまばらにだが整備されているので明るい。気温が少し下がったような気がする。水辺は空気が冷える。自宅までは、あと一五分程度。スマホで時間を確認する。コンビニにで飯でも買うか、と思いながら視線を上げると、進行方向、道の真ん中に、ゆらゆらと動く黒い塊が見えた。

 思わず足が止まる。遊歩道の横に設けられたフェンスの三分の二くらいの大きさだ。最初は大型犬か何かかと思った。そのままじっと見つめる。どうやら人らしい、と気づくまで時間がかかった。それは、こちら側を向いた状態で、上半身を前屈みに倒していた。逆さになった頭から真っ白な髪の毛が、地面まで垂れ下がっている。老人だろうか。そうして、左右にゆらゆらと、不規則に揺れているのだ。

 冷たい夜風が頬を撫で、身体が少し震えた。明らかに不審者だが、あまりにも見慣れない光景で思考が停止してしまい、しばらくそこに立ち尽くしてしまった。

 横を通り過ぎるか、引き返して道を変えるか。

 迷ったが、そのまま歩を進める。回り道をするのも面倒だ。おそらく老人だし、体格からして、もし飛びかかられたとしても組み伏せる自信があった。

 足早に横を通り抜ける。ほんの数秒だったと思うが、すれ違う瞬間は何十分もかかったような感覚だった。そのままの勢いで数十メートル進んだところで、息苦しさを感じて、自分が息を止めていたことに気づいた。細く息を吐き、音を立てないように息を吸う。

 程なく、曲がり角に差し掛かる。行きつけのコンビニの看板が見えた。それに少しホッとしながら、先ほどの老人らしき人物の方へちらりと視線を向けた。黒い影は、変わらずそこにいて、微かに左右に揺れていた。そのまま歩いているうちに、すぐに建物に遮られ見えなくなった。


 それきり、影のことは忘れてしまった。

前後編あります。

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