宝石は涙を流せない 〜呪いによって瞳を宝石に変えられ、王子に冤罪を着せられ婚約破棄された『悪逆聖女』は勇者様との幸せな婚約生活を始めます〜
長編を短編に押し込んだのでおかしな点があれば申し訳ありません。
『聖女よ。貴様を、呪ってやる』
目の前に横たわった、身体が全て宝石で出来た竜が、死にかけの身体に鞭を打ってそう呟いた。
王国中に災厄と疫病をばら撒いた宝石竜の瞳はエルミアを捉えている。
『その呪いは身を蝕み、いつかお前自身を殺すだろう』
宝石竜は自身をここまで追い込んだ人物であるエルミアに、激しい怒りを抱いているようだった。
自分はもう長くない。その代わりに目の前の憎き聖女に呪いをかけてやろう、とその身の中で魔力を高めていく。
『覚悟するがいい。呪いに蝕まれるたびに我を思い出せ!』
宝石竜が最後の力を振り絞り吠えると、黒い瘴気がエルミアの身体を取り巻いた。
「やめっ……!?」
そこでエルミアは目を覚ました。
「夢……もう一年は経ったのに、まだ見るのね」
宝石竜は一年前に討伐したというのにいまだに夢に見てしまう。
(それも、この呪いのせいか)
冷や汗を拭いながらエルミアが三人は寝ることが出来そうなほど広いベッドから起き上がる。
ガラス窓からは朝日が差し込んでおり、エルミアは眩しさを我慢しながら汗ばんだ額を、見るからに高価そうな絹の寝巻きで拭った。
孤児だった頃には見ることすら出来なかったような高級な服だが、どうせ使用人が洗ってくれるので問題はない。
しばらして、エルミアが落ち着くと、扉がノックされた。
丁寧なお辞儀をして使用人たちが入ってくる。
彼女たちはどこかの貴族の家の、結婚できなかった次女や三女だったりするので、元孤児のエルミアよりは遥かに身分は高いはずなのだが、一応伯爵相当の身分を持っているエルミアのことを主人として扱っていた。
「エルミア様。御髪の手入れと朝の支度にやって参りました」
「はい、よろしくお願いします」
彼女たちは、まるで腫れ物に触るように、エルミアの髪に触れる。
真っ白で、少しの色味も感じさせないようなエルミアの髪はどこか神々しく見えるが、使用人の彼女たちにとっては忌避する象徴でしかなかった。
使用人たちは機械的にエルミアの髪を櫛で溶かすと、今度は着付けに移った。
エルミアに真っ白な修道女の服を着せる。
その間に会話はひとつも無い。
まるで事務作業のように、エルミアも使用人も支度をこなしていく。
これはあくまでエルミアがこの屋敷の主人であり、彼女たちは使用人なのだと確認するための毎日朝と夜に行われる儀式のようなものだった。
そして支度が終わると使用人たちはそそくさと部屋から出ていく。
入れ替わりで一人の使用人が入ってきて、エルミアに手紙を渡した。
「エルミア様。お手紙です」
「ありがとうございます」
エルミアに手紙を渡した使用人は、逃げるように去っていった。
(そんなに逃げなくても、この呪いは人に伝染したりしないのに……)
そんなことを思いながらエルミアは手紙に目を落として……眉を顰めた。
「これは……」
王城から手紙が来ていた。
差出人は婚約者であるイアン・リオンダー王太子から。
『今日の正午に王城へと来い』と命令口調で要件が書かれている。
「本当に勝手な人……」
こちらの都合を考えずに命令してくるイアンにため息をつきながら、それでもエルミアは王城へと行く準備をした。
聖女としての服装であり、エルミアが唯一持っている高価な白い服を身に纏う。
そして左目に白い眼帯と、左手に純白の手袋をはめる。
その姿は一般的な修道女としてはかなり異質だった。
白い髪と病的に白い肌も相まって、エルミアの装いは白一色だった。
聖女であるエルミアの決まりの制服のようなものだった。
エルミアは王城へと向かった。
「悪逆聖女! エルミア・アダマス! お前との婚約は今日を持って破棄とする!」
王城へついた途端、婚約者であるイアン王太子はエルミアへ婚約破棄を突きつけた。
「……どうしてでございましょうか」
突然の婚約破棄に戸惑いを覚えつつも、エルミアはイアンに質問する。
「それはお前が聖女を騙り、ケイトの功績を不当に奪い続けていたからだ!」
イアンの側に立っていたケイトが、目元を押さえながらイアンに抱きついた。
「イアン様っ……! エルミアは、私より聖女の力が強いからって、毎日私をこき使って、罵詈雑言まで……っ! 本当に酷いです……っ!」
ケイトは演技とは思えないような真に迫った涙を流した。
演劇の仕事をしていればこの国一番の女優になることができただろう。
「ケイトへの犯罪に加え、お前は宝石竜を討伐したという功績さえもケイトから奪った! 知らないとは言わせないぞ!」
全く身に覚えのないことだ。
エルミアは否定する。
「全く身に覚えがありません」
「言い訳をするな! 誰もが口を揃えてお前が聖女に相応しいくないと言っているぞ!」
「そう言われましても、私が宝石竜を倒したのは、ここにいる兵士やイアン様もその目で見ていらっしゃったはずだと思うのですが」
そもそも、宝石竜討伐から一年も経ったというのに、なぜ今になって言ってきたのか。
「ふん、醜いな。お前の悪行は教会も認めているんだぞ」
「……え?」
エルミアは顔を上げた。
そこにはイアンが勝ち誇った笑顔で一枚の紙を見せていた。
「これにはお前がケイトに犯罪まがいの嫌がらせをしていたこと、そしてケイトが宝石竜を討伐したのに、この功績を無理やり奪った、と認めたバルニーク枢機卿のサインがある」
そこには間違いなく、教会がエルミアの悪行を認める、と書いてあった。
エルミアは静かに納得する。
(もう宝石竜は倒したし、平民の私は必要なくなった、というわけね)
宝石竜という厄災を討伐したのだから、平民上がりの呪いを受けたエルミアはもう用済みということだろう。
今度は聖女の力は中途半端であるものの伯爵令嬢であるケイトを祀りあげよう、という魂胆が見えて透けていた。
と、エルミアは冷静に考えていたが、このままではまずい。
教会が認めた、ということは真実がどうであれ、エルミアの悪行は事実として扱われるだろう。
エルミアは表情こそ無表情だったが──。
(なんで私がこんな扱いをされなきゃいけないの……)
心の中は荒れに荒れていた。
エルミアも人間なので、冤罪をかけられた上にこんな扱いまでされたのなら、当然怒る。
必死に冷静でいようと心を落ち着かせていたが、我慢の限界を迎えてしまった。
しかし、心を乱すと……。
(あ、まずい……)
視界がぐにゃりと歪み、途端に吐き気が襲ってくる。
そして左目と左手が発熱し、エルミアの額には汗が浮かんできた。
宝石竜にかけられた呪い。
エルミアが感情を昂らせると、こうして体内の魔力が暴走するようになった。
体内で魔力が荒れ狂う言いようのない気持ちの悪さに、エルミアは立つのが精一杯だった。
だがしかし、イアンにはその姿が自分を睨んでいるように見えたらしい。
「なんだその目は! 俺に言いたいことがあるのか!」
エルミアは無言で立っている。
イアンが髪の毛を逆立たせ、エルミアの頬を叩いた。
「不敬な!」
「っ……!」
イアンがエルミアの頬を叩いたことにより、偶然にもエルミアの眼帯が外れて飛んでいった。
エルミアの瞳を見たイアンが舌打ちする。
「チッ! その醜い目を早く隠せ!」
眼帯が外れ、露わになったエルミアの瞳は──宝石だった。
紅色の宝石は眼球として機能しており、見るものが見れば美しいとすら感じるだろう。
しかしイアンにとっては忌々しい呪いの跡でしかないのか、眉を顰めている。
「……はい」
エルミアは体を動かすのも辛かったが、なんとか体を動かして、眼帯を付け直す。
「とにかく、お前との婚約は破棄する! 今すぐに俺の前から消え失せろ!」
エルミアにはこの現状を改善する手段はない。
元々平民なのでコネもなければ、味方だった教会にもたった今見捨てられた。
ここは引き下がるしかない。
「……はい」
エルミアが大人しく引き下がると、イアンは満足そうに口元を歪めた。
「ただ、こんな悪逆聖女だったとしても、元婚約者だ」
冤罪を着せたくせに、白々しいものだ、とエルミアは心の中で考える。
「俺は優しいからな、新しい婚約者を見繕ってやろう! ヴァンデルフェルト! 来い!」
その中で騎士の中に並んでいた、他の騎士より一際輝く鎧をつけている青年が呼ばれて前に出てきた。
髪は金色で、緑色の目をしている優しそうな顔をした青年だった。
フルネームはアレク・ヴァンデルフェルト。
エルミアは彼と面識がある。
「ヴァンデルフェルト! エルミアと婚約しろ!」
「えっと、その……」
アレクは困惑しているようだった。
それもそうだろう。いきなり呼び出されて婚約をしろと言われたなら、誰だってそうなる。
「相応しいじゃないか! 国を救った聖女と、勇者なのだから! 婚約にピッタリだ!」
アレクは勇者だった。
人類の中で唯一聖剣を扱える人間であり、エルミアに呪いをかけた宝石竜にとどめを刺したのもアレクだった。
アレクも宝石竜を討伐して一年経った今、上位の貴族からは鬱陶しがられていた。
「お前もちょうど婚約者がいないだろう。新しい婚約者が必要なんじゃないのか?」
アレクも婚約者がいた。
それは目の前にいるケイトだった。
婚約者を奪っておいて、どの口でアレクに婚約を勧めているのだ、と思うが、イアンはそんな話の通じる人間ではない。
今のイアンは王族という権力を振り翳して暴走する魔術のようなものだ。
「まさか、王族である俺の言葉に反対するわけじゃないよな?」
勇者といえども、この国では彼は伯爵家だ。
公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と、上から順に地位の高い貴族の中の三番目の地位だ。
王家の血筋が入っている公爵家ならいざ知らず、伯爵家であるアレクは王族であるイアンの言葉に逆らうことはできないだろう。
「…………お受けいたします」
アレクはイアンの命令を受け入れた。
「それでいい! 邪魔者同士、くっついてればいい!」
「じゃあね、二人とも! お似合いよ!」
イアンは高笑いを上げると、謁見の場からケイトと一緒に去っていった。
その場に残されたエルミアとアレクは取り残される。
国王の了承もないまま婚約を破棄され、新たな婚約を押し付けられたエルミアとアレクは呆然とその場に立ち尽くす。
沈黙の後、口を開いたのはエルミアの方だった。
「……取り敢えず、移動しませんか」
「ええ、そうですね。ここでは人目も多いし……」
謁見の間にはまだ騎士たちが残っている。
騎士たちからは好奇の視線や、嘲りの視線が混ざっている。
嘲りを受けているのは、どちらかといえばアレクの方だ。
(騎士の中で最も優れた聖剣使いでも、それなりに周囲の嫉妬を受けたりするのね……)
二人は王城の廊下を歩く。
「とりあえず、僕の家に来てください。お互いに状況を整理しましょう」
「はい、分かりました」
エルミアはアレクの言葉に頷いた。
そうして廊下を歩いていると。
『あれ見て』
『ほんと、今婚約破棄されてきたんでしょ? それなのにあんな無表情って……』
『心まで宝石みたいに固まったっていうのも本当なのかしら……』
侍女たちの声が聞こえてきた。
王城の廊下は声を反射する造りなので、内緒話のつもりでも聞こえてくることがある。
見たところ、彼女たちはまだ新入りの侍女のようだ。
「っ……!」
「大丈夫です。慣れてますから」
アレクが彼女たちの話を止めようとした。
しかしエルミアはアレクの服の裾を持ち、引き留める。
「それに、涙が出ないのは本当なんです。悲しいんですけれどね。私の心まで宝石になってしまったというのは、本当のことなのかもしれませんね」
エルミアは自虐のつもりで口の端を指で上に押す。
「……」
エルミアはアレクに笑って欲しくてそうしたつもりなのだが、アレクはそんなエルミアを見てひどく傷ついたような顔になった。
「すみません」
「……いいえ、あなたが謝ることではありません」
思わずエルミアが謝ると、アレクはハッと我に返って首を横に振った。
そして、アレクの家であるヴァンデルフェルト伯爵家の屋敷にやってきた。
アレクの自室の椅子に座ると、エルミアの前に紅茶が差し出された。
「あ、ありがとうございます……」
自分の屋敷では呪いが感染るのを恐れて誰も紅茶を淹れてくれないし、エルミアも怯えながら紅茶を淹れられても美味しく飲めないので頼むつもりもなく、エルミアは紅茶を淹れる時はいつも自分で用意していた。
そのため、誰かに何かをもらうということが久しぶりだったエルミアは、一瞬どんな反応をすればいいのか困った結果、ぎこちないお礼が口から出てきた。
「その、アレク様。私を敬わなくて構いません。私は孤児で、貴族でもなんでもありませんから」
エルミアは聖女だからなまじこの国では高い地位にいるが、貴族でもなんでもない平民だ。
それどころか平民の中でも地位の低い孤児なので、伯爵であるアレクに気を遣ってもらうなんて恐れ多い。
「いや、しかし……」
「お願いします。私の方が落ち着かないのです」
ソフィアが強く頼むと、アレクが折れた。
「……分かった。敬語は外させてもらうよ」
アレクがようやく敬語を外したのを見計らって、エルミアは自分のことについて切り出した。
「アレク様、伝えたいことがございます。婚約者となったアレク様には知っていただきたいのです」
エルミアはそう言って目にかかっている眼帯と、手袋を外した。
そこから露わになったのは、真紅の宝石の瞳と、手。
アレクの目が大きく開かれる。
エルミアはアレクから少し目を逸らした。
「これは確かに宝石竜から受けた呪いですが、人には感染ったりしませんのでご安心ください。私のお伝えしたかったことはそれだけです。申し訳ありません。お見苦しいものを──」
「……美しい」
「え?」
エルミアは幻聴かと思って聞き返す。
アレクは我に返り、申し訳なさそうな顔で謝ってきた。
「あ、いや、申し訳ない。君が受けた呪いを美しいなんて……」
「私の呪いが、美しいのですか」
「ああ、いや……うん。とても美しいと思ったよ」
「どうしてですか。この呪いを見た人はみんな恐れたり、顔を顰めたりするのに……」
「恐れるなんてありえないよ。いわばそれは僕たちの国を護ってくれた証じゃないか。感謝はすれど恐れるなんて……純粋に綺麗だと思ったし」
「……」
エルミアは目を見開いてアレクの言葉を聞いていた。
そしてエルミアの瞳から涙が溢れた。
突然泣き出したエルミアを見てアレクは慌て始める。
「ご、ごめん! 何かおかしなことを言った?」
「いえ、そうでは無いのです……。美しいと言ってもらったのも、感謝されたのも、初めてだったので……」
「……」
左目から流れる涙を拭うエルミアを見て、アレクはエルミアの肩を掴んで力強く言った。
「エルミア。君は全く醜くなんかない。それどころかとても美しい女性だ。それだけは知っておいてくれ」
「……!」
それまで、エルミアはアレクの顔をしっかりと見たことはなかった。
自分を蔑む目を、怖がる目を見るのが怖かったからだ。
その時、エルミアは初めてアレクの顔をはっきりと見た。
(こんなに格好いい人だったんだ……)
サラサラの金色の髪に、緑の瞳。
自分を心配そうに見つめているアレクは、まるで御伽話に出てくる白馬の王子のように格好良かった。
エルミアは頬を染める。
それはいわゆる、一目惚れだった。
「そ、その、ありがとうございます……」
「とりあえず、一ヶ月後に国王様が戻ってくるまでの辛抱だ。国王様と教皇様がお戻りになられたら、きっとこんな横暴をどうにかしてくれるはずだから」
「ええ、そうですね……。今日のところはとりあえず帰ります」
「ああ、気をつけて」
エルミアはアレクに別れを告げて、自分の屋敷へと帰ることになった。
馬車の中でエルミアは、一ヶ月後にはこの婚約がなかったことになってしまうこととを少し残念に思った。
「そう言えば、泣いたのに、なんで魔力が暴走しなかったのかしら……」
エルミアの呪いは感情が昂ると身体の魔力を暴走させ、宝石が熱くなっていくというものだ。
しかし今日はアレクに瞳が美しいと言われた後、かなり心は乱れていたはずだった。
それなのに不思議と呪いで魔力が暴走することはなかった。
不思議なことがあるものだ、とエルミアは自分の屋敷に帰った。
それからエルミアは理由をつけては毎日アレクの元へと会いに行った。
アレクと一緒にいる時は、エルミアは心から笑うことができた。
エルミアの人生の中で一番幸せな時間で、呪いが発動することもなくなっていった。
アレクが「君は綺麗だ」と褒めるので、エルミアにとってコンプレックスだった左目の宝石も、いつしか自信へと変わり、眼帯を外すようになった。
眼帯を外し、笑顔を見せるようになったエルミアは、もとより顔は整っているので、誰もが魅了されるような女性へと変わっていった。
そんなエルミアにアレクが陥落するのは自然なことだと言えるだろう。
アレクは心からエルミアを愛するようになっていった。
二人が婚約してから二週間後には、押し付けられた婚約のはずが、いつしか本当の婚約者へと変わっていった。
ある日のこと。
「え──」
鏡を見ていたエルミアはあることに気がついた。
宝石竜の呪いのせいで真っ白に染まった髪。
その一房の先端が、元の髪色のである黒に戻っていた。
エルミアは急いでアレクの元へと行って、髪が元に戻っていることを告げた。
「見てくださいアレク様! 私の髪が戻ったんです!」
「本当じゃないか! でも、なぜ髪色が戻ったんだろう……」
アレクは顎に手を当てて考える。
「多分、聖剣の力じゃないかと思うんです。聖剣の力が呪いを弱めているんじゃないかと」
「確かに、原因はそれしかないか……。なら、このまま僕と一緒にいれば……」
「はい、おそらく、呪いが解けると思います!」
「よかった……!」
アレクはエルミアを抱きしめた。
「ありがとうございます。アレク様……」
エルミアもアレクを抱きしめる。
「でも、エルミアの綺麗な瞳が元に戻ってしまうのは少し惜しい気もするな。こんなに綺麗な瞳は世界中を探しても存在しないよ」
「もう、アレク様……」
「嘘だよ。エルミアの黒色の瞳もとても綺麗だ。見ているだけで吸い込まれそうになる夜空みたいな瞳は僕が一番好きな瞳だ」
「ありがとうござます、アレク様」
とにかく、このままいけばエルミアの呪いもいつかは解ける。
つまりはエルミアの宝石の瞳と手が人間の瞳と手に治るということだ。
その喜びに、アレクとエルミアは再び抱きしめあった。
そして一ヶ月が経った頃。
イアンとケイトは人生の絶頂期を謳歌していた。
王室の金を湯水のように使い込み、王太子や聖女としての地位を利用し、贅沢の限りを尽くした。
イアンは連日パーティーを開き、ケイトは王太子の婚約者として豪華なドレスやアクセサリーを買い漁った。
宰相や側近がイアンを嗜めたが、イアンは王太子としての立場を振り翳し、反対意見を黙殺していた。
しかしそんなある日。
遠方の国で世界の各国と会議を行っていた国王と教皇が帰ってくるという報せが入った。
イアンは舌打ちをする。
「くそっ! もう帰ってきたか!」
もう少しこの状態を楽しみたかったイアンは、舌打ちをして、国王を迎える準備をした。
国王と教皇は翌日、王都へと帰ってきた。
イアンは国王を迎えるために王城で国王を待ってきた。
王城へと一際豪奢な馬車と、その周りを守っている騎士団がやって来る。
「おお、イアン。出迎えご苦労。私が留守にしていた間も問題はなかったか?」
「はい!」
「そうか、それは良かった」
国王は窓からイアンに問題がなかったかを尋ね、イアンの返答に満足そうに笑う。
馬車から降りた国王は笑ってイアンに尋ねる。
「そう言えば、あの冗談みたいな報告書はいったい何だったんだ? イタズラか何かだと思って捨てさせたが、まさか本当に報告書のようなことが起きているわけでは無いよな?」
「ええ、そうですね。まさか、教会と王家の仲を徹底的に拗らせるような、どんなに愚かな者でもとらない方法を、曲がりなりにも王家の教育を受けてきたイアン様が取るはずがない。何かの間違いです、国王様。きっと誰かがジョークで書いた手紙が手違いで届いたのでしょう」
国王と教皇は朗らかに笑い合う。
しかしその目は全く笑っていない。
「で、実際のところはどうなのだ。イアン」
「まさか、エルミアとの婚約を解消して、聖剣使いのアレクから婚約者を奪ったなんて、仰りませんよね?」
国王と教皇、二人から発される圧に、イアンは気圧された。
「い、いえ! 手紙に書いたことは真実です! 俺はエルミアとの婚約を破棄し、ケイトと婚約しました!」
「………………は?」
「………………今、なんと?」
「しかしこれには訳があるのです! エルミアは聖女としての役割を放棄し、怠惰に暮らしていたどころか、聖女候補であるケイトへ数々の嫌がらせを行っていたのです。もはやエルミアが聖女として適切ではないのは明白でした! ですから俺はエルミアと婚約破棄して聖女の資格を剥奪し、新しく聖女となったケイトを俺の婚約者としたのです!」
「…………」
「…………」
国王と教皇は信じられないものを見るような目でイアンを見ていた。
イアンは雄弁に演説でもするかのように、国王と教皇を説得する。
「勝手なことをしたとは思っています! しかし国民のことを思えば、一刻も早くエルミアを聖女から下ろすべきだと思ったのです!」
イアンは誇らしげに胸を張る。
(ここまですれば、父上も教皇も俺のしたことを受け入れざるを得ないだろう!)
「……お前はまさか、国王である私が決めた婚約を勝手に破棄して、その上教皇が定めた聖女を、勝手に下ろして新たな聖女を擁立したと……?」
「聖女に関しては勝手ではありません! 俺は教会に許可をもらいました!」
「…………」
「…………」
イアンの答えに、国王と教皇は長い、長いため息を吐いた。
そして二人は顔を見合わせると、頷きあった。
「……教皇」
「……ええ、それがよろしいでしょう」
「イアン、お前は王太子から外し、第二王子のレイヴンを王太子とする。これは決定だ」
「…………は?」
イアンから素っ頓狂な声が出た。
「な、何を言っているんですか父上……?」
イアンは国王に今の言葉を聞き返すが、国王から返事は返ってこなかった。
「レイブンはまだ五歳だが……しょうがないな。教育する時間が残っていたことを喜ぶべきだろう」
「ええ、そうですね。こちらも勝手に聖女の地位を剥奪するような犯人は分かっています。一刻も早く粛清しましょう」
「ま、待ってください! 何を言っているんですか! 俺は王太子を降りるつもりはありません!」
「お前が降りるつもりはなくても、私が決定した」
「ちょっと、何を言っているんですか!」
「お前はいつから私より偉くなったんだ?」
「っ……!」
「国王の私の決定を勝手に覆し、エルミアを聖女から下ろしたお前は次期国王として相応しくない。よってお前は王太子から外す。これは決定事項だ。いくら喚いても覆らんぞ」
「ああ、そうだ。イアン様。聖女についてですが、ケイトはすぐに外すので、悪しからず」
教皇が付け足す。
そして二人はイアンに背を向けると、去っていこうとした。
「ま、待ってください!」
イアンは国王と教皇を引き留めようとするが、二人は冷ややかにイアンを拒絶した。
「お前と話すことはもうない」
「ええ、私もです。それでは、私はここで」
国王と教皇は足早にイアンのもとから去っていった。
イアンはただ一人残されていた。
イアンが自室に帰ってくると、ケイトがソファでくつろいでいた。
焦った様子で帰ってきたイアンを見て、ケイトは何があったのかを質問する。
「イアン様、一体どうしたの? そんなに慌てて……」
「どうしたもこうしたもあるか! 父上が俺を王太子から外すなんて言ってきたんだ!」
「な、何それ! どういうこと!?」
ケイトは慌ててイアンに尋ねる。
「それだけじゃない。教皇はお前も聖女から降ろすと言っていた」
「そんな……やっとこの地位まで上り詰めたのに……!」
ケイトはイアンの話を聞いてショックを受けていた。
自分が聖女ではなくなると聞いて、頭を抱えている。
「どうするのよ! このままじゃ私たちは……!」
「こうなったら、最後の手段に出るしかない」
「最後の手段……?」
「王都に魔物を引き寄せる」
「それは……!」
「お前もこのままじゃおしまいなんだぞ! 俺たちが正式に王太子と聖女じゃなくなる前に何か成果を出して、無理やりにでも認めさせるしかないんだ!」
「でも、どうやって魔物を誘き寄せるんですか?」
「これを使うしかない……!」
ケイトの質問に、イアンは金庫の中からとある瓶を取り出し、握りしめた。
それは魔物をおびき寄せる香水が入った瓶だった。
それは、エルミアとアレクが王都の城壁近くにある商業区に、デートにきている時のことだった。
「うわあああっ!」
エルミアとアレクの前を何かから逃げているように、通行人が走っていった。
「何かあったのでしょうか」
「そうだね。強盗でもいたのか……」
アレクがそう呟いた瞬間、たちまち大勢の市民が逃げてきた。
尋常ではない様子に、エルミアとアレクは気持ちを引き締めた。
「グリフォンだ!」
市民の一人がそう叫んだ。
エルミアとアレクの顔色が変わる。
「アレク様!」
「ああ、向かおう!」
エルミアとアレクは市民が逃げてくる方向に急いで向かった。
次第に開けた広場に出た。
広場には翼を広げて叫んでいるグリフォンと、それに対峙しているイアンとケイトがいたのだった。
「イアン様とケイト様……!?」
エルミアは二人がなぜこんなところにいるのかと目を見開く。
イアンとケイトはグリフォンと戦っているみたいだったが、二人とも戦意はなく、それどころか今にも逃げ出しそうなほどだった。
「おい! どうなってるケイト! 早くグリフォンを聖女の力で拘束しろ! その間に俺が剣で刺す!」
「む、無理です! こんなに大きい相手、私だけじゃ拘束しきれません!」
「はあ!? 何を言っているんだ! エルミアはこれよりも大きい相手を拘束してたんだぞ! お前にできないわけがないだろ!」
「む、無理! とにかく無理よ! 私は逃げるわ!」
「あっ、おい!」
そう言ってケイトはイアンを置き去りにしてその場から逃げ出した。
イアンは振り返る。その時、ちょうど駆けつけたエルミアとアレクを見つけた。
イアンはエルミアとアレクに命令する。
「おい! ちょうどいい! お前たち、こいつを討伐しろ! これは王太子命令だ!」
イアンはそう言って、エルミアとアレクの元まで逃げてくると、二人にグリフォンを押し付けて、逃走する。
文句を言う間もなく逃げ去っていったイアンを横目に、エルミアとアレクはグリフォンと対峙していた。
「アレク様、私が聖女の力を使ってグリフォンを拘束します。その間に聖剣を使ってグリフォンを討伐してください!」
「しかし、聖女の力を使ったら呪いが……!」
「少しくらいなら大丈夫です! それよりもグリフォンをここで討伐しないともっと被害が出ます!」
「くっ……! 分かった! すぐに仕留める!」
アレクは腰の剣を抜いて、目を閉じる。
その間にエルミアは手を突き出すと聖女の力を使い、グリフォンを拘束した。
光の檻に閉じ込められたグリフォンは拘束から逃れようと暴れ出す。
「くっ……!」
エルミアはさらに聖女の力をこめる。
エルミアの黒色に戻りかけていた髪が白色へと変わっていく。
そして左目の宝石と、左手の宝石が発光し、エルミアの身体が宝石へと変わっていく。
「はあっ!」
そして、ついに聖剣の用意ができたアレクが、グリフォンに肉薄すると、グリフォンを討伐した。
エルミアはそのグリフォンが倒れたのを見届けると、地面に倒れた。
「エルミア!」
アレクはエルミアに駆け寄る。
エルミアの左腕は全て宝石に変わっており、顔も半分ほどが宝石になっていた。
「アレク様……」
「エルミア、大丈夫か!」
アレクはエルミアの状態を見て、唇を噛み締める。
エルミアは魔力が暴走しているのか、身体が異様に熱く、呼吸も浅いものを何回も繰り返していた。
アレクはエルミアの頬に手を当てた。するとエルミアは少し楽になったのか、表情が少し和らいだ。
「こんな、酷すぎる……呪いがあるエルミアに聖女の力を使わせるなんて……!」
アレクはイアンに対して憤る。
「大丈夫です……一年もすれば、元通りになります。それまでの辛抱ですから」
アレクはエルミアを抱きかかえた。
グリフォンが王都の中に侵入し、そのそばにイアンとケイトがいたという報告は、すぐに国王へと知れ渡った。
エルミアを抱き抱えたアレクが国王の元へとやってきたからだ。
身体を宝石が侵食しているエルミアを見て、国王と教皇は目を見開く。
「エルミア……! 一体どうしたと言うのです! なぜ呪いがこんなに……聖女の力を使わなければ呪いは進行しないはずなのに……!」
教皇はエルミアを見て駆け寄る。
そしてアレクにこうなってしまった理由を尋ねた。
「侵入してきたグリフォンをエルミアが聖女の力を使って拘束したのです」
「そんな……なぜ逃げなかったのですか!」
「それは……イアン様とケイト様にグリフォンを押し付けられたのです」
「……何だと? イアンがその場にいたのか!?」
「はい、イアン様とケイト様はグリフォンを討伐しようとしている様子でしたが、ケイト様がグリフォンを拘束できないと見るやいなや、すぐに逃げて近くにいた私たちに討伐するように命じました」
「騎士団は何をしていたんだ!」
国王は騎士たちを睨む。
騎士たちは困った顔で弁明を始めた。
「わ、我々はグリフォンを討伐するために現場に向かいました! しかし先に居合わせていたイアン様とケイト様が我々に引くように命令をしてきて……。『グリフォンは俺たちのものだ』と」
「王太子様と聖女様のご命令でしたので、我々も逆らえなかったのです……」
「まさか……」
国王と教皇は、イアンがわざとグリフォンを誘き寄せた可能性に気づき始めた。
そこでアレクは、グリフォンと対峙していて、気づいたことを報告する。
「国王様、もう一つご報告があります」
「なんだ」
「グリフォンに近づいた時に気づいたのですが、グリフォンからは甘い匂いがしました。……そして、イアン様からも同じ匂いが」
「甘い匂い……まさか」
「はい、匂いは禁止された魔物を誘き寄せる薬の匂いとそっくりでした」
「それは本当か」
「はい、ヴァンデルフェルトの名に誓って本当です」
「…………」
国王は天井を見上げる。
そして騎士たちに命令した。
「イアンとケイトをここへ呼べ」
イアンとケイトはすぐに連れてこられた。
王城のイアンの自室で金貨を袋に詰めていたところを、騎士に見つかり、連れてこられた。
「違うんです! 俺は無実です!」
部屋に入ってくるなりそう叫び出したイアンを国王は冷ややかな目で見つめていた。
「イアン、なぜ呼ばれたかわかっているか」
「さ、さあ、なんのことかわかりません」
イアンはしらばっくれる。
しかしその表情は強ばっていた。
「グリフォンが現れた時、騎士団が到着するよりも前にお前とケイトがいたという証言がある。加えて、グリフォンとお前から甘い匂いがしていたとも。まさか、禁じられた薬を使った訳ではないな?」
「……父上が悪いんだ!」
イアンは突然叫び出した。
「王太子である俺をこんな平民と婚約させるなんて……! 俺は優秀な王太子なんだぞ! こんな孤児上がりの女と婚約なんてしてられるか!」
「聖女と王太子が婚約するのは、建国当時からの伝統だ。聖女の身分は関係ない。それとお前は自分を優秀だと言っていたが、何を言っているんだ?」
「え?」
「お前は優秀どころか、落ちこぼれの王太子だ。だからこそ私は五歳のレイヴンに王太子を移すことに決めたんだ。お前は自分が優秀だから王太子になったと思っているようだが、お前が王太子になったのは、ただ長男だったからだ」
「……」
イアンは口をぽかんと開けて呆然としていた。
反対に国王は頭を抱える。
「まさか、本当に禁じられた薬を使ったとは……」
「なぜこんな愚かなことを……」
教皇はイアンとケイトに呆れた目を向ける。
それに対してケイトが怒りを剥き出して噛みついた。
「私のことをずっと聖女にしなかったからじゃない! あんな孤児ばかりを大切に扱って、伯爵令嬢の私が予備なんてありえないわ!」
「……そうですか。勘違いをしているようだから言っておきますが、あなたは次の聖女ではありません。それどころか、他の聖女にすら大きく能力は劣っています」
「は……? 何を言っているのよ。そんな訳ないでしょう。だって、教会では皆が私のことを聖女として相応しいって……」
「それはあなたが貴族だからです。あなたより優れた聖女候補は他にもいますよ。聞けば、グリフォンですら拘束できなかったようじゃないですか……それなのに、聖女を名乗れると勘違いしているなんて……」
「なっ! なっ! 何よそれ! 嘘よ!」
「神に誓いますが、これは真実ですよ」
教皇が神に誓うと言うことは、その言葉には嘘は含まれないということだ。
「そんな……」
ケイトは悲壮な顔になり、頭を抱えた。
自分のアイデンティティであった聖女次席という立場が崩れて、ケイトは自分を保てなくなっていた。
「こやつらを牢屋へと連れて行け。国に魔物を誘き寄せた大罪人だ。他の囚人と同じ牢屋で構わん」
国王の言葉を聞いた瞬間、イアンとケイトは焦り始める。
普通の罪人と同じ牢屋に入れられるというのは、王族と貴族であるイアンとケイトにとっては耐え難いことだったからだ。
「ま、待ってください! それだけは!」
「私はただイアン様に唆されただけなんです! 被害者なんです!」
しかし無慈悲にも二人は騎士たちに連れられ、牢屋へと連れて行かれた。
二人は禁じられた薬を使った罪と、魔物を国の中に誘き寄せた罪により、大罪人として終身刑になった。
劣悪な牢屋の中で二人は生涯を終えた。
そして、エルミアとアレクは。
二人の婚約はイアンに押し付けられたものだったが、二人の強い希望により、婚約はそのままにすることになった。
エルミアが着せられた罪は全て冤罪だと証明され、国の聖女へと返り咲いた。
一年経った今、エルミアの髪は半分ほどが黒色に戻ってきており、左目は未だに宝石であるものの、左手は完全に元の人間の手に戻っていた。
半年もすればエルミアにかけられている呪いは完全に解かれることになるだろう。
現在、エルミアはアレクの家で暮らしている。
ソファに座っているエルミアは隣に座っているアレクに肩を寄せた。
「アレク様、愛しています」
「ああ、僕もだ。エルミア」
二人は生涯を幸せに暮らした。
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