08_不用意なことは口にしない方がいい。
大きな浴室の準備ができると、グレイス様はぱちんと指を鳴らす。すると、次の瞬間には私とグレイス様は、薄い浴室着姿に早変わりしていた。ふわりと揺れた裾にはかすかにオレンジ色の光が灯っていたけれど、それもすぐに消えていった。
「わあ……!今のも、魔法ですか?」
今の光、魔法の残滓よね?やっぱりグレイス様の魔法はオレンジ色だわ!温かいグレイス様にぴったりのお色。
「うふふ。そうよ!私はお洒落が大好きで、こういう魔法がすごく得意なのよ~!きっと、だからセルヒは私を呼んだのよね。だって、初めての場所で知らない人ばかりで、着替えのお世話をしてもらうなんて緊張しちゃうじゃない?」
きっと、普通の貴族の娘なら……リゼットなら、初めての場所で初めての相手にお世話をされても自然に振る舞えるだろうなと思う。けれど、私はそうじゃないから、こうして配慮してもらえて少しほっとしてしまった。
……本当は、着替えのお世話どころか、入浴はいつも一人でしていたから、グレイス様にお願いしなくても大丈夫だったのだけれど。だけど、ご厚意が嬉しくて、グレイス様の優しい雰囲気が心地よくて、そんな余計なことは言わないでおこうと思った。
その後は、何十人と一緒に入れそうな大きな浴室でお湯にゆったりと浸かりながら、グレイス様に魔塔について色々と教わった。
ちなみに魔塔の魔法使いはやっぱり個性的な人が多く、その中でもグレイス様は比較的『普通』の感性を持っているため、外の仕事──つまり、魔塔外で、人に関わる仕事にはよく駆り出されるのだとか。
確かに、グレイス様はとっても話しやすくて、知らない人と話すことに慣れていない私でも、なぜか緊張せずに話していられる。
こんなに話すこと、今までなかったかもしれない。
「このほわほわしたオレンジが理由なのかなあ」
「えっ?」
グレイス様に不思議そうに聞き返されて、驚いてしまった。
わあっ、私、今、口に出ていた!?
私は慌てて口を抑える。今まで屋敷では一人ぼっちでいることが多くて、ついつい独り言を口に出すのが癖になっていた。
「な、なんでもありません」
「そう……」
グレイス様は否定してくれたけれど、さっきも魔法について不用意なことを言ってしまって、グレイス様に失礼なことをしたばかりだったので、私は口を噤む。グレイス様は私が話したがらないことを無理に聞かずにいてくれて、その時も深追いはされなかった。
魔法についてはこれまでたくさんの書物を読んだけれど、何を聞いたら失礼になってしまうとか、人の魔法にどこまでは普通踏み込むものではないとか、そういうマナーのようなことは書かれていなかった。そういうことは普通、家庭教師の先生に最初に教わるものだと思うけれど、魔力なしの私にその手の教育はなかったので、当然知っているべきなのに知らないでいることもあるかもしれない。そう思うと、無暗に魔法のことを口に出すのはやめた方が良い気がした。
(知らずに失礼なことを言ったり、誤解をされたりしてしまったら大変だもの)
何年も一緒にいたリゼットにさえ、そうしてよく誤解されたり、傷つけてしまったりしていたんだもの。今まで以上にもっともっと気をつけないと……。
入浴を終えると、またもやグレイス様が指を鳴らす。次の瞬間には濡れた髪がすっかり乾き、私は浴室着からシンプルなワンピースに着替えていた。
「そのワンピース、とっても着心地がいいでしょう?私からのプレゼントよ~。私の部屋着と同じ物なの!うふふ、お揃いね!」
プレゼント……お揃い……。思わぬことにきゅっと胸が詰まる。
誰かに何かをもらうなんて、いつぶりのことだろう?それに、お揃いだなんて……私と同じものを持つこと、嫌じゃないんだ……。
グレイス様に連れられて、元の場所へ戻る。すると、随分時間が経っているはずなのに、セルヒ様とノース様はまだそこにいて、ついでに男の人が一人増えていた。
その人はボサボサの赤髪に、メガネをかけていて、
「ああっ、これはすごい!ふむふむ。どの角度から見ても素晴らしい!ハア、いつまでも見ていられる。ノース殿、こんな魔獣をどうやって連れてきたのですかっ!?」
……私と一緒にこの場所に来た魔獣を前に、なんだかとっても興奮している。
「え~どうやってって言われても。普通についてきたからそのまま連れてきただけなんだけど」
「いやいや、本当に信じられない!普通にと言いますが、普通はまずこのレベルの魔獣を誰も怪我せずにつれてくるなど考えられませんよ!たとえあなたレベルの魔法使いでもです!」
「へえ~」
魔獣はそんな騒がしさをものともせず、ぺたりと床に伏せてじっと大人しくしているようだったけれど、ピクリと耳を動かすと、顔を上げて私の方を見つめてきた。そのまま立ち上がると、こちらに近づいてきて、すりすりと私の手に鼻先を擦りつけてくる。
最初に森で会った時はものすごく怖い思いをしたけれど、こうして見てみるとすごく可愛い。そんな気持ちのまま恐る恐る頭を撫でてみると、気持ちよさそうに目を瞑ってくれる。
ひょっとして、私が戻ってくるのを待ってくれていたのかしら……?
赤髪メガネの男の人は、そんな魔獣と私の様子をポカンと見つめていた。
「まさか……これは……信じられない」
男の人の呟きに、セルヒ様が険しい表情を浮かべ、口元を抑えながら頷いて、同意した。
「ああ、たしかに……これは見ていられないな」