21_その瞳は、私だけに向けられるものだった(ミハイル視点)
私──リーステラ家の長男であるミハイル・リーステラは、現在、貴族学園に通うため、学園の寮に入っている。
リーステラ家の屋敷を離れることに迷いはあった。なぜならば、リーステラ家は……我が家は、とても歪んでいるからだ。
家の中心はいつでも義妹であるリゼットだ。
そして、リーステラの本当の娘であるルーツィアは、両親からの関心を得られず、そのせいで使用人からも蔑ろにされ、いつも寂しそうに俯いて過ごしていた。
私は幼い頃から、ずっと疑問に思っていた。
果たして両親には、あの顔が、見えないと言うのだろうか?
ルーツィアは元々、明るく天真爛漫で素直に喜びを伝えられる子供だったのに。それが、リーステラ家にリゼットが迎えられてから、あっという間に変わってしまった両親の態度や自分を取り巻く環境に、戸惑い、傷つき、すっかり大人しく自信のない少女に変わってしまった。
──ルーツィアはきっと、幼すぎて覚えていないだろうが、私はリゼットがリーステラ家に迎えられるより前に迎えられた、養子である。
私は元々リーステラ伯爵家の分家の出身で、後継にすべく迎えられたのだけれど、まだ自分自身幼く、突然の環境の変化に戸惑いが隠せないでいた。
そんな私にいつもなにくれとなく話しかけて、すぐになつき、笑いかけてくれたのがルーツィアだった。
ふわふわのストロベリーブロンドの髪を揺らし、まるで苺のように赤く、零れ落ちそうなほど大きく、甘さを含みキラキラと潤んだ瞳が、私を一心に見つめて甘えてくる姿は言いようのない愛らしさだった。
そして、私がそんなルーツィアを特別に思うようになるのに、さして時間はかからなかった。
たしかに、リゼットは美しく、豊かな表情は人を惹きつけてやまないのだろう。
彼女が生写しであると言う、その産みの母親、聖女と呼ばれた女性がそうだったように。
しかし、心はそうではない。もしも心までがその母親に似て美しかったなら、ルーツィアを蔑ろにして自分だけを過剰に溺愛するリーステラ家の歪んだ状況に疑問を抱いたはずである。
それに、私は知っているのだ。リゼットが何かにつけてルーツィアを陥れるような嘘をついていることを。
それは、小さな嘘かもしれないが、ルーツィアを傷つけ、追い詰めていくには十分な暴力だ。
両親が唯一血のつながった娘であるルーツィアを冷遇していることには憤りを感じるし、理解も出来ない。リゼットの心の醜さには言いようのない気持ちの悪さを感じる。
けれど、いつからか私は思ってしまった。
この潤んだ縋るような瞳が、私にだけ向けられるのは悪くない、と。
結局歪んだリーステラ家において、私も例外なく歪んでいるのだろう。
しかし、私は成長するにつれて、ある事実に気が付き、絶望した。
──兄妹になると、結婚できないではないか。
そして、その時には私は正しくリーステラ家の養子になってしまっており、つまりルーツィアとは結婚できないという事に他ならなかった。
……両親は元々、私とリゼットをなんとかして添わして、敬い愛してやまないリゼットの母、聖女と縁繋ぎになりたかったらしい。
お互いが聖女の信奉者であった父と母は、それぞれが聖女と、聖女の夫となった侯爵と友人同士であったことから出会い、そして利害の一致で結婚するに至った。
つまり、お互いが一番に愛するのは聖女であり、聖女を愛する心を分かち合うことができるからこそ、それを許容しあう約束のもとに成り立った婚姻だったわけだ。
(全く、馬鹿げている)
しかし、まともな感性の相手と結婚していたならば、きっとその結婚相手が不幸になっていただろうから、そのこと自体はよかったのかもしれないな。
聖女が身籠るとともに母が子を宿すと、両親は願った。
『男なら聖女の子の伴侶に、女ならば誰よりも近い友人になってほしい』と。
その後、ルーツィアが生まれ、相談の結果もう子は持たないと決め、後継に分家の次男の生まれである俺を引き取ったのだ。
それでも、その時にはまだ両親はきちんとルーツィアに愛情を注いでいたように思う。
恐らく、聖女の子の親友にするため、大事に大事に育てていたのだ。娘へ向ける愛情もあると思っていたが、その後の彼らの態度を見ると、そんなものなかったのかもしれないとも思う。
そう、リゼットの両親が不幸にも亡くなり、リゼットが一人きりになってしまったことで、両親の人生設計と、ルーツィアの運命は変わったのだ。
ルーツィアを大事に育て、リゼットのお眼鏡にかなう子供にしなくとも、リゼット本人を自分たちの手で育てられるようになったのだから。
✳︎ ✳︎ ✳︎
(本当に馬鹿げている。だが、私が分かりやすくルーツィアを庇ったり、リゼットを窘めたりして、両親の機嫌を損ね、リーステラ家から追い出されるわけにはいかない)
そうなっては、それこそ打つ手がなくなってしまう。
学園の寮からリーステラ家に戻っていた私は、両親とリゼットともに夕食を摂りながら、頭の中はルーツィアとこれからのことでいっぱいだった。
(可哀想なルーツィア、今頃部屋で粗末な食事を摂って、一人寂しく泣いてはいないだろうか)
その姿を想像し、胸が痛む。
ルーツィアが心配で、私は定期的に屋敷に戻るようにしている。
今日は屋敷に戻るのが遅くなったために、夕食の前にルーツィアの顔を見に行くことができなかったのだ。
(それにしても、リゼットがいやに上機嫌だな。まさか、ルーツィアにまた酷い仕打ちをしたのか……?)
そんな風に呑気に思っていた自分を殴りたい。
「……ルーツィア?」
食事の後、こっそりとルーツィアの部屋に向かう。最初におかしいと思ったのは、その部屋が、明かりもともさず真っ暗だったからだ。
……まさか、暗い中で一人で泣いているのか?
そうならば、すぐに慰めて優しくしてやりたい。
そう思い、明かりをつけたのだが、そこにルーツィアの姿はなかった。
部屋にいないどころではない。屋敷中どこを探しても、ルーツィアを見つけることができなかったのだ。
「どういうことだ……!?」
私はすぐに、ティールームでリゼットと一緒に食後のお茶を楽しんでいる両親の元へ戻る。
「父上、母上!ルーツィアはどこですか!?」
「え……?」
突然のことに呆ける両親とは対称的に、リゼットが嬉しそうに笑う顔が視界の隅に映った。
まさか、リゼットがなにかしたのか……!?
そちらに視線を向けるが、その時にはもう、悲しそうな表情を浮かべて見せるリゼット。
そしてすぐに、わっと顔を覆って泣きまねを始めた。
(しらじらしいやつめ……!)
両親は泣き始めたリゼットに慌てているが、私にそんなバカげた演技は通用しない。そもそも、リゼットが泣いていようが悲しんでいようがどうでもいいのだ。
「うっ、私は、行かないでほしいと何度もお願いしたの……ルーツィアが私を嫌って邪魔にしているのは分かっているけれど、どうか好きになってもらえるように頑張るからって……」
「行かないでほしい?ルーツィアはどこへ行ったというんだ」
待て、嫌な予感がする。あの大人しく、気の弱い子が、自らどこかへ出て行くことなどないはずだ。どれほど辛く苦しくとも、この場所以外にあの子がいられる場所はない。それに、ここにいれば私が会いに来る。それをあの子は分かっているはずで……。
あの子には、ルーツィアには、優しくしてくれる人など、私しかいないのだから。
「ルーツィアは、これ以上私なんかと一緒に暮らすのは虫唾が走る程嫌だって、そう言って……」
「まあ、あの子はまたそんな酷いことを言ったの!?ああ、可哀想に、私の可愛いリゼット!」
「本当に困った娘だ、リゼットをこんなにも傷つけたあげく、気をひくためにわざと姿を隠しているんだな。そんなことをしても私たちが愛するリゼットをこの屋敷から追い出すはずもないのに!」
この期に及んで、ルーツィアを心配するでもなく、リゼットのことばかり。
こいつらは馬鹿なのか!
「リゼット、ルーツィアは、一体どこへ行ったのか知っているのかい?」
憤りをなんとか抑えて、優しく問いただす。必死に機嫌をとらねば、この女は真実を出し惜しみしてなかなか答えないのだ。
こんな奴に優しくなどしたくない。だが、大事にするふりをするしかない。
けれど、そんな憤りは、すぐに血の気の引く思いにかき消されていくことになる。
「うう……ルーツィアは、私と同じ空気を吸うぐらいなら、どんな場所でもマシだわって、そう言って…………魔塔に」
「……は?」
魔塔、魔塔と言ったか?
私の脳裏に、数年前、ルーツィアをよこすようにと、馬鹿げた話をしにきた忌々しい魔法使いの姿が浮かんだ。
「しかし、魔塔へ入るには、家から除籍される必要が──……まさか」
私は自分の部屋に走り、大事なその書類を隠しておいた引き出しを開ける。どうか違っていてくれと願いながら。
しかし、現実は無情だ。そこにあるべき書類はなかった。私が学園を卒業した際に、ルーツィアとの婚約を叶えるべく、なんとか両親を言いくるめて用意させた、私がリーステラ家から籍を抜くための書類が。
「こんな……こんなこと、許せるわけがない……!」
怒りと絶望で湧き上がる手の震えを、押さえることは出来なかった。
やり方を間違えた愚かなお兄ちゃん視点。
 




