闇討ち許可
陰陽寮から帰ると、宇佐美が待っていた。
「迎えなど頼んだおぼえはないが」
こいつに迎えを頼むくらいなら別のものを越させるものを。
「お話がございまして」
こいつの話が面白いはずがない。
「それくらい、待っておらずとも」
「それが、八位殿の妻の変化についてで」
「わかった、こちらへ来い」
最後まで言わせず、宇佐美を連れて館へ入った。とりあえず常の間へ通した。
「その話なら、検非違使の佐がきて話していきおった。心当たりはないのかと、わしを疑うような目でな。それは陰陽師の仕業とは違うと、追い返してやった」
やはり不愉快な話だった。昼間の検非違使の佐は何度もどんな術かときいてきたが、陰陽師が妖怪と通じ合っているとでも思っているのか。あのせいで昼から不機嫌なのに、またこの話とは、不愉快極まりない。
「そうでございますな。ですが、心当たりの人物ならおありなのでは」
宇佐美は勿体ぶった言い方をする。おかげで、なおさらに苛立たしい。
「なんじゃと」
「お師匠様もご存じのはずでございます。龍の影を」
「田川、沼吉か。あれはそんな術まで使えるというのか」
「お師匠さまはご覧になったのでしょう、あの影を。物の怪と対峙した影を。あれは相当な術でございますよ」
「そうかもしれんが、他人に瓜二つに化けるというのは、いくらなんでも信じられぬ」
「狐やムジナが人に化けることは古来よりあるではございませんか」
「いや、狐、ムジナといっても、それらは何百年も時を経てそのような怪異を起こすのである。何百年も生きることが難いのだぞ。それを我らと同じように歳を重ねた沼吉にできるものか。そもそもだ、古来ひとが人に化けはせん。人に化けるのは狐狸妖怪鬼神のたぐいだぞ」
「その道理は昔のことでございます。昨今ではこの狐狸妖怪の術を調べ、探求し、人の身で執り行うものがいるのでございます」
そうであった。この宇佐美もまた、術というものを使うのだ。
宇佐美が使う術は龍の影や化身などといった大げさなものではない。こいつの術は何もないところに火を出したり、物を少しだけ動かしたりするものだ。
昔、帝が何か不思議なものを見てみたいとご所望されたおり、考えあぐねて宇佐美を連れて参内することにした。宇佐美を庭の反対側に隠れさた。そうしておいて、帝の前で人形を取り出し、宇佐美に合図して人形を二歩三歩だけ歩かせた。「陰陽師とは、かかる不思議の業をなすものか」と帝はご満悦であった。「当家にだけ伝わる秘術でございます」と他の陰陽師たちが後で困らないように返答したものだ。思い出すだけで冷汗がでる。
「しかし、たとえそのような術を仕えたとしても、沼吉がやったとは思えぬ」
「証拠が、ございます」
「なにっ」
宇佐美は袖からなにやら布にくるんだものを取りだし、これを広げて見せた。
「殺された奥方が着ていたという着物の片袖でございます」
「なんと、なぜおまえがそれを」
持っているのかといい終わる前に宇佐美は語りだす。
「田川の住まいから持ち出してございます。本日、八位殿から事の次第をお聞きし、これなる変化の術は田川のほかには使えぬと確信いたし、密かに田川の住処に赴きましてございます。田川は近郷の民の火傷の治療中に出向いているとかで、留守番をしておりました下働きの女に頼んで家の土間で帰りを待っていたのでございます。ちょうどわたしが腰かけました目の前に下働きの女が集めた屑が集めてあったのですが、その中にこれがあったのです。下働きの女に問いましたところ、今朝来た時にその土間に落ちていのだそうです。八位殿の奥方とは毎日のように顔を合わせておりましたので、その着物であることは、よく存じております。これこそ、田川がやったという証拠でございます。そして変化の術は田川だけが使えるものなのでございます」
証拠があるのか。そして術のことに関しては、宇佐美が詳しいことは間違いない。しかし、信じられぬ。それは自分が陰陽師だというところからきているものではなく、もっと心の底にある何かが、この話を信じていない。
「しかし、なぜ沼吉はこのようなことをしたのか。その理由がわからぬ」
「それは田川にしかわからぬことでございます。捕らえて聞き出すほかありません」
「そうか」
「わたしは、これより田川を討ちにまいります。田川を討てば、ご当家にとっても陰陽頭の地位を脅かすものがなくなり、好都合でございます」
こいつは当家のためだから了承しろというのか。しかし、いきなり打ち取ってはあまりにも理不尽。当家の沽券にもかかわりかねない。
「まて。まずは捕らえねばならぬ。理由もわからぬまま討ってはならぬ」
「仰せのままに。しかし、相手は稀代の術者。わたしの命が危ない時には万が一ということもございます。手向かいされた時には、こちらも覚悟がひつようです」
「おまえの術では容易に捕らえられぬというか」
「さようでございます。わたしの術など田川の足元にも及びません。刀剣にたよるほかございません」
「ならば、三の部屋の見習を三人ほど連れていけ。三の部屋は陰陽師見習とはいえ、腕のたつものが多い。それで捕らえてまいれ」
宇佐美ひとりに行かせて、事の真相をうやむやにされても困る。成り行きで言ったことだが、誰かを同行させるのは上策だろう。そして、もうひとつ条件をつけよう。
「それに当家のためというなら、くれぐれも秘密裏に行え。検非違使が関わって面倒になっても困る」
「御意」
宇佐美が部屋を出て、足音が遠ざかったころ、
「父上」
「沙羅か」
「はい、入ってもよろしいですか」
「うむ、入れ」
四女の沙羅が入ってきた。
「宇佐美さんが三の部屋の者たちを連れて田川様のところへ行くと言って出られましたが、田川様がに何かあったのでございますか」
「沼吉が、役人の奥方を殺したらしい。それだけなら誰の仕業かはわからないところだが、その奥方を鍋で煮て、役人に食わせたというのだ」
失敗した、鍋の話はしなければよかった。沙羅は唖然とした。
「田川様がそんなことをするはずがございません。何かの間違えではないのですか」
しかし、すぐに沼吉がそんな人間ではないと言い出した。当然だ。沙羅もわたしも沼吉がそんな男ではないと思っているのだから。
「わたしも信じられぬが、宇佐美が証拠を持っておってな。それに奥方に化けて奥方汁を役人に食べさせたのだ。そんな変化ができるものが、そう何人もいるものか。それで沼吉を捕まえてくるように命じたのだ」
「あのお優しい田川様が人殺しなどなさるはずがございません。父上もおわかりではございませんか。田川様は近郷の者の病を治したり、食べ物をお分けになったり。お金はお持ちではないので、近郷の者に施すためにわざわざ父上に銭を借りに来られるのですよ。わたしも田川様には、幼いころには遊んでいただいたり、傷をおなしていただいたりしました。人を助けることが大好きみたいなお方に、人殺しなどできません。たとえ何かの間違いで殺してしまったとしても、変化ができたとしても、その人を食べさせるなど酷いことは絶対にされないお方です」
そう、そこがわからぬ、なぜそんなことをしたのか。だから殺さず捕まえてくるように言った。
「たしかに酷い。だからこそ、沼吉の疑いをはらさなければならない。お打ちしておけば宇佐吉によって疑いをかけられたままになる。検非違使でも動かされるとあとが面倒だ。連れてこさせて、疑いをはらして帰してやりたいのだ。それで宇佐美の話にのってやったのだ」
「しかし、宇佐美さんは、三の部屋のものに田川様を討ちに行くからついて来いと言って出られました。はじめから殺す気なのではありませんか」
はじめから殺すつもり、まさか最初からわたしの命令を無視するつもりだったのか。そういえば何度も捕らえられないかもしれないと言っていた、それは殺すことへの言い訳か。しかし、宇佐美も簡単には命令を無視できないはずだ。あいつがこの沙羅に心を奪われていることは知っている。
沙羅はわたしの実の娘ではない。上の娘たちもそこそこ容姿が良いから、沙羅がの容姿が特別目立たないが、あれの容姿は上の娘たち以上だ。あいつが沙羅に心を奪われるのも無理はない。宇佐美は嫌味なやつではあるが、一流を見抜く目はもっている。わたしのもとに見習として入ったのも、当家が一流の陰陽師だからという理由だった。娘たちを引き合わせた時も、他の娘たちには心奪われることはなかったが、沙羅を見る目だけは真剣だった。
あいつの術が当家のものになれば、天文道を得意とするわれらにとっては我らの陰陽師としての地位は確固たるものになるだろう。だからあいつの気持ちに応える可能性があることは折に触れてほのめかしている。しかし、ほのめかすだけで、約束したわけではない。もしも、わたしの機嫌を損ねてしまってはその縁は叶わぬことわかっているはずだ。
しかし、もしも、それがわかっていないとしたら。一流を見抜く目はあっても、ひとの心を理解するちからがあるとは限らない。それがひとより劣っているとしたら。どうもこの事件に関しては嫌な感じしかしない。
「三の部屋へいく。おまえは心配しなくてもよい。田川を殺させはせん。今宵は夕餉を済ませたら、はやくやすみなさい」
わたしは沙羅をおいて常の間を出た。三の部屋へ入ると部屋頭のほかに三人が残っていた。
「宇佐美は二人だけを連れて出かけたということか」
部屋頭に問う。
「さようでございます」
「宇佐美は沼吉を討つと言っていたのか」
「はい」
「捕らえるではないのか」
「いいえ、確かに、田川様を打ち取りに行くといっておりました」
部屋頭は間違いないと言いきった。
「なんとしたこと。おまえは残りのものを連れて、すぐに後を追え。目的は沼吉を殺させぬことだ。なんとしても沼吉を死なせてはならぬ」
「宇佐美は、田川様を討つことがお師匠様のご命令だといっておりましたが」
「わたしは捕らえるように命じただけだ。殺してはならぬとも命じたのだ」
「まさか」
「とにかく早く行け」
「かしこまりました」
部屋頭は残りの三人に目配せをし、彼らを連れて出て行った。
沼吉は沙羅の実の父なのだ、それを死なせるわけにはいかない。
沼吉はかつて陰陽寮に一緒に仕えていた仲間だ。昔、一品の宮様が重い病に伏せられたおり、ともに調伏を仰せつかった。わたしは只々、父から受け継いだ祈祷を執り行うばかりであったが、沼吉は影の龍を使って病魔を打ち払った。そう、たしかに打ち払ったのだ。わたしはその時初めて、病魔というものをこの目で見た。いや、後にも先にも病魔を見たのはその一度きりだ。
わたしは沼吉の術に驚き、恐れた。しかし、沼吉は私にひれ伏し言った。
「汝には龍が病魔を払ったように見えただろう。しかし、あれは龍のちからが病魔に勝ったのではない。あの龍の影はわしの式神のようなものではあるが、式神ほどのちからもないのだ。使い走りのようなものでな、わしはあれを通して病魔と取引をしたのだ。」
「取引とは、どういうことだ。おまえは、あの病魔と知り合いなのか」
沼吉の不審な行動と言葉に、驚きは募るばかりだった。
「病魔と知り合いということはない。龍の影のちからで、あれが強力な物の怪であることが分かったのだ。我らでは到底敵わない」
「しかし、病魔は消えたぞ。あれはおまえの力ではないのか」
「消えたのではない。取引をして、退いてもらったのだ」
「病魔を退かせる取引があるのか」
「ある。それには、術者の、交渉者の大切なものを手放さなければならない」
「しかし、おまえは何も渡していなかったぞ」
「大切なものといっても、品物とは限らない。わしが手放したのは、地位と名誉、それに富だ」
「地位、とは」
「物の怪どもは、地位と名誉、それに富が好きだ。これらを得ることを喜びとするが、人がそれを失うことを見るのも好きなのだ。だからわしは、まず自分の地位を、すなわち陰陽師としての地位を捨てると持ち掛けた。しかし、病魔は名誉と富も捨てるようにように求めてきた。あれほどの病魔なら、すべてを要求するだろう。わしはそれらすべてを捨てることを約束した。だから、わしは陰陽寮を去る。これで地位を捨てる。そして、このたびの病魔調伏はどうか、いましが祈祷により行ったことにしてほしい」
「ばかな、わたしは何もしていない、すべておまえがしてくれたのだ」
「それでは取引が成立しない。わしに名誉、名声が与えられてはならんのだ。さもなくば、病魔は必ず戻ってくる。取引が成立しなければ、次は一品の宮様のお命にかかわる」
病魔との取引を成立させるためには、一品の宮様をお救いするには、わたしも取引に関わらねばならないということだ。
「しかたあるまい。いうとおりにしよう」
「あとは富だが、そいつはもとから多く持ってない。町の衆に施すとでもしよう。これで取引は成立する。一品の宮様はすぐによくなられることだろう」
そして沼吉は、ひれ伏したまま続けた。他の者が見れば、わたしが退魔に成功して沼吉が恐れ入っているように見えなくもない。
「しかし、ひとついましに頼みがある」
「なんでも聞こう」
すべてを捨てた沼吉の頼みだ、どんなことでも聞いてやりたかった。
「むすめが、ひとりあってな。まだ赤子なのだが、これをひきとってもらいたい。宮仕えも銭もなくなっては、一緒につれていくわけにもいかない。いましの養女としてひきとってほしい」
沼吉に妻がいたという話はきいたことがなかった。いつのまに出来た子なのか。だが、いまはそんな詮索をしている場合ではない。退魔の儀は終わり、警護の者たちが外で待っている。
「わかった。ひきとろう。おまえがいなければ、陰陽寮でわたしに敵うものはない。おまえの分まで少しは待遇もよくなることだろうからな」
なかば冗談のように言ったが、決意は固かった。
「この後はどうするつもりだ」
「山の集落にでも行って、畑でも耕すか、そこいらの村人の脈でもとって暮らしていくさ」
そしてわたしはまだ赤子だった沙羅をひきとった。養女では肩身が狭かろうと、外の女につくらせた子ということにした。正妻にだけは本当のことを話した。女関係で正妻の機嫌を損ねるのは得策ではないと考えたからだ。だが、そんな損得勘定などまるで意味がないかのように正妻は沙羅を可愛がり、本当の娘として育ててくれた。
沼吉は沙羅の実の父であり、わたしの陰陽師としての恩人でもある。そんな沼吉をどうして殺せようか。万が一、天地が逆転して沼吉がこの悪事をなしたのだとしても、わたしは彼をなんとか逃がしてやりたい。
(宇佐美よ、八位の役人の仇討ちのために沼吉を殺しては、こんどはおまえが沙羅の仇になってしまうのだぞ。くれぐれも間違ってくれるな)