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第2章『初デート、初登校、初幽霊』

 …空気がすこぶる悪い。

 街中で右腕にユリ姉、左腕に友莉奈をぶら下げながら、俺は思った。

 そりゃそうだよね、昨日あんなことあっただけじゃなくて、今日はこんなことがあったんだもんな。


「友莉奈ちゃんの日用品を買いに行っていらっしゃい。」

 おばさんがこんなことを言いだしたのは、俺が寝不足の頭で洗面台の前に立って顔を洗おうとしたときだった。

 結局、あれからいろいろと考えすぎてなかなか眠れず、未明の3時を回ったあたりでようやく眠気が来たのだ。しかしまあ、まったく寝ないよりかはましだが、やっぱりそれでも死ぬほど眠ぃ。

「…日用品…ですか?」

「ええ。今日は土曜日で学校もお休みだし、友莉奈ちゃんがおうちに住むとなるといろいろと物入りでしょう?」

 …まあ、ベッドや本棚や机などはまったく使う機会がなかったらしいからもともとあったものでいいとしても、布団周りだと枕や布団カバーやらシーツやら、リビングやらダイニングやらにおいてはお茶碗やら箸やらマグカップやら、他にも替えが利かないものはいろいろとあるし、いつまでも来客用のもので済ませるわけにはいくまい。それに友莉奈はこの水織市には慣れていないんだろうから、まあいいかと思った時。

「------お兄ちゃんとお買い物…もしかしてデートなのですか!?」

 どだだだだだだだだだっ、と音を立てて、友莉奈が階段を駆け下りてきた。…一応言うが、友莉奈に当てがわれた部屋は二階の一番奥の空き部屋だ。どうやって聞きつけてきたのやら。というか昨日のあの一件は嘘だったんじゃないかと思うくらい元気になってるみたいなんだが。…まあ、泣き顔を見せられるよりかはいいか。…ただの日用品の買い出し、その上そもそも妹との買い物をデート扱いされるのはちょっとあれだが…。

「む。」

 ご飯をよそっていたユリ姉が途端に不機嫌な顔になる。ちょっとー、二人して昨日のことなんてまったく考えてないのー?悶々としてたの俺だけなのー?

「------私もお買いもの行く!!」

 やっぱりね…そうなると思ったんだよ。

「むっ…。」

 ほらー、友莉奈も目を逆三角形にしないでー。その可愛らしいお口元もへの字にひん曲げないでー。

 顔を洗った後、いつもの場所に座ってベーコンエッグに醤油をドバドバぶっかけながら、俺は昨日から何回目だかもわからないため息をついたのだった。

 

 …そんなわけで着替えて、おばさんから軍資金とそれとは別にお小遣いをもらい(なぜか友莉奈は「そんな、いただけません」とか言っていたが、気持ちだからという一言で押し切られた)、水織駅前のどでかいショッピングモールまで出てきたわけであるが。

「……。」

 …気まずい。

 二人がギスギスしながら両腕を塞いでいるのもあるんだろうが、それよりも------


「…ねえ、あの男の子…。」

「あ!!あれうちのクラスの小湊君じゃん!!」

 「3年の美枷先輩もいるー!!デートかな…でもあの子は誰?」

「見たことない子だねー。すごくかわいい…もしかして、彼女!?」

「えー!?美枷先輩がいるのに…小湊君…もしかして浮気…!?」

「あー、だから美枷先輩、あんなに一生懸命離すまいとしてるのねー。」

「…ということは…痴情のもつれってやつね!!いいもの見たわ!!さっそく写真撮ってSNSに上げなきゃ!!」

「あ!!あたしもー!!」


 …ここは休みの日はうちの学校の生徒もしこたま来るんだってことをすっかり忘れていた。おーい、さっそく写真撮ってるそこのうちの学校の女子…というか一人はめっちゃ知り合いじゃん。席が隣で割とよく話す女子生徒で、万渡 冬華(まわたり とうか)さんというのだが、写真撮るのは別にいいけど、ちゃんと俺たち3人分の顔は隠してくれるんだろうねー?お隣のお友達らしき子にも伝えておいてくれよー?言っとくが顔出ししてくれっていう振りじゃないぞー?


「…両手に花とは…あのリア充め…。」

「爆発しろ!!爆発してくれ…!!」

「…さっき新しく包丁買ったばかりだったのに…くそっ…どうして店員に家に宅配してくれと言ってしまったんだ…!!」


 …なんか男どもの呪詛の声も聞こえてきている気がするが、ここは無視しとくとして。

 まあ、このくらいなら良しとしよう。昔の視線…ユリ姉があの事件を起こしてしまった後に、俺がユリ姉と歩いている時に周りから向けられた視線の方がよっぽど痛かった。

 …しかし、ユリ姉も友莉奈もなんでこんなにビジュアル的に恵まれてるんですかねぇ?ユリ姉は昔はそりゃいいイメージじゃなかったけど、今はそんなこと言ってくる人もいないし、しかもいろんな意味で抜群に目立つ。…もちろんのことだがツラもスタイルも性格もな。そんでもって友莉奈はといえばスタイルなんかはそりゃあユリ姉ほどじゃないが、それでも年恰好から考えても他の子より出るとこは出てる方だと思うし、顔立ちやツーサイドの銀髪はむしろ見た目としちゃ文句なしだし。ユリ姉が美人さんなら友莉奈はかわいい系というそりゃあ目立ちに目立つ二人にサンドイッチされてるんだから、いやー、道行く人がそりゃあもう振り返る振り返る。あーちょっと、今こっち見てる野郎さん、隣にいるのそれこそ彼女さんなんじゃないの?あーほら、そう言ってる間にヒールで踏まれたー。よそ見はするもんじゃないよー。

 …とりあえず、まずは雑貨屋にでも行くか。

 俺は両腕にタコのごとくへばりつく二人を引きずりつつ、逃げるように雑貨屋に向かった。そこで必要なものを買っている時、俺は少し気がついたことがあった。

 友莉奈のもの選びのセンスは、どちらかというと見た目的に犬や猫やウサギやその他いろいろな動物を基調としたかわいらしいものが多い。猫が一番多いだろうか。猫の手形のついたお茶碗を選んだあたりで、俺は聞いてみる。

「…動物、好きなのか?」

 すると友莉奈は、ぱっと明るい顔になって言った。

「はいです!!どれもかわいいのですが、その中でも猫ちゃんは大好きなのです!!…飼ったことはないのですが。」

 …めちゃめちゃ好きみたいだ。

 とりあえず荷物が多くなりそうなので買ったものは家に魔法便サービスで送ってもらうようにして、雑貨屋を出る。

「…あっ。」

 友莉奈が足を止めた。

 俺もそちらに目を向けると、そこにあったのはこれまた見た目的にかわいらしいブティック。友莉奈の目は、そのショーケースに向けられていた。厳密には、その中に飾られていた服に、だが。


「…あのお洋服…かわいいです…。」


 友莉奈はとことことそちらに向かう。俺とユリ姉も後を追った。

「絵本の中のアリスちゃんみたい…。」

 先にショーケースの前に到着していた友莉奈が、きらきらした目で言う。

 そこに飾ってある白い服…どんな種類の服なのかはあまりよくわからないが、それは確かに物語から抜け出してきたような雰囲気を持っていて、正直女物の服には疎い俺も、素直にかわいいと思えるものだった。ちなみにお値段は…どれどれ…って。

 ちょっと待て。

 女の子のお洋服一式ってこんなたっかいの!?それともこれが高すぎるだけなの!?

 思わず書いてあったお値段二度見しちゃったじゃないの。

 …おばさんから預かった予算の残りと俺のもらっているお小遣いで間に合えばとも思ったが…さすがにこれは手が出ねぇ…。だが友莉奈はすごくもの欲しそうに見ている。

 …よし。

「…着てみたらどうだ?」

 俺はちょっと提案してみた。

「え…?」

 友莉奈がびっくりした顔で俺を見る。

「いや、気になるなら、店員さんに言って着せてもらえるか聞いてみたらどうかと思ったから。買うかどうかは別問題だけど。」

「…寄り道になっちゃいますよ?」

「気になるんだろ?あ、店員さん、すみません。」

 そんなこんなで、俺は俺たちを見て外に出てきたらしい女性店員さんにお願いして、その服を友莉奈に試着させてほしい旨を伝えた。店員さんは友莉奈が着るとわかるや否やたちまちものすごいテンションになって、これまたものすごい勢いでアクセサリーや靴なども漁りだす。…おーい、うちの妹は着せ替え人形じゃないぞー。

 店員さんがいろいろ物色して友莉奈に持たせて試着室に押しこめるまでの間、それだけで一時間ほどかかったことは言うまでもない。三十分あたりから秒読みするのすら諦めた。その後試着室に籠った友莉奈だが、そりゃああんな着るだけでも一苦労しそうな服だからそりゃしゃーないんだが、これもなんやかんやえらく時間がかかる。待つことこれまた数十分。

「えと…。おまたせしましたです…。」


 出てきた友莉奈の姿を見た瞬間------空気が変わった。


 先ほど「絵本の中のアリスみたい」と言ったその服を着た友莉奈は、元々銀色の髪ということで浮世離れはしていたが、いざ着てみると本当に絵本の世界から飛び出してきたような錯覚すら覚える。銀色のツーサイドアップを赤いリボンで結びなおし、ストラップシューズやポケットから鎖がのぞく懐中時計風のアクセサリーなどをあしらった、少々古風でありながらかわいらしさを前面に押し出したコーディネート。店員さんの方を見ると、両手を高く天に突き上げて「グッジョブ、私!!」とか言って自画自賛している。楽しそうだなほんと。ひょっとして趣味なのかな?

「…あの…お兄ちゃん…?」

「え?」

 気がつくと、友莉奈が上目使いでこちらを見てきていた。…うん、すごくかわいい。

「…えと…あんまり似合ってないですか…?」

「いや、そんなことない…。すごく似合ってる。」

「…本当?」

「ほんとほんと。…それから誰にでもそんなお洋服で上目使いをするもんじゃないぞ妹よ。悪いオオカミさんに連れてかれるかもしれないからな。」

 友莉奈は首をかしげている。俺が何言ってんのかよくわかってないようだが、まあいいだろう。

 …しかし、かわいいとはいってもお値段がだねぇ…。お兄ちゃんのお財布事情じゃ買ってあげられない…すまん妹よ、この上は着られただけで満足して------


「…うーん…。このくらいなら、なんとかなるかな…。」


 …え?

「…あの、店員さん…このお洋服一式、お持ち帰りしたいのですが…。」

 友莉奈がもんのすごいことを口走ってくれた。

「…あの…。友莉奈さん?」

「?どうなさったのですか?」

「いやね、お兄ちゃんちょーっと耳がいかれちまったみたいでね、とりあえずもう一回言ってくれない?具体的にはそのお洋服どうしたいのかっていうあたりから。」

「…?お兄ちゃんが似合うって言ってくれたので、お持ち帰りしたいなって思ったのです。私のお小遣いでもどうにかなりそうだったので。」

「…え、お小遣い?おばさんにもらった分じゃなくて?」

「はいです。お母さんが私に残してくれたものだって、ご親戚の方からは聞いています。」

 …そうこうしている間に、本当に友莉奈はお会計を済ませてしまう。

 …あんな服ポンと買えるくらいの金額をお小遣いとして出せる…。母さん、いったいどんな仕事をしてたんだ?…そういえば、家から友莉奈が着てた服も、それなりにいいもののようだった。ユリ姉はともかく俺はブランドとかは詳しくないが、それでもその辺の安物ではないだろう。

  …疑問は尽きないが…しかし、ここまで来て何もしないのもな…お?

「なあ友莉奈、こっち。」

「?どうしたのですか?」

 元の服に着替えて、かわいい紙袋を両手持ちした友莉奈が近づいてくる。

「ほら、これ。」

 俺は先ほど見つけたものを指さす。

「あ…。」

 友莉奈がちょっと驚いた顔でそれを見た。

 それは、フードつきの白いパジャマ。先ほど友莉奈が好きと言っていた、猫耳デザインがあしらわれたものである。…こっちはお値段もなんとかなりそうだな…よし。

「あのー、店員さん、こちらのパジャマもお願いしたいんですが。あ、払いは俺で。」

「…えっ?」

 驚く友莉奈に、俺は言った。

「プレゼントだ。…さすがにさっきの服は予算外だったけど、このくらいなら何とかなるかなって。…嫌だったか?」

 言うと、友莉奈はぶんぶんと首を横に振る。

「そ…そんなことないです!!すごくかわいくて…嬉しいです…大切にします♪」

 喜んでくれたみたいだ。よかったよかった。まあこのくらいの出費で笑顔がついて来れば------


「お買い物…終わったかしら?」


 …あ、あれー?今回の呪詛の声は何か聞き覚えがあるなー?

 がしっ。

 両肩を掴まれている。そのまま俺は正面を向かせられた。

 見ると、ユリ姉が本気でドス黒いオーラを纏い、微笑みを浮かべて俺を見ている。…しまった、友莉奈の買い物に夢中になっててユリ姉の存在をすっかり忘れていた。

「…エル?私のお洋服も、選ぶの手伝ってね?」

「い…イェスマム…。」

 俺はこう答えるしかなかった。

 …結局、友莉奈の寄り道と合わせて四時間ほどの時間を費やしたのは言うまでもない。

 ついでに言えば、万渡さんはじめあの数人の女の子たちにパパラッチされた写真は某有名なSNSを確認したところしっかり上がっていたようだが、幸いにも写真にはしっかり顔にモザイクがかかっていたことは言っておこうと思う。…万渡さん、感謝。今度購買のジュースでもおごるね。


 そんなこんなで遅めの昼飯をファミレスで取ってから家に戻り、届いていた友莉奈のための買い物の荷解きをすること数時間。

 使われていなかった客間は、見事に友莉奈のための部屋として生まれ変わった。夕食後、友莉奈はゆるんだ顔をそのままにして部屋に戻っていった。今頃は新しくて大きな枕を抱いてにこにこしながら猫だらけの布団カバーに包まれたベッドの上をころころ往復していることだろう。

「エル、ちょっといい?」

 夕食後、同じく部屋に戻っていた俺の部屋のドアがトントン叩かれて、ユリ姉の声が聞こえる。

「…ユリ姉?開いてるよ。」

 机に座って本を読んでいた俺は、そう言ってユリ姉に入ってくるように促す。

「うん…。お邪魔します。」

 ユリ姉は部屋に入ってくると、いつもの定位置であるベッドの上に腰掛ける。

「…で、どうしたの?」

「うん…。ええと…まずはごめんね、今日はついてっちゃって。」

「あぁ、そのこと?気にしなくていいのに。」

 …両側からサンドイッチされることになって役とk…げふんげふん、もとい大変だったことは認めるが、まあそれは言わないでおこう。

「ええと…。他にもね…。」

 ユリ姉にしては歯切れの悪い言葉だ。

「…ユリ姉?」

「うーん…。なんて言えばいいのか、…友莉奈ちゃんのこと。どのくらい信用していいのかな、って。」

 ユリ姉は少し間を置いて続ける。

「…あのお洋服…私も他の子と比べたらそれほどファッションブランドは詳しくないけれど、どんなに似合うとしてもあのくらいの年頃の子…もちろん私だって、おいそれと買えるようなものじゃない。あの子は莉香さんの残したものって言っていたけれど…。あの子、本当に何者なの…?」

  …やっぱり、ユリ姉もあの店で俺と同じ疑問を抱いたのか。

 まあ、でも。


「…友莉奈の言葉、信じてもいいんじゃないかな。」


 俺は迷わずにそう言った。

「母さんが何をしてそんなお金を稼いだのかはわからないけれど…。でも、母さんも、友莉奈が幸せになってくれるように願っていたんだと思うから。だから、俺はそれを信じる。」

「…そっか。」

 ユリ姉はそれだけ言って、こちらを向き直って言った。

「疑問もなくなったところで、お風呂行こ!!」

 …昨日のこと、すっぱり忘れてるのかと思っていたら、そんなことはなかったようだ。

 とりあえず、夜はまだまだ長いようだった。ユリ姉の説得って意味でな。


 日曜を挟んで月曜。

 俺とユリ姉は学校だ。…今日はもう二人、友莉奈とおばさんがいるわけだが。

 昨日---日曜日の夕食後には、こんな話があったのだ。

 

「そういえば、友莉奈ちゃんは学校はどこなのかな?」

 おじさんが友莉奈に聞く。友莉奈はかの猫の手形柄のお茶碗と赤い箸をそれぞれ握って、こう言った。

「あ…ええと…。私、学校には行ったことがなくて…。」

 そういえば、ずっと学校には行っていなかったとか言っていたっけ。俺はちょっと気になったので聞いてみる。

「…じゃあ、勉強とかどうしてたんだ?」

「お母さんのご親戚に引き取られてからは、家庭教師さんに来ていただいて教えていただいていたんです。」

 …かてきょーときましたか。

 母さんも母さんだが、そのご親戚とやらも相当なお金持ちのようだな。…もしかして母さん、あの後起業でもして大成功したのかな?まあそれはそれとして、とりあえず、母さんがいなくなってからはそれなりに裕福な家に引き取られたんだってことは間違いなかった。

「…エルちゃんの学校に行ったらどうかしら?」

 おばさんがこれまた突拍子もないこと言い出した。

「いい考えだな。永流君は奨学生だし、もう一人分の学費くらい、十分出せる。」

 …うーん、さすが水織市の役所でそれなりの偉いさんとして仕事してるおじさん。言う事が違うぜ。

「あの…でも、ご迷惑じゃ…。学校に行くとしても、お母さんが残してくれたお金の一部を使えば---」

「友莉奈ちゃん。」

 おばさんが、友莉奈に微笑んで言う。

「それは、あなたのお母さんが残してくれたものよ。将来のために、必要になった時のために使うといいわ。」

「でも---」

「私たちが出したいんだ。そもそも、永流君の妹さんということは、もううちの家族も同然だ。遠慮はいらない。」

 …おじさんもノリノリだ。

「友莉奈。」

 俺は友莉奈に向かって言う。

「勉強、したくないか?友達もほしくないか?もしもそうなら無理は言わないよ。おじさんも、おばさんもな。だけど、この前言ってたよな?学校にも行けなくて、友達もいなくて、一人ぼっちだった、って。だったら、今から作ればいい。思い出も、友達も、いろんなもの、いろんなことをな。お前は中等部になるんだろうから校舎は確かに違うけど、高等部には俺もユリ姉もいる。ユリ姉は生徒会にいるし、俺もよく手伝いに行って役員の人たちに顔は知られてるから、いろんなことに融通が利くし、フォローもできる。…どうだろう?」

 友莉奈は少し考える仕草をして、

「…お兄ちゃんと学校…同じところ…行きたいです…。お勉強もしたいです…お友達も作ってみたいです…!!…助けてもらうとしたらお兄ちゃんだけだと思いますけれど。」

 よし、軽くいつものユリ姉ディスりが入ったようだが、これは決まりだな。

「ちょ、ちょっと待って!!」

 ここまで何も言わなかったユリ姉が割り込んできた。

「通うのはいいとしても、試験勉強はどうするの!?うちの学校、中等部だって編入試験ってすごく難しいのよ?」

「あー…その問題があったか…。」

 俺はスカウト入学だったから入試らしい入試はなかったが、入ってみれば普段のテストなんかもかなりハイレベルだ。それこそ、俺も元々魔法の勉強をしたいと思ったから割と勉強も続けられて点数もそこそこいい点を取れているようなもので、やる気がなければ早々にギブアップしてるんじゃないかというレベル。それよりさらに厳しい入試を勝ち抜いて、そんでもって中等部の頃から連続学年トップクラスを維持し続けているユリ姉を以てしても難しいと言わせるくらいの編入試験に、学校に行ったことのないという友莉奈が果たして解答できるのか、もしまぐれが重なって入れたとして、果たして勉強内容についていけるのか、疑問は尽きない。

 だが、友莉奈のこの一言で疑問は氷解する。


「編入試験って、どんなことをするのですか?フェルマーの最終定理の証明などでしょうか?」


 …なにそれ。

 どんな問題なのかもわかんないんですけど。

 同じく目をまん丸くしたユリ姉が即興で問題を一教科につき五、六問、それを主要な五教科分作ってみて解かせてみた。…うーん、さすがユリ姉、俺から見ても難易度は結構高い、まあでも時間かければなんとか…と思ったら、この妹、全部の問題を短時間でことごとく大正解してしまったのだ。ちょっと待って、習ってたっていう家庭教師さんどんだけ優秀な人だったの?というか友莉奈ちゃんや、学校通ってなくて、しかも家庭教師さんに教わったのって一年ちょっとのことなんでしょ!?それなのにこれって、おみゃーさんどんだけ頭いいの!?

 …こりゃ、心配する必要もなかったっぽいな。

「うう…。エルと一緒の貴重な登下校の時間が~…。」

 …ユリ姉、いきなり言い出したと思ったら、やっぱりそのつもりだったのね…。

 

 そんなわけで、中等部の方に行くおばさんと友莉奈とは校門で別れ、俺とユリ姉は奥まったほうにある高等部に向かう。

「あう~…エルとの登下校が~…。」

 まだ言ってるし。

 昨日のことなんだからユリ姉も落ち着いた頃だと思っていたのだが、そうは問屋が卸してくれなかったらしい。…まあ、あんだけプライドをズタズタにされりゃそれもそうか。学年はおろか学校内でもトップクラスの学力を持つユリ姉が絶望を味わわせてやるぜと息巻いて渾身の思いで作った(と思われる)問題がことごとく、しかも学校行ったことない人に解法までしっかり書かれた上で正解をもぎ取られたのだからな。…俺がユリ姉の立場だったらどう見るのだろうか。

「おーう、永流!!今日もユリアさんと仲良く登校かー?かーっ、お熱いこって!!…って何だ?おい永流、なんでユリアさん泣いてんの?」

 …いきなり出てきたこの見た目はイケメンだが中身はチャラそうなこいつもちょっと説明しておこう。こいつは藤堂 暁(とうどう あきら)、クラスは普通科で、今までも同じクラスになったことはなかったけど、俺の昔からの友人の一人だ。ユリ姉のことも知っていて、俺たちがあの事件の中で孤立していた時も、暁は「お前らはお前らだろ」で、いつも笑わせてくれてた、俺の恩人の一人だ。

「あ…藤堂君、おはよう。…ごめんね、恥ずかしいところ見せちゃったね…。」

 暁に気がついたユリ姉が、目尻を拭って笑顔を見せる。暁はそれを見て、また怪訝そうな顔で言った。

「永流になんかされたんすか?おい永流…お前またユリアさんのファンクラブ会員連中を敵に回すことしやがったのか?やったことによっちゃ、さすがに俺もフォローしかねるぜ?」

「アホ!!んなわけあるか!!」

なんて勘違いをしやがる。その辺にそのファンクラブとやらの会員がいたりしたらどうする気だ。

「じゃなんでユリアさんは泣いてたんだよ?」

「ご…ごめんね…ちょっと…この前の模試で間違えたところが、実はしっかり考えたら簡単だったなぁって思って、ちょっと…。」

 …ユリ姉、ナイスフォロー。…まああの問題作ったのはユリ姉だし、しっかり考えなくてもそれを正解してしまった妹がいるが、まあ友莉奈の編入試験の模試のようなもんだとすれば間違いは言ってない…と思う…ごめん、めっちゃ嘘だけど。

「あぁ、そうそう。」

 とりあえずこの話題は納得したのか、暁が口元をにやりとさせて話題を切り替える。

「そういえばお前、この前もユリアさんとデートしたんだって?しかもかわいい銀髪女子も一緒によ。」

 …こいつもやっぱり知っていたか。

 まあ、顔は隠れてたし、名前も出てなかったわけだから、あのSNSで広まったとは考えにくい。おそらく万渡さんをはじめあの場にいた女子たちが別経路で面白おかしく吹聴して回ったんだろう。…やっぱジュース奢らないでおこうかな…。

「…まったく、この歳で両手に花とか、夜道で刺されても知らねーぞ?」

「違うわ!!…仕方ない、ユリ姉、ほんとのこと言おう…。実はかくかくしかじかでな…。」

 俺は銀髪の女の子が生き別れていた妹であること、うちで世話してること、今日の編入試験に合格したらではあるがもしかしたら中等部に通うかもしれないということを説明した。ユリ姉が大泣きしていたことについては伏せておくことにしたが。

「なんだよー、驚かせやがってよー。」

 心底安心した顔で言う暁。話振ったのはお前だろうに。

「ふふーん、いいこと聞いたにゃ~♪」

「うぉ!?万渡さん!?」

 いきなり傍らから見慣れたショートヘアが現れてほんとビビった。…万渡さんは魔法科で俺と同じクラスだが、気配に関する魔法に非常に長けている。そのおかげで気配を隠して近づかれてこんな感じに驚かされることは日常茶飯事だし、それでもって目立とうとするととことん目立てる上に合唱部にいて歌も上手かったりするし、ただ単に魔法で目立てるだけでなく外見だって悪くないので、学祭のバンド演奏なんかでは部活以外にも引っ張り出されるらしい。

「おはー、小湊君!!そっかそっかー、別にあれは痴情のもつれとかじゃなかったのか~。」

 万渡さんはうんうんとうなずく。そして------

「よーし!!それじゃあ新たな情報を仕入れたところで、クラスのみんなに拡散だー!!小湊君、また後でねー!!」

 ばびゅーん、という音とともに、万渡さんは俺たちの前から姿を消した。

 …結局、ジュース奢るから黙っててって言えなかったなぁ…。今さらだけど。

 

 …疲れた。

 結局、教室に入ったらもう拡散は止まらなくなっていたようで、俺は昼休みには本気でグロッキーになっていた。

 クラスのみんなにはあれやこれやといろいろ言われるし、広まったらここからまた広まって学校の中全体が大騒ぎになるし、大騒ぎになったらなったでまたいろんな人から質問責めに遭うし。

 …友莉奈がとんでもない秀才かつ俺に次ぐ大魔力の持ち主であることは、その頃にはすでに先生方を通じて広まっていたようだ。…試験や面接だけじゃなくて、魔力の測定までやったのかよ。そんで友莉奈は無事に合格をもぎ取ったらしく、教授連中は被検体が増えたと喜んでいるのやら、それとも面倒事が増えたと悲しんでいるのやら。いずれにせよ、俺の苦労はまだまだ続きそうだった。


「エーーーーーーーーールーーーーーーーーーー!!」


 …ユリ姉のこの声によってな。

 毎日昼休みが来るたびに、ユリ姉は俺のクラスに飛んでくる。一緒にご飯食べようという合図だ。

 …しかし甘いぞユリ姉…俺のクラスに飛んできてしまったことが運の尽きだ。…学校全体に知られてんだからもう手遅れっちゃ手遅れだが。


「あ!!美枷先輩だ!!」

「よーし!!みんな、小湊君共々囲めー!!逃がすなー!!」


 あれよあれよという間に、ユリ姉と俺はクラスの連中にもみくちゃにされ始めた。

「ひゃあ!!なになに!?エル、どうして私たち囲まれてるの!?」

「…それはみんなに聞いてくれ…俺は知らん…。」

 とりあえず、俺はもはや何も言うまい。

「ふふーん、では証人喚問を開始いたします!!」

 万渡さんの音頭が響き渡る。…って、証人喚問だ!?

「はい!!万渡議長!!」

 暁が手を挙げた。…お前、普通科の校舎からどうやってこの騒ぎ聞きつけやがった。というか今まであんな風に俺たちに接しておいて、本当はこの時を今か今かと待ち構えていやがったな。

「はい、発言を許可します!!」

 許可しちゃうんだ。他のクラスなのに。

「妹さんとはいつ、どこで出会ったんですか!?」

 …まあ、別にいいか。変な憶測が飛び交っても困るし。というかこの質問、朝から何回目だよ。

「えーと…。知ってるやつは知ってるだろうが、先週の金曜、父さんの墓参りしてたら偶然。」

「証人の美枷先輩、この発言は事実ですか?」

「ええと…。とりあえず、本当よ。その場に私もいたし、お寺の住職さんも見ていたはずだから。」

『おぉー。』

 …いや、おぉーって。

 さっきから説明してんじゃん。俺の言葉は信用しないのにユリ姉の言葉は信用すんのね。…まあ、生徒会役員本人とその使いっ走りでは信用度の違いはそりゃあ出るだろうけどさ。

「はい!!議長!!私も質問!!」

 別の女子生徒が挙手。

「はい、発言をどうぞ!!」

「本物の妹さんですか?義理の妹さんですか?」

「本人からは実の妹って聞いてる。DNA鑑定とかしてもらうよって言ったらバッチ来いって言ってたから、多分ほんとのことなんだろ。」

『おぉー。』

 …これも説明したんだがな。

「はいはーい!!私もー!!」

 また別な女子の質問。

「もしもそれが間違いで、妹さんが血のつながりがなかったとしたら、小湊君の心には恋愛感情は生まれるのー?」

「は!?」

「なっ…!?」

 いきなりのぶっ飛んだ質問に、俺もユリ姉も絶句しかできない。それを見たクラスの連中は今まで以上にきゃいきゃい騒ぎ始めている。ええい、このミーハー女子どもめ…!!万渡さんが、にやりと口元に笑みを浮かべて詰め寄ってきた。

「ふふふふーん、面白いお話だねぇ。ねえねえ小湊君?ほらほらー、かわいい妹さんが実は実の妹じゃなかったらどうなのかなぁ?へいへーい、暴露しちゃいなよユー!!」

 …面白がってる。絶対面白がってるよこれ!!

 横のユリ姉を見ると、「…わかってるわね?」とでも言いたげな顔で見ている。いや、そんなこと言われても。

「…いや、そもそも、恋愛感情とか何だとか、そんなこと言われたってなぁ…。俺だって妹がいたなんてことはじめて知ったわけだし、俺には妹って認識しかないんだから、そんなことわからない。」

「お?否定はしなかったねー。ますます怪しいぞー!?」

 …しまった、墓穴だったか。

「じゃあお前、やっぱり美枷先輩と付き合ってるのか?先輩のファンクラブ会員の俺を差し置いていい度胸だな小湊!!」

 後ろから男子生徒が聞いてくる。おい!!こんな時にそんな質問してくるんじゃないよ!!つかファンクラブがあることは知ってたけどお前会員だったの!?初めて知ったよ!!あーほらー、さっきまで口をへの字に曲げてたユリ姉が今度は一転キラキラした漫画のヒロインみたいなお目々をし出したじゃないの!!何度も言うけどユリ姉こんなナリでもアンドロイドなんだからね!?こんな表情できること自体多分すごいんだからね!!今そういう顔してほしいわけじゃないけど!!

「いや、なんでそんな話になるんだよ!?ユリ姉とはそんなんじゃ…!!」

「…え?エル…?」

 途端にしゅんとした顔になるユリ姉。え!?俺なんか言った!?

「てめぇぇぇぇぇぇぇ小湊ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!俺たちのユリア先輩を泣かせやがったなぁ!!」

 ヒートアップする野郎ども。ちょ、俺にどないせぇと!?

 

 そんなこんなで、チャイムが鳴り先生が入ってきて一喝かまされるまで、質問責めは続いた。当然のことながら、昼飯など食う暇はあるはずがなかったということを追記しておこうと思う。

 …ちなみに、先生には「小湊…なんでお前ばかり…!!」と言われた。あんたもかよ先生。

 

 そんなこんなで放課後。

 俺は生徒会室でユリ姉の手伝いをしていた。ユリ姉は生徒会でも副会長を務めていて、以前大変だから手伝ってほしいと生徒会室に連行されたことがあり、それ以来暇とやる気があるときになんとなく手伝っているだけなのだが、おかげで俺は役員じゃないくせしてこの生徒会室の顔のひとつになりつつあった。

「…ん?なんだこれ?…ユリ姉、なんか『人誅』とか書かれたやつあるんだけど…。」

 俺とユリ姉がさっき学園全体を駆けずり回って回収してきた目安箱を確認していると、たまにこんなバカみたいな内容のものが混じってくることはいつものことなのだが、・・・今日一日を振り返ると自分のことのように思えてならない。絶対俺のことリークしてる野郎どもだろ。

「あ!!多分それあたし!!高等部の校舎三階のやつに入ってたでしょ?」

 会長の田代 静季(たしろ しずき)先輩が手を挙げる・・・身内の犯行だったか。

「もう、静季!!なんでそんなことしたの?」

「いやー、ちょっとあたしの腹の虫がおさまんなかったことがあってねー、ついつい…。あ!!安心してね、今日飛び交ってたあんたたちの話とはまったく違うからね!!ちょっと彼氏と喧嘩を…。」

 にしし、と笑いつつ、セミロングの髪を指にくるくる巻きつけながら言う田代先輩。

「…いや、だからって言って学園の目安箱を鬱憤晴らしに使わないで下さいよ…。」

 田代先輩の彼氏と言えば…なんて名前だったっけ、とりあえず風紀委員長やってるってことは聞いたけど。…というかいつも思うがそんなことしていいのか生徒会長と風紀委員長。これはこれで不純異性交遊とか言って怒られないんだろうか?…しかし、生徒会室で惚気る田代先輩を何度も見てきているしなぁ…。多分先生たちも諦めてるんだろうな。愛は剣よりも強し?違うか。

「また吉ヶ平(よしがだいら)君が怒るようなことしたんでしょ?もう、何回目よ?」

 ユリ姉がため息混じりに言う。あーそうだそうだ、吉ヶ平先輩って言ったっけ。

「いやいやユーリ、そんなんじゃないってば。ただちょっと出かけようって言ったら用事があるからって言われて腹立って電話口でオタンコナスーって言っただけだし。」

「…もう…だから怒らせちゃったんでしょ?」

「彼女をほっぽり出してまでする用事って何なのかがわかんないんだもん!!」

 …結構しょうもない理由だった。つーかそれで目安箱の要望欄に書き込んで鬱憤晴らしするとか…。

 あ、田代先輩が言っていた「ユーリ」ってのは、ユリ姉を呼ぶときに田代先輩がつけたという愛称らしい。なんだかんだでこの二人も相性いいんだからな。意外とゴーイングマイウェイな田代先輩と、それを宥めすかすユリ姉という構図は、この生徒会室の風物詩とも呼べるものだ。こう言うと田代先輩はどうしようもない人間に思えるかもしれないが、実はそうではない。むしろ、俺は今の会長がこの人で良かったんじゃないかと思っているくらいだ。事実、先輩のおかげで、うちの学校は生徒の自主性が上がったし、一見無茶苦茶に思えることも、それが生徒たちの役に立つならと実現させるためにあっちこっちを飛び回るという、そんなすごい人だったりする。

「あ、そうそう。」

 田代先輩が、忘れていたとばかりに声を上げる。

「二人とも、前の目安箱にあった幽霊の件、覚えてる?」

 …あー、そういやそんなもんあったっけ。すっかり忘れてたけど。

「ええと…確か、いろんな場所で幽霊みたいなのが目撃されたとか、「違う」とかいう声が聞こえてきた…みたいなやつでしたっけ?」

「でも、確かあれって、静季が眉唾って言ってそのままお蔵入りになったんじゃなかった?」

「うーん、そうなんだけど、実はまた最近話が大きくなってるの。目安箱に書かれることは最近はないんだけど、あたしの友達にも見たっていう子が増えてるし、ただ眉唾物とは言えなくなって来ててね。かと言って先生方に話してみても結局前のあたしたちみたいに見間違いとかで片づけられちゃって。」

 そりゃそうだ。俺たちですらそんなこといきなり言われてはいそうですかなんて言えなかったのだから、先生方にそんなこと言ったってアホかって言われて片づけられるに決まっている。

「そ・こ・で!!」

 田代先輩が声を上げる。


「あたしたちで、その幽霊話を解決してやろうじゃない!!って思ってるのよ!!」

 

 …は?

「あの…先輩…?」

 何を言ってんのか、本気でわかんなかった。

「だーかーらー、幽霊話がほっとけないから、生徒会でその問題を処理しましょ、って言ってるの!!」

 高らかに宣言する田代先輩。いや、なんでそうなる。

「…ねえ、静季…それって、生徒会のお仕事なの?」

「もちろん。だって、その幽霊のおかげで生徒のみんなが不利益を被ってるんじゃない。貴重な学生生活を幽霊が怖くて無駄にしちゃった、なんてことになったら、不利益を被った子たちも対応しなかったあたしたちも、絶対後悔するじゃない。」

 理屈はわかる。

「…だとしたら、陰陽師やら修験者やら、そんな人でも呼ぶ気ですか?そんな予算、生徒会の判断じゃ下りないですよ?まさか自腹切って割り勘とか言うんじゃないですよね?」

「やだやだ、そんなことしないってば。人数それなりに集めて、全員で写真でも撮ればだーいじょうぶだって!!同じとこでみんなで写真撮るんだもん、写ってたら全員のに写るはずだから、絶対信じてくれるって!!後は学園に丸投げよ丸投げ。あとはそっちでお金出してなんかしてーってね。あたしたちにそんな面倒事押し付けてきたんだから、そのくらいならしてくれないとねー。」

 最終的には学園持ちなんだ。しかも別に学園が俺たちに押し付けた案件なわけじゃないような…。

「…それを誰がするんです?」

「あ・た・し・た・ち!!でもさ、あかりんは家が神社のくせにビビりだから最初から役に立たないし、レオくんはそれは僕たちの仕事じゃないとかそんなことよりすることありますよとか相変わらず真面目なこと言って部活の見回りに行っちゃったし、あとはユーリとエルくんしかいないのよ!!なんなら他の友達も連れてきていいから!!むしろ人数集めもやっといて!!お願い!!」

 あかりん、レオくんとは、書記をしている大川 朱璃 (おおかわ あかり)先輩と、俺と同級生で会計をしている瀧澤 玲雄(たきざわ れお)のことなんだが、この様子だと二人とも断ったみたいだな…。まあそうか、二人ともベクトルは違えどそういうことに積極的に首を突っ込むような人間ではない。…それで俺たちが巻き込まれるのはご勘弁願いたいんですがね。

「…いや、それでも先輩、ユリ姉はともかく俺は生徒会役員でもなんでもないんですけど…。」

「おやぁ?ユーリぃ、あんたの弟はあんたがどうなってもいいみたいよー?」

「…え?」

 ちょっ!!

 なんちゅう事を言うんだ、この会長殿は!!

「いやはや、つまりエルくんはユーリが危ない目に遭ってもいいって言うんだなぁ?もしかしたらすーーーーーーーーーんごくエロい幽霊かもしれないじゃない?ユーリが幽霊に捕まって、あーんなことやこーんなことまでされてもいいってのねー?」

「はぁ!?なんですかそれ!?明らかに脅迫でしょ先輩!?拒否権なんてはじめっからないってことですよね!?あーほら!!ユリ姉のお目々がなんかうるうるし始めてるんですけど!!ついてきてほしいなーみたいな視線を正面からひしひしと感じるんですけど!!」

「…エル…?ついてきてくれないの ?お姉ちゃんが汚されちゃってもいいの…?」

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーもう!!!!」

 …覚悟を決めるしかあるまい。

「…わかりました、俺も参加しますよ…。あとは人数を集めればいいんですよね?」

「お!!いいねぇ、エルくんならそう言ってくれるって信じてたよー!!学園には話通しとくから安心してねー!!」

  …そんなことを言わせたのは田代先輩、あなたなんですがねぇ…。

 そんなわけで、明日の夜に決行ということでこの場は落ち着き、俺は少しでも人数を集めるべく、いろんなとこに電話をかけまくったのだった。


 次の日。

「よーし、全員揃ったわねー!?」

 生徒会室に、田代先輩の声が響き渡る。

 あの後、先輩は本当に学園長にまで掛け合って夜中の学園で調査をするための許可をもぎ取ったらしい。一体どんな手管を使ったのか聞いたら、「…教えてほしい?」とか怪しい目で言われたので、おそらくいつも通り正攻法ともろくでもないとも言えるような方法で許可を得たのだろうことは容易に想像がついたため、教わるのは丁重にお断りしておいた。

「…で、これだけしか集まらなかったと…。」

 先輩がへの字口で言う。

 …仕方ないじゃないですか、いきなりだった上に他の連中みんな予定があるだの怖いからやだだの言ってきたんですから…。これでも頑張った方なんですよ…。というか先輩こそ人集めてくださいよ…こういうことなら愛しの吉ヶ平先輩だってもしかしたら来てくれたんじゃないですか?わからないですけど。

 俺は集まった面々を見て思った。

 ここにいるのは、俺、ユリ姉、友莉奈、暁、万渡さん、田代先輩の六人。暁と万渡さんはおもしろそうだからと二つ返事での了解をもらった。そんでなんで友莉奈がいるのかというと…。

 

「ユリアさんは私とお兄ちゃんのお買い物の時に邪魔してきました。今度は私の番です。」

 

 …ということだったらしい。

 放課後、『生徒会の仕事が終わるまで残ってくれ、それから他の連中は仕事終わったら校内放送で呼び出すから教室か体育館か図書館かのどっかで時間つぶして呼んだら俺が連れてくるように』と言われていたこともあり、みんな制服だ。友莉奈は今日から早速初登校だったので、これまた真新しい中等部の制服に身を包んでいた。学校に通っていなかったが学力にはまったく問題がないということで、年齢相応の中等部二年からのスタートらしい。

 呼び出しをかけた後に最初に生徒会室に現れた友莉奈を田代先輩はやけに気に入ったらしく、


「------かーーわーーゆーーいーーぞーーーーーーーーーー!!!!!」


 …とか言いながらさっきまで友莉奈を肴にわちゃわちゃしていた。

「ま、いいわ。問題は人数じゃなくて結果だもんね。」

 さすが田代先輩、切り替えが早い。

「…で、これからどうするんすか?会長。」

 暁が先輩に聞く。

「うーん、とりあえず、目撃されたところにみんなで行って写真撮ってみようと思うのよね。補正がかかっちゃう人の目で見えなくても、カメラなら写るだろうし。」

 とりあえず、無難に心霊写真を撮る感じだな。…と、そういえば気になることが。

「それで、まずはどこに行くんですか?というか、目撃された場所ってどこでしたっけ?」

 残念ながら、俺はその辺をまったく覚えていなかった。それを聞いて、ユリ姉が答える。

「えっと、よく見かけられてたのは、家庭科室と、理科室と、部室棟、それからグラウンドね。もちろん、他のところでも見かけたっていう話は聞いてるから、一概には言えないところではあるけど。」

「あらら、理科室はわかるんですけど、音楽室とか階段の踊り場とかお手洗いとか、そういう七不思議の定番的なところじゃないんですね。」

 首をかしげる万渡さん。

「まあ、その手のもので七不思議になるようなのはうちの学校にもあることはあるけど、今はそれはいいとして、まず最初は家庭科室からね。」

 田代先輩の鶴の一声で、俺たちの幽霊捜索は始まったのだった。

 

「…おっかしいわねぇ、どこかしらに一枚でも写ってると思ったのに。」

 生徒会室の備品であるデジタルカメラをいじくり回しながら言う先輩。

 先ほどユリ姉が挙げた場所を一通り回って、全員でカメラやスマホで写真を撮りまくったのだが、悲しいかな、今のところすべてがボウズであった。

「…ひょっとして、シャイな幽霊なのかしらね?おーい、幽霊出てこーい!!」

「もう…。呼んで出てくるなら苦労しないでしょ?」

 ユリ姉のツッコミに、「わかってるわよ~…。」と、面白くない顔で言う先輩。

「…むう、しかしここで終わったら生徒会長の名が廃るってもんよ…。」

「あの…会長さん、何か手があるのですか?」

 控えめに友莉奈が聞く。

「ふふん、よくぞ聞いてくれたわ!!」

 胸を張って言う先輩。やたら自信がありそうだが、・・・しかし、この笑顔は俺の知っている笑顔だ。つまり、ろくでもないことを考えている時の笑顔。

「そんなわけで--------------」

 先輩はたっぷりと言葉を貯めて言った。

 

「------今から、第一回水織学園肝試し鬼ごっこ大会を開催します!!」


 …は?

 一瞬、先輩が何を言ってるのかさっぱりわからなかった。

 まあ、それはいつものことだから別にいいとしよう。しかしだな・・・。

「…なんで鬼ごっこと肝試しを一緒にするんですか?というか、俺たちの仕事って幽霊話の謎を解明するってことじゃなかったんですか?」

 だからこうやって人数も揃えたし、全員で見まわったりしたんでしょうが。いつの間に遊びにシフトさせようとしてるんですか。

「わかってないなぁエルくん、だからこそやらなきゃならないってもんなのよ!!いい?あたしたちは複数いるわけじゃない?でも、幽霊を見たり声を聞いた子たちの話によれば、そういう時は必ず一人だったって言うのよ。つまり、あたしたちがばらけて一人ずつになれば、出会う確率も跳ね上がるって寸法よ!!」

「じゃあ、最初からそうすればよかったんじゃ…。」

「だーかーら、それはあくまでも一つのやり方!!最初から宝刀をひけらかすなんて、それこそ敵の思うつぼよ!!」

 結局ばらけるならその宝刀とやらもさぞかし錆び付いてるんでしょうね。

「でも会長、ほんとに何で肝試しや鬼ごっこなんすか?ただばらけるだけなら、正直そこまでする理由がないと思うんすけど。」

「いいえ、あるわ!!」

 何があるんだか。そう思った俺と、今おそらく俺と同じことを思って言ったのであろう暁を見て、先輩が言う。

「エルくんにアキラくん、よく考えてみなさい。人を追いかけるということは、すなわち学校全体を走り回るわけよね?幽霊だってその場にずーーーーーーーっといるわけじゃないはず。それすなわち!!ばらけて走り回るんだから、エンカウント率だって自然と高くなるはずじゃない!!」

 うわぁ、しょうもねぇ理由。

「じゃあ肝試しの件は何なんです?」

「もしかしたら七不思議に関連してるんじゃないかって思ったから。」

「それ絶対さっきの万渡さんが言ってた話の延長線上ですよね!?ほんとは絶対飽きてきてますよね!?」

「いやぁねー、そんなことないってば。実際、あたしとユーリでここは話つけてあるんだから。」

 …え?

 ユリ姉、マジでそんなこと話したの?

 ユリ姉の方を見ると、

「うん、お話したよ。」

 …マジかよ。ユリ姉がこんなくだらない企画にハンコ押すって…どんなことしたんだ?

「あ、エルくんがあたしを怪しい目で見てるー!!やーん、エルくんの------」

「ストーーーーーーーーーーーップ!!それ以上は言わせません!!」

「エル…?まさか…。」

「 お兄ちゃん…。」

「こーみーなーとーくーん?」

「すまん永流…フォローできねぇわ。」

 ああもう、話が進まねぇ!!

「まあ、エルくんをいじるのはこんくらいにしといてー。」

 先輩が話し始める。やっぱり確信犯か。まあそれはいい。話を聞こう。

「実際、七不思議と関係があるかもって思ったのは本当なの。この学園の七不思議、みんなどんなのを知ってる?」

 友莉奈がおずおずと手を挙げて言う。

「あの…私は今日から通い始めたので、全然詳しくないのですが…。」

「とりあえず、妹ちゃん…えーと…リーナちゃんでいいかな。」

「…?」

 先輩の言葉に首をかしげる友莉奈。

「先輩に気に入ってもらえたみたいだな。先輩は仲良くしたいやつにこうやって自分なりのあだ名をつけるんだよ。俺や暁は名前が簡単だからそのままだけど。」

「そうねー、あたしもふゆふゆって呼ばれてるし。」

 俺と万渡さんが間に入って解説する。…なるほど、冬華だからふゆふゆか。

「えと…、大丈夫です…。それでお願いします。」

 なんとなくとはいえ友莉奈のお墨付きを頂いたところで、先輩がまた話し出す。

「とりあえず、リーナちゃんはわからなくても仕方ないとして、他のみんな、何か聞いたことない?」

「あ、そういえば、俺、他の友達から一個だけ聞いたことありますよ。」

 暁が手を挙げた。

「えっと、なんだったかな…。確か、高等部魔法学科のやつが夜に鏡に映ると魔力を吸い取られる、みたいなやつだったと思うんですけど…。」

「あ、あたしが知ってるのとは別だね。」

 今度は万渡さんが手を挙げる。

「あたしが知ってるのは、確か、入試に落ちてそのショックで自殺した子や、死ななくてもふさぎ込んじゃったりした子の生霊が押し寄せてくる、とかいうやつだったかな。」

「『魔力を吸う鏡』と『落第生の行列』ね。二人ともビンゴ。あたしも調べたんだけど、他には、『屋上で魔法を使うべからず』、『科学部員の呪い』、『悪魔のフォークダンス』、『血まみれの廊下』、あと、これらを全部知った時に起こるって言われてる、『ヒトチガイ』って言われてるものね。」

 そう言って、先輩はひとつひとつの七不思議の内容を俺たちに話した。正直、普通に怖い。

「…七不思議っていうか、普通に学校の怪談的なやつっすよね、これ。」

「暁、気持ちはわかるがそのツッコミはストップだ…。」

 どうせ先輩なら「似たようなもんだ」で片づけるに決まってるだろうさ。

「似たようなもんでしょ?」

 唖然とする暁。そーれ見ろ、俺の言った通りになったろうが。

「あの…その七番目ってのは…。」

 また、おずおずと聞く友莉奈。

「まあ、簡単に言っちゃうと確実な死が待っているらしいわ。なんかね、今まで出てきた七不思議の幽霊その他と一緒に女子生徒が出てきてね、何かよくわからないことを聞いてくるらしいの。それがなんなのかはわかってないんだけど、そうだって答えると『嘘つき』って言われて殺されて、違うって答えると『じゃあ用無し』って殺されるらしいの。だから、『ヒトチガイ』。」

 なんだそりゃ。幽霊だか連続殺人犯だか何だか実際のところは知らないが、もうここまで来るとなりふり構わずだな。

「あたしね------」

 田代先輩が、今までにないくらいの真剣な顔で言う。

「この一番最後のやつが、すごく怪しいと思ってるのよ。」

「…静季、どういうこと?」

 ユリ姉の疑問に、先輩が答えた。


「---------生徒のみんなが聞いたっていう『違う』っていう声。

 あれって、誰が言った言葉なのかな、って思ってるのよ。」


「あっ…。」

「あの…静季…それって…。」

「ユーリとリーナちゃんは気がついたみたいね。さすが学校始まって以来学力トップクラスの二人。」

 それを聞いて、ユリ姉と友莉奈が二人して逆方向にそっぽを向く。先輩の声は、ふざけて言っているようにも見えるが、目はどこまでも真剣だった。

「よく考えてみて。この七不思議って、場所に関わっていないものが多すぎるのよ。屋上や廊下ならまだしも、普通なら、さっきふゆふゆが言ったみたいに、お手洗いとか音楽室とかっていうような注釈がつくはず。場所の縛りが甘いっていう事は、学校全体で起こりうる出来事、って考えることもできるでしょ?生徒のみんなが見た幽霊や聞いた声は、大なり小なりではあるけど学園全体での出来事。魔法学科ができたのは割と最近だから魔法云々に関しては眉唾かもしれないけれど、普通科は戦前からある由緒正しい学園よ。長い歴史の中で、七不思議になるような事件が起こったって不思議じゃない。そして調べてみたら、生徒のうち何人もが意味の分からない亡くなり方をしているらしいの。火のないところに煙は立たないんだから、それってつまり、七不思議に遭遇した生徒たちが実際にいるってことなんじゃないかなって。その範囲が学園全体なら、むやみに張り込まずに学校全体を見ることができる方がいいと思わない?」

「…本音は?」

 とユリ姉。

「普通にあんパンと牛乳で張り込むのなんてつまんない!!」

 …やっぱりな。真面目に話してると思えばいきなり切り替わるんだからなこの人は。まあいいや。というかさっき張り込みのために昼休みに購買にぶっ飛んでってあんパンと牛乳全員分買っといたって言ってた人はあなたではなかったですかね先輩。

「…でも、それが本当だとしたら、分散したら逆に危険じゃないですか?どこから何が出てくるのかもわかんないんですし。」

「そうね。だから、誰か一つでも幽霊を見つけたらそれでおしまい。他のルールとしては、やっていいのは逃げるのと隠れるのだけね。トラップとか置いて邪魔するとか、魔法学科のみんなは魔法使ったり、魔法使わなくても乱暴なことしたりはなし。捕まったら捕まった人も鬼になって探すっていうことにするわ。それから、みんなスマホは持っているだろうけど、鬼、逃げる人問わず相互に連絡を取り合ったりは禁止。ユーリなんてそう釘を差しとかないと絶対エルくんにべったりになるし。」

「うっ…。」

「あぅ…。」

 ユリ姉、友莉奈、どうしてそこで固まるかな。…というかもしかして、ユリ姉が乗り気になったのって…まあいいか。ルール違反はしないようにって釘は刺されたんだし。

「ただ、もしもどうしても、本当に、何があっても命の危険があると判断した時に限っては連絡を取り合うことや魔法を使うことを許可するわ。とりあえず、範囲はこの高等部の敷地内と、隣接してるグラウンドと体育館ね。中等部や講堂の方は行っちゃだめよ。それから、時間は一時間ってところかしら。見つからないようなら最初に鬼になった人か捕まった人が連絡するから、誰かから誰かに電話が行ったらそれが終了の合図って思ってくれればいいわ。じゃあ、せーの…。」

『最初はグー、ジャンケンぽん!!』

 厳正なるジャンケンの結果、鬼は万渡さんに決まった。

 …ほんと、何してんだろうね、我々は。

 

 そして、15分後。

「…相手が悪かった…。」

 揃いも揃って万渡さんの御前に引き出されている、俺、暁、田代先輩の3人がいた。

 ちなみに、捕まった順番は俺、暁、先輩だ。運動がどちらかと言えば苦手な俺は逃げるのではなく隠れるやり方を選んだのだが、万渡さんの勘の鋭さは何も魔法使いとしての勘の鋭さだけではないことを失念していて、あえなく最初に場所がバレて5分で捕まった。暁は男子トイレに隠れていたが、万渡さんに捕まっていた俺が男子トイレを片っ端から漁って発見し、俺は突破されてしまったものの俺をつけてきて入り口に張り込んでいたらしい万渡さんに捕まってこれまたあえなく撃沈。先輩は生徒会室に立て籠もる形でいたのだが(鍵を職員室に返していなかったあたり、絶対最初から立て籠もる気でいたんだろうが)、上の窓が開きっぱなしなことを暁が見つけたことにより、俺を暁が肩車してその窓から滑り込んで鍵を開けようとしたところを捕まえた。

「…うぅー…。連絡取り合うのは禁止って言ったのにー…。」

 先輩が俺たちを見て口をへの字に曲げる。

「連絡取り合うんじゃなくて、捕まえた人と行動しただけですよー。それなら、スマホも使ってないですし、ルール違反じゃないですもんね。」

「うー…。こんな落とし穴があるなんて…。」

 万渡さんの減らず口にぐうの音も出ない先輩。

「…さて…残るはユリアさんと友莉奈ちゃんか…しかし、あの二人はどうやって捕まえればいいんだ…?」

 暁が腕を組んで考え始めると同時に、みんなして首をかしげる。

 ユリ姉はアンドロイドであるために、体力テストや体育祭には毎年アナウンス係として参加している。それもそのはず、ユリ姉がいたらいろんな意味でおかしいことになってしまうからだ。疲れ知らずで人以上の限界に挑戦できるのだからそうなることは必然だが、体育で学園の周りを二周くらいするマラソンなどは男子陸上部のキャプテンを半周遅れにしてマジ泣きされたとか言うし、頭脳やルックスだけでなく運動もピカイチなユリ姉を捕まえなくちゃならん時点で、俺たちは本気でグロッキーになりそうな予感がした。おまけに途中まで追いかけてみたらしい万渡さんに聞くところによると友莉奈も足は速いようで、俺たちのように小賢しく隠れなくとも逃げおおせることができているということだった。

「…まあ、とりあえず美枷先輩は置いておこう…。まずは友莉奈ちゃんを探そうよ。確かに足は速いけど、さすがに美枷先輩ほどの身体能力はないだろうし。」

 万渡さんが言った。と思うと、眉間にしわを寄せて考え出した。

「…ただ、正直隠れられそうなところってもうないのよねぇ…。このままじゃらちが明かないし、やっぱり魔法使っちゃおうかなぁ。」

 ちょっ!!

「いや、万渡さん待って!!それルール違反だって!!」

「なあに小湊君、バレなきゃいいざんしょ?」

「…まあいいんじゃない?」

「は!?先輩何言ってんですか!!さっきルール違反とかなんとか騒いでたでしょ!?」

「まあまあ、ふゆふゆの魔法は気配に敏感になるだけで別に危ないものでもないし、ユーリに関しては存在自体がチートみたいなもんだし、やっちゃえやっちゃえ!!」

「ふふーん、先輩わかってますねぇ。じゃあやっちゃいますよー!!」

 …だめだ、ノリで生きてるこの二人には何を言っても無駄だ、もはや何も言うまい。それは暁も同じ気持ちのようで、俺たちは後ろを向いて、

『あーあー、きこえなーい、みえなーい、なにもわからなーい!!』

 と叫んだ。一瞬後ろがぱっと明るくなり、すぐに元の暗がりが戻ってくる。

「はいはい、じゃあ後の二人はどこどこ------」


「…え…?」


 テンション高々に言い始めた先輩だったが、すぐに万渡さんの異変に気がついたようだった。振り返った俺たちも、万渡さんの驚きようにはすぐに気がつく。

「…万渡さん…?」

 心配になって、俺は声をかける。

「小湊君--------------」

 俺たちに向き直った万渡さんの顔は、信じられないというように蒼白だった。

 

「気配が・・・美枷先輩のものしかない-------------」


 耳を疑った。

 ユリ姉の気配しかない?

 魔法学科の授業でよく知っているが、万渡さんの気配探知は頑張ればかなりの範囲をカバーでき、精度もかなりいい方だ。それこそ、このだだっ広い学内をまるまる見渡せるくらい。おそらく万渡さんもかなり全力で魔法を行使したのだろう。少し肩で息をしているのは、走り回ったからではなく魔力の制御に手いっぱいだったからということを、俺は直感的に感じた。

 なのに、友莉奈の気配が感じられない…?

「…連絡してみます、何かあったのかも…!!」

 俺はスマホを取り出し、友莉奈の番号をコールする。昨日おじさんとおばさんが友莉奈にもスマホを持たせてくれていたのが幸いした。頼む、出てくれよ…!!

『…お兄ちゃん?あれ?もしかしてもう終わりなのですか?』

 …え?なんかすんごくのんきな声なんだけど…って違う!!

「友莉奈!!お前、今どこにいる!?」

『ひゃう…!!え…?お兄ちゃん、どうしたのですか?』

「いや、いいからとりあえずお前が今どこにいるかだけ教えなさい!!」

『…?…?えと…よくわからないのですが、高等部の真ん中の建物の屋上です。』

「屋上!?!?!?」

 俺はここが南棟の三階であることを確認し、適当な教室に飛び込んで窓から中央棟の屋上を見る。

 いた。

 銀色の長い髪が、夜風になびいている。友莉奈は俺に気づくと、俺に向かって笑顔でぶんぶん手を振ってきた。

「…いや、気持ちよく手を振ってるところ悪いけど、どうやってそんなとこに行ったのよお前さんは!!」

 俺はスマホに向かってがなり立てる。

 屋上に出るためのドアは、一応開けられるらしいが基本的には常時施錠されている。おそらく鍵はどこか厳重なところにあるんだろうが、俺たち学生でその場所の情報を持っている学生はいないはずだ。

『え?結構行くのは簡単だったのですが…。ベランダ部分から出て、外の配管や窓際の出っ張ったところを足場にすれば割と簡単でした。えと…魔法を使っちゃだめってことだったと思うのですけど、魔法は使ってないのでこれは反則じゃないですよね?』

 …何といえばいいかわからなかった。わかったのは、うちの妹が軽業師じみたスキルまで持っているという事だけだった。姉もそうだが一体どんだけ多才なのうちの妹は。お兄ちゃんは心配だよ。というか、高等部の中にいたってのに、どうして万渡さんのサーチにすら引っかからなかったんだ…?

「…わかった、とりあえず電話しちゃったからもう終わりな。今からユリ姉とも合流してそっちに行くからとりあえずそこでじっとしてなさい。ついでに外からなら屋上の鍵は開けられるはずだから開けておきなさい。」

 そう言って電話を切った時--------------


「----------きゃああああああああああああああああああああああっ!!!!!」


 下の階から、叫び声が聞こえた。

「-------今の声…!!」

 俺は声のする方へと鉄砲玉のごとく飛び出す。

「は!?おい永流!!」

「悪い、お前らで友莉奈を迎えに行ってやってくれ!!」

 …さっきの声は、間違いなくユリ姉だ。

 友莉奈も心配だったが、直近の問題はユリ姉のほうだ。

 ユリ姉があんな叫び声を出すなんて、何かあったとしか思えない。

 下に降りると------


「--------な・・・んだ・・・これ・・・!!」


 廊下が、どす黒い赤に染まっていた。

 鉄の錆びたような嫌な臭いが、そこかしこから漂ってくる。

 …『血まみれの廊下』。

 その昔、将来を期待された剣道部員が、不意のことからレギュラー争いに敗れてしまったことを逆恨みし、誰もいなくなった学園の廊下にレギュラーとなった部員を呼び出した。彼は武道場に学園ができた頃から飾られていたという甲冑を着込み、腰に佩いた真剣を使って部員たちを惨殺、廊下は飛び散った返り血で真っ赤に染まった。その部員も後追いのように刀を腹に突き刺して自殺したが、そのような事件があった後、剣道部は解散に追い込まれ、武道場にあったとされる甲冑や刀も処分され、その後剣道部が開かれることがないのはそれが理由である。しかし、今でも夜になると誰もいない武道場から、胴がどす黒く染まった甲冑に身を包んだ男子生徒の霊が現れ、レギュラーとなった部員たちの霊に向かって腰に佩いた刀で以て斬りつけ、何度も何度も、彼らの血によって廊下を真っ赤に染め上げるという------

  …まさか、本当に…!?

 …だが、まずはユリ姉だ。話の通りなら、剣道のケの字も知らない俺がいきなり五月人形にチャンバラ仕掛けられてなます切りにされるなんてことはないはずだと思い直した俺は、足を取られて滑らないように注意しながら進んでいく。すると、ちょうど赤い液体で染まった部分が途切れたところで、廊下にへたり込んでいるユリ姉を見つけることができた。

「ユリ姉!!一体どうしたんだ!?」

 俺はユリ姉に駆け寄る。ユリ姉は俺の姿を確認すると、

「エル…あれ…。」

 そう言って、自分の視線の先を指さした。俺の目もそちらに向く。

 男子生徒が、そこにいた。

 だが、誰なのかはわからない。

 

 --------遠目から見ても、顔や制服、その下に至るまで、

 まるで全身に大やけどを負ったように真っ赤に爛れていたのだから。

 

 男子生徒の目が、こちらを捉える。

 不気味な、虚ろな目。

 彼は、何かがぽたぽたと血のように垂れている手を、こちらに向ける。

 瞬間、

 何か液体のようなものが、俺たちに向かって撃ち出された。

「ユリ姉…!!」

 とっさに俺は、その場で動けないらしいユリ姉を突き飛ばし、廊下に倒れこんだ。液体の弾丸は俺たちの上を通り過ぎ、傍らにある自販機にぶち当たる。液体の体当たりを食らった自販機は、たちまち蓋を固定している蝶番が溶け出し、鼻をつくにおいと共に、ものすごい音を立てながら蓋が倒れ伏した。

「なっ…!?」

 俺はそれを見て驚愕すると同時に、もう一つの七不思議を思い出していた。


『科学部員の呪い』

 

 そうだ、そんな事実をもとにした話があったと言っていた。内容は確か、こういうものだったはずだ。

 

 その昔、一人の男子生徒が、いじめっ子数人によって硫酸で顔を醜く焼かれてしまうという事件が発生した。被害に遭った彼は科学部に所属していて、酸を使った実験が特に好きな少年だったという。いじめっ子たちは彼以外の科学部員が帰るのを待ち、その日の片づけ担当だった彼がひとりになるのを見計らって理科室に入り、「そんなに酸が好きならお前が溶けてみろ」と言って、彼を羽交い絞めにして、その危険を知っているがために必死で泣き叫ぶ科学部員を大げさだとせせら笑い、一思いにガラス瓶に入った液体---希釈すらされていない濃硫酸をぶちまけた。彼はあまりの痛みに水道でそれを洗い流すこともできなかった。いじめっ子たちは男子生徒の異変を見て、それが悪ふざけではすまないことだったのだとようやく気づき、自分たちのしたことに怖れを成して、科学部員を見捨てて逃げ出してしまう。見回りに来た先生が理科室から聞こえる呻きに気がついたときには、彼の顔は醜く焼けただれ、先生が呼んだ救急車で病院に運ばれて治療を受け、何とか一命は取り留めたが、この顔は一生もとには戻らない、と医者の先生から通告された。当然、いじめっ子たちには退学処分が下ったが、最終的に気の弱かった科学部員は、もはや生きていたくないという絶望感から、せっかく取り留めた命を自分で捨てる道を選んでしまった。そして彼の死から数日後、今度は退学処分を受けたはずのそのいじめっ子たちが、理科室で酸で全身を焼かれた状態で発見された。それは、いじめを受けた生徒の霊が、醜くなった自分の顔と同じ目にあわせてやろうと考えたからだ、と、いつの間にかまことしやかに言われるようになった事件であった…というものだったはずだ。

 よく見ると、彼の足もと、何かがぽたぽた垂れているらしいところも、不自然に溶解し、腐食している。

 その話がもしも本当だとしたら、あのぽたぽた落ちているのは、血ではないのだろう。おそらく、今撃ち出された液体の弾丸と同じもの------金属すら溶かすほどの強酸。

 彼の手が、また俺たちの方を向く。

 ---------仕方ない。

 俺は、傍らのガラス戸に手を当てる。後で何言われるか知らんが、そんなことを言っている場合じゃない。

 

 (「--------形状、結合変換、SiO2!!)


 俺が念じると、眩い光とともにガラス戸が一斉に廊下に張り出し、いびつな顔の男子生徒と俺たちの間に分厚い壁として立ちはだかる。またも手から撃ち出された液体の玉はそのガラスにぶち当たるが、ガラスをぶち割ることなく、ばしゃっ、と音を立てて飛び散り、周り一帯や廊下を溶かすだけにとどまった。

 俺がやったのは、俺が得意とする魔法のひとつ、物質変換。並んでいる窓ガラスを、一度強度を極限まで高めた強化ガラスへと変えた後、俺とユリ姉を酸の弾丸から守る壁になるように再構築し直したのだ。ガラスは一部を除けば大抵の酸に強い物質。自前の魔力を変換して一から作ることは不可能で、媒体となる物質が周りにあることが前提のいささか使いにくい部類に入る魔法だが、今回はガラスの多いところだったということで、ある意味場所に救われたと言える。

「-------ユリ姉、ちょっとごめんな!!」

「--------え?」

 俺は動けないユリ姉を両腕で抱きかかえると、さっきの血まみれの廊下を一目散に逆方向に走り出した。

「ふぇ…!!え、エル…!?」

「じっとしてて!!くれぐれも暴れないでよ!?」

 …自分でやっといてなんだが相当に恥ずかしい。誰もいなくて助かった。いや、まあガラス壁のはるか向こうに一人ゾンビじみたのがいるけど。とりあえずありゃノーカンってことでいいでしょ?

 ユリ姉の体は、驚くほどに軽く、温かく、そしてやわらかい。

 一体どんな素材が使われているのかちょっと気になるが、今はそんなこと言ってる場合じゃねぇ。

 向こうは追いかけてくる気配はない。幽霊やゾンビみたいなものにあの程度のものがどこまで通用するかは正直わからんし知ろうとも思わんが、ある程度の足止めにはなるはずだということで納得しておこう。ひとまず安全なところまで逃げるため、俺はユリ姉を抱えて走り続けた。

 …まさか、本当に怪奇七不思議に出会ってしまうとは、と思いながら------


 ひとまず、暁たちが向かったはずの中央棟まで逃げてきた俺は、動けるようになったらしいユリ姉を降ろした後、暁に電話を入れる。

『---永流か?どうした?』

「山!!」

『キャンプ!!…って、なんで昔作った秘密基地の合言葉なんか使ってんだよ?」

 …よし、ちゃんと暁が出たみたいだな。この言葉をあいつが忘れてなくて助かったぜ。

「何でもない、それより暁、友莉奈とは合流できたのか!?」

『一応合流はできた。…だが、実は、急に冬華ちゃんが倒れて…。すぐそこだったから、会長に冬華ちゃんを任せて、俺がもとのところまで連れてきた。そうしたら、友莉奈ちゃんも具合が悪いって…。』

  …何だって!?

「お前ら、今どこにいるんだ!?」

『中央棟の階段の踊り場、屋上までもう少しのところだ。』

 中央棟の階段の踊り場--------------

 まさか。

「暁、鏡だ!!近くに鏡はあるか!?」

『…鏡?…姿見があるけど…。』

 ------やっぱりか!!

「暁、万渡さんと友莉奈ができるだけ鏡に映らないようにしながら今すぐそこを離れろ!!今俺とユリ姉は第二職員室の前にいる。そこまで来られるか!?」

『お、おう、わかった…!!そこならすぐだな…。今行く!!』

 電話が切れる。その後5分と経たずに、俺たちの前に見覚えのある面々が揃った。暁が青白い顔でぐったりとした万渡さんを背負い、先輩は息を乱した友莉奈に肩を貸している。

「藤堂君、静季…二人に何があったの!?」

 ユリ姉があわてて駆け寄る。なんとなく予想がついていたが、念のため俺はポケットから魔法学科なら誰でも持っているものである携帯型の魔力測定装置(マギアカウンター)を取り出し、万渡さんの首筋に当てがう。

「…体内魔力残量0.1%アンダー…やっぱり…!!」

「永流…!?」

「エルくん…どういうこと!?」

 俺に詰め寄る面々に、俺は説明した。

 俺たちが、七不思議のふたつに遭遇したこと。そして、万渡さんと友莉奈も、七不思議のひとつ、鏡に魔力を吸い取られるという話の影響を受けた可能性があり、万渡さんに至ってはおそらくそれによって魔力が枯渇寸前にまでなってしまったということを。

 魔法使いの魔力は、休養で回復できる半永久機関ではあっても、基本的には無尽蔵と言えるものではない。人間が運動したらエネルギーを消費することで疲れを覚えるように、魔力を消費することでも疲労を覚えるのだ。だが、普通なら日常生活での魔法行使によって動けなくなるまで魔力が枯渇することはほとんどない。そもそも魔法自体がそれほど日常生活で行使するものではない上に、長い間垂れ流しにすることもほとんどの場合ないからだ。それでも場合によっては魔力を使いすぎることはあるが、それだってあくまでも体調を崩したりする程度で、1日も休めばけろっとした顔をしている場合の方がほとんどだ。だが、一度でも魔力が枯渇、あるいはその寸前にまでなってしまったともなれば、動けるようになるまでで数日、完全に回復するためには少なくとも数週間という感じで、魔力の回復ひとつ取るだけでもどえらい時間がかかる。また、俺がユリ姉にやっているような魔力の受け渡し方法は使うことができない。俺とユリ姉の場合は、ユリ姉が人間ではなくアンドロイドであること、そしてユリ姉が俺の魔力を使って動くことを前提に作られていることで、はじめて実現できているもの。そもそも、機械と人間の間とはいえ、魔力の受け渡し回路の構築を成功させ、その理論を理解しているはずなのは、今は亡き父さんだけだ。父さんが亡くなり、その研究も失われた今、そのメカニズムを解明した研究者はいない。俺とユリ姉のリンクについての研究をしているうちの学園の教授ですら頭を抱えているものを成功させたという父さんは、汚点を残したとはいえ、死してなお、かつて不可能を可能にした伝説の研究者なのだ。…とにかく、他人の魔力を受け渡して回復させることが見込めない以上、魔力の方は自然回復を待つしかないにしても、体の衰弱は激しく、動けるようになるまでは病院で適切な治療を受ける必要がある。いずれにせよ、このままでは危険なことには変わりはなかった。

「…でも、それならどうして友莉奈ちゃんは冬華ちゃんみたくなってないんだ?」

 暁が心底疑問という顔で言う。

「…多分、友莉奈が俺と同じ『特異魔力保持者』だからだと思う。魔力に関しては少なくとも俺と同じくらいの量を保持してるらしいから。だから、リソースが多い分余裕があって、吸われたとしても万渡さんほど衰弱することはなかったんじゃないかな。」

「…なるほどな…。正直眉唾だと思ってた七不思議だが、まさか瓢箪から駒だったとはな…。」

「…あの男の子だって、どこから出てくるか想像がつかないし…。少なくとも、一刻も早く学園を出る必要がありそうなことに変わりはないわ…。」

「…それができれば、苦労はしないかもね…。」

 様子を見てくると言って少し俺たちの元を離れた田代先輩が戻ってきて言う。

「…先輩、どういうことですか?」

「…みんな、こっち。」

 田代先輩が手招きする。

 俺たちは渡り廊下を使って昇降口のある南棟へと向かって------


「-------っ!!」

「ひっ…!!」

「-----------な…なんだこりゃ…!?」

「--------------------。」


 上からユリ姉、友莉奈、暁、俺の反応である。

 

 高等部の校舎を、少年少女たちが幾重にも取り囲んでいた。


 彼らが、大きく咆哮を上げる。

 ガラス窓ががたがたと揺れ、ひび割れるのではないかと思うほどの轟音。

 …まさか、これが『落第者の行列』…!?

 いや、行列なんてもんじゃない。

 これは、陣形だ。

 城に籠った俺たちを逃がさんと四方から取り囲む、そんな籠城戦の陣形。

 -------学園に通いたくとも通えなかった者、高いレベルについていけずに学園を追われた者、そういった様々な理由でこの学園に拒まれた者たちが、夜な夜な学園を取り囲む、そんな話。

 彼らの負のオーラによって、俺たちは完全に気圧されていた。

 …この学園は、魔法学科ができる前から本当にたくさんの優秀な人間を卒業させてきたらしいが、その前に、その長い歴史の中で、一体何人の人たちを振るい落としてきたのだろう。後に高等部に魔法学科が設置され、全国から入学希望者を募ることになった時から考えても、一体何人の魔法使いの入学希望者が涙を呑んできたのだろう。魔法学科のある学園は他にもたくさんあるとはいえ、世界最高峰と言われる魔法学科で勉強したいという夢を抱いた受験生が、一体何人いたのだろう。そして、実際にこの学園に通っている俺たちは、どれだけ称賛され、そしてその代償として恨みをかっているのだろう。

 四面楚歌の状況の中、俺はそんなことを考えずにはいられなかった------


 どれくらいそうしていただろう。

 誰もいないはずの高等部の敷地は、それこそ入試の合格発表の日のごとく人…というか人の恨みつらみであふれかえっていた。

 窓をぶち割って侵入してくるなんていうことがないだけまだよかったな…。俺がさっき変形させちまったガラス戸部分から入ってこなきゃいいけど…。どうして俺の魔法って友莉奈みたいに魔力をダイレクトに何かに変換したりとかできないのかなぁ…。魔力だけ馬鹿みたいに持っていて、肝心な時にそれを活かすことができない。こういうのを宝の持ち腐れっていうんだろうな。

 廊下に座る暁の肩に頭を乗せている万渡さんは、魔力が枯渇したことによるものであろう発熱によってまだぐったりしている。田代先輩が持っていたタオルを濡らしてきておでこにあてがっているが、あまり長い時間このままにしておくわけにもいかないことを、ここにいる誰もがわかっていた。

 …しかし、助けを呼ぼうにも…。

 実は、先ほど暁に電話したのを最後に、俺たちのスマホはうんともすんとも言わなくなっていた。外部への連絡もできず、救急車を呼ぶこともできない。生徒会室にある職員室と同じ110番及び119番直通の非常無線も試してみたが、そちらも聞こえてくるのはノイズのみ。外には亡者の陣。強行突破しようにも、相手が相手である以上、ただで済む保証はない。…俺たちは、本当の意味で追い詰められていた。

 万渡さんほどではないにせよ、友莉奈も体力的にも精神的にも相当に消耗しているらしく、次第に口数が減ったかと思えば、今は壁にもたれかかって疲労困憊という様子で舟を漕いでいた。このままでは倒れてしまいそうだということにユリ姉が気づき、気づかれないようにそっと隣に寄って、自分の膝の上に友莉奈を横たえる。ユリ姉に膝枕されてるのに気がつかないうちに、友莉奈は規則的な呼吸で寝息を立て始めた。

「…こうしてると、友莉奈がユリ姉を嫌ってるなんて思えないから不思議だよな。」

 俺はそんなことを考えてしまう。

 それに対して、ユリ姉がぽつりと言う。

「…私があんな事件を起こさなかったら、友莉奈ちゃんは小さい頃からずっと、私にもこうやってかわいい寝顔を見せてくれてたのかな…。」

 …やはり、この話が出てきてしまったか。

「…どうなんだろうな。」

 こんな答えしか返せない俺。

 元気づけるようなことを言えば、ユリ姉は元気になってくれるのかもしれない。

 しかし、それを言ったとしても、あくまでも方便になってしまうだろう。

 過去を取り戻すことはできず、その結果として今があることを、ユリ姉だってわかっているはずだから。

 If(もしも)を言い出せばきりはない。父さんと母さんが喧嘩して、家族が離れ離れになってしまうこともなかったかもしれない。ユリ姉のせいにできれば、それはもしかしたら、俺が楽になることのできる一番楽な方法なのかもしれない。

 でも、それをユリ姉のせいにしたくないという気持ちの方が、ずっと強い。

  あの時のユリ姉は…俺にとっては唯一の味方だったから。

 

(『--------あなたたち…エルに何てことをしたの!?』)

 

 俺は、あの時はじめて、心の底から本気で怒ったユリ姉を見た。

 公園にユリ姉と遊びに行ったとき、家からホースを持ってきたらしく、それを水道につないで水遊びをしていた幼稚園のクラスメートたちをたまたま見つけた俺は、ベンチに座っているから行っておいで、と言ってくれたユリ姉をベンチに残してその輪の中に入ろうとしたのだが、その時に彼らは、おそらく少し驚かせてやろうかという悪ふざけだったんだろう、俺に水道から伸びるホースを向けるや否や、俺に向かってその砲口を一気に解放したのだ。

 当然のことながら俺はずぶ濡れになった。しかし、そこまではいいだろう。子供の水遊びなのだからそうなることは当たり前ではある。それまでも水遊びをしてずぶ濡れで帰ってきたことはあったが、母さんはいつも若干呆れつつも、元気なことはいいことなのだけどね、と言いながら風呂を沸かしてくれて、ちょうど仕事から帰ってきたばかりの父さんが一緒に風呂に入ってくれて、風呂からあがれば母さんが温かい飲み物とおいしいご飯を準備してくれていて…本当なら、水浸しになっても、幸せで楽しかった思い出しかなかったはずだった。

 しかし、俺はそこで声を上げて泣き出してしまった。

 その時の俺は、ただ友達と一緒に遊びたかっただけだった。水浸しになったことで泣いてしまったんじゃない。ただ、丸腰の俺に向かって、仲がよい友達であったはずだった彼らがいきなり牙をむいたのだと思い込んでしまった。今までそんなことをされたことがなかったからだった。どうして、いきなりこんな目に遭わなくちゃいけないんだ、もしかして、自分たちが楽しく遊んでいた時に勝手に入ってこようとした俺を排除しようとしたのではないか…一言でいえば、裏切られた気がしてしまった…怖かったんだ。

 もちろん、今はそれが単なる被害妄想であることはわかっている。だが、どうしてなのか、それがわかっていたのかいなかったのか、俺の目からは涙が、口からは泣き声が止まることはなかった。

 それにユリ姉が気づいて駆け寄ってきたときも、彼らは逃げることをしなかった。ユリ姉は基本俺といつも一緒にいて、彼らも何度か面識があった。そして彼らは…もちろん俺も、ユリ姉が怒ったところなど見たことがなく、これから自分たちがユリ姉から手痛い折檻を食らうことになるなど、彼らは…もちろん俺だって、誰一人予想してなどいなかったんだと思う。

 当時、今ほどAIが大人びていなかったとはいえ、普段は温厚なはずのユリ姉が発した怒りの声は、彼らに相当な恐怖を植え付けたことだろう。俺は、温厚だと思い込んでいたユリ姉の本気の逆鱗に触れてしまったがために恐怖でふるえることしかできない彼らの頬に向かって、ユリ姉の平手が何度も何度も叩きつけられる姿を見ていただけだった。

 …しかし、俺はユリ姉のその姿を怖いとは思わなかった。

 自分はユリ姉によってしっかりと守られている、そう実感することができたから。

 俺とユリ姉は一緒に育った。一緒におやつ食べて、一緒に遊んで、一緒に昼寝して。そりゃあ見た目は昔から変わらないし、自律思考学習型AIの初期設定が設定だっただけに、今と違って昔のユリ姉の思考の成長速度はほとんど俺とどっこいではあったけれど、それでも、俺にとってユリ姉は、かけがえのないお隣に住んでるお姉さんという存在であることに変わりはなかった。だから、ユリ姉が俺を守るために行動してくれた時は、怖いとかよりもむしろ、テレビに出てくる正義のヒーローみたいでかっこいいとすら思ったほどだった。

 だが、俺がそんな風に思っていたことは、やはり子供の妄想の産物だったんだろう。

 少なくとも、ユリ姉の潔白が証明され、そして父さんが亡くなるまで、俺にとっての正義の味方は、彼らや周りの人間、特に彼らの親たちにとっては悪の親玉のようにしか映らなかったのだから。

 その友達たちは引っ越してしまって疎遠になり、風評は忘れ去られるまでかなり時間がかかった。


 そして、あの日---母さんが家を出る日、そしてその後、父さんが亡くなった日がやってきた。


「…エルは、優しいね。」

 友莉奈の長いさらさらした髪を撫でながら、またユリ姉がぽつりと言った。

「私があんなにひどいことをしちゃったのに…エルだって、友莉奈ちゃんと同じように、私のことを恨んでもいいはずなのに…。それでも、エルは私と一緒にいてくれた。…ごめんね、辛かったよね。」

 俺は、今度こそ何かを言いたかった。

 ユリ姉に伝えたかった。

 そんなことないと。

 だが、声が出てこない。

 それが、もしかしたらさらにユリ姉を傷つけることになりかねないと思うから。

 …そして、自分のせいでユリ姉が傷つく姿を見て、俺自身もみじめな思いをするんじゃないか、そんな、本当に自分勝手な思い込みが、頭の中を駆け巡っているから。

 …俺は、本当に最低だな。空気読んでるだけなんてくだらない詭弁を吐いて、伝えたいことも伝えられないなんて。


「…んぅ…お母…さん…。…会いたかったのです…。」


 ユリ姉の膝の上で友莉奈が身をよじり、ユリ姉の方を向いたと思うと、ユリ姉にさらにぎゅっと密着するように身を縮めた。

 今、友莉奈はどんな夢を見ているんだろう。

 母さんと過ごした日々を思い出しているのだろうか。

 夢の中では、母さんと再会して、笑顔を輝かせているのだろうか。

 友莉奈は俺と出会うまで、母さん以外の家族を知らなかった。友莉奈が甘えられるのは母さんだけだった。親戚に引き取られた後だって、母さんのことを考えなかった日々はなかったはずだ。

「…このまま目が覚めたら、友莉奈ちゃん、がっかりするよね…。私はお母さんじゃなければ、家族ですらないんだから。多分、またばしってされちゃうよね。」

 ユリ姉がまた呟く。確かに、確実にいい顔はしないだろう。


「…でも、せめて友莉奈ちゃんが目を覚ますまでは、私はこのままでいたいな。」

 

 優しい顔で、銀色の髪を撫でるユリ姉。

「この子は怒るかもしれないけれど…私は莉香さんの代わりにはならないのだろうけれど…。だけど、そうであるならなおさら、私はこの子の本当のお姉ちゃんになりたい。一緒に起きて、一緒にご飯を食べて、一緒に学校に行って…。お休みの日には一緒にお買い物をしたり、一緒にお台所に立ったり、お互いのお部屋に遊びに行ったり、時には一緒のお布団で寝たり。あ、それだと寝るのはいつも私のお部屋になっちゃうかもね。私のベッド、おじさんが作ってくれた特注だし。…友莉奈ちゃん、来てくれるかな。来てくれるといいな…。ふふ、私の願望なのはわかってるけどね。とりあえず今は…友莉奈ちゃんがいい夢を見られますように…。」

 …本当に、ユリ姉はすごい。

 友莉奈の姉になりたい、家族になりたい。理想かもしれない、甘い考えかもしれない、それでも、と、実現のために努力することができる。

 ユリ姉は、昔からそうだった。

 褒められた時はさらに上のことができるように頑張って、叱られた時はどこが悪かったのかを徹底的に考えて、同じ間違いをしてしまいそうになる自分を絶対に許さない。いつしか、元々は俺と同じくらいの物覚えの速さだったはずのユリ姉のAIは、普通の人間の大人と遜色ない、あるいはそれ以上の思考能力を持つまでに成長し、下手したら並の人以上の心や感情をも獲得した。ユリ姉が俺の姉さんであり続けようと努力を重ねたことで、ユリ姉は誰もが認める俺の姉さんになることができたんだ。

 …いつか、俺もこんな風に強くなれるんだろうか。

 そんなことを思った時--------------


「-------------永流…あれ…まさか-------------」


 暁が廊下の向こう側を見ている。

 「-------------!!」

 見覚えのある顔が、そこにあった。

 焼けただれた顔、溶け落ちた服------------まずい、追いつかれたか!!

「-----------暁、万渡さんを頼む!!」

 俺はこんな時でも目を覚まさない友莉奈と、友莉奈を膝に乗せているために迂闊に動けないユリ姉を庇うように、廊下の方に向かって突き飛ばした。二人のいたところを、すかさず飛んできた液体が溶かす。

「あうっ…!!…あれ?お兄ちゃん…?え?あれ?…もしかして…私、これからお兄ちゃんに------」

 衝撃でようやく友莉奈が起きたようだ。

「こんな時にアホなこと言ってんじゃありません!!ほら、逃げるぞ!!」

 俺は寝起きでよくわかっていないらしい友莉奈を起こすと、手を引いて走り出す。

 …どうすればいい!?下は亡者の行列、ここにはあの酸をかぶった男子生徒。階段は姿見があり危険------そうだ!!

「ユリ姉、暁、先輩、こっちだ!!」

 俺の声に反応した三人が、こちらに集まる。

 俺はまたガラスを物質変換して超硬度ガラスの壁を作り、すかさず反対側へと走り出した。そちらにあるのは非常階段。こちらからなら、屋上にドア代わりのフェンスはあるが、乗り越えられない高さではない。屋上も渡り廊下の屋根で繋がっているから、そこを伝って中等部の屋上まで行くことができれば…。中等部の屋上から非常階段を使って下まで降りれば、校門まではすぐだ。中等部の方にまであの亡者の行列が押し寄せてきてたら正直な話万事休すだが、この際、迷ってる暇はない。

 俺たちは非常階段に続く扉を蹴り飛ばすように開けて、屋上へと向かう。あの男子生徒が追ってくる気配はなく、ついでに下を見てみたところ、亡者の軍勢も追いかけてくる気配はなかった。


 不自然なほど無事に屋上のフェンスへとたどり着いた俺たちだったが、少々難関が待ち構えていた。

 野郎である俺と暁なら何とか越えられそうなものだったが…。

「…ねえ、エル…。これ、本当に登るの…?」

 …ユリ姉の声もごもっともだった。俺も今気がついたけど。

 正直、女子の身長…それなりの身長があるユリ姉でも、この高さを越えるには少し高いかもしれん…仕方ない。

「…暁、とりあえず万渡さんだ。俺が先に行くから、合図をしたら万渡さんを渡してきてくれ。」

「おう。」

 暁の返事を聞いて、俺はフェンスに手をかける。

「…よし、暁、こっちは大丈夫だ。」

「オーケー、じゃあいく…ぞ…。」

「…暁?」

 一向に万渡さんを渡してこない暁に、俺は声をかける・・・って…。

 フェンスの先に見える暁の顔が、なんかすごく赤くなってんのは気のせい・・・?

「お、おい、暁?」

「暁くん…?」

 ユリ姉も何やら疑問に思ったらしい。…と、次の瞬間。

 

「…永流、あのよ、冬華ちゃん…そっちに渡すときにどうやって見ないようにすればいいんだ…?その・・・-----の中…。」

「え?」

「…だ…だから…このままだと確実にスカートの中見えちまうだろうが!!」

 …あ。

 完全に失念していた。

 うちの学園の女子の制服のスカートはそれほど丈が長いわけではなく、頭の方から渡してもらうにしても、足の方から渡してもらうにしても、俺か暁のどっちかは確実に見ることになってしまうだろう。かと言って抱きかかえて渡してもらうには高さが足りず、俺が上に登りなおしてみたところで、足場の細いフェンスの上でそんなことをするのは危険すぎる。下手すれば万渡さん共々真っ逆さまに落っこちて亡者の仲間入りを…。いや、さすがにそれは避けたい…。だが女性陣からの視線が痛すぎる…。どうせぇってんだよもう…。

 

 がしっ。

 

 ユリ姉が鉄製のフェンスを掴んだ。ユリ姉に掴まれたフェンスは、みしみしと音を立ててひしゃげ始め、それを留めてある蝶番がはじけ飛ぶ。

「…みんな、下がってて。」

 そう言ったユリ姉はそのまま一思いにフェンスの扉を力任せに引っぺがした。がしゃん、と音を立ててフェンスがこっちに倒れてくる。

 …あれ?俺ひょっとしていろいろ考える必要なかったんじゃね?最初っからユリ姉にこの扉引っぺがしてもらえばよかったんじゃね?まあそもそもさっきから学校変形させたり破壊したりいろんなことしてるから生きて帰ったとしても後でめっちゃ怒られそうだが…まあいいか。

 ユリ姉によってぶち壊されたフェンスから、他のみんながぞろぞろと屋上へと入ってくる。

「…永流、なんか悪かったな、役得かもしれんかったのに。」

 …暁、誤解を招く発言は控えろ。そして少し黙れ。

「…エル…やっぱり見たかったんだ…。」

「お兄ちゃん…。」

 ほらー、うちの姉と妹に思いっきり聞かれてたじゃん。

「…エル!!ちょっと恥ずかしいけど、私のスカートの中なら覗いてもいいから!!だから他の女の子のは覗いちゃだめだよ!!」

 ちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?!?!?!?!?

 ユリ姉、こんな時に何とち狂ってんの!?

「お…おおおお兄ちゃん!!私だって頑張ります!!だからユリアさんのことはほっといて、私の方を見てくださいです!!」

「いや、誰のスカートの中だって覗かんわ!!何なの!?うちの姉と妹はそこまでして俺に変態の称号をプレゼントしたいわけ!?」

 …他にもいろいろと言いたいことはあったが、とりあえず今はそんな変態疑惑談義に花を咲かせている場合じゃない。読み通り、どうやら中等部の方は人影がないようだ。ここは早いところ中等部の敷地に------

 

「…え?お、おい、ちょっと…。冬華ちゃん!?」

「ふゆふゆ…!?待って!!今たったら…」!!」


 暁と田代先輩が、狼狽えた声で言った。

 とっさに俺もそちらに向く------------


 暁によっておんぶされていたはずの万渡さんが、その場に立っていた。


 焦点の定まらない、虚ろな瞳。どこを見ているのかいまいちわからない。

 だが、肩で息をしているところからすると、相当体に無理を強いていることは明らかだ。そもそも、枯渇した魔力がこんな短時間で回復することなどありえない。自分で立っていられないほどに衰弱していたはずなのに-----------どうして!?

 虚ろな瞳が、こちらを向く。

 

「-------踊ってよ------私と一緒に、いつまでも------」


 万渡さんが呟き、ショートヘアをふわっと揺らしながらくるりと回り、傍らの暁の手を取る。

「え------!?」

 そのまま、何が起こっているのかわからない暁を引きずるように、華麗にステップを踏み始める万渡さん。

 まさか-----------まずい!!

「---------暁、万渡さんから離れろ!!早く!!」

 俺の声を受けて、万渡さんから離れようとする暁。だが----------

「だめだ、永流!!どうしてなのか知らないが、ぴったり貼りついちまってるみたいなんだよ!!」

 …やっぱりか!!

 仕方ない------万渡さん、ごめん!!

 俺は踊り続ける二人に向かって走り出す。そのまま肩で万渡さんに向かってタックルをかました。その甲斐あって万渡さんの手は暁から離れ、俺は万渡さんともみ合うように廊下に転がる。正直めっちゃ痛い…万渡さんは無事か…?けがとかしてないだろうか----------


「ふふ…♪積極的な男の子は嫌いじゃないよ---------でも、だーめ。」


 万渡さんが、さっきと変わらない虚ろな------しかし、今にも引き込まれそうな妖艶な目をして言った時------

 ふわりと、俺の体が宙に浮いた。

 瞬間、背中に大きな衝撃。

「-----がっ…は!!」

 ここにきてようやく、俺は自分の身に何が起こったのかを察した。万渡さんが、先ほどまでぐったりしていたとも、ましてや女の子とも思えない力で俺を引き倒したのだ。

「-------エル!!」

 ユリ姉が俺に向かって叫ぶ。そのままユリ姉が俺に駆け寄ろうとしてきた時。


「……これから私たち、すごく楽しいことをするの。邪魔をしないで------」


 瞬間------ユリ姉の体が、何か大きな力によって吹き飛ばされた。

「-------------あうっ…!!」

 がしゃん、と派手な音を立てて、ユリ姉が屋上のフェンスに叩きつけられる。鉄製のフェンスによってユリ姉が奈落に叩き落とされるのは回避されたようだが、これでは迂闊に誰かが近づくことも許されない。

 だが、俺はそんなことを気にしている余裕はなかった。

「ふふ…。そんなに私に悪戯したかったの?」

 先ほどから妖艶な笑みを崩さない万渡さん。

 …間違いない。おそらくこれも七不思議の一角、『科学部員の呪い』、『血まみれの廊下』と同様に、実際に学園であった事件を元にして語られた話------『悪魔のフォークダンス』。

 この学園では、文化祭の後夜祭でフォークダンスを踊る。それに関する話だ。実話はかなり新しいものらしく、なおかつその内容が学生たちの心に深く残る内容であるために、脚色や改編などもまったくされることなく、今でも詳細が事細かに語られている、そんな話。

 俺は身構えることしかできない。動けない。

 ------頭で危険だとわかっていても、本能が、それを許してくれない。

 確実に目の前の脅威と化しているはずの万渡さんは------夜の帳が降り、月の光に照らされた屋上という場所で、きれいだ、そう心から思ってしまうほどに魅力的に映ったのだから------

 万渡さんの顔が、俺の目の前に近づく。

「…ねえ、踊ってくれないなら、もっと面白いこと、しない?」

 俺は動けない。

 彼女が体を近づけるたびに、甘い匂いが脳を焦がす。

 ------頭が、くらくらする。

 こんな感覚、俺は知らない------


 かつて、この学園に本当に仲睦まじいカップルがいた。二人は学園の中や双方の親御さんの中でも公認されるくらいの熱愛っぷりで、将来は絶対にお互いと結婚するとまで言われていたくらいだったらしい。

 だが、それをよく思わない者もいた。

 男子生徒…ここではとりあえずA男とするが、彼は俗にいうイケメンで、かついろいろな人間からすれば話しやすく好意を持ちやすい性格だったが、女子生徒…こちらはまあB子でいいか。彼女の方は、見た目や性格はよかったものの、どちらかというと奥手だった。もちろん、彼もそんな彼女に惹かれて付き合い始めたのだが、A男の方には熱心な追っかけがいて、当然のことながら、二人が付き合い始めたことで、追っかけたちの怒りの矛先はB子に向いた。

 だが、二人はそんなことは構わなかった。自分たちはお互いに認め合っていて、祝福してくれる人たちがいることをわかっていたからだった。

 そんな中、後夜祭の夜が来た。

 昔から、この学園の文化祭の後夜祭でフォークダンスを一緒に踊ったカップルは一生離れ離れになることはないと言われているのだが、どうやら当時もその言い伝えはあったらしい。当然、その二人も一緒に踊ることを約束していた。そんな中、A男は友人からの呼び出しを受ける。彼はB子にその旨を伝え、優しい彼女はすぐに首を縦に振って『行ってあげて、教室で待ってるから』と言って、後夜祭の準備の中、誰も残っていない校舎の中で、彼を送り出した。

 …結論から言うと、これは二人を陥れるために追っかけたちが一芝居打ったことであった。実は、B子を面白くないと思う者たちがいたように、A男の方にも、最近付き合いが悪くなっただの、自分たちからすれば高嶺の花であったB子と付き合いだしたのが許せない、面白くないと思っている者がいたのだ。利害の一致する連中がいることを察したA男の追っかけたちはB子に思いを巡らしていたという連中と密に連絡を取り合い、縁結びのジンクスがあるという後夜祭に二人を参加させないため、行動を起こすことにした。彼らは、本来出してあったはずの重い機材を事前に元の場所に隠し、文化祭実行委員であったA男の友人にそれを気づかせてからあえてどうしたのかと声をかけ、取りに行きたいから手伝ってほしいという彼の頼みを自分たちも忙しいからと断った上で、A男なら今少し時間がありそうだった、ということを伝え、事を起こすための時間を何も知らない実行委員に稼がせるという回りくどくも巧妙な方法で、まんまと二人を一瞬引き離すことに成功したのだ。

 友人に頼まれた用事を終え、何とか後夜祭が始まる前に待ち合わせ場所であった教室に戻ってきたA男を待ち受けていたのは、がっしりした体格の男子生徒たちと、男子生徒の追っかけたち、そして、自分の愛したB子の無残な姿。彼が見たものは、その体格のいい男子連中によって乱暴され、連中がすべての物事に満足した後、打ち捨てられるように教室の床に転がっている彼女の胸に、今まさにA男の追っかけのリーダーであった女子生徒がどこかから持ってきたらしい包丁を突き立てた瞬間だった。

 人ごみをかき分け、虚ろな目で胸から血をとめどなく流す彼女を泣きながら抱き起こした彼に、事切れる寸前の彼女はこう言ったという。


 -------後夜祭、あなたと一緒に踊りたかったな。

 私は先に行くけれど、いつか天国で再会したら、今度こそ二人で一緒に踊ろうね------

 

 …個人的には、ここで終わればまだ美談として語り継がれることになったんだろう。どんな辱めを受けようとも、女たちの逆恨みによって命を奪われようとも、彼女は最終的には自分が愛し愛された男の手の中で一生を終えることができたのだから。

 しかし、これで終わりではなかった。

 A男は愛する者を目の前で失った者であり、そしてその前に、そもそも彼自身も年頃の男だった。実は、非常に生真面目な性格であった彼は、まだB子とも経験がなかった。そして、先ほど男子生徒たちがもはや目を閉じて動かないB子に対して、自分たちの高嶺の花を奪われたくない、それならいっそと狼藉を働かんとする欲求があったように、その追っかけ全員の心の中にも、大なり小なりA男に対する欲求がちらついていたのだ。

 彼女を自らの腕の中で看取ることになってしまったというショックで、もはや泣くことも怒りに任せて暴れることも忘れ心神喪失の状態になった彼に、今度は追っかけのリーダーが耳元で囁いた。


 -------泣かないで。あたしたちが、もっともっとあなたを満足させてあげるから------

 だから、あなたもあたしたちを満足させてよね---------


 愛する者を殺された年頃の男が、心をボロボロにされた後にかけられた言葉。

 それは、彼が理性という名の枷を解き放つには十分すぎるものだった。

 彼女はもういない。目の前にいる女たちは彼女を殺した女たちだ。許せない。その女の一人が誘いをかけてきた。許せない。彼女を殺したくせに。さっきの男どもをけしかけて、彼女の大切なものを奪い、自分に捧げようとしてくれたはずだったもののすべてを奪い、挙句彼女の命すらもゴミのように破り捨てたくせに。許せない。彼女は辱めを受けて死んでいった。この女は愛を自分に求めている。卑しい女だ。愛情のない人間など自分にはいくらいても意味がない。彼女だけが自分を愛してくれていたのだ。お前たちではない。

 ------------ならば、この連中にも同じ屈辱を味わわせなければ。

 そうだ、そうでなくてはならない。

 この女どもを片端から乱暴に扱ってやる。愛情や優しさなど一片たりとも向けてやるものか、お前たちが彼女にしたことはこんなにも屈辱的なものだったのだと、お前たち自身にわからせてやる。後で泣いて謝ったって知るものか。お前たちが撒いた種だ。自分は彼女の敵を討っただけなのだ。

 -------敵討ちなら、どんなことをしても許されるだろう?


 B子への愛ゆえに心を完全に崩壊させたA男は、片端から追っかけたちに対して襲いかかった。それこそ、言葉をなくし、優しさをなくし、人の心すらなくして、ただ本能のままに叫び行動する獣のように。だが、自分からしたら敵討ちであるはずなのに、向こうからすれば屈辱的なことをされているはずなのに、追っかけたちは彼が見せてやりたかったはずの絶望の表情や嫌がる素振りすら見せず、あまつさえ彼のするがままになって嬉しそうにしている始末。当然だった。追っかけたちからすれば、ようやく自分たちの王子様を馬の骨から取り戻した上、今この瞬間、自分たちはその王子様によって弄ばれているのだから。

 彼は止まらなかった。止まれなかった。これが、愛する者を目の前で奪われた彼の復讐であったから。そしてついでに言えば、彼は認めたくなかったかもしれないが、愛した彼女から与えられることのなかった快楽というものを知ってしまったから。そのままA男は、何人かの生徒が後夜祭に現れないことを心配して探しに来た当時の先生たち数人が、その惨状を目の当たりにして彼を羽交い絞めにし、通報を受けて駆け付けた警官たちに取り押さえられるまで止まることがなかったという。退学になった彼は、食事もとらずに餓死するまで精神病院に入れられた。だが、これを企てた男子生徒たちと女子生徒たちは咎められることがなかった。当然だった。男子生徒は徹底的に自分たちのしたことの証拠隠滅をしており、まんまとA男がB子を乱暴して殺したことに見せかけた。また女子生徒たちは自分たちが女子であること、そしてその場に居合わせたという立場を利用し、誰にも何も言わずしてA男に罪をなすりつけ、見事お涙を頂戴することに成功した。つまり、周りには、どういう風の吹き回しだったのかは知らないが、A男がB子に対して何らかの不満を持って乱暴し殺しを働き、これまたどういう風の吹き回しか、A男がB子以外の女たちを辱めていた、という話だけが一人歩きしていまい、本当の事実が表に出ることはなかったのだ。あいにく、精神が完全にいかれてしまったA男は、それに対する否定の言葉を持たなかった。もはや味方はいなくなっていた。そしてその後A男が死んだことで、その事実は永遠に闇に葬られたはずだった。

 だが、A男が病院で死んだ後、学園でまた事件が起こる。

 あの時B子を襲った男子生徒が、A男によって辱められた追っかけによって殺されたのだ。

 それは、生徒たちがまだ学校にいるうちに起こった。突然追っかけだった女子生徒が廊下で倒れたかと思うと、突然起き上がって高々に笑い出し、そして横を通り過ぎようとした男子生徒の手を掴むと、いきなり後夜祭で踊るフォークダンスのステップを踏み始めたのだという。

 男子生徒は次の日、精も根も尽き果て干からびていただけでなく、なおかつ体には無数のあざがある状態で死んでいるのが発見された。また彼を襲った女子生徒は、その傍らで胸に包丁が刺さった状態で死んでいた。そして事件はこれでは終わらず、かつてA男の追っかけであった者たちとB子に思いを巡らしていた者たちが、一人、また一人と、同じように踊り狂い、同じようにいなくなっていった。

 一人残ったA男の追っかけのリーダーは、今度は自分がそうなってしまうことを恐れた。だが、追っかけの数は自分も合わせるとあの時の男子生徒よりも一人多かったことも把握していた。それならば、もう自分には何も起こらないのではないか。そう思った時、それは起きた。追っかけのリーダーもまた、突然踊りだし、そして死んだのだ。

 この時にダンスのパートナーとして選ばれてしまったのは、何も知らないままに彼らのやったことに加担する形になってしまったという、あのA男の友人だった。わけも分からず踊らされ続けた彼は、疲れが出てきたあたりで、もういいだろう、休ませてくれと頼んだ。そうしたら、女子生徒はこう言ったという。


 --------私がやめてって言っても、全然やめてくれなかったのに。


 男子生徒は、そのままさらに踊らされ続けた。学園から家にも帰れず、誰もいなくなった中で二人は踊り続けた。疲れ果てて、足がもたついて倒れてしまった彼に、女子生徒は冷たい笑みを浮かべて言った。


 -------どうしたの?立ってよ。あの人たちだって、私のことを無理矢理立たせて乱暴したのよ?


 ここに来てようやく、男子生徒は女子生徒の様子がおかしいことに気がついた。とっさに手を振りほどこうとしたが、手はまるで接着剤でくっつけたみたいに離れない。女子生徒はにやりとして、恐怖に凍りつく男子生徒の顔を見て、妖艶な顔で言った。

 

 -------踊らないなら、今度は私が遊んであげる番。

 女の子が自分からこんなこと言ってくれるのよ、嬉しいでしょう?

 

だが、彼は女子生徒によって辱められることも、殺されることもなかった。彼は、A男がB子に対して見せていた笑顔…愛する者にのみ向けることのできる笑顔があることを知っており、それがいかに尊いものなのかということも知っていた。彼はA男とB子が付き合いだした時、彼らから誰よりも早く報告を受け、その上で二人の行く末を心から応援し、祝福した者の一人だった。それゆえ、今まで死んでいった男子生徒たちと違い、理性を以て己が本能を強く強く封じ、自分を食らおうとする女子生徒に対し、「こんなことはいけない、こんなことには愛なんてない」と叫ぶことができたのだ。

 はっきりと拒絶された女子生徒はその後、持っていた包丁を自分の胸に突き刺し、こんなことを言って事切れたのだという。


 ---------ようやく、私たちを好き勝手にした人たちはいなくなったわ。

 でも、もう、彼なんてどうでもいい。

 だって彼は、こんなに素晴らしいことは私に教えてくれないままだったのだもの。

 でも彼は、自分だけ------しかも、私じゃない人と、あなたが愛のないものと言ったことで快楽を得た。

 私も最初は怖かった。こんなものは違うと思ってた。

 だからあの人たちに復讐した。屈辱を味わわせたかった。

 でも、あの人たちに乱暴された時も、こうやって乱暴した男の子たちを私がけしかけた時も、私がずっと違うと思っていた感覚は------同じだった。

 あの男の子たちも同じ。彼らは私が好きだったみたいだけど、どうして私とは別の女の子にあんなことされて、あんな清々しい顔ができたの?まるで、彼が彼女たちに対してあんなことをした時、彼女たちが見せた顔みたいに---------

 答えは一つ。愛があろうがなかろうが、そんなことは関係なかったのよ--------

 だから、もう彼なんてどうでもいい。彼との約束だってどうでもいい。

 その代わり、誰かが私と一緒に踊ったら――その時はその誰かと、私は一緒に、またあの快楽に溺れましょう--------

 

 A男の友人は、それを聞いて愕然とした。

 この連続変死事件の真相、そしてそれを起こしていた者が誰なのかを悟ってしまったから。

 その事件を起こすきっかけになってしまったあの日の事件。その時に起こったことが、かつて彼が恋路を応援した、愛し合っていたはずの二人、その二人を死で以て引き離してしまっただけでなく、その二人がお互いに対して持っていた愛情をゆがませ、捻じ曲げて、片割れは愛する者を失って、もうひとつの片割れは死してなお、愛などない、ただ快楽に溺れるだけの卑しい存在にまで作り変えられてしまったというのだから。

 彼は、後にこう語ったという。


 -------あの二人も、この事件で死んだみんなも、人にかどわかされたんじゃない。

 彼らは、快楽を求める悪魔にかどわかされ、そして身を滅ぼしたのだ、と---------


後に、生き延びた彼は、あの悪夢のような事件を『悪魔のフォークダンス』と名付け、学校で語り続けた。卒業後、A男の友人は聖職者となり、自分の仕事場である教会でも、自身が天に召されるまでそれを語り継ぐとともに、その悪魔とやらによって失ったかけがえのない友人とその彼女に向けて、祈りの言葉を絶やすことはなかった。また、彼は学園で文化祭の後夜祭をなくそうという話が出た時、結ばれることを夢見ながら、それが叶わず亡くなった友人とその恋人のためにどうかなくさないでほしい、と粘り強く交渉し、それに心を打たれた当時の学園長が、かつての縁結びの象徴であった伝統を未来永劫守っていくことを誓い、今に至るまで守り続けられているのだという--------

 

 俺は、今、どこにいるんだろう。

 今、何をしていたんだっけ?

 …まあ、いいか。

 体に当たる、温かくやわらかい感触。

 全身で感じることのできる、甘く芳しい匂い。

 何なのかはわからない。

 でも、それが何なのかなんて、そんな考えはもうどうでもいい。

 俺はそのまま、その感覚に身を委ねようとして---------


 ----------じゅっ…!!


「-----------------!!」

 手の甲に走った、突き刺さるような熱さと、焼けるような痛み。

 俺は、それによって一瞬で現実に引き戻される。

 

「---------あ…あぁ…。」

 

 俺に向かってマウントを取っていた万渡さんが、硬直している。

 さっきまで余裕を見せていたその顔は何かに対する恐怖に震えている。まるで、いたずらを咎められ親からの折檻に震える子供のような---------

 ・・・そうだ、俺はこの顔を見たことがある。

 いつかユリ姉が、俺の友達だった奴らに折檻をした時、その時に彼らが見せた恐怖におびえる表情。

 俺はそんな表情をした万渡さんの向いている方に顔を向ける--------


「------何を…しようとしたのですか…。」


 友莉奈が、その視線の先にいた。

「友莉奈…ちゃん…?」

 先ほどフェンスに叩きつけられた状態でへたり込んでいるユリ姉の顔にも、傍らで何が起こっているのかわかっていないらしい暁と田代先輩の表情にも、この状況が尋常じゃないことが見て取れる。

 友莉奈のその手には、いつの間に、そしてどうやって形作られたのか、炎を刀身に宿した剣。どこかで見たことがあると思ったその形は、日本史の教科書の中などでみたことのある、十束剣(とつかのつるぎ)と呼ばれるものの特徴が見て取れる。

 炎の剣を右手に携え、己が体の周りにも、灼熱に燃え盛る炎を纏う友莉奈の姿。

 それは、俺にこれまで見せてくれたかわいらしさなどとは違う―--旧約聖書にある、エデンの園の入り口を守る天使ケルビムのような、強く、気高く、そして清らかな美しさを纏っていて------

 

「------------私のお兄ちゃんに--------何をしようとしたのですか-------!!」

 

 友莉奈が発した、他者を圧する怒りの声。

 それと共に、友莉奈の纏った灼熱の炎が、壁際にいた暁を、田代先輩の横をかすめて、俺を器用に避けながら、とっさに俺から離れて逃げようとしたらしい万渡さんに容赦なく襲いかかった。

「-----------う…あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ-------!!!!」

 万渡さんの顔が、苦痛に歪む。

 燃え盛る炎に全身を焼かれながら、泣き叫んでいる万渡さん。

 だが、友莉奈の炎の奔流は止まらない。

「お兄ちゃんを------お兄ちゃんを------返して---------------!!」

 友莉奈の怒りの声に応えるがごとくさらに勢いを増した凄まじい熱量の炎が、万渡さんの制服や髪を焦がし、露出した皮膚を焼く。

「-------嫌…嫌ぁ…!!まだ…まだここにいたい…。まだ、あんな風に楽しく過ごしたい…焼かないで…殺さないで…!!どうか…どうか…私の居場所を…楽しみを…奪わないで------!!」

 --------これは、万渡さん自身の叫びなのか、それとも万渡さんを動かしている者の叫びなのだろうか。

 …だが、それがもしも、万渡さん自身の叫びだとしたら。

 魔法で作られた炎であったとしても、その炎は幻の類ではない。近づけば熱く、触れば少なくともやけど程度は覚悟しなくてはならない。ましてや万渡さんは生きた人間の体であり、何者かに無理やり操られているようだとはいえ、魔力枯渇によって体には相当の負担がかかっているはず。その上この規模の炎に巻かれれば------

 だが、俺の考えを他所に、友莉奈は炎をまき散らし続ける。

「許さない------お兄ちゃんは、私の--------------!!」

 …仕方ない!!

 俺は友莉奈を止めるために魔法を行使しようとする------------


 ばしっ…!!


 何かを叩くような音が聞こえた。

 それと共に、炎が霞のように掻き消え、熱を持った空気が嘘のように冷えていくのが感じられた。崩れ落ちる万渡さんを、駆け寄った暁が支える。どうやら、何とか一命は取り留めているようだった。

 俺は音のした方向、すなわち友莉奈の方を見た。

 服や髪のところどころに少し焼け焦げた跡が見えるユリ姉が、友莉奈の正面に立っている。

 正面に向かい合う友莉奈が、左の頬を押さえている。

「…何するんですか。」

 友莉奈が口を開いた。

「お兄ちゃんが危なかったのです、何をされるかわからなかったのですよ?それなのに何もしないで見ていろって言うのですか?それだからあなたは------」

 

 ---------------ばしっ!!


 友莉奈の左頬に、ユリ姉の右手が叩きつけられた。

 

「あなた------自分が何をしたのか、本当にわかっているの…?」

 今度はユリ姉が、友莉奈に向かって、低く怒りの声を上げる。

 俺は、ようやく先ほどの音がなんなのか、友莉奈がなぜ頬を押さえて呆然としていたのかを察した。ユリ姉が、あの時、俺に水をぶっかけてきた彼らにそうしたように、痛みを以て折檻を与えたのだと。

 友莉奈が、ユリ姉に食って掛かる。

「…そんな綺麗事…危ない時に身を守らないことの方がおかしいじゃないですか…私は正しいことをしたんです------お兄ちゃんを助けるために魔法を使ったんです!!」

「黙りなさいっ!!」

 ユリ姉が、友莉奈を一喝した。

「あれが守る力というのなら------今の万渡さんを見てみなさい…炎に巻かれたときの彼女の声を思い出してみなさい!!もしかしたら、あのままじゃ万渡さん、死んじゃうかもしれなかったんだよ?ううん、万渡さんだけじゃない、私や暁くんや静季…ひょっとしたらエルやあなただって…あなたの持つ力はそういうものなのよ!!力を持つ者なら…その力が人を傷つけるものだって言う事をきちんと自覚しなさい!!」

「あなたは…あなたこそ、必要な力の使い方をはき違えているじゃないですか!!守るための力が守れないものだったら、そんなの、何の意味もないものになるんです!!あなたはアンドロイドだから------人じゃないから、人の痛みを知らないから、そんなことが言えるんでしょう!?」

「いい加減にしなさい!!」

 ユリ姉は友莉奈にもう一度強く声をぶつけて------それから、目に涙を浮かべて、悲しそうな声で話しかけた。

「どんな理由があったとしても…死んじゃっていい命なんてないんだよ…?…友莉奈ちゃん、会ったその日に私に言ったよね?私がおじさんとおばさんを引き離してしまって、エルを一人にしてしまって、みんな不幸にしてしまったんだって…。だから私を許せないって…!!そんなことを言えるくらいなのに、どうして…?どうしてそんなことを言ってしまうの?どうして誰かを同じように不幸にしようとするの…!?」

「…っ!!」

 何も言う事の出来ない友莉奈。ユリ姉はそのまま、友莉奈をぎゅっと抱きしめた。友莉奈はびくっ、と体を震わせた後、何度かもぞもぞと動いて抵抗するが、ユリ姉がそれを許さない。

 ユリ姉が口を開いた。

「…私は、確かに友莉奈ちゃんとまだ数日しか一緒に暮らしてない。だけど、この数日だけでいろんな友莉奈ちゃんを教えてもらったよ。エルが大好きなことも、きれいなお洋服が似合うことも、エルや私の前だからって強がって、私たちに気取られないようにしながら苦手らしいニンジンやピーマンを頑張って食べてたところも。それに、家族のことで笑顔になったり、家族が危ない時に怒ったりできる、すごく優しい子だってことも。だからこそ、私は友莉奈ちゃんに言わないといけない。…お願い、力を使うなとは言わないし、言う事はできない。でも、それでも、奪われる悲しさや悔しさを知っていて、それが嫌だと思うのなら、そんな優しい心を持っているなら…誰かに同じ苦しみや悲しみを向けたりしないで…。」

 …ユリ姉は、やっぱりすごい。

 俺が気づけたことも、俺では観察しきれなかったことも、ユリ姉はちゃんと見ていたんだ。

 ユリ姉の胸の中で、友莉奈が震える声で言う。


「…ユリアさん…。私は------悪い子なのですか…?」

 

 それだけでは、友莉奈が何を言いたいのかはわからなかっただろう。

 だが、友莉奈の口から発せられる震え声が、それを補足してくれる。

「…お母さんに…教わったのに…。私の魔法は危ないって…。いつもいい子でいるって、お母さんと約束したのに…じゃあ…あの時の私も-------」

 ユリ姉は友莉奈を抱きしめたまま、こう言った。


「…言ったでしょ?友莉奈ちゃんはいい子なの。…だから、悪い子にならないで。」


 …俺は、友莉奈の「あの時」ということの意味はわからない。

 どこかで魔法を使った時のことなのか、はたまた何か別に悪いことをしてしまった経験があるのか。

 だが、一つだけわかる。

 友莉奈は、もうきっと自分の怒りのままに魔法の力を使ったりはしない。

 そう思うと同時に、俺は一難去ってまた一難であることに気がついてしまった。

 友莉奈は今、屋上で魔法を使った。


 水織学園七不思議の一つ、「屋上で魔法を使うべからず」。

 

 実は、これは最後の7つ目よりもよくわかっていない七不思議だった。

 今までの七不思議については、実話や言い伝えをモデルにしているらしいという場合が多く、モノによっては事細かに語ることができた。

 だが、これはそういった実話も言い伝えも存在しない。

 言えることとしては、この七不思議は「屋上で魔法を使うと何かが起こる」という程度の話でしかないものだった。

 その「何か」というものが、いまいちはっきりしていない。

 必ず転ぶという程度の軽いものから、学園自体が爆発してその崩落に巻き込まれて死ぬだの、宇宙人にキャトられるだのという、とにかくドでかい話に発展する場合もある。それほどまでに、七不思議のくせにわけのわからないものだった。

 …だが、俺はなんとなくこの場で何がどうなるのかがわかった気がした。

 多分、俺たちはこの学校から生きて出るための万策は尽きたのだ。

 この「屋上で魔法を使うべからず」は、今日遭った七不思議の中で6つ目。…つまり、屋上で魔法を使ってしまった以上、7つ目に遭遇するための条件はもう整っていることになる。

 7つ目。

 「ヒトチガイ」と呼ばれる、七不思議最後のひとつ。

 七不思議のうち6つに遭遇した奴らに与えられるらしい、確実な死。

 俺が、いつ、どんな方法で死ぬのかと、ぐるぐると頭の中で考え始めたその時。


「---------ありがとう…?」


 友莉奈の声が聞こえた。

 その場に倒れた万渡さんの体から光があふれ出し、一つの形を形作る。

 それは、水織学園の制服を着ている、引っ込み思案そうな、しかし非常に整った顔立ちをした、見たことのない一人の女の子の姿。

 友理奈が言った。

「よかった…これでもう、解放される…こんな気持ちになったのは久しぶり…?」

「友莉奈、どういうことだ?」

 正直、意味がわからない。友莉奈は何を言っている?

「…あの人、そう言ってるんです。ありがとう、ヒをくれて、本当にありがとう、って…。」

 女の子に顔を向けると、その子は、おそらく生前に見せていたのであろう明るい笑顔をこちらに向かって向けてきた。そう思うと、その子の体は光になって、一瞬のうちに霧散した。

「…あっ…!!」

 そう思うと、学園の周りに光が満ちた。学園を覆っていた亡者の行列もまた、淡い光となって消える。屋上には、俺たちだけが残される。

 …何だったんだ?

 俺たちは立ち尽くすことしかできない。

「…えっ?」

 スマホの着信音。ユリ姉のだ。

「…お父さんから…?あれ?いつから通じるように…?あ、ううん、そんなこと言ってる場合じゃない…!!エル、救急車を呼んで!!万渡さんを早く病院に!!」

「…あ、ああ、わかった!!」

 俺のスマホも回線が復旧していることを確認し、俺は119番をコールする。

 すぐに来てくれた救急隊員の人たちに事の次第を説明し、俺たちは一緒に病院へと向かう。

 …どうして、何が起こったのか、誰にもわからなかった。

 


(another view“Yurina”)


 ------私は、何をしたのだろう。

 家に帰ってきてから、私はそればかりを考えていた。

 あの女の子は------きっと、七不思議に出てくるもの---すなわち幽霊。

 私は、彼女の言葉を聞いた。確かに聞いた。

 どうして、私は幽霊の言葉を聞くことができた?

 私の魔法は、降霊術の類ではない。

  なのに---どうして。

 どうして、私は感謝された?

 わからない。

 それよりも、私にはもっとわからないことがある。

 あの後、お兄ちゃんのクラスメートさん…万渡さんといったか---は、私の炎に巻かれて、命に別状はなくとも、決して軽くない怪我を負ってしまった。

 私のせいだ。

 私が何の考えもなしに、お兄ちゃんを助けたい一心で魔法を使ったからだ。

 その時---あの人は。


「どんな命でも、死んじゃっていい命なんてないんだよ?」

「力を持つものなら---」

「悪い子にならないで---」


 ユリアさんは、そう言った。

 あの人はアンドロイドだ。

 人の価値観は、わからないはずだ。それがたとえ、どんな高性能な頭脳を持っていたとしても。

 それなのに---私はあの人に叩かれた。

 悪い子にならないで、と言われた。

 わからなかった。

 私はお兄ちゃんを助けるために魔法を使ったのに、それを悪いことだと言われた。

 小さい頃、お母さんが言っていたことと同じように---


(「友莉奈ちゃん------危ないことはだめって言ったでしょう!?」)


 思えば、お母さんに叱られたのは、あの時しかなかったと思う。

 お料理中のお母さんを手伝いたくて、私は魔法を使った。コンロの火を見て、もっと火を強くすればすぐに食材に火が通り、お母さんに褒められると思ってのことだった。

 結果は、想像するまでもない。

 火事にならなかっただけよかったものの、フライパンの中身は、元々の形を留めないほどに黒こげになってしまっていた。

 その時のお母さんと、あの時のユリアさんは、何か似ていたように思う。

最後に、「悪い子にならないで」と言ったのは、お母さんもだから。

 …いや、そんなはずはない。

 あの人は機械だ。お母さんと------人と同じ思考ができるはずがない。絶対に------






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