第1章『命日の邂逅』
…なんだろう、またすごく変な夢を見てしまった。
昔から、変な夢はよく見てきた。でも、起きてみると何も覚えていない。誰がいて、何をしていて、なんてことも、何一つ覚えていないのだ。
でも、一言単語が思い出されるのだ。
「お兄ちゃん」
…俺、弟とか妹とかいないんだけど。
ベッドから寝起きの体をやっとの思いで引きずり出して、俺―小湊 永流は考える。カーテンを開けると、そこにあったのは本当に澄んで真っ青な空。今日もいい天気だ。
「おはよー、エル。まだ寝てるー?」
ドアがトントン叩かれる。おっと、ユリ姉がいつもの通り起こしに来たらしい。隣に住まわせてもらってもう何年も経つが、やはり慣れないものだ。一回断ったこともあったけど、「今は家族なんだから余計なこと考えないの。お姉ちゃんは弟の世話を焼くためにいるんです。」…だもんな。おじさん曰く、すぐ隣だってのにわざわざ自分の家に住まわせようと考えたのがユリ姉であるらしいのだが、さすがにそこまでは悪いと思って迷惑をかけないように自分で起きることにしている。
そうこうしているうちにドアが開き、ユリ姉こと美枷 ユリアがひょこっと隙間から顔をのぞかせてきた。
「あー、エル、もう起きてる!寝不足は体に悪いんだぞー。」
心底悔しそうな顔で言うユリ姉。よほど俺を起こしたいらしい。
「ユリ姉が毎度毎度起こしに来るからでしょ…。しかも今普通に朝だし。」
「毎度じゃないよ、私だって充電し足りなくて寝坊くらいすることもあるもん。」
「その頻度、一ヶ月中何回くらいだかわかってるよね?」
「……メモリー不足かな?全然覚えてないなー。」
「…そこで目を露骨に逸らさなきゃ信じたいところなんだけどね。」
俺が覚えている限り、ユリ姉がそんなドジを踏むことはめったにない。一年に数回あるかないかだ。しかもその充電だってほとんどコンデンサーに蓄えられた予備電源のようなものになっているわけだし。
あ、何を言っているかわかんないと思うんで一応補足しておく。一言で言うと、ユリ姉は人じゃないんだ。まあわかりやすくいうなら、アンドロイドという言葉は聞いたことがあるだろう。一般的に知られているアンドロイドは電気エネルギーなどで動くものなんだろうが(詳しくは知らないけどね)、ユリ姉は基本的には電力じゃなくて魔力のエネルギーで動く。予備電源もいくつか供えられているし、ものを食べることによるエネルギー変換もそこそこながらできるようになっているが、こちらは有事の時の予備電源だ。そんなわけでご飯はほぼ完全に嗜好品の部類になっている…というのはいいとして、ユリ姉の場合はエネルギーを供給するバイパスの片方を持っていて魔力を供給するのが俺というわけ。
なんで他人の家のアンドロイドに俺が魔力を供給しているのかって?…ごめん、俺もわかんねぇや。作った本人である父さんはもう亡くなってるし、俺にも理由は教えてくんなかったし。とりあえずユリ姉は魔力を糧に活動するアンドロイドってことだけ覚えといてもらえたらいい。…パッと見全然そうは見えないんだけどね。昔はともかく今は並の人以上に表情は豊かだし、ご飯だってちゃんと食べるし、ふわふわさらさらした栗色の髪や、昔手をつないだときのやわらかさや温かさを考えても・・・あとはこれまた昔風呂に突撃してこられたときに見た…って、俺は何を考えてるんだ。…いや、不可抗力だよ?
「…で、ユリ姉はいつまで俺の部屋にいるの?そろそろ着替えたいんだけど…。」
なかなか出ていかないユリ姉を見て、嫌な予感をかき消しながら、何とか声を絞り出してみる。すると、ユリ姉はやっぱりアンドロイドには見えない屈託のない微笑みを浮かべて、こんなことをぶっちゃけた。
「そうね。お姉ちゃんが手伝ってあげる♪」
「------って、やっぱりかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
確実にご近所の迷惑になりそうな俺の素っ頓狂な絶叫が、朝の美枷家に響き渡ったのだった。
「おはようございます…。」
制服に着替えて二階からダイニングに降りると、おじさんとおばさん---ユリ姉の義理のご両親だ---がもう席についていた。
「おはよう…って、どうしたのエルちゃん、寝たりないみたいな顔して。」
おばさんが心底心配そうに声をかけてくる。
「あ…いえ、…ユリ姉がですね…。」
そこまで言うと、おばさんも新聞に目を向けていたおじさんも何があったか想像がついたらしい。
あの後、ユリ姉の説得に本当に時間を食わされたのだ。力ずくで部屋から追い出せれば一番よかったんだが、ユリ姉もさすがはアンドロイド、見た目に反してかなりの馬鹿力を発揮してくれる。純粋な力比べになったら俺では確実に勝てない。…一度背中を押して部屋の外に出し、鍵までかけてさあ着替えるかと思ったらドアを木っ端微塵に蹴飛ばして入ってきたことがあるくらいだ。かといって魔法を使おうものなら、ユリ姉を傷つけてしまうことにもなりかねない。もし無事だったとしても確実に家の原型がとどめられることはないだろう。住まわせてもらってる以上、それは何としても避けたい。そうなると、俺には説得以外の選択肢がないのである。そしてこの説得というのも厄介で、割と普段は才色兼備の優等生で通ってるユリ姉なわけだが、こと俺のことになるといろんな意味ですごいことになる。そのおかげで毎度結構な時間を消費することになるのだ。
…とはいえ、この鬼気迫るといってもいい行動力で救われたことが何度もあるのもまた事実、少しは目をつぶらねばなるまい。俺がこう考えている中で、考えなくてはならない元凶を作っている本人は炊飯器の前で俺のお茶碗にご飯を山盛りにしていた。
「うちの子が迷惑かけてすまないな。それでも仲良くしてくれてうれしいよ。」
おじさんが俺の顔を見て言う。
「い、いえ、むしろ俺の方がご迷惑ばかり…。」
「いやいや、君の父さんがユリアを作ってくれて、君が仲良くしてくれる。それに感謝せずしてどうすればいいんだ。」
そういって、おじさんとおばさんは目を細めて笑う。
俺は、ユリ姉がよそってくれた山盛りのご飯を腹の中に収める。…ユリ姉に魔力供給してるせいなのか、すっかり痩せの大食いになってしまったなぁと心の中で苦笑しつつ、俺は初めてユリ姉とあった時のことを思い出していた。
美枷の家には、もともと子供がいなかった。
ほしかったらしいのだが、とうとう生まれないまま月日が過ぎてしまったのだそうだ。
そんな時、科学者だった俺の父親---小湊 永遠博士が、精巧な人間そっくりのアンドロイドを作ることに成功する。ユリ姉は、魔力を糧に活動することのできるアンドロイドのプロトタイプであり、美枷夫妻にあてた最初で最後の一機として作られたものだった。
作られた当初のユリ姉は、…なんというのか、一言で言うなら確実に今のような感情豊かなアンドロイドではなかったように思う。見た目はともかく、最初期の自律思考学習型AIには、してはいけないこと、するべきこと、といった最低限の知識しかインプットされておらず、言ってしまえば頭脳に関して言うなら完璧に子供だったのである。そのため見た目に反して柔軟な考え方がなかなかできず、非常に苦労したんだよな。
そんなことを考えていると、正面に座ったユリ姉がこっちに向かって手を…って!!
「ちょ、何してんのユリ姉!?」
ぼーっとしてる間に何をしてくれてるのか、このお姉ちゃんは!!そう思って叫んだわけだったが、ユリ姉は気にすることなく、いつものにこにこ笑顔で言った。
「ほら、ほっぺ。お弁当ついてるよ。」
…なるほど、確かにご飯粒がついていたようだ。
これを見ていると昔のユリ姉が機械的な考えしかできなかったというのが不思議に思えてくるから本当に不思議なもんである。いや、まあ当時のユリ姉を知らん人には絶対にわかるまい。
「------ご、ごちそうさまでしたっ!!」
完全に見慣れたであろう光景になっていそうだとはいえ、いろんな意味で気恥ずかしさを感じた俺は、足早に食卓の席から離脱する。
「ほ、ほら、ユリ姉も!!早くしないと遅刻するよ!!」
「え?いつも出る時間よりかなり早いよ?」
…なんで肝心な時に正確な判断ができるんだ。
「------あー、いつもよりゆっくり学校に行きたいなー!!ユリ姉とは学年も違うわけだし、授業中離れてる分登下校でいろいろ話しておきたいなー!!楽しいだろうなー!!」
「------エル!!洗い物終わったよ!!すぐ行こう!!早く早く!!お父さん、お母さん、行ってきまーす!!」
「ちょ、ユリ姉!引っ張らないで!!痛い痛い痛いとれるとれるとれる!!い、行ってきます!!」
…こっちはカマかけただけだったというのに、あの数秒でほんとに全部終わってるし。いったいどんなことをしたんだか。
ユリ姉に引きずられながら、俺はリビングの傍らにある写真立てに---今は亡き父さんに向かって挨拶をした。
(-----行ってきます、父さん。学校から帰ったら墓参りに行くから。)
今日は父さんの命日。
帰ってきたら、いつものようにあいさつに行くのだ。
これが、これから変化する日常へつながる日の朝の風景だった。
「ねえエル、永遠おじさんのお墓参り、私も行っていい?」
学校までの道のりを歩いていると、ユリ姉がこんなことを聞いてきた。
「当然。父さんも喜ぶと思うよ。」
「ふふ、やった♪」
途端ににこにこ顔になるユリ姉。ほんとにいい笑顔だこと。なんだかんだで生みの親ってことだろうか。
「…いたか?」
「いや、まだだ…。」
「畜生、どこに行った…。」
「…ん?」
なんだろう、さっきからすごく怪しい声が…。
ふと傍らを見ると、見るからに怪しい黒服グラサンの男たちが走り回っている。
「あ」
…そのうちの一人…オールバックでサングラスという、いかにもヤバそうな人と目が合ってしまった。うわぁ、こっち来る。…俺、何もしてないよな?何、これが俗にいう「何ガンつけてやがる」ってやつなのだろうか。…てことはこの人たちヤンキーとかヤーさんとかそういう人たち…?なんて人たちと目を合わせちまったんだ俺は。
「そこの学生二人。ちょっと。」
…胸ぐらを掴まれる覚悟なんかしなくてよかったみたいだ。声色やサングラスを通してうっすらと見える目線からすると怖い人じゃないみたいだが、やっぱり俺たちかよ。
「何の用ですか?私たち、今から学校なんですけれど。」
うわぁ、ユリ姉、あんたバッサリ言うね。ていうか邪魔すんなオーラがマジでバリバリだこと。
「あぁ、嬢ちゃん、そんな怖い顔しないでくれ。ちょいと探し物をしてるだけなんだ。」
「探し物…ですか。」
「あぁ、ちょいと人を探しててな。銀色の長い髪の、君らと同じかちょっと年下くらいの女の子なんだが…。」
「長い銀髪…。ユリ姉、知ってる?」
「知らない。私たち急ぐので。失礼します。」
言い放って、すたすた歩き去るユリ姉。
「あ、ちょっとユリ姉…。す、すみません、ほんとに俺たちの知り合いにそんな女の子はいないので…。じゃあ、俺も急ぎますので…。」
「あぁ、引き留めてしまってすまなかったな。では、また機会があったら、な。」
黒服の人は飄々とした声で俺たちにそう言った後、他のみなさんと一緒にどっかに引き上げていった。
「…何だったんだ…?今の。」
さっぱりわからないまま、俺は前を歩くユリ姉に合流した。すると、
「……。」
ユリ姉は涙をいっぱい浮かべ、何かに堪えているように見えた。
俺は、ユリ姉のこの顔を知っている。どうしてなのかというのは一目で予想がついた。
「------ユリ姉、ごめんな。辛いこと思い出させちゃったかもな。」
「------え?」
涙を浮かべていたことに気が付かなかったのだろう。ユリ姉はこちらを見てきょとんとした後、
「あ…あれ?私、泣いちゃってたんだ…。ごめんねエル、心配かけちゃって。」
そうやって涙をこぼしながら笑うユリ姉に、俺はいつも何も言ってやれないのだ。
だって、こういう表情をさせてしまう原因は、俺にもあるのだ。
怒り顔と泣き顔は、俺のせいでユリ姉が一番最初に見せた表情で。
ユリ姉は、俺のせいで、前にも黒服の人たちに囲まれたことがあるのだから------
俺が生まれた頃。ユリ姉はその時期に作られた。さっきも言ったけれど、できたばかりのユリ姉は、見た目はともかく頭脳は完全に子供だった。製作者だった父さんは、「体は成長しなくとも、せめて考え方や心といった部分だけは、人と同じように学習していってほしい」という想いのもとで、あえてユリ姉に、限りなく完全に近い知識を備えたものでなく、最低限の知識のみを組み込んだ、言い方を変えれば不完全ともいえる自律思考学習型のAIを組み込んだのだそうだ。
それもあって、俺とユリ姉はいつも一緒に育つことができた。同じ時期に同じようなことに遭遇し、叱られるときは叱られて、褒められるときは褒められた。そうやって、俺やユリ姉はどんどんいろんな知識を吸収していったのだ。
だが、その中で、大変なことが起こってしまう。
俺が幼稚園にいた頃だ。クラスの友達に泣かされていた俺を偶然見て、その時に、『いじめは悪いこと。自分はエルのお姉ちゃん。お姉ちゃんは弟を守らなくてはならない』という思考ルーチンにたどり着いたらしいユリ姉は、彼らの中に飛び込んで行って、言葉通りそいつらが泣くまで殴るのをやめなかったのだ。
この事件は、当時まわりにいた人々に『アンドロイドは危険だ』と思わせるには十分な出来事で、次第に父さんとユリ姉は孤立していった。もちろん、当時はアンドロイドを取り締まる法律なんてなかったし、どちらが先に手を出したのかも明白だったので、この時はまだそれほどの事態にはならなかったといってもいい。しかし、世間の目は確実に変わっていった。誰も何も言わなくても、見ただけで避けられるようになっていったのだから。当然と言えば当然だった。頭脳は発達していなくとも、見た目は今と変わらない。ましてや人ではないときている。古今東西問わず、人というのは異物と考えたものを無意識的に排除する傾向があることを、この時俺は初めて理解したと言ってもよかった。
それ以降、俺の家には、毎日毎日、父さんに対する誹謗中傷の手紙や落書きが増えていった。その時にはもう、ユリ姉は俺を助けるために行動してくれたのだということが、いろんな情報に乗って世間にも理解が促されていたはずなのに。いや、ユリ姉の潔白が証明されたからこそ、クレーマーたちは作った本人である父さんに矛先を向けたのだろう。
当然、俺の家の家族仲も日に日に悪くなっていった。父さんと母さんは、いつも喧嘩していた。止めようとしたこともある。喧嘩は悪いことだということを、俺は子供ながらに理解していたから。しかし、何をしてもだめだった。俺の静止の声を無視して、父さんと母さんは喧嘩し続けた。俺はそれにずっと怯えていたが、どこにも行くところがなかった。いつも部屋に閉じこもって震えることしかできなかった。
何か月か経って、母さんが家出した。
俺は、前日の二人の喧嘩をよく覚えている。多分、二人は俺が眠っていると思っていたと思うのだが、俺はそれを少しだけ開いた部屋のドアから覗くようにして見ていた。あの時、母さんは本当は俺と一緒に出ていこうとしたのだ。だが、父さんが反対した。幼稚園や学校はどうなる、とか、ユリ姉がどうとか、そんな話をしていたと思う。それで、母さんはこんなことを言ったんだ。『あなたは自分の子供より自分の作品のほうが大事なのね』って。
結局、俺は家に残され、母さんは家を出ていった。父さんはそれ以来、もっと研究に躍起になっていった。朝早くから家を出て、帰ってこない日が続くこともあった。たまに夜遅くに帰ってきても、すぐ俺の実家の地下にある研究室に閉じこもり、俺と顔を合わせることもなくなっていった。喧嘩の声が聞こえなくなったことで楽になったと思ったら、今度はなんとなく寂しい日々が待っていたということになる。もちろん、隣の美枷家のおじさんとおばさんが父さんの留守中は俺の面倒を見てくれると言ってくれたこともあって、寂しいなんて言ったら贅沢なんだってこともわかっているつもりだし、俺のために毎日朝早くから夜遅くまで働きに出てるんだから、と言って自分を納得させていたのも事実だ。だが、笑顔が消えた家にいたくないと少しでも思ってしまったことも、これまた事実だった。
その数年後、誹謗中傷はぴたりと止んだ。父さんが死んだんだ。
あれから何年か経って、何日も帰ってこなかった父さんを、小学生になっていた俺は心配していた。その中での悲報だった。研究所の研究室、正確には父さんの研究室であったところで火事が起こり、鎮火した後に変わり果てた姿になっていたのを発見した、と消防隊の人は言っていた。周りの惨状を見るに、実験の最中の事故だったようだ、とのことだった。
葬式の時、参列したいろんな人------親戚や、父さんの勤めていた研究所の皆さんをはじめとした父さんの縁者が、俺に『悲しいね、気の毒にね』と言ってくれた。…でも、一緒に参列していたユリ姉に向かって、こんなことをいった人がいたんだ。
『父さんが死んだのは、ユリ姉のせいだ』って。
そうして何人かに囲まれて、ユリ姉は罵倒され続けた。ユリ姉はその時は何も言わずにうつむいていたけれど、家に帰った後にユリ姉が俺の部屋に来て、
『エル…ごめんね、私のせいで、私のせいで…。』
って、泣き疲れて寝てしまうまで、ずっとずっと俺に謝り続けたのだった。
そう、黒服---この時は喪服だったが---というのは、ユリ姉にとって、あまりいい思い出のない服なのだ。
個人的なことを言うなら、俺はユリ姉にも父さんにも、そういった意味での嫌悪感を抱いたことはない。父さんがユリ姉を作ってくれなかったら、俺の人生は間違いなく変わっていただろう。そもそも、俺はあの時何もできずにただ泣くだけだったはずだ。だから、ユリ姉に出会わせてくれた父さんには、本当に感謝している。
------だからこそ、俺は自分を許すことができないんだ。
今回だって、俺が黒服さんと目が合わなかったら、馬鹿正直に黒服さんの言うことに耳を傾けるなんてことがなかったら、ユリ姉はこんな顔をしなかったかもしれないんだ------
ユリ姉が泣きやむまで待っていよう、早めに家を出て正解だったと思いながら、俺は黒服さんの言っていたことに、少々違和感を感じていた。
あの人は、『銀髪の女の子』と言っていた。
銀色の髪、と聞いて、俺の頭には一人思いついた人があったんだ。
母さん。
俺が幼い頃に出て行ってしまった---家族を置いて出ていった人。
銀色の髪の人なんて、そういない。
でも、あの人は『女の子』と言っていた。なら母さんのはずがない。なら親戚?しかし、幼い頃にも母さんの実家や親戚の家には行ったことがない。会ったことがあるのは専ら父さんの知り合いばかりだ。住所録くらい残っていないだろうか…母さんが出て行った日に母さんに関わるものは全部父さんが捨ててた気がするから期待は薄いが…。墓参りの前に実家に寄ってみようか…。
そんなことを考え続けて、今日の授業は一日、何も耳に入ってこなかった。
その頃。
「…あの坊主…どこかで…それにあの嬢ちゃんも…。」
永流とユリアに声をかけた黒服の男が、サングラスを取って小さくつぶやいた。
男はどさくさに紛れて物陰に身を隠し、携帯電話を取り出して、流暢な英語でどこかに連絡を始める。
「俺だ。ちょいと調べてほしいことがある。今から送る映像の坊主と嬢ちゃんの身元だ。何かわかったら連絡をよこしてくれ。」
電話を切ると、男は先ほどとは違う鋭い目をして呟いた。
「…隠し通せてたつもりかもしれんが、あの坊主、銀髪の嬢ちゃんについて何か知っていそうな顔だった。…すまんが、ちょいと調べさせてもらうぜ。」
「…やっぱり見つからないか。」
実家の家探しを終え、俺は実家の玄関を出た。
案の定、母さんに関わるものは全部処分されていたようだった。
まあいい、その女の子とやらが母さんの関係者とも限らないし、そもそも日本の人口だけで一億三千万くらいいるのだ。どうせ見かけるわけない。というか五十六億七千万歩くらい譲って会っちまったとして、何を話せってんだ。向こうは俺を知らないだろうし、こっちだって知らない。はい、話せない話せない。要はこんなこと考えるだけ無駄無駄。おわかり?
そう自分に言い聞かせて形だけでも納得しつつ、俺は墓参りの準備をするために美枷家に戻った。先に帰って準備してくれていたユリ姉と一緒に家を出る。
「エル、永遠おじさんの遺品で見たいものがあるって言ってたけど、どうしたの?」
歩きながらユリ姉が聞いてくる。『ちょっと野暮用で』では済まないことはわかっているので、そういうことにしておいたのだ。
「あーうん、今日の授業で、昔読んだ父さんの論文の中に似たようなことが書いてあってさ。ちょっと久しぶりに見たくなっちゃって。アンドロイド関係のこととは関係ない内容だったから、残ってるかな、って探してたんだ。」
「そっか、エル、昔からおじさんのお部屋に入り浸ってたもんね。」
ぶっちゃけかなりの部分嘘っぱちなんだが、ユリ姉は心底信用しきった顔で俺の言葉に耳を傾けてくれる。
…実は、アンドロイド研究の権威であった父さんだが、その肝心のアンドロイドに関する研究は残されていない。研究所でもトップシークレットだったみたいだから仕方ないのだが、研究結果や論文を父さんが保管していたのは、研究所の自分の研究室、しかも本館にあった研究室とは別に与えられていた第二研究室と呼ばれるところだけだったらしい。トップシークレットなだけあってかなり厳重なところだったらしく、ほとんど父さんしか入れない開かずの間だったとかそうでないとか、当時の父さんを知る職員さんは言っていた。だから、俺は父さんのそれ以外の論文を斜め読みしてみたことはあったけど、アンドロイド関係の研究についてはよく知らない。その論文や研究結果なども、父さんが死んだ事故によって全部失われてしまったという。
実際父さんの部屋で遊んでたことは事実なんだが、ごまかすことになってしまってなんか申し訳ないな、と思いながら、俺とユリ姉は墓を管理していただいているお寺の住職さんにご挨拶をして、墓地に足を踏み入れた。
学校帰りということはいい加減夕方なわけで、少し不気味な気もするが、何年も同じくらいの時間に来ていればさすがに慣れてしまった。まあ、科学者の父親を持ってると割とその辺鈍感になったりもするのかね。わかんないけど。
「------あれ?」
「…?どうしたの?」
---うちの墓の前に、誰かいる。
女の子だ。そんなに背は高くない。
でも、この暗がりでもはっきり見える、 ツーサイドアップの髪。
その色は------銀。
待ってくれ。
ちょっと待ってくれ。
理解が追い付かない。
さっきあれだけあり得ないあり得ないって言ってた俺、嘘つけよって言いたい。
つか今朝の今だよ?いや、今朝の今なんて言い方ないだろっていう人、俺はそんくらい驚いてんの、わかって言ってんの?要は日本語おかしいとか言われてもわかんないくらい驚いてるってことなの、わかった?別にわかんなくてもいいけど。
「…あの子、もしかして、今朝あの人たちが探してた…?」
俺の視線の先にあるものをユリ姉も理解したらしく、俺とたぶん同じような気持ちで女の子を見つめている。
「…あっ。」
女の子がこちらに気づいたのか、顔をこちらに向けてくる。
「------。」
俺はたぶん、この時の顔を自分で見たとしたら、かなり間抜けな顔をしていただろう。
整った顔立ちと、大きな瞳。幼さは残っているものの、なんと表現していいものやらわからない。てか周りから言わせれば普通にかわいいと言われるだろう。
だが、次のユリ姉の言葉を聞くに、俺もユリ姉も、同じような感想を抱いたらしかった。
「------似てる---エルにも、莉香さんにも------」
莉香さん。
小湊 莉香。
それは、俺が今まで忘れようとしていた------あの日俺の前から消えた、母さんの名前だった。
「-------こんにちは。…時間としては、こんばんはなのかな?」
母さんに似た女の子は、そう言って無邪気に笑う。
俺たちは呆然としたまま、女の子の言葉を待つしかなかった。
「…あれ?日本の夕方ってこんなあいさつでしたよね…?間違ってましたか?」
「あ…こ、こんばんは…?」
ようやく出せた声はこんな間抜けなものだった。
「…あの、うちのご親戚の娘さん…でしたか?その、そこ、うちの墓なんですけど。」
…だめだ、動揺しすぎて変な聞き方しかできん。
「知っていますよ。それから、親戚ではないです。」
…それもそうだよな、そんなことを聞きたいんじゃなかった。
「じゃあ、…どなた?」
いかん、すごく怪しい聞き方になってしまった。すると、女の子はとことことこちらに近寄ってきて言う。
「…あの、つかぬことをお伺いするのですが、ここにお墓参りということは、小湊博士の…。」
「え…そう、ですけど。」
ここまで言った時、女の子の顔がぱっと明るくなった。そして、こんなことをぶっちぎってくれたのだ。
「やっと…やっと会えました…!!お兄ちゃん…!!」
…………え?
気がつくと、俺は女の子に思いっきり抱きつかれていた。
え、ほんとマジで何事!?いったい何が起こってんの!?俺は墓参りに来ててそこに女の子がいてそれが母さんにそっくりでその子がお兄ちゃんって呼んできて抱きつかれてやわらかくてすべすべしててむにゅんとしててそしてこれが女の子特有の感触でってちょっと待って何考えてんのつまりそのこれは何が何してどうなってこうなってんの!?
「……お兄ちゃん?」
「はいです。」
「誰が?」
「あなたがです。」
「君が妹?」
「はいです♪」
…はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?
ちょっと待った。
なんなのこの急展開。
妹?
俺は兄?
なんだそりゃ。
「いやあのちょっと待って、君が妹だって!?待って待って、そもそも俺妹とかいないんだけど、人違い人違い絶対人違いだって!!」
「…?そんなことないです。お兄ちゃんはお兄ちゃんで、私はお兄ちゃんの妹です。」
「妹って意味、ちゃんとわかってるんだよね?」
「お兄ちゃんから見て、年下の女の子の家族のことです。…間違ってましたか?」
「いや、だいたい合ってる…。」
なまじ合ってるもんでツッコめない。
「お母さんにお話を聞いて、いつか会いたいと思ってました。まさかこんなに早く会えるなんて♪」
ほっとくと歌いだしそうな女の子に、俺は言ってみる。
「…あのさ、俺が君の兄ってことはだ、基本的に君は俺と同じ父親か母親から生まれたってことだ。さっきお母さんとか言ってたけど…君の…その、お母さんの名前って?」
なりきりであるならこの時点でつまずくだろう。
「私のお母さんの名前は、蒼湖 莉香です。お父さんと結婚したので、一時期は小湊だったけれど。」
……答えられちゃったよ。…って、今お父さんって言った!?
「ちょっと待った、お父さんってことは、正真正銘父さんと母さんの娘ってこと!?」
「はいです。」
…マジかよ。俺そんなこと全く知らんかった・・・ってそうじゃない。ここは毅然として・・・。
「…あのさ、それ俺に信じろってこと?」
「…?信じるも何も、私たちが兄弟なのは変わらないです。」
「あのね、俺は妹がいたなんて初耳なわけね。おわかり?だから君がいきなり俺の妹だからとここで言ったとしたって俺としては全く以て信じられないわけだ。ちゅーわけで、あんまりふざけてると病院とかいろいろ行ってDNA鑑定とかしてもらうことになるよ?採血の注射とかすごく痛いよ?」
「お兄ちゃんが妹と確認してくださるなら、バッチ来いです。痛いのも我慢します。」
…ここまで言ってまったく動じてないときている。
「………ええと…そろそろいい?二人とも。」
…ユリ姉、いつまで固まってたのよ。いや、俺だってそれどこじゃなかったけど。
振り向くと、ユリ姉が目を真ん丸------くして俺たちを見ている。
「------それで…いつまで抱き合ってるの!?」
そういや忘れてた!!この状況、結構ヤバいでしょ!?なんで俺ユリ姉がいたことすっかり忘れてたの!?とりあえず引きはがしにかからねば…!!
「と、とりあえず妹云々はいいから、とりあえず離れて…。」
「にゃ!?やですー!!お兄ちゃんとせっかく会えたのに!!やーでーすー!!」
…はがれてくれねぇ。けっこう力入れてはがしにかかってんだけど。かと言って魔法を使おうものならけがとかさせかねないし…!!
「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!はーなーしーなーさーいー!!私のエルから離れなさい------!!」
やばい、ユリ姉がキレた。こっちに近づいてくる。こりゃ服の一着や二着は駄目になることを覚悟しなくては…。
そんなことを思った時。
「やーーーーでーーーーすーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
女の子が叫んだ瞬間------墓地のど真ん中で大爆発が起こった。
つーわけで、みんなまとめて美枷家に帰ってきた。
爆発ですっ飛んだ墓石とかは住職さんがすっ飛んでくる前に全部元に戻しましたとも。あーよかった、俺が創造やら修復やらの魔法が得意で。…まあそのおかげで墓参りどころじゃなかったけどさ。俺はとっさに魔法でユリ姉を爆発から庇ったり直すのに躍起にならざるを得なくてクタクタだし、直し終わったら終わったで飛んできた住職さんには何があったかすげえ聞かれるし…。本当によかった、住職さんが優しい人で。『墓石の裏にあった箱が突然爆発しまして~・・・魔法で爆発を抑えられなかったらどうなっていたかわかんないですよ~、一応元通りに直しときましたんで~』なんていうその場で考えたとんちんかんにも嘘っぱちにも程がある言葉を快く信じてくれただけでなく、けががなくて本当によかった、まったく誰だこんな悪戯をしたのは、なんて言ってくれたもので、ちょっと罪悪感が芽生えたのはおそらく気のせいではあるまい。…住職さん、他の檀家のみなさん、そして墓地に眠るみなさん、いろんな意味でお騒がせしてマジすんませんでした。
「…?お兄ちゃん、どうして違うおうちに来たんですか?このおっぱいさんのおうちですか?」
「今はこっちに住んでんの。あとユリ姉をそんな風に呼ばない。」
…実際ユリ姉のはマジででかいから呼びたくなる気持ちはわかるけど。サイズいくつなんだよほんと。
「それはそうと、この人は何者なのですか?」
「ちょっと、あなたがそれを言うの?いきなり妹とか言って私のエルにちょっかい出したくせに。」
「だから、お兄ちゃんの妹と言ってるじゃないですか。」
「それを言うなら私だってお姉ちゃんだもん!!」
「あーーーーー、はいはい、とりあえずややこしくなるからそこの論争は後で。とりあえず自己紹介な。俺は小湊 永流。」
「…エルがそう言うなら…。美枷 ユリアです。」
「…美枷…?」
女の子が怪訝な顔でユリ姉と家の表札を見比べる。そして、「------なるほど。」と言ってから、何事もなかったかのように話し始めた。
「蒼湖 友莉奈です。」
「む。」
あ、ユリ姉が露骨にやな顔を。まさか、名前の読みが1文字違いだからとかそういうこと?
「ユリアさん…お父さんが作ったアンドロイドですね。」
どうやらそこは知っていたようだ。まあ十中八九母さんが教えたんだろうけど。
「そうよ、エルのお姉ちゃんとして育ってきた。だからあなたがエルの妹っていうことなら、私の妹っていうことにもなるわ。」
言い放ったねーユリ姉。なんちゅートンデモ思考の持ち主だこと。
「------お兄ちゃん、この人頭大丈夫ですか?」
うん、君もかわいい顔してはっきり言う子だね。自称妹よ。地雷を踏むのが得意ともいうけどね。
「な…何ですって----------------!?」
「だって、おかしいじゃないですか。私はお兄ちゃんと血のつながった兄妹です。なのになんでお父さんの作品に対してお姉ちゃんと言う必要があるんですか?」
作品て。
初っ端からユリ姉を一個人として認識してないのかよ。
…え--------------と。
「その…友莉奈ちゃん…だっけ?」
「友莉奈。」
「へ?」
「お兄ちゃんなのに、妹に敬称を使うのはおかしいです。」
…納得。
「…じゃあ友莉奈、さっきからやたらとユリ姉を目の敵にしてるみたいだけど…。俺たちさっき会ったばっかなのに、なんでなのか聞いていい?」
女の子------友莉奈は、考える間もなく言い放った。
「------だって、私から家族を奪ったのは、この人っていうことじゃないですか。」
想像した通りの言葉が返ってきてしまった。
正直、今一番聞きたくない言葉だった。朝あんなことがあって、ユリ姉も傷ついているはずなのに。
友莉奈の言葉は続く。
「本当に、お父さんはどうしてこんなものを作ってしまったんでしょう?作らなかったら家族は幸せだったはず。…お母さんだって…。」
ここまで言って、はっとして口を閉ざす友莉奈。でも、俺は聞かれて都合の悪いところまで聞いてしまっていた。
「…母さんに、何かあったのか?」
「………。」
「答えてくれ。俺が君の兄で、同じ母さんから生まれた実の兄妹だっていうなら、俺にも聞く権利があるはずだ。…それとも、今までのうのうと生きてきた兄には言えないこと?」
友莉奈は少し押し黙っていたが、やがて諦めたように口を開く。
「…わかりました。お話しします。」
「ちょっと待って。」
今まで黙っていたユリ姉が口を開いた。
「私も聞きたい。ううん、聞いておかなくちゃいけない。あなたが、私によって家族を失ったというならなおさら。どんな罵倒の言葉になったっていい。それで気が済むならそうして。でも絶対に聞かせないなんてことは嫌。」
「どうしてですか?あなたには関係ないでしょう?」
「関係なくないよ------」
ユリ姉ははっきりと口にした。
「私はエルのお姉ちゃんで、あなたのお姉ちゃんでもあるんだから。」
あの時と同じだ。
ユリ姉は自分がいくら傷つくか計り知れないというのに、それが自分の責任とばかりに、してしまった過ちと一生懸命に向き合おうとしている。友莉奈もそこを理解したのか、諦めたように言った。
「…わかりました。そのおめでたい頭に免じて、ユリアさんにもお話しします。」
その時、家のドアが開いた。
「ユリアちゃん、エルちゃん、帰ってるの?・・・あら?お客さんかしら?」
おばさんだ。…そういえば、帰ってくるところで友莉奈について何か話を合わせるとか決めておけばよかった。
「あ、お母さん、ただいま。」
「ただいま帰りました。」
「…えと…。こんばんは…。」
三者三様のあいさつ。
「二人がお客さんを連れてくるなんて珍しいわねぇ。」
「あぁ、実は------」
俺が適当に言葉を見繕おうとした時。
「…は、はじめまして!!お兄ちゃんの生き別れの妹で、友莉奈と申しましゅっ!!」
…自己紹介、よくできたね、わが妹よ。…最後盛大に噛んでるけど。
…で、俺たち三人は仲良く(かどうかは知らないけど)食卓を囲んでいた。おじさんが来客用の椅子を、おばさんが予備の食器を出してきて、友莉奈の前に置いてやる。
「えと…。ありがとうございます…?」
どうやら、いまだに状況が理解できていないらしい。まあ当然だよね。おばさんはあのいきなりの自己紹介にもまったく動じることなく、
「そうなのー。エルちゃんの妹さんなのねー。こんなところで立ち話もなんだから、入って入って。お夕飯まだでしょ。」
…てな感じで、あれよあれよという間に俺たちを家の中に引っ張り込んだのだ。
「まさか、エルちゃんにこんなにかわいい妹さんがいたなんて。」
「…俺も今日知ったんですけどね、墓参りに行ったら偶然…。」
「まあまあまあ、そうだったの!!運命を感じるわねぇ。」
…おばさんのテンション、高すぎない?友莉奈は友莉奈で「か…かわいい…。運命…。にゃふふ…♪」とか言って真っ赤になってるし、ユリ姉はそれを見てほっぺたふくらましてるし、おじさんはにこにこしながら次に何が来るか見てるだけっぽいし…。
「…はぁ。」
俺はため息をつきながら味噌汁をすすった。うん、今日も塩加減と出汁の取り方が絶妙だ。うまい。
「それはそうと、友莉奈ちゃん、お母さんは元気?」
…俺たちが聞こうとしてたことをおばさんが代弁してしまった。俺たちにも渋って言おうとしなかったことだったってのに。…地雷にならないか…?
そう思ったのも束の間、友莉奈はこれまた諦めたように話し出した。
「…お母さんは…もういないんです。私を食べさせるためにたくさん働いて、お仕事に行ったきり戻ってこなくて------その後、お母さんの親戚っていう人に引き取られて、その後アメリカに行くことになって…もう1年になります。」
…やっぱりそうだったか。
「…それで…親戚の人って…俺たちの知ってる人?」
「いいえ、お母さんのおうちから出た方ということは聞いているのですが。」
「…それで、どうしてエルの家のお墓の前にいたの?」
ユリ姉が完全に喧嘩腰で言う。
「よく考えてみてよ。莉香さんはエルもおじさんも捨てて出て行ったのよ?なのにどうして今になって?」
「お父さんのお墓参りをするのはいけないことなのですか?」
友莉奈が、その言葉にまったく動じることなく言う。
「ユリアさん、あなたこそよく考えてください。私は正真正銘、お父さんとお母さんの娘で、お兄ちゃんの妹なんです。離れてしまったかもしれないけれど、少なくとも私はお兄ちゃんの妹であることを誇りに思っています。お兄ちゃんと家族になりたいと思っています。…それともお父さんの作ったあなたのAIは、こんな単純な思考と行動すら理解できないほど稚拙なものなのですか?…それだから、あなたはお父さんとお母さんが別れてしまうようなことを引き起こしてしまったのではないのですか?」
…やっぱりだ。
この子は------ユリ姉を恨んでいる。
たぶん、友莉奈は母さんに本当に可愛がられて、愛されて育ったのだろう。…だが、父さんと母さんが別れてしまった理由…自分の父親がいないという理由を知りたいと思ったことだってあったはずだ。…出て行った時の剣幕を考えるに、母さんだって父さんにはいい印象を抱いていたとは思えない。母さんの恨みつらみが、そのまま娘である友莉奈に受け継がれていても、まったくおかしくない。
「…あぁ、そういえば、友莉奈ちゃんは、今日はどこか泊まるところは決まっているのかな?」
おじさんが、空気を入れ替えるかのように言った。さっきまでの殺気をぱっと消して、友莉奈が言う。
「…?お兄ちゃんのおうちですが。」
「友莉奈ちゃん、せっかくだから、こっちのおうちに一緒に暮らしたらどうかしら?」
え?
おばさん、今なんてったの?
「お、お母さん!?」
ユリ姉がそりゃあもう驚いておばさんに詰め寄る。
「え?ユリアちゃん、私何か変なこと言った?」
「現在進行形で言ってるじゃない!!見ず知らずの女の子を何の警戒もしないでいきなりおうちに入れてご飯を一緒に食べてるだけでもおかしいのに!!」
「だって、エルちゃんの妹さんだって言うし。空き部屋だってあるんだし。エルちゃんもこっちに暮らしてるんだから、一緒のほうがいいじゃない。」
「それはそうなんだけど!!でもでも、何かあってからじゃ遅いのよ!?認めたくないけど確かにこの子すっごくかわいいし!!でもそれでエルが変な気を起こしちゃったらどうするの!?」
「ユリ姉!?変な気って何!?いったいどんな想像を脳内でぶちかましてんの!?」
「お兄ちゃんと暮らせるのですか!?…お兄ちゃんとなら、何があってもいいです!!ケダモノさんになって襲いかかってこられてもいいです…。」
「ほらぁ!!だからこうなると思ったんだってば!!許しません!!お姉ちゃんはそんなこと許しませ--------------ん!!エルとイチャイチャしていいのは私だけだも------ん!!」
「ちょっと!?二人とも論点がおかしくない!?住む住まないの話からなんでそんなにぶっ飛んだ話になっちゃうの!?それとも俺の頭がおかしいの!?二人が話してることの方が正常なの!?誰か教えてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
「ふふ、ここに来てモテ期到来だな、永流君。」
のんきに微笑みながら言うおじさん。
…にこにこしてないで、どうにかしてくださいよ、この状況を。
「…はぁ…疲れた…。」
ベッドにぶっ倒れて言う俺。
そりゃそうでしょ?あれからどのくらいの時間が経ったのか、俺の両腕をつかんで引っ張り合いをしていた二人をようやく振り切って部屋に逃げ帰ってきたもんで、さて、どうやってこれから過ごそうと考えているところだ。
「…どうすりゃいいんだよ、ほんと…。」
とりあえず、いろんなことがありすぎた。
変な夢に、ユリ姉の涙に、自称妹との邂逅。
日常ががらりと変わったわけではないが、とりあえず今すぐに俺が真っ先に考えなくてはならんのは------
「エルーーーーー!!一緒にお風呂入ろーーーーーーーーーー!!」
「お兄ちゃーーーーーーーん!!ここで騒いでいらっしゃるユリアさんは放っておいて、私とお風呂行きましょうーーーーーーーーー!!」
「……………。」
おい。待てや姉と妹。
これ以上同一の日にちにラブコメかギャルゲの主人公じみたフラグを立てろと言うのか。
16ビートを刻み続けるドア。
…反応したくない。鍵も開けたくない。
「…エルがまたまた開けてくれないならいいもん。また壊して入っちゃうもん!!」
「…壊していいなら、爆発させてもいいのですね?」
「二人ともそれだけはやめてぇーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
…しまった。つい反応を返してしまった。いやだってそりゃそうでしょ!?ユリ姉思いっきし前科あるんだもの!!それに爆発って…あ、そういえば忘れたくて頭の片隅で忘却の彼方にぶちかまそうとしていたことがあったんだった。
…仕方ない、心を決めよう。
俺は鍵を開けて、二人に中に入るように促そうとして---------------
「二人とも、とりあえ----------------どぅっ!?」
鍵が開いた瞬間、俺はいきなり開いたドアから覗いた二つの影によって、鳩尾に強打をくらってふっ飛ばされた。机の角に後頭部が激突してめっちゃ痛いんだが、それよりなにより鳩尾にくらったボディブローのおかげでまともに声も出せん、息もできん。それを考えると、後頭部の痛さとかもう関係なくなってくるから不思議だ。これ頭からダバダバ出血とかしてても全然気づかないくらいなんじゃねぇの?
「ねえエル!!早く早く!!お着替え持ってお風呂行こ!!あー!!友莉奈ちゃん、何さりげなくエルの左手に抱きついてるの!?」
「ユリアさんこそ、どうしてお兄ちゃんの左手に抱きついてるのですか?早く離れてください。…それともなんですか、おっぱいおっきいのを自慢でもしたいんですか?それは私に対する挑戦なのですか…?」
「え…そ、そういうわけじゃないけど…なんかごめんね…じゃなくて!!それを言うなら友莉奈ちゃんだって私より体型のバランスはいいじゃない、悔しいことに!!認めたくないけど、あのおばさんの血をしっかり受け継いでるじゃない!!」
「当然です。お母さんは私の憧れですから。」
「あ!!開き直ったー!!」
「今さら気づいても遅いです。それに私はまだ成長途中です。きっとお母さんくらいおっきなおっぱいになるんです。対してユリアさん、あなたは成長とは無縁です。いつか私におっぱいの大きさまで抜かれてハンカチ噛みながら泣くといいんです!!」
「むっ…友莉奈ちゃん、お姉ちゃんがいいこと教えてあげる。女の子の成長期は男の子の成長期より早く来て早く終わるの。友莉奈ちゃん、今中等部生くらいでしょ?見た目的にもうそれは過ぎたと思うんだけど?」
「うっ…そ、そんなことないです!!私にはお母さんの血が流れているんです!!」
「…えーーーーーーーーと…とりあえずどっからツッコめばいいの?」
二人がしっかり睨み合ってるうちに苦しさも痛みもどっかのお山に飛んでってしまったようだ。
とりあえずこの二人は何をしに来たんだっけ…じゃなくて。
「二人とも、とりあえず話があるからこっち集合。」
俺はひとまず二人を両腕から引っぺがして、さっき言いそびれたことを言う。
「なになにエル!?もしかしてお姉ちゃんとお風呂入ってくれる気になったの!?」
「お兄ちゃん、違いますよね!?私となのですよね!?」
「二人とも違うわ!!なんでそんなことになんの!?」
頭痛くなってきた。
俺は頭を抱えながら、ユリ姉と友莉奈に言う。
「…とりあえずだ、ちょっと二人と共有したいことがあっただけ。友莉奈、父さんの墓の前で起こったあの爆発…もしかして、お前も魔法使いなのか?」
そう、ずっと思っていた。
友莉奈が叫んだ時に、友莉奈を中心に起こった爆発。とっさに俺やユリ姉が身を守るために動いていなかったら、俺たちもまた、あの時爆発に巻き込まれた墓石たちのように木端微塵になってふっ飛んでいたことだろう。友莉奈の持ち物は少なくとも手元にはない。だが、外国にいたみたいなことを言っていた上にうちに泊まるなんて言っていたのだから、手元にないというのはどう考えてもおかしい。
考えられるのは、魔法で自分の荷物を収納しているという可能性。
友莉奈は少し迷ってから、首を縦に振る。やっぱりか。
それならば、荷物を持っていない理由も、あの爆発も説明がつく。だが------
「…あの威力、尋常じゃなかった…。」
そう。とりあえず頑張って住職さんには隠し通したとはいえ、友莉奈の発生させたあの爆発は、少なくとも俺の知る限りではあるが、並みの魔法使いが使うことのできる規模を遥かに超えていたのだった。
普通に火をつけたりする魔法であれば、正直なところ魔力を持つ人間であれば、得手不得手関係なく訓練を積めば誰でもできる。しかし、あれだけ広い墓地の大半をふっ飛ばす規模の爆発を生み出すなど、俺は聞いたこともない。
まさか----------------
「友莉奈・・・お前も、『特異魔力保持者』なのか・・・?」
『特異魔力保持者』。
実は、全世界でこう呼ばれるべきであるのは、今のところ俺しかいないらしい。
俺は昔、魔力測定で意味のわからない数字の魔力量を叩きだした。世界初、今のところ量だけで言えば誰にも負けない数字。
魔法使いの使う魔法の効果の大きさは、基本的に保持している魔力の総量によって決まる。だが、基本的にその総量というのはほぼ一定であり、成長による増減や得意不得意こそあれ、魔法の力で優越がつくことはほとんどない。
だが、俺は違う。
さきほど言ったように、魔法には人によって得手不得手が存在する。俺で言えば、さっき墓地でやったみたいに一瞬で壊れた墓石全部を元に戻したり、その辺にあるものを別の物体に形を作り変えたりする魔法が得意だが、普通の人だと一瞬で全部を元に戻すなんてことはできない。せいぜい一個ずつ時間をかけてちまちまやっていってようやくできるくらいのものだ。
極めつけが、俺はユリ姉に魔力を供給しているが、これがまた結構な魔力を消費している。それこそ、並みの魔法使いであればたちまちすべての魔力を吸い尽くされ、死なないまでも数日はまともに動けなくなってしまうくらいの量を、毎日、なおかつ生まれてすぐあたりからずっとだ。
それにも関わらず、俺の魔力は尽きるどころか一晩寝ればすぐに回復し、毎日の生活も全く支障がない。確かに消耗が激しいと思う時はあるものの、結局は一時的なもの。通常ではありえない、量的にも回復速度から見ても無尽蔵とも言える魔力の持ち主である俺を見て、いろんな人が------それこそ、ご近所さんから偉い先生に至るまで、本当にいろんな人が、俺を『特異魔力保持者』と呼ぶようになった。
俺は、今通ってる学校--――--水織学園魔法学科に所属している。実は、俺は返還の必要のない奨学金を学校からもらって通えているのだが、なぜかと言えば理由は至って単純で、学科の教授連中の研究が揃いも揃って俺の魔力についてだったからだ。なんで俺がこんなにも多量の魔力を持ってしまっているのか、なぜ他の人間には備わっていないのか、魔力を成長以外の方法で増やすことは可能ではないのか。まあとりあえず、学費タダでいいからとにかくたくさんの研究に付き合わされてね、ってことだったらしい。…まあ、最初…中等部の時はマジでいろんなことさせられたが、今は普通に学校生活してるだけだ。それもそのはず、中等部に入学して高等部に至る中で今年で5年くらい経つが、解明できたことがあったなんてこと全然聞かないわ、全然わからんと匙を投げる教授連中が続出するわ、かと言ってその条件で学校側が呼んだ上、ユリ姉程ではないにせよ俺も人並みにいい成績を取っていて、おまけに別に問題だって起こしていないために、やめさせるわけにも残りの学費を要求するわけにもいかず…という感じで、特待生と言えど普通に過ごせている、というわけだ。まあ、俺としても今のところ世界最高峰の魔法の研究機関で勉強できてるし、授業も面白いから、ギブアンドテイクとしては成立しているどころかこっちの分がよすぎるんじゃないかと思っているので別にいいんだが。まったく、ありがたいことで。…ほんと、父さんはどんな頭脳の持ち主だったのかってことが驚きを通り越して半分ため息しか出ない。なにせその辺の著名な先生方でも頭を抱える代物をユリ姉の動力にして成功しちゃうんだから。魔力だって、当時は知られたばかりのエネルギー資源だったのだから、これを使おうと思った父さんは間違いなく先進的かつ現代最高の科学者であったことは間違いない。
それはいいとしよう。しかし、『特異魔力保持者』が二人になったのだとしたら、これこそ世界の魔法の常識はこれまた大きくひっくり返る。しかも俺の身内ともなればなおさらだ。これが公になったとしたらどんなことになることやら…。
「…いれぎゅらーけーす…?」
…前言撤回。友莉奈は自分の魔法の力がどれほどのものなのかまったくわかっていないようだ。
「…魔力量、測ったこととかない?」
「…?測る…ですか?やったことないです…。」
「…いや、まあわかんないならいい…。」
これ以上は何の情報も得られなかったので、俺は話を切り替える。
「そういえば、友莉奈って、一年前に母さんがいなくなって、どんなふうに過ごしてきたんだ?…あぁ、別に話したくないってことならいいんだけど。」
「え…?」
友莉奈が一瞬固まる。…しまった、やっぱ話したくないことだったか?
「 あ…ええと…お話ししたくないわけじゃなくて…その…お兄ちゃんに興味を持っていただけたのが嬉しくて…。」
「む…。」
笑顔を浮かべる友莉奈と、頬を膨らませるユリ姉。…さっきも同じことあったやないかいと思わずエセ関西弁あたりを使って言いたくなるが、ここは我慢しておこう。余計な詮索かもしれんけど、それでも俺は聞いておきたい。さっきも言ったけど、俺と別れた後の母さんがどんな風に過ごしてたのか、母さんが亡くなってから、友莉奈が果たしてどんなことをしてきたのか。それが純粋に知りたかった。
「ええと、どこからお話ししたらいいのかな…。お母さんがいなくなって何日かして、お母さんの遠い親戚という男の人が来たんです。その人に引き取られました。私はお母さんはどこに行ったのか聞きました。でも、わからないと言われました。親戚の方がどうしてと思ったのですが、お母さんから、私をお願い、と電話があったみたいで。」
------母さんの親戚?
俺は友莉奈にその人の顔立ちや名前を聞いてみたものの、少なくとも俺の記憶には合致しない人であることは確かだった。
「…ねえ、それって本当におばさんのご親戚なの?」
ユリ姉が言う。
「おかしいじゃない、エルにもわからないおばさんのご親戚なんて。それとも、エルの知らないご親戚がいるとでも言うの?ご親戚なら、ご祝儀や年賀状送って来てるみたいだし、エルが名前を知らないはずないわ。」
「ユリアさん、あなたには言っていません。」
途端に喧嘩腰になる友莉奈。
「何なんですか、さっきから言いがかりも甚だしいです。親戚といえども離れたらそのまま疎遠になることなんて普通のことじゃありませんか。実際にお母さんからお電話があったと言っていたんです。私のおうちには電話がありませんでした。だからお母さんもおうちに連絡しないで、ご親戚に電話をしたんでしょう。それに、お父さんとはもうお別れした後だったのですから、お兄ちゃんのおうちにそんなものが届くと断言すること自体おかしいです。そのくらいのことがどうしてわからないんですか?」
「私は当然の疑問を投げかけただけよ。逆にどうして友莉奈ちゃんはそんな風に曲解できるの?私にはそこがわからない。」
「いいです。ユリアさんにわかってもらおうなんて最初から思っていないのですから。」
「…はいはい、とりあえず話がややこしくなるからそこで東西冷戦はやめて。とりあえず、続きを教えてくれないか。」
ほっとくとすぐ睨みを利かせあう二人を静止して、俺は言った。それを聞いて、友莉奈が続ける。
「ええと…それで、その人はとってもいい人で、お母さんを探すのも手伝ってくれて、アメリカにいるという情報があった時にも、すぐに一緒に行ってくれて…。でも、お母さんは過労でもう亡くなった後で…。」
じわっ、と、友莉奈の目に涙が浮かぶ。
無理もない。俺の好奇心で、癒えているはずのない心にまた傷を負わせてしまうことを言わせてしまったのだから。
「…ごめんな、嫌なこと思い出させて。」
「------私もごめん、そんなこと知らずに…。」
友莉奈にユリ姉が手を伸ばした時-------
ばしっ!!
友莉奈が、ユリ姉の手を払いのけた。
「------さわらないでください・・・。」
「おい、友莉奈------」
俺が言った時。
「いいの、エル。」
ユリ姉が言った。
「でも------」
「わかってる。エルが言いたいこと。ありがとね、私のこと心配してくれて。でもね、これでいいの。…だって、友莉奈ちゃんを苦しめるきっかけになったのは---私だっていうことが明確にわかったから。だから…これでいいの…。」
俺は、ユリ姉の悲壮なまでの覚悟に、何も言えない。
どうして、俺はこんな無責任なことを聞いてしまうんだ。
帰り際のユリ姉の言葉を忘れたのか?
今聞いたことを聞けば、友莉奈だけでは飽き足らず、ユリ姉も傷つけることになりかねないと、どうして気がつかなかったんだ?
悶々としても、俺の中の気持ちは晴れていくことはない。俺が黙っていると、
「---------ユリアさん、あなたにはわからないです。お父さんはいなくて、お兄ちゃんには今まで会ったこともなくて、ずっと学校にも行けなくて、お友達もできなくて、おうちで一人でお留守番ばかりで----最後まで一緒にいてくれたお母さんはもういなくて---ずっとお兄ちゃんと一緒で、ご家族もいて、幸せだったユリアさんには---こんな辛さはわからないです!!なのに何ですか、いきなりお姉ちゃんなんて言おうとしたり、文句を言ってきたと思えば急に優しくなったり…そんなことをして、お母さんが帰ってくるんですか…今までの時間が戻ってくるんですか!!」
友莉奈は半ば勢いのままに叫んで、そのまま部屋を出て行った。おじさんとおばさんに当てがわれた部屋に戻ったのだろう。
「…ごめんね、エル。私もお部屋に戻るね。」
続いて、ユリ姉が部屋を出て行く。
…俺は、なんてことをしてしまったんだ、と、また自分の中で呟くしかなかった。
結局、一緒に風呂の話題から話は逸れたが、それよりも後味が悪いことは確かだった。
(another view“Yurina”)
大きな音を立てて、ドアを閉める。
「----------はぁ…はぁ…。」
友莉奈は、閉めたドアに背中をつけて、荒い息をついていた。
「はぁ…はぁ…っ------」
息を整えようと呼吸を繰り返す度に、瞼から大粒の涙が零れ落ちる。
はじめて自分の言ったことに耳を傾けてくれた、今日まで顔も知らなかった兄。
純粋に、私のことを知りたいと言ってくれた時、嬉しかった。本当に嬉しかった。
本当ならば、あのまま兄の胸に飛び込んで、声を上げて泣きたかった。
でも、だめだ。
あの場には------かつて父と母の仲を引き裂くきっかけになった者がいた。
あんなものの前で------そもそも人ですらない者の前で、泣くわけにはいかなかった。
あれには、私の気持ちはわからない。
だって、アンドロイドだから。機械だから。
ただの機械なんぞに------ゼロと一の概念でしかないものに、人の心がわかってたまるか。
あれの喜怒哀楽は、所詮プログラムに過ぎないはず。
あの兄に対する態度やスキンシップだって、姉と弟ということを認識しているだけの仕草なのだ。
そこには、きっと愛情などないのだから--------------