リンガーと謎の声と
夕暮れ時、予約の取れた宿屋の一室。一部屋しか予約が出来なかったためゼロとイヴは二人で一つの部屋に泊まることになった。
「『紅い男』か」
ゼロはあまり気にも留めずに独り言のように言いながら自分の荷物を漁っている。反対にイヴのほうはベッドの上で枕を抱きながら少しだけ緊張しているようだった。
何か話していないと気まずいと思ったイヴは先程の独り言に返事をしてみる。
「何か思い出したの?」
「確か持ってきたはずだけど」
「何か探しモノ?」
イヴが寄っていくと突然、しまったと大きな声を上げて立ち上がった。イヴは驚き、身を縮めながら聞く。
「何か忘れたの?」
「『七色の道化師』に関する書物を忘れた」
頭を抱えたゼロの目線は、気持ちよさそうに眠っているジブリールに向けた。
「おい、起きろ!」
ジブリールを天高く持ち上げゆすり起こそうとするゼロ。
「なんだよ、人が気持ちよさそうに寝ているのに」
人かどうかは分からないが、とにかく機嫌が悪そうだった。
「『七輪の書』を忘れた。取りに行ってくれるか?」
「ヤダね」
頭ごなしに否定するジブリール。ゼロの言い分など絶対に聞かないという姿勢を示している。しかし、ゼロは絶対に引こうとはしない。
「無事に持ってきたら、イヴと一緒に風呂に入れてやる」
その言葉を聞いて、ジブリールの様子が変わった。ゼロの腕を振り解き、肩に乗る。
「その話、本当だろうな?」
「あぁ、約束する」
その言葉を聞いたジブリールは肩から降りると窓を開け、羽を広げる。
「いつもの場所においてあるんだろ?」
「そうだ、なるべく早くな」
ジブリールは当たり前だ、と言って飛んでいった。
夜も深まり、すっかり辺りが闇の染まりきった頃になるとゼロはイヴと二人でベランダに出ていた。風が心地よく吹いており、時折顔に当たる風が気持ちよかった。ゼロはタバコを吸い、空を見上げていた。
「風が気持ち良いね」
「そうだな」
イヴの言葉に何気なく答えたゼロ。イヴはまだ緊張しているのかゼロを直視できず会話をしようと必死で言葉を探す。ただ、今更話すことはなく沈黙が続いてしまう。ゼロは考え事をしているのか、空を見るばかりでイヴのことなど眼中にもない様子だった。
「ん?」
ゼロはあるモノに目に入った。この街の中心に位置する時計塔だった。その時計塔の天辺、男が座っていた。その男は立ち上がり周りを見始めた。
風が強く吹いたとき、その、天辺にいる男から何かが大きく揺れていた。それはマントのように見えた。その直後に、その男は大きく上へと飛び上がった。ゼロはその男を目で追った。すると、男は大きな魔方陣を時計塔に向けて作り出した。その魔方陣が何かを判断したとき、すでに遅かった。大きな光が時計塔を包み込み激しい爆音と共に時計塔が燃え上がった。
焦げ臭い匂いが伝わってくる。時計塔は支柱を残し、飛び散った破片から火の手が広がっていく。人々の悲鳴が徐々に聞こえ始めてくる。気付けば、都市は火に包まれていた。
空では腹を抱え、笑い込んでいるこの惨事の犯人がいた。ゼロは何の躊躇いもなくそこへ飛んでいく。ゼロに気付いたのか、男は笑いを止め、ゼロのほうを見る。ゼロは男を見て一つ気付いた。
「『紅い男』というのはお前か?」
小柄な体格をしている男だった。顔もまだ幼く、成人には見えなかった。服装は上から下まで赤一色。そして、真紅のマント。直感で理解していた。
「まぁね、本名はリンガー・ノイット」
「何をしているのか解っているのか、お前は」
「楽しいだろ?人々の泣き喚く顔を見るのはよ」
ゼロはその言葉を聞くなり殴りかかった。拳は空を切り、紙一重で男はかわしていた。
「危ない、危ない。けどね、たとえアンタと戦っても、俺は絶対に負けないよ」
その言葉を聞いたゼロは拳を収め、ある質問をした。
「たいした自信だな。よほどの間抜けか」
「アンタ、ゼロだろ。それぐらい知っている」
ゼロ自身、奇妙な感じがした。自分のことを知っているのに闘いを挑んでくる奴は誰一人としていなかった。
「アンタを倒せる力。俺にはあるからね」
リンガーはゼロに向かって真っ赤に染まった両手の掌をゆっくりと広げた。リンガーの掌から魔方陣が現れた。それが何かをゼロが知った時には遅かった。すでにその魔方陣の能力がゼロの動きを封じていた。
「じゃあな、優れた魔術師さん」
詠唱とともにゼロを中心とした爆発が起こる。ゼロはそのまま燃え上がった街の中へと落ちていった。リンガーはそれをゆっくりと見続けていた。頬を少しだけ緩ませながら。
燃え上がる街に人の気配はしない。逃げ遅れた人々はいないようである。イヴは無事に非難することはできただろうか。ゼロは自分のことよりもイヴのことが心配だった。しかしゼロは、地面に倒れこんだまま動かなかった。赤色の魔方陣。確かに炎熱系の魔方陣であるが、ゼロはあの魔法陣を見たことがなかった。全ての魔法に精通している自分が知らない魔法。明らかにこの世のものとは異質のものであった。あの魔法陣の正体が分かるまでは下手に動かない方が良いとゼロは判断した。
一方、未だ上空に浮いたままのリンガーは打ち震えていた。ファンタジアの英雄に、自分が攻撃を与えることが出来たことに驚いていた。やはり、この力は無敵だ。この力があれば、もはや自分に敵はいない。自然と笑みがこぼれた。
高揚感に浸っているリンガーの横を強風が通り抜けた。リンガーはそれに対し何も思わなかった。ただ、リンガーの背後からある声が聞こえた。
「下ヲ見テミロ」
言われる通りに下を見てみる。ゼロが立っていた。そして、こちらを見ているようだ。あまり負傷しているようにも見えなかった。やはり、この程度では倒せる相手ではない。
「なるほど、さすがは英雄だ」
リンガーはゼロの方へ向かおうとした。その時、またしても同じ声が聞こえた。
「ソッチデハナイ。今度ハ、後ロダ」
リンガーはその言葉で後ろに振り返った。そこには緑色の宝石が空を漂っていた。
「何だこれ」
リンガーは警戒をせず、躊躇なく宝石に触れようとしていた。しかし、声はリンガーよりも早く宝石の正体に気付き、注意を促す
「ソレニ触ルナ」
その瞬間、緑色の宝石から魔方陣が現れる。この宝石は魔力を帯びており、術者の詠唱により魔方陣を発現させる「飛宝石」であった。術者が遠くにいても魔方陣を発現させることが出来る。
「フェトール・サンタナ」
巨大な暴風が現れリンガーを襲う。避けるこの出来ないリンガーは地面へ吹き飛ばされる。ゼロは地面へと一直線に向かうリンガーを見ていると、リンガーの周りに何かが纏わり付いているのに気付いた。目を凝らして見てみると、人の腕のようなものが見えた。
「アイツには何かが取り憑いている。かなりヤバイ感じだ」
ゼロは、自分が見たのは間違いでないと確信した。