第九話
久しぶりの女子のランチ会。
私は真中さんに誘われて気分が上がっていた。
真中さんの他に、真中さんと同じ研究室の女子学生やお友達も一緒で、総勢6人くらいになった。ちょっとした大所帯だ。
カフェテリアの日当たりのよい一角を陣取り、和やかに取り留めのないことを話しながらランチが始まった。
駅前に最近できたビルに入ってるお店とか、路地裏にあるお洒落なカフェとか。そんなこと。
変わらず華やかな話題が多くて、流行に疎い私はふんふんと黙って聞いていた。
「そういえば、室町教授のところに新しく来られた藤堂准教授はどんな方ですか?」
真中さんが言うと、テーブルに座っている全員の視線が私の方に向いた。
初めてここに出勤した時に誘われたランチ会以来の緊張感に私はビクッとした。
「藤堂…准教授はとても紳士な方ですよ。」
危ないわ。つい癖で和磨さんとか、藤堂さんとか言いそうになる。
私は当たり障りのない回答をした。
ここで個人情報を流したが最後、研究所中に広まってしまうから。
それは和磨さんにとっても本意ではないと思うし。
「そうみたいですね。とっても素敵な方だから少し気になって。みんなもそうでしょ?」
真中さんが同意を求めると女性陣は一様に頷いた。
「工学博士のほかに医師免許をお持ちなんですってね。」
「よくご存じでいらっしゃいますね。」
医師免許を取得していることをプロフィールに記載していたか気になったので尋ねた。
真中さんはふふふと笑うと答えた。
「六条さんが歓迎会で倒れて介抱された話を耳にしたの。大丈夫だった?」
あの日の私の失態は噂になっているらしい。
恥ずかしくなって、必死で何もやましいことはないと説明した。
「まあ、もう耳に入られていてお恥ずかしい限りですわ。
ご心配いただきありがとうございます。藤堂准教授が偶然同じ建物に越してこられて、それでご親切にも私を自宅まで送ってくださっただけですの。」
「あらそうなの。同じアパートなの。すごい偶然ね。」
「ええ。本当に偶然で驚きました。」
真中さんは偶然だと主張する私をじっと疑り深く見てきた。そんな目をされたって事実を伝えても信じてくれない気がする。
初めての出会いは、和磨さんが泥酔しているところを拾ったことなんて。
「六条さんに何事もなくって良かったわ。」
真中さんはそう言ってこの場を閉じてくれた。
私はほっとしたのもつかの間で、次の言葉に耳を疑った。
「それなら、私が藤堂さんをお誘いしてもよいですわね。」
私はお茶を吹き出しそうになった。だって、真中さんは既婚者だったから。
「ま、真中さん…?」
「あら、藤堂准教授が誰とお茶をご一緒しようが六条さんには関係ないと思いますけれど。」
「それはそうですが。」
「室町教授のところの泉さんもそう思っていらっしゃるんじゃないかしら。」
このランチ会の主旨がようやく飲み込めた。
これは私を牽制するための会だ。
和磨さんはイケメンだし、将来有望なエリート科学者だから、狙っている女性が多いんだ。
ここでもし、私が付き合っていますと言ってしまったら、どんな噂が立つか分からない。
黙っておくことにしておいて良かった、と改めて思うと同時に、私は背筋が凍る気持ちだった。
私はとんでもない人に恋人の代役のお願いをしてしまったのかもしれない。
女子会ランチを終えて、カフェテリアから席に戻るとどっと疲れが襲ってきた。
パソコンを開こうとすると、その横に缶コーヒーが置かれていた。
そこに添えられた付箋には書置きがあった。
―あとで出張について話しましょう。 藤堂
和磨さんからの書置きだった。
書置きの付箋の隅には、もじゃもじゃした葡萄のようなものが描かれていた。
だけど注意深くたどたどしい線を目で追ってみると、葡萄の実の部分が丸ではなく、小さな花の形になっていた。
もしかして、藤の花?
そう思うと、藤の花のように見えた。
和磨さんの名前は藤堂だから、サインの代わりに藤の絵を描いたのかもしれない。
葡萄のようにも見えるけれど…、たぶん藤なんだろう。
なんでもできる和磨さんだけど、意外にも不器用な絵がちょっと面白くて、可愛らしくて笑みがこぼれた。
もしかしたら、カフェテリアでのことを見ていて、こんな風にコーヒーを差し入れをしてくれたのかもしれない。その気遣いが嬉しかった。
思えば、女性からの牽制なんて、誠一さんの婚約者だったころに沢山受けてきたのだ。面と向かって別れろと言われたことは何回もある。
その時、誠一さんは何もしてくれなかった。それどころか、最期は私を捨てた。
それに比べたら和磨さんはすごく優しい。
まだまだ頑張れそうだった。
―――
企業との連携会議を終えた後、いただきもののお菓子を持って研究室に帰った。そこには学生がパソコンに向かっていた。
「ちょうど良かったわ。お菓子をいただきましたので、お茶にしませんか。」
一生君と賀久士君だった。二人は良く組んで実験をしている。
ありがとうございます、と二人はもそもそと言ってマグカップを持ってこちらに来た。
誰も来ない内に例のことを聞いてしまおうと思い、単刀直入に聞いた。
「この間の歓迎会ではお恥ずかしいところをお見せしてごめんなさい。
ご迷惑をおかけしませんでしたか?」
二人は顔を見合わせると、口を開いた。
「いや、特に迷惑なんてなかったですよ。
ひか…藤堂先生がさっと対応してましたし。謝罪なら藤堂先生に。」
「そうですよ。あれはすごかったなぁ。血相変えて前野に水を取りに行かせて。で、そのあとは会計は済ませてあるからって六条さんを連れて帰っちゃってさ。お姫様抱っこの持ち帰りって初めて見ましたよ。あの時の泉さんの顔がさ…。」
そこまで言って口を閉じた。賀久士君が一生君の口を塞いだのだった。
私はもう、そんな話を聞かされて恥ずかしくてどこか穴に入りたくなった。
「藤堂先生から聞いてなかったんですか?」
「聞いてないわ。起きたら自宅のベッドでしたし。」
まじかよ、と二人は驚いたようだった。
何かこそこそと話している。
きっと、私の行動に引いているんだろう。
「穴があったら入りたい…。」
「六条さん、お酒の失敗なんて誰でもありますよ。今回僕らは迷惑かかってないし、藤堂先生が気にしてないならいいんじゃないですか。」
「それに、藤堂先生は僕らが見ている範囲ではとても医学的で紳士的な対応でしたよ。」
二人に慰めてもらったけれど、心は羞恥で波だったままだった。
それから教授が戻ってきたのでこの話はお開きになった。
―――
会議から戻ってきた教授に「東京出張の件で藤堂君とは話したかい?」と言われたので、渋々、重い足を引きずりながら和磨さんを探しに行った。
実験室にいるかもしれないと思って探しに行く。
室町教授の研究室で使用しているいくつかの部屋を見に行く。
そのうち、3個目の部屋に入った時のことだった。
和磨さんの後ろ姿が扉の窓から見えたので、中に入り声をかけた。
だけど、そのまま前に進むのは躊躇った。
なぜなら、和磨さんと泉さんが抱き合っていたからだ。
和磨さんがこちらに気が付いて振り向いたけれど、私は静かに立ち去った。
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