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第六話


目を覚ますと、よく見慣れた天井だった。

正確に言えば天井ではなく、天蓋(てんがい)。大叔母様が遺してくれたお姫様みたいな天蓋付きベッドの天蓋だ。今では流通が禁止されている貴重な木材を使ったそのアンティークのベッドは木目までもが美しい。


このベッドに寝ているなら、家にいることになる。

意識を失ったはずなのに、どうやって家まで帰ったの?


周囲を見渡すために起き上がると、隣から声をかけられた。


「良かった、目を覚ましたんだね。」


藤堂さんだった。藤堂さんはどうやらずっと見ていてくれたらしい。


「私、どれくらい寝てました。」


「う~ん。倒れてからは2時間くらいかな。寝る前に水をたくさん飲んでもらったんだけど調子はどう?」


「大分よくなりました。ありがとうございます。」


「そう、よかった。冬桜子が無理して飲まなくても、私はちゃんと断るつもりだったからよかったのに。」


藤堂さんは少し怒っているようだった。

私が余計なおせっかいをしたからだろう。


「ごめんなさい。」


「謝る必要はないよ。でも冬桜子はもっと気を付けないと。怖い人も世の中にはたくさんいるんだからさ。」


「はい。」


「冬桜子ってさ、お嬢様でしょ。」


「えっ」


「それで、一人暮らしは初めて。」


「なんでわかるんですか?」


「そりゃあ、こんな高級家具が(しつらえ)られた家に住んでいたらわかるよ。それに警戒心がなさすぎ。今時植木鉢の下に家の鍵を隠す?」


そう言って、藤堂さんは鍵を取り出した。それは私が隠していたはずの予備の鍵だった。


「だって、鍵を失くしたら困りますもの…。」


「確かに今回は直ぐに家に入れたからよかったけど、本当は駄目だよ。冬桜子みたいなお嬢様がいきなり1人暮らしするのは危ないよ。誰かいないの?一緒に住んでくれそうな人。」


「友達…」


そう言って真っ先に思いつくのは祐美だった。

スマホが鳴ったので見るとちょうど裕美から留守電が来ていた。

何かあったのかもしれない。

私は藤堂さんに断ってから留守電を再生した。


「大変なことがあるの。今すぐ折り返しして。」


切迫した様子の裕美の声音に私は時間も考えず慌てて折り返した。

裕美は幸いなことに起きていたようで、すぐに出てくれた。


「よかった、冬桜子、大丈夫?」


「ええ。大丈夫よ。どうかしたの?」


「うん、あのね。落ち着いて聞いてほしいんだけど、元婚約者の白条誠一がどうやら冬桜子の居場所を探しているんだって。」


「なんで?」


「たぶん、白条誠一の父親が婚約破棄を受けて誠一を勘当するって怒っているからじゃないかな。」


「それでなんで誠一さんが私の居場所を探すことになるの?」


「それは冬桜子とよりを戻せば勘当を免れると思っているからだと思うよ。」


浮気者の考えることはわからないけど、と裕美は付け加えた。


「ちょっと待って。そうしたら比呂さんはどうなるの?」


「さあ。どうなんだろうね。比呂さんは弁護士からの話し合いにも応じないし、行方がわからない。役に立たなくてごめん。」


「いいの。別に二人に何かしてほしいわけじゃないんだから。そっとしてほしいだけなんだもの。」


「そうだよね。それなのにこんなことになって申し訳ないよ。もしかしたら白条誠一が冬桜子のところに来る可能性があるかもしれない。そっちで信頼できる人がいたら、相談しておいた方がいいよ。」


「わかった。ありがとう。」


私はスマホを下ろすと、考え込んだ。

あの誠一さんが来る。私を心から憎んだ冷たい目で見降ろしてきたあの時のことがよみがえってきた。

あの人がここに来る。

考えるだけで怖くて、体が凍えそうだった。


誠一さんが私を連れ戻そうとしている。私は、あんなに冷たい目を向けてきた人の隣に立てる気がしなかった。

もし、私に恋人がいたら、誠一さんは諦めてくれるだろうか。

少なくとも、嘘でもいいから恋人がもし私の傍にいたら、誠一さんをキッパリと拒絶できる気がする。

でも、私の恋人になってくれる人なんて思い当たらない。


「冬桜子、どうしたの?顔が青白いよ。」


「藤堂さん、」


藤堂さんはとてもやさしい。それにいい人だ。

私のことを真剣に考えて怒ってくれる。

きっと、こんな無茶な願いも聞いてくれるかもしれない。


「なに?」


「私と恋人になってくれますか?」


私がそう言うと、藤堂さんは固まった。


「といっても、フリですけど!恋人のフリ。

それに、よければこの家に住んでくださいますか?

(ひと)部屋余っていますから。」


私は慌てて言うと、藤堂さんは我に返ったように食い気味に返事をした。


「いいよ。」


「よろしいんですか?」


「うん。冬桜子の恋人なんて歓迎だよ。

それに確かに恋人になって一緒に住めば冬桜子を守れるしね。」


「なんで、こんなことをお願いするのか、とお尋ねにならないんですか?」


「理由を知っていた方が良いかもしれないけど、冬桜子が話したくないならそのままでいい。話したい時に話してくれれば。」


そういうと、藤堂さんは安心させるように微笑んだ。私も釣られて柔らかい気持ちになった。


良かった、藤堂さんが良い人で。


だけど、自分で言い出しておきながら、気になることが一つあった。


「本当に一緒に住んでいただけるんですか?」


「私は構わないよ。

それに恋人のフリをするなら、一緒に住んだ方が自然だと思うけど。」


当然のように藤堂さんは言った。

私は世間知らずだから、普通の恋人がどんなものか知らない。

恋人になったら一緒に暮らすことが当たり前なのかも。


「ありがとうございます。

藤堂さんは客間をお使いください。あ、家の中では無理にー」


私の言葉は藤堂さんによって(さえぎ)られた。


「藤堂さんじゃないよね。」


私はなんのことか分からず、首をひねる。


「名前で呼んでよ。」


「そこまでしなくてもー」


「だって、私が冬桜子って呼んで、冬桜子が私を苗字で呼んでいたら恋人として不自然でしょ。」


恋人として不自然。そう言われると弱かった。


「わかりました…和磨さん。」


口にしてみると恥ずかしくて、こそばゆい。


「冬桜子はかわいいね。」


和磨さんは私の頬に軽くキスをした。

こんな恋人みたいなことをされたことがなくって、私は固まってしまった。



―――


次の日は休日だった。

和磨さんはそれまで泊まっていたホテルを引き払い、私の家に来た。

留学から帰ってきた割には少ない、スーツケース2個分の荷物。


「あと、細々としたものはスイスから室町研究室に届くようにしてあってね。大丈夫だったかな?」


「はい、大丈夫ですよ。荷物は私が受け取りますから。」


「よかった。実験中はどうしても荷物の受け取りができないから、変な物はないけれど、やっぱり他の人には見られたくないし。」


私はいいのかしら?と思ったけど口にはしなかった。


それから、和磨さんが荷物を開けるのを手伝っていた。荷物は殆どが服だった。

中にはシワになってしまった服もあったので、それはアイロンをかけるか、物によってはクリーニングにだすなど分別をしていった。


その他、パソコンなどの電子機器、それに難しそうなフランス語で書かれた専門書があった。


「そうだ、本が結構多いんだよね。置く場所はあるかな?」


「それでしたら、余り使っていない納戸がありますから、そちらにしまえばいいと思います。」


「そうか、それはよかった。」


私の答えを聞いて、和磨さんはよかった、と安心した顔をしてからすぐに、申し訳なさそうにした。


「こんなに荷物が多くてごめんね。これでも日本に戻ってくる時に結構少なくしたつもりなんだけど。」


「いいえ。この家を一人で持て余していたところですもの。」


「もう少しで終わるから、冬桜子は休んでてよ。」


「わかりました。では、お茶を入れておきます。」


私はどれにしようか悩んで、結局自分が飲みたいお茶にした。和磨さんも気に入ってくれるといいな、と願って。


「はー、やっと終わった。でも冬桜子が手伝ってくれたからあっという間だったよ。ありがとう。」


和磨さんにちょうど飲み頃になったお茶を出す。


「これ、ほうじ茶だね。懐かしいな。何年飲んでなかったんだろう。」


「どうですか?」


「うん。美味しい。この香ばしい香りのお茶が懐かしい。やっぱり疲れた時はこう言うお茶がいいね。」


「よかった。」


和磨さんが喜んでくれてよかった。

私は自分が好きなものが喜んでもらえて嬉しかった。


二人で暮らすのは、一人で暮らすよりも楽しいのかも。


それに、一人だと静かな部屋で良くないことを考えてしまっていたので、誰かの気配がするのは良かった。苦い記憶を思い出さずに、少しずつ忘れられそうだった。


勢いで始まった共同生活だけど、楽しくなりそうな予感がした。

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