第五話 再会
「あなたは…!」
新任の特任准教授を迎えに行ったら、昨日拾った人が出てきて、私は驚きの声をあげた。
藤堂さんも私の顔を見て驚いている。
「失礼いたしました。私は室町教授の秘書をしております、六条冬桜子と申します。」
昨日のこと、それから今朝のことを思い出して冷や汗をかいた。
職場にいると余計に冷静になる。
振り返れば、昨夜から突拍子もないことばかりしていたように思うわ。
気まずい。非常にきまずいわ。
このまま頭をあげたくないくらい気まずい。
「いえいえ、女性がそんなに頭を下げないでください。」
言われて顔をあげると、藤堂さんは跪いてこちらをうかがっていた。
そして、そんな藤堂さんを周りはギョッとした様子で見ている。
なにやっているの、この人は!
日本で跪くのは、絵本の中の王子様だけですよ!
しかし、その王子様のような恰好は彼がやると様になっていた。
「王子…」
受付にいた誰かがつぶやいた。
「さすが医学の王子様…!」
医学の王子様とは、目覚ましい研究成果を発表した藤堂さんを特集したテレビ番組で付けられたキャッチフレーズだった。
私はその番組を観ていなかったけれど、研究所の人達は既に観ていたようだった。
昨日は分からなかったけれど、藤堂先生って有名人なんだわ…。
藤堂先生に気がついた周囲が騒ぎ始め、人だかりができた。
視線が頭を下げている私に突き刺さる。
私はもう恥ずかしくて顔をあげられなかった。
―――
「こんな偶然があるんですね。」
藤堂さんはニコニコと私の斜め横を歩いている。
まるで淑女をエスコートする紳士のようだった。
「そうですね。…こちらが第二会議室です。今は教授会が開かれています。」
「もう2度とお会いできないと思っていました。」
「そうですね。こちらがカフェテリアです。基本的にお食事はこちらで召し上がってくださいね。お弁当をお持ちの時も。」
「冬桜子はお弁当?」
さりげなく、呼び捨てにされたわ。この距離の詰め方は海外流だわ。
「いいえ、今日は色々とありましたので、持ってきておりません。」
藤堂さんのせいだぞ~迷惑なんだよ~という気持ちを込めて言ったがそれは間違った方向で通じたようだった。
「そうか。じゃあ今日は私がご馳走するよ。」
「いいえ、お構いなく!」
「いいから!何かと迷惑をかけているし。」
「でも、」
「ほら、少し時間が早いけれどちょうどお昼だし、ご飯を食べよう。」
強引にカフェテリアに連れていかれた。
「いろいろあるね。久しぶりだなあ、この食事のサンプル。スイスにはこういうのなくてさ。」
「そうなんですね。」
「そうそう。どれもおいしそうだな。冬桜子のおすすめは何?」
おすすめは?と聞かれて答えたくなるのが秘書の性分なのかもしれない。
「そうですね。カツカレーでしょうか。」
「カツカレーか、いいね。それにしよう。」
「理由は聞かないんですか?」
「なんで?だって冬桜子は相手のことを考えておすすめしてくれるでしょ。」
「なぜわかるんですか?」
「だって、今朝の味噌汁がシジミだったからだよ。二日酔いにはシジミの味噌汁というでしょう。気を遣ってくれたんだよね。」
藤堂さんはありがとう、とにっこりした。
一方の私は、藤堂さんの思考に追いつけなくて、頭にハテナが浮かんでいた。
何を言っているのかしら?
それだけで?偶然シジミだったかもしれないのに?確かに今朝は二日酔いを意識して、シジミの味噌汁にしたけれど、それは私のためでもあったのよ。
なんでそんなにも簡単に私のことを信じてしまうんだろう。
藤堂さんはちょっと変なだけではなく、危なっかしい人だわと思った。
この人大丈夫かしらと、私が胡乱な目で見ていると、そんなことは気にもせず藤堂さんが明るく言った。
「それにカツカレーは好きだし。冬桜子は何にする?」
「それじゃあ、きつねうどんでお願いします。」
「わかった。」
藤堂さんはスムーズに食券を買うと、カウンターに出した。
「カツカレーときつねうどん、お願いします。」
そういって和磨さんがニコっと笑うと、食券を受け取ったおばさんは少女のように顔を赤らめた。
す、すごい。これが海外留学の成果なの…?
誠一さんも顔は良かったからチヤホヤされていたけれど、こんな風に微笑み一つで惚れさせることはなかったと思う。
誠一さんのクールを装いつつもモテて満更でもない顔を思い出して嫌な気持ちになった。
あ、また傷口を広げちゃったわ。
私はまたうつむいてしまう。この癖を何とかしたいと思ってはいるものの、なかなか治らない。
「冬桜子、食事ができたから席に着こう。あの窓際なんかいいんじゃないかな。」
そういって、藤堂さんは長い足でスタスタと席を取りに行った。
私は慌てて追いかける。
「藤堂さん、待ってください。きつねうどんは私がもちます。」
「いいって。重いものを持つのは私に任せて。」
それでいて、席に着くとお盆をテーブルの上に載せて、椅子を引いてくれた。
「どうぞ。」
完璧な紳士ぶりに私は黙って素直に従うしかなかった。
「昨日はありがとう。恥ずかしいところを見せちゃって。冬桜子が来てくれなかったら凍えていたよ。」
「そんなことありません。サブさんは優しいからどうにかしてくれたと思います。」
そう、酔いの抜けた頭で考えれば私の家に泊める必要はなかった。
あの時は酔っていたせいで、見知らぬ男の人を泊めるなんてはしたないことを…!
『フランス語、話せるんだね。』
『少しだけ。』
「じゃあ、これはわかる?」
藤堂さんは小声になって顔を近づけると、ささやいた。
そうして、爽やかに微笑みこちらを見てくる。
藤堂さんがささやいたのは愛の挨拶。
私はすぐさまからかわれているのだとわかって、怒った。
『冗談はよしてください!』
「冬桜子、フランス語になっているよ。それに誰が冗談だなんて言ったんだ?」
「だって…昨日会ったばかりなのにおかしいですよ。それじゃあ本気なんですか?」
それには、藤堂さんは笑って答えなかった。
「そうだ、藤堂さんにお伝えしないといけないことがあります。
本日、藤堂さんのために歓迎会を準備しているんです。」
「嬉しいね。ありがとう!」
「はい、そうなんですけど、歓迎会の場所は昨日のお店なんです。
…よろしければ今から変更しましょうか?」
本当は今からの変更なんて駄目だけど、事情を話してキャンセル料を払えばサブさんも納得してくれるはず。
「いや、いいよ。私は気にしていないから。それに昨日はちゃんと食事を味わえなかったからちょうどよかった。」
キャンセル料を自腹で賄うことを覚悟していた私は藤堂さんがそういってくれて正直ほっとした。
「良かった。お気使いいただきありがとうございます。」
「こちらこそ、気を使わせてごめんね。」
藤堂さんはにっこり笑う。
ああ、やっぱりこの人は優しい人だなと思った。
だからこそ、今日の歓迎会ではちゃんとサポートしないと、と気を引き締めた。
―――
無事に論文の査読を済ませた室町教授は意気揚々と藤堂さんの歓迎会に出席した。
場所は予定通りサブさんのお店の2階。
「藤堂君、久しぶりだね~。また見ない内にイケメンになったんじゃないの?」
「そんなことないですよ。室町先生もますますご活躍で何よりです。」
「ははは。お世辞がうまくなったね。あれ、お酒が空なんじゃないの?」
そう言って室町教授は徳利を探した。私はすかさず徳利を持ち、藤堂さんに注ぐ。
「藤堂さんどうぞ。」
「ありがとうございます。」
私が藤堂さんに注いでいるのは水入りの徳利だ。つまりただの水だ。
お酒に弱い藤堂さんのために用意したものだった。
「六条さん、藤堂君だけじゃなくてこっちにもそのお酒を注いでよ。」
室町教授が私に空のお猪口を見せてきた。
迷ったものの、仕方なく水の徳利を注いだ。
「これはおいしいね!水みたいにぐんぐん飲める。」
教授…、実際それはただの水です。
「藤堂さん、先生とばかりお話していないで私たちともお話ししましょうよ~。」
そう言ってきたのは博士課程の泉さん。
泉さんは研究室で唯一の女子学生でもあった。
「藤堂さんってお酒つよいんですね。すごい!」
「そんなことはないですよ。でも今日はなぜか酔わないんだ。」
それはそうだ。私が勝手にお酒をお水に変えているから。
昨日みたいなことになったら面倒だから。
「そうだ、日本酒じゃなくてワインとかはどうですか?スイスってワインをたくさん飲むんでしょう?」
「ワインですか。確かにスイスではワインをよく飲んでたな。でも、ワインには弱いから苦手で。」
正しくはワインには、ではなくワインもだわ、と私は思った。
泉さんの目が怪しく光った気がした。
「え~でも~この白ワインとかすっごく飲みやすいですし、大丈夫ですよ?」
しなだれかかって、藤堂さんにワインのグラスを押し付ける。私はその様子に驚いて、徳利を落としそうになった。
な、なんて積極的なの泉さん!
泉さんは明らかに藤堂さんのことが好きで、ハンターのように狙っているみたいだった。
でもごめんね。藤堂さんを酔わせる訳にはいかないの。
(このお店への迷惑的な意味で。)
「そんなにおいしいんですね。ぜひ飲みたいわ!」
そう言って無理やり泉さんの手からグラスをもぎ取り、飲み干した。
「すごい甘くておいしい!ジュースみたいですね。」
私は泉さんににっこり微笑んだ。
サブさんの名誉のためにも、ここで倒れる人を出してはいけない。
「もう~せっかちですよ。六条さん。
若くないのに一気飲みしたら体に悪いですよ。
でもよかった!
ボトルで頼んだからまだたくさんありますからね。
さあ、藤堂さんどうですか?」
泉さんは用意周到だった。
ワインのボトルを手に取るとグラスに注ごうとした。
私はワインのボトルを奪い、口をつけてボトルの中身を注ぎ込んだ。
ワインを一気飲みなんて、とんでもないことをよくしたと思う。
アルコールが急に入った私の体は、クラっと崩れ落ちた。
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