第四話 一期一会
成り行きで拾ってしまった酔いつぶれた男の人。何をしても起きそうにない。
結局、他に行く当てもないので、タクシーの運転手さんに協力してもらって、私のアパートの玄関まで男の人を運んでもらった。
一息ついて玄関の明かりをつけると、そこにはルネッサンスの彫刻のように優雅に寝そべる長身の美形がいた。
柔らかな茶色の髪に滑らかな肌。真っ直ぐな高い鼻としまった口元。
画家だったら思わず後世に残すために筆を取るような、雰囲気のある美形が、私が拾った男の人だった。
こんなに、カッコいい人だったなんて。
私は不躾にも寝ている男性の顔をまじまじと見つめてしまった。
フランス語を話すので、フランス語圏のスイス人かと思ったら、見た目は日本人のように見えた。彫が深いのでもしかしたら外国の血が入っているのかもしれないけれど。
誠一さんよりも、遥かにかっこいいかも。
フッとかつての婚約者の顔を思い出して、それから虚しい気分になった。比較するにしてももっと俳優とかモデルを出せればいいのに、私が知っている同年代の男性は誠一さんだけだった。
婚約者がいるからと、意図的に避けていたから。
私は頭に浮かぶ誠一さんの顔を振り払うように首を振り、目の前の男性に集中した。
目前の問題は、玄関を占有するこの人を、なんとかしてベッドに運ぶこと。
『もしもし、聞こえてますか?』
男の人は、うん、と辛うじて頷いた。
『聞こえていらっしゃるんですね。そうしたら少しだけ歩けますか?ここで寝ると風邪を引いてしまうので。』
ゴロンゴロンと転がし、なんとか立たせる。
背が高い。180cmは軽くありそうだった。
肩を貸し、歩かせて客間のベッドに連れていく。私が女性にしては背の高い方で良かったわ。
倒れ込むように、ベッドに寝かせて布団をかける。
「や、やりきったわ!」
私は水差しとコップだけ枕元に置いて出ていった。
「一仕事したら疲れちゃったわ。私も、もう寝ようかしら。」
久しぶりに重いものを持ったせいか、その日はよく眠れた。
―――
寝ていると揺れを感じて、地震かしら、と思った。
けど違う。誰かが、私をゆすっている。
「ここはどこですか?」
う~ん、私の安眠を邪魔するのは誰?
そういえば、昨日の男の人はどうなったのかしら…。
「教えてください。どうして私はこちらにいるんでしょうか?」
そこで気が付き、私は目を覚ました。
「あら!」
目の前には例のやたらと美形で、なぜか居酒屋で酔い潰れていたその人がいた。
困った顔でこちらを見ている。
確かに冷静に考えれば、男性からしたら起きたら知らないところにいたのだから、さぞや困惑しているだろう。
だけどそれよりも、私は自分が寝起きで、パジャマを着ただけだという状況で頭がいっぱいになった。
自分の無防備な格好に思い当たり、相手のことを気遣う余裕がない。
「速くお部屋から出て言ってください!サロンで待っててくださったらちゃんと説明しますから。」
誰だって見知らぬ男の人にパジャマ姿を見られないでしょ。
男の人を慌てて追い出して、服に着替えてサロン―大叔母様はリビングのことをサロンと言っていた―に向かった。
「先ほどは失礼しました。」
私が落ち着き払ってサロンに入ると、男の人はひどく恐縮したように、こちらを見ていた。
眉を下げていても、イケメンはイケメンなんだなぁとしみじみ思った。
それに、こうして明るい所で見ると、男の人は私と同じくらいの年齢に見えた。
「いや、こちらの方こそ申し訳ありません。勝手に部屋に入ったりして。」
「そんなことは…。誰だって突然見知らぬ家にいたら驚きますでしょう。仕方ありませんわ。
それより、お腹はすいていませんか?
仕度しますので、朝食をいただきながら経緯をお話しょう。」
私はキッチンに向かうと朝食を準備した。
魚を焼きながら、卵を手に取ると肝心なことを聞くのを忘れていたことに気が付いた。
「卵は甘いのとだし巻きとどちらがお好きですか?」
「どちらかというと甘いのが好きですね。
というか、朝食まで用意してもらわなくていいですよ。」
素直に答えが来たものの、それでも朝食を遠慮する声が聞こえた。
だけど、私は今すぐご飯が食べたかった。
昨日は重いものを運んだからか、とてもお腹が空いていたから。説明をするよりも早く、朝食にしたかった。
「乗りかかった船と申しますでしょう。お気になさらず。」
手際よく準備し、ダイニングテーブルに配膳する。
男の人はまじまじと湯気が上がる味噌汁を見ていた。
「なんというか、マリーアントワネットが使っていたような、ネオクラシック様式のテーブルに味噌汁というのも不思議なものですね。」
「そうですか?」
このアパートはフランスの旧家と結婚していた大叔母の趣味でフランスの家具でまとめられている。
大叔母とはこのテーブルでお雑煮を食べたこともあるので、気にしていなかったわ。
それよりも、昨夜のことを説明しなければ。
「そういえば、昨夜のことですけれど…。」
私は昨夜のことを話した。と言っても大した内容ではない。
お店で泥酔した男の人をしょうがなくタクシーに乗せてここまで運んだだけだもの。
話を聞いて男の人は顔を青くした。
それはそうよね。私だったら恥ずかしいわ。
自分で穴を掘って隠れたいくらい。
「その、居酒屋の代金とタクシー代は…?」
「私が払いました。」
「いま払う!」
そういって、男の人はズボンのポケットから長財布を出し、お札を取り出した。
「受け取ってください。」
「これではお釣りが来ますわ。」
「いいから。迷惑料だよ。おいしい朝ごはんも食べさせてもらったし。受け取って。」
私はおいしい朝ごはんと言われてちょっと嬉しくなってしまった。料理を食べておいしいと言ってもらえたことがなかったからだ。
誠一さんはいつもなんてことない顔をしていたもの。
私はまた、傷口を自分で広げてしまって苦しくなった。
「…わかりました。こちらはありがたく受け取ります。」
男の人は見るからにホッとした様子だった。
お金をしまい、ついでにお茶を準備して戻る。
「お顔はお洗いになりました?昨日はそのままお眠りでしたよ。」
「実は洗面所を勝手に使わせてもらいました。ありがとう。」
「そうですか。それでは、私はそろそろ出ないといけないので。」
「ならもう私も出るよ。一旦ホテルに戻らないといけないから。」
それから、私と男の人はアパートの前で別れた。
「ホテルの場所はわかりますか?」
「大丈夫。地図アプリがあるから。何から何までありがとう。」
「いいえ。大した事ではありませんから。」
「また、どこかで。」
「ええ。また。」
男の人は握手を求めてきたので、外国風だなと思い、握手を返した。
すると、体を引き寄せられ、頬を寄せられた。
えっ、突然なにかしら?
そう思ったけれど、これは、フランスやスイスでみられるビズという挨拶だ!
とすぐに気が付いたので、悲鳴をあげずに黙って受け止めた。
フランス語に、フランス風の挨拶。普通の日本人がやれば気取った人だと思われるだろうけど、このやたらとハンサムな人がやると自然で様になっていた。
不思議な人。この人はどういう生き方をしてきたのかしら。
興味は湧いたけれど、酔った勢いの出会いで気まずいので、深入りするつもりもなかった。
それは、向こうも同じだったようで、お互いに連絡先や名前すら聞かずに別れた。
もう2度と会うことはないでしょうね。
私は去っていく男の人の背を見ながらそう思った。
もう二度と会わない、そう思っていたのに。
男の人との再会はすぐだった。
―――
出勤すると、さっそく受付から電話があった。
「藤堂特任准教授が受付にいらっしゃいました。」
今日から着任する藤堂和磨さんが到着したらしい。
いつもよりワントーン声の高い受付担当の電話に違和感を感じつつも、受付に迎えに行った。
そして、驚くことになる。
「本日からお世話になる藤堂和磨です。室町教授の研究室の方でしょうか。」
「あなたは…!」
そう、それは昨日拾って、今朝別れたばかりのやたらと美形でちょっと変わった男の人だった。
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