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第三十六話


「安里さんの大賞を受賞した絵が、来月にこの市に来るんですって!」


祐美から公募展の連絡が来て、私は興奮気味に和磨さんに伝えた。それを聞いた和磨さんはタブレット端末から目を上げると、青い顔をして言った。


「ああ、そうなんだ……。」


「和磨さん、嬉しくないの?なんだか顔が青いわよ。東京での展示の時も、(かたく)なに行こうとしなかったわよね。」


「うん。ちょっと心の整理がつかなくて。どんな絵になっているか想像がつかないから。」


「それなら、今回もやめておく?」


「いや、この市に来るなら研究所で噂になるかもしれないし……室町先生は確実にからかうだろうし……覚悟を決めていくよ。」


「覚悟って、なんの覚悟?」


「観ればわかると思う。」


覚悟って、大袈裟ねと思ったけれど言葉少なに語る和磨さんの顔は悲壮感に溢れていた。初日に行くことにしたと祐美に連絡すると、その日は祐美は都合が悪くて行けないけれど安里さんはいるだろうと返事があった。


やがて1ヶ月後、展示会の初日になり私と和磨さんは展示会場に向かった。展示会場は市の美術館だ。


「和磨さん、安里さんの絵はこちらに飾られているんですって。」


「うん。そっか。緊張するな。」


和磨さんは普段しないマスクをしていて目元しか見えないけれど、浮かない顔をしている気がする。


「大丈夫?やっぱり今日はやめる?初日で人も多いし、また出直してもいいわ。」


私は心配になって立ち止まった。だけど、和磨さんは静かに首を横に振って言った。


「気にしないで、冬桜子。これは私が責任を持って見届けないといけないことだから。行かせて欲しい。」


悲壮な雰囲気を醸し出して、和磨さんが歩みだした。早足の和磨さんの後に続いた。


安里さんの作品は大賞を受賞しただけあって、1番良いところにスペースを広く取って飾られていた。

それでも、安里さんの作品の前には人だかりができていた。

その人だかりを掻き分けて和磨さんはグイグイ進む。私ははぐれない様に後を追うのが精一杯だった。

やがて、和磨さんの背中が立ち止まった。先頭、つまり作品の前にたどり着いたみたい。私は和磨さんの横から顔を出してみた。


「あら、まあ、和磨さん……」


等身大に描かれたその絵は、最低限の筆致だけで表現されているのに、隣に本人がいるにも関わらず本物と見間違えてしまうような生々しい迫力があった。静止している絵画なのに今も動いている様な躍動感。捻りのある絶妙な瞬間を切り取っているからこそ、スローモーションの動画のように一見止まっているけど、絶え間なく動いていると感じるのだろう。


タイトルは「聖セバスティアヌス」。ローマ帝国時代のキリスト教の聖人だ。キリスト教が禁止されていたローマ帝国の軍人でありながらキリストを信仰していたセバスティアヌスは、ローマ皇帝の命令によってハリネズミ状態になるまで雨のように矢を打たれた。だけど、矢を受けても彼は死なず、またキリスト教への信仰を捨てなかった。最後は皇帝に殴打されて死んでしまい、聖人になった。


矢を打たれても決して自分の信仰を諦めず死ななかった聖セバスティアヌスの、強い精神が和磨さんの肉体を通して蘇ったみたいだった。また、セバスティアヌスが縛られているものは高層ビルらしき銀色の建物で、セバスティアヌスは黒いスーツを着ている。小物や服装を現代日本に置き換えたことで、現代人が日々向き合っているストレスに抵抗する様を表現しているとも読み取れる。


私の中の理性による解説が頭の中をよぎったけれど、それよりも別のことで頭がいっぱいになった。


「まあ、まあ、まあ!」


現実で見たことのない、和磨さんの鋭い目つき。

いつもと違う矢のように尖った視線に、乱れたシャツから覗く鎖骨。薄く開かれた口から除く赤い舌からは吐息が漏れてきそう。私はこんな和磨さんを知らない。みた事がない。なのに、今すぐ駆け寄りたい衝動に駆られた。胸が高鳴って落ち着かない。心臓が割れるほど騒がしくなった。自分の鼓動が耳元で鳴り響いているようだった。

呼吸が激しくなっていく。横隔膜(おうかくまく)が私の意図に反して上下に動く。肺を動かしているのに、息が苦しい。


「はっ、はぁっ」


「どうしたんだ、冬桜子!」


ぼんやりと和磨さんの声を聞きながら、私の視界が暗転した。


「松浦安里、一体どういうことなんだ。あの絵は。」


「どうもこうもないですよ。和磨さんをモデルに描いただけです。ご協力いただいたじゃないですか。」


「確かにモデルに協力はした。しかし、あんな過激な絵になるとは聞いてないよ。」


「そういえば、絵を見せた事がありませんでしたね。でも、あれはまだ大人しい方ですよ。

出展するのに迷った絵がもう1枚ありますが、そちらはこんな感じですから。」


「……いますぐ、その絵を燃やしてくれ。そのスマホの写真も消すんだ。」


「だめですよ。これも僕の自信作なので。

それに、協力すると仰ったのは和磨さんの方じゃないですか。」


「それは、そうだが。これは私の社会生活に与える影響が大きすぎる。」


「確かに反響が大きいようですね。和磨さんがモデルに協力してくださったおかげです。ありがとうございます。」


和磨さんが誰かと話している声がして、徐々に頭がはっきりしてきた。目を開けると、見知らぬ場所に寝かされていた。状況を把握しようと、体を起こす。


「冬桜子、起きたんだね。急に倒れたけど、気分はどう?」


和磨さんが私の顔を覗き込んで、私に手を伸ばしてきた。マスクはもう外している。

私は、和磨さんの顔を見て、反射的に布団を被り潜り込んだ。

だって、和磨さんの顔を見たら、先程の絵が思い出されて頭が沸騰しそうだったからだ。クールダウンさせないと、また倒れちゃうわ。


「冬桜子さんどうしたの?」


「君の絵をみたら、倒れてしまったんだ。

あの絵の刺激が強すぎたんだよ。」


「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないですか、和磨さん。

しかし、僕の絵を見て倒れたとは。それは、何というか……。」


安里さんが真剣な目で私をとらえた。先ほどまで和磨さんと話していたのは安里さんだったみたい。


安里さんには申し訳ない。

作品を観て倒れてしまったなんて、とんでもない失態を犯してしまった。

決して不快な気分になって倒れたのじゃないと説明しないと。傷つけてしまったと思うから。


しかし、私の考えとは別に、安里さんはこう続けた。


「それは、画家にとって光栄だな。

良くも悪くも強い衝撃を与えたってことでしょう?是非とも感想を聞きたい。冬桜子さん、起きているんでしょう?お話ししようよ。」


そう言って、布団越しに呼びかけてきた。安里君はやっぱりちょっと変わっているかもしれない。


「安里、やめろ。冬桜子は過呼吸を起こしたんだ。これ以上、刺激を与えてくれるな。」


「えー。刺激って言うなら、僕の絵だけじゃないと思うけどなぁ。

まあいいや。本当に体調悪そうだし、また元気になったら話してもらおう。

祐美も会いたがってたし、4人で。じゃあまた。」


「待ってください、安里さん!」


このまま何も伝えずに安里さんが帰ってしまいそうだったので、私は呼び止めた。


「お、冬桜子さん出てきた。どうしたの?感想を聞かせてくれるの?」


「ええ。」


私は頷いた。それから、熱を込めて感想を伝えた。理性的な批評と、本能的な感情の両方を。和磨さんは複雑そうな表情をしていたけど、安里そんは興味深そうに何度か質問を重ねた。


「それじゃあ、冬桜子さんは僕の絵を観て感情が高ぶったあまり倒れてしまったんだね。」


「お恥ずかしいけど……そう。」


「しかし、どこがツボに入ったんだろう。絵の解釈自体は概ね僕の想定通りだけど。」


「何で言ったら良いのかしら。良く知ってる人の知らない一面を真正面からぶつけられて、衝撃を受けたというか……。」


「はー、なるほど。まあ、物の見え方は個人によって全く異なるからね。僕と冬桜子さんで和磨さんの捉え方が違った訳だ。

それで、僕の描いた和磨さんは格好良かった?」


私は勢いよく頷いた。


「だってさ、和磨さん。よかったね。」


「冬桜子が気に入ってくれたのは嬉しいけど、私個人としてはやっぱりあの絵は恥ずかしいよ。よりによって題材が聖セバスティア(三島由紀夫で有名な)ヌス(アレ)だし。展示会が終わったらどうする予定なんだ?」


「あの絵はもう買い手が決まっていてね。展示会が終われば直ぐにでも発送することになってますよ。」


「「ええっ!」」


私と和磨さんが同時に声を上げた。だけど、その後に続いた言葉は全く逆だった。


「あんな破廉恥な絵を買った人がいるのか。」


「もう買った人がいるのね、残念。」


「ちょっと、和磨さん、買った人がいるんですから、あんな呼ばわりはやめてくださいよ。

それより、冬桜子さんも欲しかったの?意外だな。」


「ええ、だって、和磨さんのカッコいい姿が他の人の物になるのは嫌だもの。」


「冬桜子、そんな風に思ってくれたんだ……!」


「へー。意外と独占欲が強かったんですね、冬桜子さんって。」


安里さんが私を見てクスクスと笑った。そんなにおかしいことを言ったつもりはないのだけど。誰だって好きな人の写真を手元に取っておきたかったりするし、それが絵になっただけで変わらないと思うけど。


「おかしいかしら?」


「いいえ。意外だと思っただけ。そんなに気に入ってもらったなら、もう一つの絵については譲って差し上げますよ。条件付きで。」


「本当に!?」


「安里、あの絵を冬桜子に見せるのか。それはちょっと……。」


「いいじゃないですか。冬桜子さんがこんなに欲しがっているんだから。

ちなみに、和磨さんが抵抗している絵はコレです。」


安里さんはスマートフォンの画面を私の方へ向けた。そこには、白い藤の花と共に白衣を着た和磨さんが描かれていた。白衣の下は黒いズボンだけで、胸がはだけて色っぽい。だけど不思議と上品だった。おそらく、和磨さんの眼差しが鋭くて媚を全く含まないものだからだろう。それに、藤の花による画面構成が巧みで、花の大きさで奥行きを表現していて、技術的にも高度な作品だと一眼で分かった。


「あら、まあ。これはすごいわ。」


横から画面を覗いた和磨さんがうんざりした顔で言った。


「なんで安里の絵だと私はいつも胸がはだけているんだ。こんな格好、一度もしたことがないのに。」


「和磨さんの魅力を表現するとこうなっちゃうんですよね。不思議ですね。

それで冬桜子さん、どうです?この絵欲しいですか?」


私はこくこくと頷いた。


「なら、条件が二つあります。一つめ、金額は僕が決めます。」


「もちろんよ。貯金なら少しはあるから大丈夫。もしそれで足りなければ私が持っている六条グループの株を売るわ。」


「いや、株を売るのはよく考えた方がいいよ、冬桜子……。」


「そこまでの金額にするつもりはないから大丈夫。僕は駆け出しの画家だし。

それより、もう一つの条件の方が大事です。

冬桜子さん、次の作品のモデルになってください。」


「私がモデルに?」


「別に変ではないでしょう。初めは冬桜子さんをモデルにしたかったんだし。それで、どうします?」


「それはもちろん、」


問題ないわ、と答えようとしたら和磨さんが待ったをかけた。


「少し待った。そのモデルだけど、当然ながら服は着たままだよね?」


「当然ですよ。冬桜子さんには、和服姿でお願いしたいと思ってます。」


「えっ?むしろ服を着ないモデルの可能性もあったの?」


「和磨さんにはお願いしましたね。同性だし。」


驚いて和磨さんの顔を見ると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「上手いこと言いくるめられたんだ。だから嫌な予感がして完成された絵を観るのを躊躇(ためら)っていたんだ。」


「和磨さんを言いくるめられるなんて、安里さんすごいのね。」


「そうでしょ。

ともかく、僕は冬桜子さんにはヌードをお願いするつもりはないですし、普通の着衣のモデルをお願いしたいんですけど、どうですか?」


「モデルを引き受けてもいいと思ってるわ。だけど、私からも条件があるの。和磨さんと一緒でもいい?

和磨さんもいいかしら?一緒にいてくれると安心するから、お願いしたいのだけど……。」


「もちろん、私は冬桜子が嫌だと言ってもついていくつもりだったよ。

安里、2人一緒が条件だけど、いいか?」


「いいですよ。なら、いっそのこと2人一緒の絵も描きますよ。結婚祝いってことで。

無事に結納も済ませたんですよね?」


「ああ。先月済ませてきたよ。六条家の反応が気になっていたけど、杞憂だった。」


「蓮子おばあさまは、和磨さんを見て上機嫌になって。おばあさまの気まぐれには困っちゃうわ。」


「それはよかった!無事に婚約したんだね。冬桜子さん、その指輪似合ってるね。」


「ありがとう。和磨さんに貰ったものなの。」


私が左手の薬指の指輪を見せると、感心したように安里さんが覗き込んだ。


「これが婚約指輪か。で、和磨さんが着けているのがお返しの時計でしょ。

ふーん、勉強になるな。祐美に渡すときの参考にしよう。」


「あら?安里さんは結婚しない主義だったんじゃないの?祐美からそう聞いていたけど。」


「そうなんだよ。だけど、2人を見ていたら結婚するのもいいかな、と思って。」


安里さんはいつものようにヘラヘラとしていたけど、取り繕っていないからこそ言葉に真実味があった。


「和磨さん、冬桜子さん、あらためまして婚約おめでとう。」



それから春になって、結婚式の日を迎えた。

ちょうど桜が見頃の時期だった。満開の桜が視界を薄桃に染めて綺麗だった。挙式の会場の神社で、私は桜に見惚れていた。


一年前の今頃は、まさか自分が結婚するなんて思ってなかった。婚約破棄されて、一人で生きていくのだと思っていたのに。


あっという間の一年だった。だけどこの一年のことは生涯忘れないと思う。だって、大事な人に出会えた年だから。


「冬桜子、いこう。」


「ええ。」


私は差し出された和磨さんの手を握った。新しい世界に一歩踏み入れた。



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