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第三十三話 藤堂和磨視点


「冬桜子、遅いな。」


 藤堂和磨()は腕時計を見ながら、コンビニで別れて戻ってこない冬桜子を待っていた。もうすぐ昼休みが終わり、午後の講義を始める時間だ。すでに準備は完了しているので、冬桜子がいなくても講義は始められる。だから仕事に影響はない。だが、やはり冬桜子が戻ってないことが気になる。一般的に成人が迷子になったくらいでは心配する必要はないのだろうが、冬桜子は誘拐された前例があるからどうしても気になってしまう。


「藤堂先生、そろそろお時間じゃないですか?」


 通りすがりの女性に声をかけられた。ここの職員の田中さんだ。講義の担当である笹木さんよりは数は少ないが、打ち合わせで2回ほど会ったことがある。心配して声をかけてきたのだろう。私はなるべく冷たい印象を持たれないように気をつけて尋ねた。


「そうなんですが、人を探しているんです。うちの六条を見ませんでしたか?」


「六条さん……というと、女性の秘書の方ですよね。あのお綺麗な。

 申し訳ないですが、私は見かけてないです。」


「そうですか。困りました、彼女がいないと講義で使っているアプリに問題が発生した時に対応できる人がいないんですよね。」


 これは半分嘘で半分本当だ。講義で使うリアルタイムチャットアプリをインストールしたのは冬桜子だが、私も一通りは仕組みを把握しているのでエラーが発生しても対処できる。

 それでも、私が困った素振りを見せると、田中さんが親切に申し出てくれた。


「それは大変です!

 よければ、私が六条さんを探しましょうか。」


「いや、流石にそこまで田中さんのお手を煩わせる訳にはいきません。ただ、彼女を見かけたら講義室まで案内して貰えますか?」


「わかりました!六条さんを見かけたら、必ず講義室にお連れしますね。」


「ありがとう。助かります。」


 私が笑顔を向けると、田中さんは頬を赤く染めた。自分の顔が統計の中央値から離れている自覚はある。そのせいで得をすることもあれば、損をすることもある。今回は得をする方だ。田中さんはきっと真面目に冬桜子を探してくれるだろう。


「いえいえ、とんでもないです。

そういえば、笹木さんが主催する今日の打ち上げですが、藤堂先生もいらっしゃるんですよね?」


「もちろんそのつもりですよ。」


 それまで話題にもならなかったのに、今朝になって突然に笹木さんが打ち上げを企画した。理由は簡単だ。冬桜子に二人きりの食事を断られたからだ。

笹木さんは恐らくだが冬桜子に気がある。はっきり言って不愉快だが、肝心の冬桜子が笹木さんの誘いを即座に断ったので溜飲(りゅういん)を下げた。


「よかった!私も参加する予定なので沢山お話しさせてくださいね。藤堂先生と仲良くなりたいです。」


 田中さんが無邪気を装って、アプローチをしてくる。当然ながら視線は上目遣いだ。これは、顔面で損をするパターンだ。所構わず女性からアプローチを受けるのは、男性から嫉妬されるし、断ると角が立つし、損しかない。

 私は曖昧に微笑み、明確な返事を避けてその場を去った。


 昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。

 私は講義室に向かった。


 最終日ともなると、アプリを使った質問に学生達も慣れてきていて、盛んにコメントが寄せられていた。


「これは良い質問ですね。この3日間で医学工学の概略をお伝えしてきました。そして同時に生命倫理の論点の変化についても紹介してきたつもりです。医学の研究を行う上で生命倫理の議論は外せない重要な事柄です。医療技術が発達するにつれて、生命のあり方も今後変化していくと予想されます。……」


 良いコメントは紹介して学生全体に共有した。競争心を煽られたのか、自分のコメントを取り上げられたくて積極的にコメントする学生が多かった。殆どの学生が良いコメントをするために真面目に講義を聞いている。

初めての本格的な講義だから正直不安だったが、多くの学生に聞いて貰えて安心した。


 講義をしながら、時折扉の方に目を向けるが冬桜子が入ってくることはなかった。

 代わりに、室町先生が入室したのが視界に入った。私の講義をニヤニヤと観察している。相変わらず趣味が悪い。


「それでは、これで講義を終わります。課題として感想を500字程度で書いてください。その他、質問があればこちらのメールアドレス宛に質問をお願いします。真面目な質問にのみ、回答します。」


 スライドに私のメールアドレス(もちろん今所属している研究所のオフィシャルなアドレスだ)を表示すると驚くくらいに多くの学生が一斉にメモをした。例の学内雑誌のせいか、女子学生が多い。だが、中には男子学生もメモしているようなので、まともな質問が来てくれることを祈る。


 講義室を出ると、入れ違いに笹木さんが入室した。大学側で講義のアンケートを取るためだ。アンケートの結果が良ければ来年度も講義を開講できる可能性がある。

アンケートの結果は気になるが、今はひとまず講義を終わった事を喜ぼう。3日間の集中講義は大仕事だった。

一息ついていると後ろから声をかけられた。


「藤堂くん。ご苦労さま。無事終わったようだね。」


「室町先生、お疲れ様です。いらしたんですね。」


「うん。ちょうど時間が空いたから。初めての講義と思えないくらいに活気があっていい授業だったんじゃないかな。」


「ありがとうございます。

ところで、室町先生は駅からいらしたんですよね?冬桜子……六条さんを見かけませんでした?」


「六条さん?見かけてないね……。何、どうしたの?いなくなっちゃったの?」


「はい。昼食時にコンビニへ行ってから帰ってきていません。一応、今夜もホテルを取っているので、一度ホテルに戻っていないか確認しようと思うのですが。」


「いや、藤堂くん。僕には心当たりがあるよ。ここに来るまでに、松浦理事長とすれ違ったんだ。」


「あの松浦理事長と?」


 松浦理事長は以前に冬桜子にしつこく絡んでいた。嫌な予感がする。


「そう。理事長が随分とめかし込んでいたので、気になって観察していたら、向こうから話しかけてきたんだ。それもえらく上機嫌でね。

『今日は藤堂准教授の講義でしたね。』と、藤堂君の話題を出したんだ。前に少しばかりモメたでしょう。おかしいと思って注意深く話を聞いたんだ。すると、話題がすぐに藤堂君から六条さんに移った。そこで意味深なことを言っていたんだ。

『六条さんみたいに優秀な方が秘書にいらっしゃる室町教授は運がいいですね。あれほど優秀な方を採用するのは難しかったでしょう。彼女が抜けたら大変でしょうね。』

それから機嫌よく、『ホテルCで息子と食事なので、これで失礼します。』と言い残して去っていったよ。」


嫌な予感は的中した。


「冬桜子は今日、ホテルCに行くと言っていました。室町先生のおっしゃった通りなら、松浦理事長が冬桜子をホテルCに呼び出したと推測されますね。」


「そうだね。松浦理事長は息子さんと六条さんをお見合いさせようとしていたからね。六条さんがホテルCに行ったのであれば、お見合いを受けたことになるけど、藤堂君はどうするの?」


 室町教授は冷静だった。冷静な指摘に私はショックを受けた。冬桜子が私に黙ってお見合いを受けたという事実に、自分が捨てられてしまうのではと焦りを感じた。正直、冬桜子と私の愛の強さを比較すれば、私の方が圧倒的に勝つと分析している。私は冬桜子に一目惚れだった。清らかな姿に一眼で心を奪われて、自分でも止められないくらいに冬桜子を求めた。

 しかし、一目ぼれをした私と違って、冬桜子は一緒に過ごしているうちにだんだんと好意を持ってくれたのだと理解している。私の外見を好む人が多い一方で、冬桜子はそこまで外見に拘りがなさそうで、そこが余計に惹かれる点にもなった。だけど、これさえあれば愛されているという確証が掴めないのはもどかしい。


 その上、冬桜子の家は日本でも有数のグループ企業で、1000年続く名家だ。藤堂の家も古い家柄だが、格が違う。何もかも上の冬桜子に私は捨てられないように必死だった。


 その結果、私は臆病になってしまった。今回だって冬桜子が何かを隠しているのは分かっていた。だが、強く問い詰めることができなかった。冬桜子に嫌われたらどうしよう、と怖いからだ。それに私だって、夏秀さんに呼び出されて個人的に突きつけられた条件を冬桜子に黙っている。隠し事があるのはお互い様だった。


「……それが冬桜子の選んだことなら、私が口を出すことではないと思います。」


「本当にそれでいいのかな?何も話していないのでしょう。六条さんにも理由があるのかもしれない。まずは直接話を聞いてはどうかな。円満な結婚のコツは対話だよ。」


「冬桜子から結婚のことをお聞きになりましたか?」


「いや、何も聞いていないよ。だけど、最近の様子からなんとなく。

君たち結婚するんでしょう?なら、まずは話し合わなきゃ。大丈夫。ここは僕がなんとかしておくよ。

だから、藤堂君の思う通りに動いたらいい。」


「……そうですね。室町先生、ありがとうございます。」


 私はようやく決心がついた。例え悲しい結末が待っていたとしても、このまま引き下がるよりも、前に進んだ方がいい。

 私はタクシーを呼ぶと乗り込んで行き先を告げた。


 ホテルCのロビーに着くと、そこには見知った顔がいた。誘拐事件でお世話になった冬桜子の親友。


「藤原祐美(ゆみ)さん?」


 振り向いた彼女は私を見ると酷く驚いたようだった。


「藤堂さん?どうしてここに?」


 それは私も同意見だ、と思った。なぜ藤原さんがここに?

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