第三十一話
「プロジェクターよし、マイクよし、PCよし……問題なさそうね。」
私はS大学の広い講義室に1人でいた。和磨さんが講義資料の最終チェックをしている間、講義室の準備をするためだった。
「いよいよ、最終日ですね。」
人の気配に私が振り返ると、大学の職員さんがいた。講義の打ち合わせを担当してくれた職員さんだ。ここまでの苦労を分かち合っていただけあって、初めの頃より随分と気安い雰囲気になった。
「はい。まさかこんな大教室で実施するほど学生さんが集まってくださるとは思っていませんでした。」
「本当ですね。それもこれも藤堂先生の人気のおかげですね。
とあるサークルが出版している学内雑誌でこの授業のことが取り上げられたそうですよ。その影響で直前になって受講希望者が増えて大変でした。当初予定していた教室を変更して、なんとか大きい講義室を確保できたので、無事に希望者全員が講義を受けられることになったのですが。」
サークルの学内雑誌と聞いてあの時の女学生二人組のことを思い出した。
和磨さんの狙い通りに宣伝になったみたいだけど、予想に反響が大きかったようだ。なんだか申し訳ない。
「折角用意してくださった教室を変えることになったなんて……。それは大変ご迷惑をおかけしました。」
「なんで謝るんですか。六条さんは関係ないですよね。」
職員さんは笑ってくれるけど、その原因を知っている私としては、更に大きな会議室を押さえるのが大変だということを知っている私としては、申し訳なくて眉を下げて苦笑いした。
「いや、本当に藤堂先生は人気ですよ。受講者も女学生がほとんどですし。もちろん、熱心に聞いている理系学部の男子学生もいますけど。男の私から見ても藤堂先生はカッコいいですし。最近の俳優さんみたいですよね。」
「そうですね。」
私はパソコンで講義で使用するリアルタイムチャットアプリを設定するのに忙しくて、相槌を適当に返した。
「……六条さんはどう思いますか?」
「へっ?なんでしょうか?」
「いやなんでもないです。聞こえなかったなら、今の質問は気にしないでください。
ああ、そうです。今日は最終日ですし、せっかくですから打ち上げでもしませんか?この辺りでワインの美味しいお店があるんですよ。」
「有難いお申し出ですけど、私は用事があるので遠慮させて頂きます。
今日は室町先生もいらっしゃる予定ですし、先生方をお誘いしてはいかがですか?」
今日は、残念ながら気が重い用事がある。例のお見合いだ。この講義が終わったらお見合い会場のホテルまでタクシーで急ぐつもりだった。
私が断ると、職員さんは見るからにガッカリしたようだった。そうよね、私も折角なら打ち上げに参加したかった。
「そ、そうですか。残念ですね。それでは、室町教授がいらしたらお声がけさせて頂きます。」
「ええ、そうしてください。室町先生はワインがお好きですから。」
私が断ったせいか、気まずい雰囲気になって、愛想笑いを浮かべたまま職員さんが講義室を出て行った。気を遣わせちゃったみたい。私は反省した。
「冬桜子、いま大丈夫かな?スライドのチェックが終わったから最新のファイルをそのパソコンに移したいのだけど。」
「和磨さん、大丈夫よ。ちょうどセッティングが終わったところだから。」
そう答えて、和磨さんからファイルの入ったUSBを受け取る。
「さっき、職員さんから打ち上げを誘われたよ。冬桜子は用事があって行けなくて残念だったね。今日は講義の後に同窓会があるんだっけ。」
「そ、そう。そうなの。どうしても今日しか都合が合わないらしくて。」
「場所はどこ?よかったら、迎えに行くよ」
「ええと、どこだったかしら……」
和磨さんが真っ直ぐな目でこちらを見てくる。大きくてきらきら輝く黒い瞳を前にすると嘘はつけない。同窓会があると誤魔化したのも一杯一杯だったのに。私は観念して正直にホテルの名前を告げた。
「……ホテルCよ。でも、迎えに来なくて大丈夫だから。」
「あの文京区にあるホテルCなんでしょ?あそこは駅から遠いのに、本当に迎えに行かなくていいの?」
「ええ、大丈夫。帰りもタクシー使うわ。」
「それならいいけど。」
和磨さんは引き下がってくれた。よかった。迎えに来たときにお見合いだとばれたら、言い訳のしようがないもの。
「じゃあ、お互いに用が済んだら各自のタイミングで宿泊しているホテルに戻ることにしよう。それでいいよね?」
「ええ、もちろん。」
私は大きく頷いた。今日という1日が何事もなく終わって欲しいと願いを込めて。
しかし、事態は穏やかには進まなかった。
大学の敷地外の適当なお店で昼食を食べた後、私は和磨さんと離れてコンビニに行っていた。ATMでお金を引き落とそうと思ったからだ。
だけど、一人になった僅かな瞬間を狙われた。
黒い服のいかにも体を鍛えていて隙がなさそうな男性がコンビニを出ようとしていた私の前に立ちはだかった。
「冬桜子さま、蓮子様がお呼びです。」
蓮子様とは、おばあさまのお名前だ。
おばあさまは私を絶対に逃さないつもりらしい。私はため息をつくと、抵抗もせずに私は黒い服の男性に連れられて黒塗りの車に乗った。
車を出て待ち構えていたのは、予想通りおばあさまだった。
「遅かったわね。待ちくたびれちゃったわ。」
「ここはどこですか?」
私は憮然としながら、辺りを見渡した。どうやら、どこかのホテルの一室らしい。家具のグレードや広さから推測すると、高級ホテルのスイートルームかしら。
「Cホテルのスイートよ。今日の準備のために借りたの。
だって、冬桜子、せっかくのお見合いなのにおめかししないつもりだったでしょう?」
「一応、この服ではなくてワンピースに着替える予定でした。」
「そう言うと思ってたわ。
だめよ、ワンピースなんて。お見合いならお着物でしょ。ちょうど冬桜子に似合いそうだと思って仕立てた振袖があるの。
これに着替えましょうね。美容師さんを呼んでいるから、髪もお化粧もそれに合わせるわ。」
おばあさまの言葉を聞いて私はギョッとした。30歳にもなって振袖を着ることになるなんて!確かに昔はお見合いといえば和服だったし、未婚女性の第一礼装は振袖だけど、30歳を過ぎたら振袖を着てもいいかどうかは、人によって判断が分かれるものだ。スマホで検索すれば侃侃諤諤の意見がネットにあふれている。
結納や結婚式でも振袖を着ることになるけど、それは振袖を着る最後の機会だから、記念に着る人が多いと思う。だけど、そうではない時に振袖を着るなんて、どうしたって意見が分かれると思う。
「ほら、この振袖よ。夏用に絽で仕立ててあるの。綺麗でしょう。」
せめて、落ち着いた色味だったら、と微かな希望を持っておばあさあまが指した方向を見る。そこには、青みのある薄い紫の生地に、図案かされた白い桔梗が丁寧に描かれている非常に手の込んだ振袖があった。想像よりは派手ではないけれど、若々しい図案で、これを私が着られるのか、躊躇ってしまった。
「どう?素敵でしょう。反物を見せてもらった時に冬桜子に似合うと思って仕立てたの。いいでしょ?」
おばあさまが、無邪気に私に反応を求めた。私はおばあさまに逆らえない。おばあさまは仕立てた振袖を私に着せたくてお見合いを設定したんだと、今更ながら気がついた。
「……はい、素敵だと思います。」
「でしょう。じゃあ、これからヘアメイクを始めてもらうわね。楽しみだわぁ。」




