表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/36

第三十話


図書館に行くと、和磨さんが閲覧室で椅子に座り英語で書かれた学術雑誌を読んでいた。私が近づくと、組んでいた長い足を解いて和磨さんは立ち上がった。


「冬桜子、連絡くれれば迎えに行ったのに。思いの外遅かったけれど大丈夫だった?」


「ええ、大丈夫よ。少し確認に時間がかかっただけだから。」


「そう。それなら良かった。ところで、落とし物はなんだったの?」


そうだ、落とし物で呼び出されたのだった。私を呼び出すためとは言っても、お祖母様ったら嘘をつくなんて酷いわ。

とにかく、落とし物なんてなくてあるのは無理に押し付けられたお見合い写真と身の上書きだけ。でもそんなこと正直に婚約者の和磨さんに言える訳がない。誤魔化すしかないわ。心苦しいけど。


「ええと、そう、個人的な書類だったの。」


「そっか。囲まれた時に落としちゃったのかな。私のせいで迷惑かけちゃってごめんね。」


和磨さんがすまなさそうに眉を下げてこちらを見てくる。和磨さんのせいじゃない。お祖母様が勝手にお見合い話を持って来て、それに私は毅然と断れなかっただけ。私は嘘をついている後ろめたさから和磨さんの視線と目を合わせられなかった。思わず、大きな声で拒絶の言葉を投げつけていた。


「和磨さんは関係ないわ。」


和磨さんが驚いた顔をする。私はすぐに我に返って言い訳をした。


「そうじゃなくて、私がうかつだったのよ。うっかり落としちゃったみたいで。心配させてごめんなさい。」


「ならいいけど。」 


幸いにも和磨さんは深く追求しなかった。私は気が抜けて地面に向かって小さく息を吐いた。それから続けてため息をついた。お見合いのことを考えると気が重い。どうすればいいのかしら。

お見合いのことで頭が一杯で、和磨さんが心配そうに私を見ていることにその時は気がつかなかった。



重い気分のまま自宅に戻り、自室に1人になった。いつもならサロンで和磨さんと過ごす時間だ。だけど、今日は疲れたから早く寝ると言って部屋に戻った。和磨さんは『新幹線に乗ったから疲れたよね。ゆっくり休んで。おやすみ。』と優しい言葉をかけてくれた。疲れているというのは方便で、私はまたしても嘘をついていたので胸が痛んだ。自室に1人きりになったのは理由があった。お見合いについて考えるためだった。


「どうしようかしら。困ったことになったわ。和磨さんがいるのにお見合いなんてあり得ない。だけど、お見合いを断ったら理事長が圧力をかけてくるわ。どうすればいいの。」


和磨さんがいるから断る、というのはお祖母様に通じない。お祖母様は私たちの婚約を『結納を交わしていないので正式な婚約ではない』と考えているから。お父様に相談してみてもいいけど、マイペースなお祖母様を説得できるとは思えない。それにもし、お母様のお耳に入ったらややこしい事態になるのは間違いない。だって、お祖母様とお母様は控えめに言って相性が良くないから。芸術家のパトロンをしているお祖母様と慈善事業に熱心なお母様は意見が合わないらしくて表立っては対立していないけれど、何かと言い合いをしている。私からしたら似たもの同士に見えるけれど。


「あぁ、もうわからないわ。どうすれば穏便に断れるのかしら。

いっそのこと、相手に何か問題があればいいのだけれど。……そうだわ、相手の方の釣書を見て判断したということにすればいいのよ。」


私は早速、重い冊子を鞄から取り出した。布張りの表紙はいかにも堅苦しい。

気が進まないながらも、表紙を開いた。

中には写真が一枚と、簡単な経歴が書いてあった。写真にはスーツを着た若い男性が写っている。前髪を上げて正装で隙なく身を固めたその姿は芸術家らしく見えなかった。ただ、繊細そうな眉と薄い唇は神経質な芸術家らしいかもしれない。

均整が取れた細身の姿は流行りのアイドルと言われても通じそうで、少なくとも私が文句をつけることなどできそうになかった。


「和磨さんほどじゃないけど、イケメンなのは認めるわ。和磨さんほどじゃないけど。」


見た目で断るのはもともと気が進まなかったけど、外見を理由にするのは難しそうだった。それなら、と経歴のページを見るけれど、こちらもダメと言えることはなかった。


「松浦安里さん。変ね。どこかで聞いたことのある名前だわ。松浦理事長の息子さんだからかしら。

東京生まれ、東京育ち。東京の藝術大学の日本画科に現役合格。それから博士課程まで進んでいるのね。

今はアーティスト活動を行なっている……。うーん、強いてあげるなら堅い職業についていないことは断る口実になるかしら?

でも、大学で賞をもらっているみたいだし将来有望そう。それにお祖母様はアーティストがいいと推しているのだから、お祖母様に通じるとは思えないわ。」


私は悩んでしまった。穏便に断る口実が全然思い付かない。このままではお見合いを受けることになってしまう。

お見合いをするなんて和磨さんを裏切ることはしたくないわ。どうしよう。


「そうだわ、相手に断って貰えばいいのよ。」


そう、よく考えてみれば選ぶ権利を持っているのは私だけではない。松浦さんだって断る権利がある。

私は早速、断る口実になりそうな自分の欠点を紙に書き出した。


「私は世間知らずだし、美人でもないし、気も利かない、友達も少なくて社交的じゃないし、ピアノとヴァイオリンは弾けるけど、絵の才能はないし。作品の価値を理解して、その素晴らしさを広めるアーティストを支える活動なんて到底できない。

 よし、これだけあれば十分かしら。明日おばあさまにお電話して断りましょう。」


次の日、私は朝一番でおばあさまにお電話した。

もちろん、昨日考えた理由を片端から上げて、先方から断るように仕向けるためだった。


「……というわけで、私は松浦さんには相応しくないと思います。ですから、お祖母様からこのことを先方にお伝えして本当にお見合いをしても良いのかもう一度ご判断を聞いていただけますか?」


「冬桜子ったらそんなことを気にしていたの?問題ないわよ。だって、先方がどうしても冬桜子に会いたいと言って進んだお話しですもの。」


「私に会いたいと?それってどういうことですか?松浦安里さんが私のことをご存知なのですか?」


「そうじゃないかしら?松浦理事長とは六条家としてお付き合いもあるし、どこかで冬桜子のことを見かけたのじゃないかしら。」


「それでしたら、私の婚約のことも耳にしていてもおかしくないかと思いますが……。」


「冬桜子さんたら、真面目ね。先方は気にしないようよ。一度だけでも会ってほしいみたい。先方がこんなにお願いしているのだからお見合いを断るなんて失礼よ。」


どうやら、予想以上に松浦さんは乗り気みたいだった。乗り気な相手を断ることは失礼だと、おばあさまに言い切られて私には返事が見つからなかった。


「そ、そうなのですか……?」


「それじゃあ、お見合いの話は進めておくわね。後で当日の場所と時間を連絡するわ。」


「ちょっと、お待ちください……!」


おばあさまは私の言葉が聞こえなかったようで、遠慮なく電話を切った。

通話が終わって黒い画面に切り替わったスマートフォンを前に私は途方に暮れてしまった。


「どうしましょう、断れなかったわ。」


このままだと、不本意ながらお見合いをすることになってしまう。例え断れない筋の話だからと言い訳しても、お見合いをすること自体が和磨さんを裏切ることになるから、絶対にしたくない。婚約者に裏切られる辛さは誰よりも知っているつもりだから。

なのに、おばあさまは私の意思なんて関係なくお見合いの話を勝手に進めてしまった。おばあさまは生粋の気位の高い正真正銘のお姫様育ちだから自分の思い通りになることが当然で、私が断ることなんて始めから想像すらもしていない。


「どうしましょう。ドタキャンでもしようかしら……」


私がため息をつくと、後ろから声をかけられて飛び上がった。


「ドタキャンがどうしたの?」


「和磨さん。ううん、なんでもないのよ、気にしないで。」


「そう?」


「ええ。あ!もう家を出る時間ね。出ないといけないわ。」


部屋を出ようとしたけれど、和磨さんの長い腕によって阻まれてしまった。黒くて大きな瞳が私をまっすぐに見つめた。


「いつも出る時間まであと5分あるよ。ねぇ、冬桜子、隠し事しているでしょう?」


「そ、そんなことないわ。」


「冬桜子はウソをつけないね。目が泳いでいるよ。」


和磨さんからそう指摘されて動揺した私は、なおさら和磨さんに目が合わせられない。

お見合いを強要されていることを知れば、和磨さんはショックを受けると思うと黙っていると悪い方向へ転がっていくと予想できていても口にできなかった。


「こっちを向いて。」


和磨さんの繊細そうにみえる長くて細い指は意外にも力強い。私は背けていた顔を正面に向けさせられた。


「私はそんなに頼りないかな?」


「……和磨さんに話せないことだから……」


私が絞り出すように答えると、和磨さんは私の顎に添えていた指の力を緩めて離した。


「そっか。」


寂しそうに瞼を閉じる和磨さんの姿に、私の胸が罪悪感で締め付けられた。

ごめんなさい。ちゃんと断るから。


「何か言った?」


「ううん、なんでもないわ。」


「そう。もう時間になるし、行こうか。」


いつものように私たちは家を出た。だけど、お互いにいつもより距離が広く感じた。


和磨さんに何も言えないまま、お見合いの日になってしまった。

お見合いの日は、和磨さんのS大学での集中講義の最終日だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ