第三話 新しい暮らし
ヒーロー登場?です。
お酒の飲み過ぎには気をつけたいです。
大叔母様が残してくれたアパートに引っ越してから1か月が経った。
アパートは2LDK。実家よりは狭いけれど一人で暮らすなら十分だった。
引っ越しの手続きも済んで、仕事も決まった。
新しい仕事は市内にある国立の研究所に勤める教授の秘書だ。
大企業の秘書をしていたことと、秘書検定を持っていたことが良かったみたい。
応募したら運良く採用してもらえた。
研究室の秘書の仕事は面白かった。
教授のスケジュール管理の他、研究室の運営や、外部の機関との連携など今までに出会ったことのないタイプの人たちと仕事をすることが多かったから。
もちろん、私の上司に当たる室町教授も中々に変わった先生だった。
とにかく凝り性でマイペース。最近ようやく慣れ始めたところだった。
「六条さん、明日の予定はどうなってる?」
「明日は論文の査読の締め切りと、研究所の教授会議が10時から入っております。あと、新しく人が来る予定です。」
「査読か~やんなきゃね。ははは。新しく来る人って藤堂君?」
「そうです。藤堂和磨さん。日本で医師免許取得後、世界大学ランキング上位常連の一流大学のEPFL(スイス連邦工科大学ローザンヌ校)で博士課程を終えたあと助手を2年。任期付きの特任准教授としてこちらには着任予定です。」
「そうそう。彼は僕が東大にいた時の教え子なんだよ。
最近素晴らしい成果を出してね、よかったらうちに来ないかと言ったら来てくれてさ。テレビでも特集されていたよ。医学の王子様とかなんとか。」
室町教授は嬉しそうに話を続ける。
このままではまた論文雑誌の編集の方に査読の締め切りを延ばしてもらうことになると思った私は口をはさんだ。
「歓迎会でしたら、準備しておりますよ。歓迎会にご出席されるためにも査読を今から進めた方がよろしいのでは。」
「確かにそうだね。そうするよ。」
渋々といった様子で室町教授はデスクに向かった。
今回は締め切りを守れそうで良かった。毎回締め切りを延長してもらっていては気まずいもの。
私は研究室のメンバーに歓迎会のリマインドメールを送った。
研究室は今、教授と私を含めて7人。修士の学生が2人、博士が2人、ポストドクターが1人。
ポストドクターというのは、任期付きでお金を貰って研究をしている博士号を持った人のことだ。
この研究所に来て驚いたことは、ドクターと呼ばれる人がお医者様以外に沢山いること。
博士とは言うものの、創作物にあるようなお髭の生えた年配の方ではなく、むしろ若い人も多い。
室町研究室にいるポストドクターも、昨年博士課程を終えたばかりで、私よりも2歳年下だった。
そんな若い人が多い研究室だから、飲み会も活気がある。
だけど、歓迎会の場所は市内の和食屋さんにした。
最初は若い人が好きそうなイタリアンと迷ったのだけれど、今回の主役である藤堂さんが海外暮らしが長かったのだから和食の方が嬉しいだろうと思って、そちらにした。
人数的にも個室を確保することができたし、人目を気にせずに盛り上がれるでしょう。
予約した和食屋さんは京都の料亭で修業したという店主が営んでいて、味がしんみりしていておいしい。
個人的に気に入っているお店でもある。
あ~あそこの南蛮漬けが食べたくなっちゃった。
今日も帰りに行こうと決意する。
―――
「冬桜子ちゃん、そんなに飲んで大丈夫?」
「平気です!私、実家にいたころは飲酒を制限されていたのですけど、とっても強かったみたい。それに、お酒を飲んでいる時だけは嫌なことを忘れられるのだもの。」
「そうは言ってもね~。もうやめときなよ。ほらこれ、チェイサー。」
店主のサブさんがカウンターに座る私にお水を出してくれる。
「ありがとう。サブさん優しいね。」
サブさんは仕事だからね、と返してくる。サブさんは渋いナイスミドルだ。
だけどサブさんが作るご飯は丁寧で温かい。
「サブさんの作るお味噌汁はおいしいわ~。」
「そうはいっても、お母さんが作るお味噌汁にはかなわないだろう。」
「どうかしら。だって、お母様が料理をしているところなんて見たことがないもの。」
お酒が入っていると口が軽くなるらしい。どんなことでも楽し気に話してしまう。
「…そうかい。」
「サブさん、気になさらないで。その代わりにお手伝いさんが色々と作ってくれましたから。それにお手伝いさんからちゃんと料理も習いましたし、私は料理できますよ。」
「うん。まあ、その、困ったことがあったら言ってくれよな。」
「まあ!それなら、南蛮漬けのレシピを教えてくださいな。」
「それはだめだ。看板メニューだからな。」
「あら、ひどい。」
南蛮漬けが好きすぎて再現してみようと思ったけれど、難しくてできない。
どうしたら、サクッとじゅわっとした味を再現できるのかしら。
「店長、あそこのお客さんが…」
「どうしたんだ?」
店員さんがサブさんに話しかけてきた。何やら揉め事らしい。
「なぁ、冬桜子ちゃん、」
「なんでしょう?」
「確か英語できたよな?」
「まあ、ビジネス英会話程度なら。他にもフランス語とドイツ語と中国語ができます。」
社長秘書をしていたので、語学も一通り身に着けていた。
「それは心強いや。あそこにいるお客さんが酔いつぶれちゃったんだけど外国語しか話せないんだってさ。何とかしてやってくれよ。タクシー呼ぶから。」
「わかりましたわ。」
言われた先に行くと、確かに男の人がテーブルの上で酔いつぶれていた。
日本酒1合瓶とおちょこが置かれている。
「どれくらい飲んだのかしら。」
気になって1合瓶を持ち上げてみると、全然減っていなかった。
「全然飲んでないわ。お酒に弱いのね。」
「こまったな~、弱いなら言ってくれればよかったのに。」
店員さんは頭を掻いている。でも、お酒に罪はない。一人で飲みすぎるのが悪いのだ。
私はとりあえず英語で話しかけてみた。すると、何やら反応があった。フランス語だ。
「あら、そちらの人でしたの。」
フランス語で話しかける。
『お住まいはどちらですか?』
『ローザンヌの…』
ローザンヌ!ローザンヌはスイスの有名な都市の名前だ。ローザンヌで開催される国際バレエコンクールは日本でもニュースで耳にしたことがある。
住まいを尋ねてローザンヌと答えるなら、きっとスイスからの旅行者なのだろう。
「きっと旅行者です。タクシーに乗せてホテルの名前を聞き出します。」
「そうか。ありがとう。それでこの人の代金はどうしよう。」
「私が立て替えておきます。それくらいなんてことないですから。」
「いいのかい?ツケにしておいてもいいんだけど。」
「いいですよ。だって旅行者だったら明日には帰っちゃうかもしれないじゃないでしょう。」
店員さんにも手を貸してもらってタクシーに乗せる。
背が高いので二人がかりでも大変だった。
やっとこのことでタクシーに乗ってドアを閉める。
「お客さん、どちらに行きます?」
私はそういわれて、隣の人に声をかけた。
『今日はどちらにお泊りですか?』
反応がない。寝ているみたいだった。
ゆすっても、ゆすっても反応がなかった。
どうしてこの時、そんな無謀なことをしたのか分からない。
多分、私自身もお酒に酔っていたのだと思う。
私は自棄になってタクシーの運転手さんに自分のアパートの住所を伝えた。
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