第二十九話
私の目の前にいる蓮子お祖母様は、私の父方の祖母であり六条家で強い発言権を持っている。
若い芸術家のスポンサーをすることが趣味で、日本や世界を飛び回っているので殆ど家にいることがない。
なので、どうして蓮子お祖母様が日本に戻ってきたのか検討がつかなかった。
「冬桜子、いつまでそこに立っているの。みっともないからそこにお座りなさい。」
「はい……。」
お祖母様に叱られて慌てて座った。応接間セットの手前の席しか空いていないので自然と向かい合わせになる。お祖母様の視線が私を貫いてくる。どうしてお祖母様はご機嫌が悪そうなのか。気位が高くて自由奔放な人なので一度こうなると大抵はお祖母様の要求を飲むしかないことを経験的にわかっていた。
「お前の結婚のことで話があるの。私が知らない内に色々と進んだようね。」
「そ、それは……。」
私は動揺すると同時に理解した。ああ、なるほど、と。お祖母様は自分の知らないところで私の結婚話が進んだことが許せないのだわ。
しかし、本人が合意し、両家の両親が認めたのだからお祖母様に口出しされる謂れはないはずだった。だけど、そんな正論がお祖母様に通じるとも思えなかった。
「言い訳はいいわ。ただ考えてみて頂戴。パーティーで他人から孫の結婚話を聞かされた私の気持ちを。それにお相手に良くない噂がついていたのよ。恥ずかしくて仕方がなかったわ。」
「ご報告が遅くなってしまったのは謝りますわ。お祖母様への配慮が足りませんでした。ごめんなさい。
ですが、1点だけお伺いしても良いでしょうか。そのパーティーで流れていた良くない噂とはなんですか?」
「冬桜子の選んだ相手は、浮ついていて大した学歴もなく、職もなくフラフラした低俗な人間だって。冬桜子の財産が目当てで結婚すると聞いたのよ。」
お祖母様から語られたのは耳を疑うような噂だった。根も葉もない、きっとその人は和磨さんの名前すら知らないに違いない。和磨さんの名前をネットで検索すれば輝かしい経歴を示す証拠がいくらでも出てくるからだ。
「誰がそんな噂を!」
「確か、成登さんから聞いたのよ。お嬢さんが冬桜子と同級生だったでしょう。」
成登さん、私は聞き覚えがあった。前の連休に東京駅で会った同級生だ。私のことを気に入らないようだと思っていたけれど、まさかそんな嫌がらせをしてくるなんて。あまりに酷い。
「それは六条の名前を貶めるだけの噂ですわ。信じないでください。婚約者の和磨さんはそんな方ではありません。真面目な研究者です。」
「そうね。私も夏秀に確認したら似たような答えが返ってきたわ。ノーベル賞受賞も間違いない優秀な研究者だと。
でもね、冬桜子。本当にそんな地味な人と結婚して良いの?研究者の妻なんて窮屈でつまらないわよ。」
私はお祖母様の言い様に眉をひそめた。
「何がおっしゃりたいのですか。」
「冬桜子にいい話があるのよ。」
お祖母様は上品に満面の笑みを浮かべた。私は嫌な予感がした。こう言う時は無理難題が押し付けられる。話を無かったことにするためにもこの場を立ち去ろうとした。
「お祖母様、私は今日は仕事でこのS大学に来ているのです。新幹線の予定があるのでそろそろお暇しないといけません。」
「いいの?聞かないと後悔するわ。今日のお仕事にも影響が出てしまうかもしれないわよ。」
「どう言うことです?」
「このお話は、S大学の松浦理事長からのお話ですもの。このお部屋も松浦さんがお貸ししてくれたのよ。」
「松浦理事長が?何故ですか?」
私はそこまで口にして思い出した。以前に廊下ですれちがった時に、しつこく結婚を勧められたことを。
「松浦さんの下の息子さんが、名前を安里くんと言うのだけれどね、とても才能がある日本画家なの。
私はとっても彼を応援しようと思っていてね、そのお話をしたら松浦さんがどうせなら冬桜子と結婚すればいいじゃないかって。
次男だから婿に出してもいいと言ってくれているのよ。
そうしたら、冬桜子も六条を出なくて済むし、私は才能豊かでイケメンの孫ができるし、いいお話だと思わない?
別に今すぐ結婚してもらうつもりはないから、まずはお見合いをしてみたらどうかしら。」
どうかしら、とお祖母様は無邪気に言うがふざけた話だ。私は怒って席を立ってドアに手をかけようとした。
「あり得ません!私は和磨さん以外考えられません。失礼します。」
「いいの?もし断ったら、S大学での夏期講習がどうなるか……。私には想像がつかないわ。」
お祖母様の言葉にあの強引そうな理事長の顔を思い出された。お見合いを断ったら講習を取りやめるつもりかもしれない。私は和磨さんや室町先生、職員の方など講習の準備に関わってきた人たちを指折り数えた。私が原因で皆の努力が無になるのは耐えられない。
眉をひそめて、お祖母様を見据えた。
「脅すおつもりですか。」
「まあ、怖い。そんなお顔をしたら冬桜子の可愛いお顔が台無しよ。
とにかく、前向きに考えて頂戴ね。これがお相手の身の上書きだから。もちろん、当日の服装は私が用意するわ。」
お祖母様はA4サイズの立派な冊子を手渡してきた。中を見なくても分かる。正式なお見合いの書類だ。
「私はもう婚約しているのですよ。」
「でも、まだ結納も交わしていないし、正式ではないでしょう。それなら他の人とお見合いをするくらいいいじゃない。
それに、芸術家の妻は研究者よりもずっと華やかで刺激的よ。これからの人生を後悔しないためにも受けた方がいいわよ。」
心の底からの親切心でお祖母様は言ってきている。だけど、私からすればお節介だ。
「私は結婚相手を職業で選んだりしません。」
「それじゃあ何?学歴?だったら大丈夫よ。安里くんも芸術大学の博士課程を出ているわ。学歴は同じね。」
「学歴でもありません。とにかく、私はこのお話をお受けできません。」
「わかったわ。それなら、残念だけどお見合いは無くなったと松浦さんに伝えておくわ。松浦さんは大層悲しむでしょうね。下の息子さんを可愛がっているそうだから。冬桜子のお仕事に支障が出ないといいわね。」
またこうして圧力をかける。お祖母様は悪い人ではないけれど、自分の思い通りに物事を進めようとするのは悪い癖だ。今回も抗えそうにはない。
「わかりましたわ。1週間だけお時間をください。」
「仕方ないわね。冬桜子は母親の蓉子さんに似て頭が固いのだから。良く考えて正しい判断をしてね。」
結局、私はお祖母様からのお見合い話を断りきれずに身上書と写真の入った立派な冊子を受け取ってしまった。押し付けられた冊子はずしりと重く感じた。
鈍い足取りで外に出ると、湿った風が顔を撫でた。もうすぐ雨が降るのかもしれない。
「こんなこと、和磨さんには言えないわ。」
私は冊子を鞄の奥底にしまった。




