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第二十八話


それから、慌ただしい日々が続いた。

和磨さんのスイス留学時代のお友達がやっている宝石屋さん――ベルギー・アントワープにある老舗のジュエリーショップ――に連絡を取って指輪を決めたり、結婚式場を探したり、結納の準備を進めたり。


結局、二人の家族に確認したところ顔合わせでなくて結納が必要になったので、都内の庭園が美しいホテルで行うことにした。時期は紅葉が綺麗な秋。


結婚式場は神社で神前式、それから近くのホテルで披露宴という形式になった。これは、お母様が意外にも自分の結婚式の時の衣装を着て欲しいと強く希望したからだった。それで、お母様の白無垢を挙式で着ることにして、披露宴で着るウェディングドレスは新しく誂えることになった。


結婚する準備だけでこんなに忙しくなるとは思わなかった。公私共に慌ただしい日々を過ごしていた。


だから室町教授に言われるまで、夏にはS大学での夏期講習があることをすっかり忘れていた。


「来週、S大学に打ち合わせに行く予定だったよね?

準備はできてる?」


「…!すみません、日帰りでしたよね。至急新幹線のチケットを手配します…。」


すっかり忘れていたわ。こんな基本的なミスをするなんて。結婚のことで忙しくて疲れているのかしら。仕事に影響を出すなんて良くないわ。


「うん、よろしく。ああ、今回は僕は行かないから。藤堂君を前回紹介したから、藤堂君と六条さんに任せるよ。」


「はい、わかりました。」


「疲れているみたいだけど、藤堂君と何かあった?」


「な、なんで分かるんですか!?」


不意をつかれて私は慌てた。顔に描いてあったかしら。

慌てる私に対して室町教授は飄々として解説する。


「簡単な観察の結果だよ。六条さんは真面目な性格で仕事を疎かにすることはない。一方で仕事の効率がやや下がっている。あくびを噛みしめる回数が増えている。どうやら疲労が蓄積しているらしい。

……で、疲労の原因といえば真っ先に思いつくのは藤堂君だろう。」


「まぁ……。」


「その顔を見る限り正解みたいだね。でも大丈夫?出張は藤堂君と二人きりになるけど。」


「いいえ!そ、その、ご心配いただくことは何もありませんから。」


私は誤解が無いように室町教授の質問を力強く否定した。本当は婚約したことを伝えたいのだけど、私一人で言うのも気が引けるし、折角だから和磨さんと二人で報告したい。


「それならいいけど。」


室町教授は引き下がってくれた。よかった。室町教授に報告するタイミングは和磨さんと相談しないと。

室町教授にはお世話になっているし、きちんとした形で報告したいもの。


その日の夜、和磨さんと相談した結果、室町教授には結納が終わった後に報告することにした。


「確かに室町教授にはちゃんと報告したいよね。祝辞か乾杯の挨拶をお願いしたいし。」


「そうよね。室町教授は2人ともお世話になっているから、お願いしたいわ。まだ先だろうけどプランナーさんとお話ししなくちゃ。」


「冬桜子、大丈夫?つかれているよね。私にもできることはない?」


「ううん、大丈夫よ。和磨さんには結納の準備をしてもらったもの。私が忙しいのは、ドレスの打ち合わせや衣装合わせのためだもの。私がワガママを言っているせいで自分の首を絞めているのよ。仕方ないわ。」


挙式はお母様の花嫁衣装を着るのだから、ドレスくらいは夢を詰め込んで作りたい。お母様の花嫁衣装に不満がある訳ではない。お母様の花嫁衣装はそれはそれは美しい白無垢で、金箔や銀箔で刺繍がされている。保管状態も良かったから、白いままだった。こんなに美しい着物が着れるなんて嬉しい、と思ったのは事実だ。

だけど、やっぱり一生に一度なんだから自分で選んだドレスが着たい。この二つの気持ちは我儘なことに両立してしまうのだった。


そこで、ドレスをフルオーダーすることになったから、考えることが一気に増えた。

ドレスのデザイン一つとっても、形だけでも複数ある。Aライン、スレンダー、プリンセス、マーメイド…。流行りのスレンダーか、王道のAラインにするか迷ってしまう。


生地はシルクを使うのは当然として、サテンか、シャンタンか、オーガンジーか織り方によって雰囲気が変わってくる。私としては、サテンほど照りはないけど、しなやかで深みのあるシルクファイユという生地を使いたかった。それにフランスのリバーレースを取り寄せて、レースを散らしたら素敵になると思うの。ヨーロッパの小国のプリンセスになったアメリカの大女優みたいに気品がある感じにしたい。

だけど、軽やかに彩って今風のボヘミアンスタイルに近づける。

背中は編み上げじゃなくて、くるみボタン。


という風に、要素では希望があるのだけれどそれらを全部まとめた時に上手くハマるデザインは中々なかった。


だから、私はデザイン案を眺めては迷っていた。

ため息を吐く私に、和磨さんは気を遣ってくれる。


「それならいいけど、ムリはしないでね。

今回の東京出張は夏期講習の打ち合わせだけだし、ゆっくりできると思うから。」


「心配してくれてありがとう。大丈夫、ちゃんとするわ。」


私は拳をぎゅっと握って言ったけど、和磨さんは心配そうな顔をしていた。



―――



東京出張の日。

久しぶりにS大学の敷地に足を踏み入れた。相変わらず華やかな大学生が多い。それに、夏が始まろうとしているからか、学生達は浮き足立っている気がする。


いや、それだけじゃないわ。

明らかに学生達は私たち、といより和磨さんを見ていた。和磨さんを見てはひそひそと何か話している。


「ねぇ、あの人って」

「……もしかして、そうかも」


何なのかしら、と不思議に思いながら敷地内を進むと、遂に女の子達が声をかけてきた。何かを期待した目をして。


「あのー、すみません。もしかして、藤堂特任准教授ですか?」


キラキラと目を輝かせて言う。


「そうだけど、何か用ですか?」


和磨さんはピクリとも顔を変えずに答えた。結構な塩対応に見える。それでも女の子達は答えを聞いて「きゃあ!」と黄色い声をあげた。


「ホンモノだー!うれしい、ファンなんです。」


「サインください!」


質問してきた女の子達の声に、周囲で様子を伺っていた学生達が一切にざわめいた。


「本物の藤堂特任准教授?」

「すごい!」

「今日来てたんだ!」


驚きの言葉を口々にしながら、学生達が私と和磨さんの周りを取り囲んだ。学生は女の子だけではなくて、男子学生もちらほらといた。


「一体どうしたんだ?」


「ほんとうに。このままでは、約束の時間に遅れてちゃうわ。」


和磨さんと私が身動きできずに困っていると、人混みをかき分けてくる人が来た。


「すみません~新聞サークルです!道を開けてください!」


女の子の2人組がやってきた。私はその2人の顔に見覚えがあった。確か、以前S大に来た時に、和磨さんを取材しようとした人だ。


「こんにちは!新聞サークルです。

またお会いできて光栄です!」


「君たちか。」


和磨さんも記憶していたらしい。片眉を上げて不愉快な感情を隠さなかった。


「すみませーん!以前のイケメン特集が凄い反響あって、こんな騒ぎになってしまいました。ここにいる人たちみんな、藤堂准教授のファンなんですよ。

で、今日は何しに来たんですか?」


「准教授じゃなくて、特任が付くけどね。訂正してね。今日の目的を伝えたら解放してくれるのかな?」


「もちろん、新聞サークルの権限を持ってこの集団を解散させますよ。」


「それを証明できるものは?」


和磨さんが挑発的に言うと、その女の子は腕を高く突き上げて指を高らかに鳴らした。すると、どこからか拡声器を持った学生達が現れて群衆に呼びかけた。


「お集まりの学生達!

新聞サークルからの情報だ!

いまから時計台前で講義の過去問と最新の楽単情報を配布するっ!

部数限定なので早い者勝ちだっ。

乗り遅れたくない者は今すぐ時計台に走れー!」


それを聞いた学生達は口々に「過去問だって」「楽単だっ!楽単!」と言い、南の方へ走りだした。

残ったのは新聞サークルの女の子2人だけだった。


「どうですか?我が伝統ある新聞サークルの力は!単位を制する者は大学を制するんですっ!」


「すごいね。ありがとう。じゃあ、行こうか冬桜子。」


和磨さんは私の手を引いて歩き始めた。


あら?いいのかしら。新聞サークルの方に協力しなくて?


私が疑問に思っていると、案の定、新聞サークルの女の子が引き止めにきた。


「待ってください!これだけ協力したんです。

せめて、今日は何をしにきたのか話してください!」


必死になっている女の子達に和磨さんは、またもや片眉を上げた。


「なるほどね。そこまでいうなら、ヒントをあげようか。」


和磨さんはサラサラとメモに何かを書き、それを切り取って渡した。

メモには11桁のアルファベットの羅列が書いてあった。


「これを調べれば次に私達が来る日も分かるはずだよ。単位に詳しい君たちならすぐに分かるはずだけど。宣伝よろしくね。」


女の子2人は食い入るように紙切れを見ていた。


「和磨さん、あれって、」


「そう。講義の登録コードだよ。最近夏季の講義の登録が始まったそうだから、コードが分かればシラバスで調べられると思う。まあ、簡単な暗号を仕込んだから直ぐには分からないだろうけど。

情報を得るならこれくらい努力しないとね。」


ずいぶんと、凝った事をすると思った。


「記事にされたことを怒ってるの?」


「いや、別に。」


「なら、意地悪しなくてもいいじゃない?」


最近の大学の授業は学生受けも大事だって聞くのに。心配だわ。


「意地悪のつもりじゃないよ。この方が面白いし、興味を惹くでしょう。冬桜子は心配性だね。

ほら、先を急ごうよ。遅れてしまうよ。」


時計台の鐘が鳴った。腕時計を見ると約束の時間が迫っていた。

和磨さんが足を速めたので、私は黙ってついていくので精一杯で先程言い争っていたことなどすっかり忘れてしまった。




―――




それから講義の打ち合わせは順調に進んだ。


「藤堂先生、六条さん、今日はご足労いただきありがとうございました。おかげさまで今年もいい講義になりそうです。

特に、今回導入するリアルタイムに質問を画面で共有できるシステムは面白そうですね。上手くいけば、他の講義でも導入を進めたいと思います。」


「ありがとうございます。海外のセミナーで使われているのを見かけて、自分の講義で使いたいと思っていたのでそう言っていただけて嬉しいです。

私も使った事はなかったのですが、六条が以前の勤め先で使用していたそうなので。」


「そうなんですか、六条さんはITに強いですね。」


職員の方からITに強いと言われて、私は必死に首を左右に振った。私がITに強いだなんて滅相もない。


「一応、IT系の会社でしたから、少しだけ流行りモノをかじっていただけです。私なんてまだまだです。」


その証拠にプログラミングだって少ししか書けないし、アプリ開発だってできない。基礎的な知識を問うITの資格である基本情報技術者くらいは持っているけど。


「いや、それでもこういうツールの導入方法をご存知なだけでも強いですよ。最近の学生はいわゆるデジタルネイティブでしょう。ですから、大学もデジタル化を進めているのですが、どうしても委託先任せになってしまうんですよね。

六条さんみたいにIT企業出身の方がいればもっとスムーズにシステムを更新できるのでしょうね。」


職員さんはため息をついた。溜め息の深さから想像するに相当悩んでいるらしい。だけど私ができることなんて大したことではないから力に慣れないと思う。そう私が答える前にすかさず和磨さんが口を挟んだ。


「六条はうちの研究室の大事なメンバーですから勧誘は困りますよ。

それに今時はリファラル採用なんてものが流行っていますし、試してみてはいかがですか。」


「リファラル採用?なんでしょうか。」


「リファラル採用というのは、在籍している社員が友人や知り合いを紹介する採用のやり方ですよ。社風や必要なスキルを充分に理解している社員が紹介するので、ミスマッチが少ないと言われているんです。システム部門の方ならITに携わっているご友人も多くいらっしゃるでしょうし。」


「そんなやり方があるんですね。」


職員さんは和磨さんの言葉に感心したように深くうなずいた。それから職員さんは積極的に幾つか質問してきた。どうやら解決の糸口になりそうみたい。一通り質問を終えると職員さんは思い出したように腕時計をみた。


「そろそろお時間ですし終わりにしましょうか。次回は講義の本番ですね。よろしくお願いします。」


職員さんは誤魔化すように苦笑いをした。和磨さんも私も先ほどのことは聞かなかったことにして打ち合わせを終えることにした。


「はい、こちらこそよろしくお願いします。」


私たちは挨拶をするとその場を後にした。外はまだ日が高く夏の風が爽やかだった。


「良い講義になりそうでよかったわ。」


「そうだね。」


校舎の外に出た時に後ろから声をかける人がいた。


「六条さん、よかった、間に合って。」


先ほどの打ち合わせに出ていた職員の人だった。急いでいたのか、息があがっている。


「どうなさったんですか?」


「六条さんの落とし物があると事務から連絡があったんです。確認のために事務局まで行っていただけますか?」


「落とし物?覚えがないけれど、私ったらいつも間にか物を失くしていたのですね。

ありがとうございます。確認に伺いたいと思います。和磨さん、少し見てきてもいいかしら?」


「もちろん。早く行った方がいいよ。私は図書館にいるから終わったら連絡をくれる?」


「わかったわ。それじゃあ、お手数ですけど事務局の場所を教えていただけますか。」


私は職員さんに事務局の場所を聞くと案内をするという職員さんの申し出を断って1人で向かった。事務局の受付で用件を伝える。


「落とし物が届いていると伺って参った六条ですが、こちらでよろしいでしょうか。」


そうすると、人の良さそうな女性がやってきて案内してくれた。


「六条さんですね。こちらにご案内しますのでついてきてくださいますか?」


落とし物の保管場所が別にあるのかしら。私は疑いもせず大人しくついていくことにした。


「この部屋にお入りください。」


扉が開かれて中に入るとそこには予想もしない、だけどよく知っている人がいた。

綺麗に整えられた白髪、品良く細められた目。落ち着いた若々しい声。


「久しぶり、冬桜子。」


蓮子(れんこ)お祖母様!」


お祖母様は私の驚きをよそに上品に微笑んで紅茶を口にした。


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