第二十六話
都内某所、街と街の間にある閑静な住宅街。
そこを目指して、交通量の多い駅とターミナル駅に挟まれた名前だけは見覚えのある地下鉄の駅で降りた。
和磨さんのご実家に挨拶するためだった。
「初めて来たけれど、この駅に住宅街があるなんて知らなかったわ。」
私は地上に上がってきょろきょろした。駅の近くはコンビニやチェーンのカフェなどが並び、住宅街があるようには見えなかった。
「意外と知られてないよね。住んでるところを答えると、『住める場所あるの?』ってよく聞き返されたな。冬桜子、こっちだよ。」
和磨さんは私の手を引いて坂道を上った。坂を上りきると確かに、一転して静かな住宅街が見えてきた。
「驚いたわ。雰囲気が全然違うのね。」
「そうでしょう。表通りと違って静かでしょ。」
どこか嬉しそうな和磨さんに私は頷いた。和磨さんはきっとこの場所が好きなのね、と思った。
「祖父の時代からここに住んでいるんだ。まあ、10年前の再開発で昔の家は取り壊してしまったけれど。
ほら、着いたよ。」
「もう?」
立ち止まった先に見えたのは、マンションだった。8階立てくらいの控えめな高さのマンション。外壁は落ち着いた茶色のタイルで覆われている。10年たったと聞いたけれど綺麗だった。
「そうここの、最上階が実家なんだ。じゃあ、準備はいい?」
「ええ。」
私はぎゅっと唇に力を込めて頷いた。ああ、緊張で心臓の鼓動が速まっている。急にどうしようもない不安が襲った。
「ねえ、私の格好おかしくないかしら。大丈夫?」
「大丈夫だよ。そのネイビーのワンピースも似合っているし、お土産も持ってきてて忘れ物もないし。それにそんなに気構えなくていいから。」
「そう?それならいいんだけど…。」
和磨さんに言われて少しだけ安心した。深呼吸をして呼吸を落ち着ける。繋いでいた手を握り直した、
ようやく一歩を踏み出せると思った時に、後ろから声をかける人がいた。
「兄さん?もう来てたんだ。」
振り返るとそこには、和磨さんによく似た男の人が立っていた。ただ和磨さんと違って髪も瞳も明るい茶色で、活発そうな雰囲気を醸しだしていた。和磨さんの姿を確かめるとその男の人は満面の笑みを浮かべた。
「久しぶり!元気してた?」
「怜磨、久しぶり。大人になったね。」
和磨さんが眩しそうに目を細める。怜磨と呼ばれた男の人は照れ臭そうにはにかんでいた。
「兄さんがスイスに行く前から成人してたけどな。まあ、兄さんがいない間に社会人になったし、少しは成長したかも。
なあ、兄さんの隣の人はもしかして…?」
「そう。私の婚約者だよ。
冬桜子、この陽気な男が私の弟の怜磨。」
和磨さんに紹介されて私は改めて自己紹介をした。
「お初にお目にかかります、六条 冬桜子と申します。怜磨さん、とお呼びしてよろしいかしら?」
「呼び捨てでもいいですよ!冬桜子お義姉様。
お義姉様とお呼びしてもいいですか?」
「ええ。いいですけど…。」
なんでみんな私のことをお姉さまと呼びたがるのかしら?確かに秋紀ちゃんも、羽留ちゃんも私より年下だけど。もっとフランクに呼んでもらっても構わないのに。
「うわー!嬉しいな。六条グループのお姫さまが義理とはいえお義姉様になるなんて!」
「私の家のことをご存じなのですか?」
「勿論ですよ。これでも六条グループの会社に勤めていますから。」
「そう言えば怜磨は、六条グループの商社に就職していたのだっけ。」
「そうだよ。新卒からR商社に就職してもう6年目かな。」
驚いた。R商社と言えば六条グループの中核会社だったから。世間は狭いというけど、まさか和磨さんの弟さんがグループの一員だったなんて。昨日の謎の会にもR商社の社長さんがいらしてた。幹部の方を余計なことに巻き込んでしまったことが思い出されて、私はつい頭が下がった。
「まぁ。それはそれは……。大変お世話になっております。」
「いや、こちらこそお世話になっています。
というか兄さん、俺のことをお義姉様に話していなかったのか。」
「余計な気を遣わせたくなくて。それより、その手に持っているのはケーキじゃないか?初夏とはいえ気温も高いし、早く中に入ろう。」
「ああ、そうだった。母さんからお遣いを頼まれていたんだった。早くいこう。」
怜磨さんに急かされて、私たちはマンションの中へ吸い込まれていった。思えばこの時に和磨さんがご家族のことを全然話してくれていなかったことに気が付いていれば、もっと落ち着いて過ごせたのに、と思う。
最上階の扉を開けて私達を歓迎してくれたのは、笑顔の眩しい中年女性とロマンスグレーに蜂蜜色の瞳をした初老の男性だった。
「いらっしゃい。よく来てくれたわね。」
明るい声の朗らかな女性は和磨さんのお母様の一美さん。そして、物静かな初老の男性はお父様の壮磨さんだった。
「お初にお目にかかります。六条 冬桜子と申します。」
「冬桜子さんね。和磨からお話は伺っているわ。
さあ、堅苦しい挨拶は抜きにしてどうぞ上がって。」
ニコニコと一美さんはスリッパを勧めてくれた。遠慮しながらも私は上がった。
「和磨ったら、急にスイスに行っちゃって心配していたけど、こんなに素敵なお嬢様をお嫁さんとして紹介してくれるなんて嬉しいわ。」
「そうでしょう。冬桜子は世界一かわいいから。」
和磨さんが大袈裟に私を褒めるので、私は慌てて謙遜した。
「いえ、私なんて…!
和磨さんこそ、なんでも出来るし、格好良くて、世界一素敵な人と出会えて私は幸せです。」
「あらら。アツアツね。
確かに和磨はしっかりしてるけど。」
一美さんは微笑ましそうに私を見てくる。私は居た堪れなくて、だけど目を伏せることも失礼なので、笑みを頬に張り付けるしかなかった。
壮磨さんに先導されて家の中に入ると、リビングには先客がいた。椅子に座っている先客に壮磨さんが声をかける。
「母上、和磨とそのお嫁さんを連れて来ましたよ。」
その人は振り向いた。白に近い銀髪に、青い瞳が煌めいている。顔に刻まれた皺は品を感じさせた。
恐らくだけど、和磨さんのおばあさまなのだろう。
だけど、私はすぐに反応できなかった。
和磨さんのおばあさまは、どう見ても外国の雰囲気を漂わせていたから。
目を瞬かせて視線の先にいる品の良い老婦人の姿を確かめて、それから合点が入った。見慣れていて忘れていたけれど、和磨さんって彫りの深い顔をしている。その老婦人は和磨さんに目元がよく似ていた。
おばあさまがこちらを向いたので、私は反射的に西洋式の礼をした。この方の前ではそれが相応しいように思えたから。それほどに気品のある方だった。
私は静かに小さく2歩下がって腰を落とした。
正解だったようで、満足そうな様子で声をかけられた。流暢な日本語だった。
「良いお嬢様ね、和磨。
私はアニエス。和磨の祖母です。どうぞよろしく。」
「六条冬桜子です。よろしくお願いいたします。」
「六条…というと、冬希子様のご実家かしら?」
私は驚いた。冬希子様は私の大伯母で、今住んでいる家の前の持ち主だったから。
「そうです。冬希子様は私の大伯母にあたります。
冬希子様をご存知なのですか?」
「ええ。フランス語をお話になられた冬希子様にはお世話になったわ。スイスから日本に来たばかりの右も左も分からない私に優しくしてくださったのよ。」
「それは嬉しい偶然です。私も冬希子大伯母さまには可愛がっていただきました。」
「そうなのね。なんて素敵なことでしょう。
私も嬉しいわ。あの冬季子様に縁のある子がお嫁に来てくれるなんて。これからどうぞ仲良くしてくださいね。」
アニエスおばあさまは、気品ある様子で微笑まれる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
「不思議な縁だね。冬桜子の大伯母様というと、あの家の前の持ち主でしょう。その方とアニエスお婆様が知り合いだったなんて世間は狭いね。」
「ほんとうに。冬希子大伯母様はフランスに嫁いだのだけれど、旦那様を亡くしてからは日本に戻ってきていたのよ。アニエス様はいつから日本にいらしたのですか?」
「そうね。かれこれ60年前のことかしら。
スイスに留学に来ていた稜磨--和磨の祖父に出会ったことがきっかけだったの。」
「和磨さんのお祖父様もスイスに留学していらしたのですね。」
「そうよ。稜磨は稼業の銀行を継ぐためにスイスに金融の勉強に来ていたの。そこで、私は稜磨に一目惚れしてしまって勢いで日本に来たのよ。私も若かったのね。」
アニエスおばあ様は私に話しながらも過去を懐かしんでいるようだった。一目ぼれをしたことがないから分からないけれど、情熱的で物語みたいだと思う。
「素敵ですね。国境を超える愛って。」
外国で出会って恋に落ちるなんて素敵とうっとりと空想に耽っている私の隣で和磨さんが現実的な補足をした。
「ちなみに、バブルの時に買収の話が来たから銀行の経営権を他の人に渡しちゃって現在の藤堂家は何もしていないよ。父は普通のサラリーマンをしている。」
そうだったのね、とうなずくと一美さんが真剣な様子で質問してきた。
「改めて尋ねるけど、冬桜子さんはあの六条グループのお嬢様なのかしら?」
自分の生まれを話すことは苦手。なぜなら、話した途端に態度を変える人をいくらでも見てきたから。急によそよそしくしたり、逆に媚びてきたり、もしくは嫌われたりする。だけど、和磨さんの家族に対して誤魔化す訳にもいかないので、私は正直に答えた。
「仰る通りです。ですが従弟が六条グループを継ぐ予定ですので、ご心配いりませんわ。」
「そうなのね。和磨が婿入りするのかと思ってしまったわ。いえ、和磨はなんでもできるから心配はしていないのだけれど、それでもプレッシャーはあると思ったのよ。でも、早とちりだったわね。よかったわ。」
「母さん、そんなこと心配していたの?」
和磨さんは意外そうに片眉を上げて言った。一美さんはあきれたようにため息をついた。
「そうよ。だって和磨ってば何も教えてくれなかったじゃない。そういう所はお父さんにそっくりね。
本当に和磨ったら手がかからないのはいいけど何でも一人で決めてしまうのだから。国立の医学部を受けるのも、留学もそうだったわね。」
「自分の事だから、相談する必要もなかったかと思って。」
「ほらね。冬桜子さん、気を付けた方がよいわよ。
何でも一人で決めちゃうんだから。ちゃんと報連相を徹底させた方が良いわよ。それで困ったことがあったら私に相談してね。」
一美さんがおどけた様子で私に忠告するので、私は忍び笑いが止められなかった。
「はい。わかりました。」
「冬桜子にはちゃんと相談していると思うけど…。」
和磨さんは弁明しようとしていたけど、一美さんにすぐに打ち返された。
「そうかしら。冬桜子さん、おばあ様がスイスのご出身のスイス人だってことも知らなかったみたいじゃない。」
「そういえば、俺が六条グループのR社に勤めていることも教えていなかったよな。」
怜磨さんにまで追い打ちをかけられて、和磨さんは黙ってしまった。私はこんなにやりこめられている和磨さんを見るのが初めてで微笑ましかった。
「冬桜子、怒ってる?」
「怒ってないわ。和磨さんが話さないことは、それなりに理由があると知っているもの。でも、今度からは大事なことは話してね。」
「もちろんだよ、冬桜子!」
和磨さんは私を抱きしめてきた。
ご家族の前なのに恥ずかしいわ。壮磨さんも、一美さんも、怜磨さんも生暖かい目で私たちを見ていた。
ただ、アニエスおばあ様だけが、『みっともない』と目をそらしていた。
「まさか兄さんがここまで惚れる人が現れるとは想像もしなかったなぁ…。」
「どういう意味かな?」
呆れたように呟かれた怜磨さんの言葉に、和磨さんは鋭く抗議した。怜磨さんは、肩をすくめて見せた。
「兄さんも人の子だったんだなと思っただけだよ。
学生時代にあんなにモテていたのに特定の彼女を作ったことがなかったじゃないか。」
「モテていたのは昔からだったんですね。」
私が合いの手を入れると、怜磨さんが楽しそうに乗ってきた。
「そうですよ。凄かったですよ。大学に入ってるコーヒーショップでバイトしてた時なんかさ、兄さん目当ての女の子がたくさん押しかけてきちゃって仕事にならなかったくらいですよ。」
怜磨さんは自分のスマートフォンを取り出して、画面をスクロールした。写真を見せてくれるらしい。
「ほら、この写真です。すごい行列ですよね。笑っちゃうくらい。」
「ほんとうに。凄いわね。アイドルみたい。」
画面の中には白いシャツにエプロン姿の和磨さんが立っていた。今と全然変わっていないし、格好良かった。だけどそれ以上に、行列が長くてそちらに目を奪われた。店中に女性が溢れている。
テレビでしか見た事がないアイドルのサイン会みたいだった。
「こんなにモテるのに、特定の人と付き合おうとはしなくて。だから、心配してたんですけど冬桜子お義姉様がいらして良かったと思います。」
「あら、そうなのですか。そう言えば、この間S大学に行った時も女の子に囲まれていましたわ。」
「ですよね~。兄さん相変わらずモテるなぁ。」
怜磨さんはからかう調子で言うけど、その顔は満面の笑みを浮かべていた。多分、怜磨さんは和磨さんのことが大好きなんじゃないかしら。だけど、和磨さんはモテるという話題が嫌なようで、話題を変えようとしていた。
「私は冬桜子以外の女性に興味ないから。
それより怜磨もモテていただろう。」
「俺は兄さんほど優秀じゃないから大してモテてないよ。彼女はいるけど。」
首をすくめて怜磨さんは言う。スマホを持っているというのと同じくらいの、いて当然という感覚で彼女がいると口にした。それに対していち早く反応したのは一美さんだった。
「あら、怜磨ったらまた彼女できたの?」
「まあね。」
首をすくめて返す怜磨さんに、和磨さんは心配そうにして問いかけた。
「連れてくればよかったのに。もしかして、私と冬桜子に遠慮した?」
「そんなんじゃない。結婚することになったら紹介するよ。兄さんみたいに。」
「そんな所ばかり和磨の真似をしなくてもいいのに。」
一美さんは不満気に眉を寄せた。だけどすぐに気を取り直したように笑顔になった。一美さんの気持ちの良いくらい場に相応しく気分を切り替えられるのは、美点だと思う。私はいつまでも考え込んだりするから、尊敬してしまう。
「でも、確かに今日の主役は冬桜子さんですもの。本当に会えて嬉しいわ。冬桜子さん、どうかこれから和磨をよろしくね。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
私が深々と頭を下げると、そんなにかしこまらなくていいのよ、と一美さんが手を差し伸べてくれる。その手は柔らかくて安心できた。
家族になるってこういうことなのかしら、と実感した。




