第二十五話
門の前で秋紀ちゃんが私たちを待ち構えていた。
「秋紀ちゃん、まだいらしたの?てっきりもう帰ったのかと思ったわ。」
「ちょっと、どうしても話したいことがあって待っていました。」
秋紀ちゃんは、私とそれから和磨さんに強い視線を向けた。
「冬桜子お姉様、どうしてもお考えは変わらないのですか?」
「なんのこと?」
「クッ…その、藤堂和磨との婚約ですよ!
今ならまだ間に合います。撤回してください。」
和磨さんは私を庇おうと一歩前に出たけれど、私はそれを制した。
「撤回する気なんてないわ。」
「なぜですか?
そんな男と結婚するよりも、僕と結婚した方が絶対に幸せになりますよ。
だって、僕と結婚すれば冬桜子お姉様がこの家を出る必要もなくなるし、お金だって僕が六条グループを継ぐのだから不自由させません。」
「私は元々この家を出る予定だったの。今更残ると言われても困ってしまうわ。それに、別にお金があるからって幸せになれる訳ではないでしょう。」
私は和磨さんを見上げた。和磨さんは目が合うとそうだね、と微笑んでくれた。それから、私の肩を守るように抱くと、秋紀ちゃんに向かって口を開いた。
「六条秋紀君、君は私のことを気に入らないのかもしれない。だけど、私は冬桜子のことを愛しているし、冬桜子だって同じ気持ちだ。
そして今日、六条のご両親にも認められて私たちは正式に婚約した。公認の仲だ。
もし、これ以上何か言うなら私は遠慮しないよ。」
「貴方に何ができると言うんですか。
僕は六条グループの後継者ですよ。」
「でも、君はまだ学生だよね。
グループの経営に関わるのはもう少し先でしょう。」
秋紀ちゃんは黙った。言い返せないらしい。それはそうだわ。秋紀ちゃんは大学生の頃はインターンという形で下働きをしていたけれど、それはアルバイトの延長のようなもの。大学院を出た後にようやく、社会人として下積みを始めるのだもの。
それくらいはちゃんと分かっているみたいで安心した。
「ですが、すぐに経営に関われるようになるはずです。幹部会にも呼ばれていますし。」
「そうなんだろうね。だけど、それはあくまで勉強のためで発言を求められているのではないでしょう?今日だってあの場で発言したのはまずかったはずだ。六条グループを継ぐ君にとって有利な話なのに、わざわざ波立たせたのだからね。資質を疑われたかもしれないよ。
どうしてそんな愚かなことをしたのかな。君はそこまで馬鹿ではないと思ったのだけど。」
「そ、それは…」
「もしかして、焦っているの?
例えば、既に婚約者に『何か』を言ってしまったとかで。」
和磨さんの指摘に秋紀ちゃんは顔の色を失った。これは図星のようだわ。そして、青ざめたのは私もだった。私が想像したようなことを婚約者の羽留ちゃんに言っていたとしたら、すごく失礼なことだもの。
「ねぇ、秋紀ちゃん。羽留ちゃんに何を言ったのかしら?あんなにしっかりした良い子なのよ。
私の勘違いならいいのだけど、もし、傷つけるようなことを言ったのであれば、それこそ早く謝りましょう。ね?」
私は秋紀ちゃんに言ったけど、秋紀ちゃんは目を合わせずに黙ったままだった。拗ねてしまっている。
こうなった秋紀ちゃんはどうしようもない。
私はスマートフォンを取り出すと、電話帳からある番号を選んだ。
「もしもし?羽留ちゃん?
ええ、突然ごめんなさいね。いまお時間あるかしら。そう。良かったわ。ところで私は今、白金のお家にいるの。良ければ今すぐ会いに来てくれないかしら。紹介したい人もいるし…。
ええ、ありがとう。それではお待ちしてますわ。」
通話停止ボタンを押して、スマートフォンをしまう。
羽留ちゃんは白金に住んでいるからそう時間はかからないはずだった。
「羽留ちゃん…って、秋紀君の婚約者?」
和磨さんの言葉に私は頷いた。羽留ちゃんは、秋紀ちゃんの一つ年下だけどしっかりしたお嬢さんだ。六条家に嫁ぐことを理解していて、家のしきたりとか細々とした親族関係を学んでくれている。羽留ちゃんがいるから、安心して秋紀ちゃんに跡を継がせられるとお母様も以前に仰っていた。
秋紀ちゃんは羽留ちゃんの名前を聞いて、そろりそろりとこの場を離れようとしていた。
「秋紀ちゃん、逃げてはダメよ。」
私が釘を刺すと、秋紀ちゃんは渋々ながら踏みとどまった。それに、逃げてもムダだったのではないかしら。すぐに外からバイクが走る音が聞こえてきたから。
バイクは敷地の中に遠慮なく侵入して、私達の目の前で止まった。
ジーンズにライダージャケットを着た女性がバイクから降りる。ヘルメットを外して現れたのは、目がぱっちりとして色白の女の子だった。メカニックなバイクに似合わないふわふわの髪を緩く三つ編みにしている。
「冬桜子お姉様!お久しぶりでございます。
羽留が参りましたわ。」
「羽留ちゃん、急いで来てくれてありがとう。
大丈夫だったかしら?」
「ええ。暇していたところですし、ちょうど家におりましたからすぐでしたわ。六条の白金のお家からは私の家はすぐですから。
それに何より、冬桜子お姉様のお願い事ですもの。居ても立っても居られなくて、バイクで来てしまいました。」
ふふっと軽やかに羽留ちゃんは笑った。それから、私の隣にいる和磨さんに目線を向けるとぱぁっと顔を輝かせた。
「そちらにいらっしゃるのは和磨様ですね。冬桜子お姉さまの婚約者の。
さすが冬桜子お姉さまがお選びになっただけあって素敵な方ですわね。思慮深そうで、頼りがいがあって、どこぞの薄情なドラ息子とは大違い……。冬桜子お姉さまがお幸せそうで何よりですわ。」
久しぶりに会った羽留ちゃんは、和磨さんを前にしてはしゃいでいるようだった。涙ぐんですらいる。浮き足立っている羽留ちゃんと対照的に、和磨さんは冷静に礼儀正しく挨拶をして、握手を求めた。
「藤堂和磨です。羽留さんでよろしかったでしょうか?」
「ああ、失礼私ときたら名乗らずにお喋りしてしまいました。私は名城 羽留と申します。」
差し出された手を握り返しながら、羽留ちゃんは和磨さんの後ろに隠れている人影を目ざとく見つけたようだった。
「あら?もしかしてそちらにいるのは秋紀君ですか?」
「もう、秋紀ちゃんたら、なぜ隠れているの?
早く出てきて羽留ちゃんにご挨拶しなさい。」
秋紀ちゃんは、羽留ちゃんが来るとわかってすぐに身を隠そうとしたらしい。咄嗟に自分よりも背の高い和磨さんの後ろに身を寄せて小さくなっていた。羽留ちゃんに合わせる顔がないのか、そっぽを向いていた。
「あらあら、まあまあ。そういうことですのね。
秋紀君たらまた、冬桜子お姉さまにプロポーズをしてコテンパンに振られたのでしょう。それはそうですわ。和磨さんと秋紀君では大人と子供の争いですもの。どちらが勝つかは火を見るより明らか。その結果、秋紀君は大人で格好良い和磨様に道ならぬ想いを抱いてしまった……と。
わかりますわ。薄い本が厚くなるというやつですわね。」
「違う!そうやって羽留はすぐにおかしな妄想を垂れ流す……。」
和磨さんの陰から秋紀ちゃんが顔を出した。憮然とした顔をしていた。
「やっと顔を出しましたわね。
秋紀君たら私に威勢よく啖呵を切った割には、しょぼくれたお顔をしているじゃない。大方、冬桜子お姉様に相手にもされなかったのでしょう。
そろそろ現実を認めたらいかが?
私は全然怒っていませんから、戻ってきて良いのですよ。」
「う、うるさい!」
優しい羽留ちゃんに噛み付くように言う秋紀ちゃんを私は嗜めた。
「秋紀ちゃん、そんな態度はダメでしょう。
自分の婚約者に対してひどいわ。」
「ご心配なく、冬桜子お姉様。秋紀君から先日婚約破棄を突きつけられましたから。
秋紀君の中では羽留は婚約者ではないのです。」
「羽留!何言っているんだよ!」
秋紀ちゃんは慌てて羽留ちゃんに文句を言ったけど、羽留ちゃんと目が合うと、すごすごと和磨さんの後ろに隠れた。和磨さんは呆れたように秋紀ちゃんに視線を送った。
羽留ちゃんはそんな秋紀ちゃんの行動を気にせずに続けて言った。
「秋紀君は私にこう言いました。『やっぱり僕は冬桜子お姉様のことが諦められない。正々堂々とプロポーズするためにも、申し訳ないけど羽留との婚約は破棄させてもらう。』私は一応、止めたのですけど冬桜子お姉様のことになると秋紀君は話を聞かなくなりますから……。結果は目に見えていたので、そのままにしておいたのですけど、ご迷惑をおかけしてしまったようですね。申し訳ありませんわ。」
羽留ちゃんは深々と頭を下げた。彼女が謝ることではないのに。
「羽留ちゃんが謝ることではないわ。
それよりも、秋紀ちゃん。出てきなさい。」
秋紀ちゃんは相変わらず和磨さんの後ろに隠れていたけれど、和磨さんがベリベリと引き剥がして前に出した。首根っこを掴まれたその様子は、借りてきた猫のように大人しかった。
「秋紀ちゃん、残念だわ。
まさか、貴方まで婚約者を大事にしない人だったなんて。」
「冬桜子お姉様…!僕はっ!」
秋紀ちゃんが何かを言おうとしたけれど、私はそれを手で制した。
「その先は言わないで。
私は、貴方に婚約破棄させたその想いを、受け取るわけにはいかないの。
さあ、羽留ちゃんに謝りなさい。」
秋紀ちゃんは困惑した表情で私と羽留ちゃんを忙しなく交互に見てから、和磨さんの腕を振り切って走り去った。
「もう、秋紀ちゃんたら。どうしようもない子ね。
羽留ちゃん、不愉快な想いをさせてしまって本当にごめんなさい。
秋紀ちゃんの事がどうしても嫌だったら私からお父様とお母様に婚約解消を申し出るけど、どうする?」
本当は秋紀ちゃんを見捨てて欲しくない。けれど、あの様子では羽留ちゃんに愛想を尽かされても仕方がなかった。だけど、羽留ちゃんは優しかった。
「いいんです。冬桜子お姉様。
秋紀君は一途なだけで本当は良い子だって知っていますから。今回だって不誠実な自分が悪いから、羽留にはもっと良い人を見つけて幸せになってほしいと言っていたのですよ。
秋紀君は冬桜子お姉様に気持ちすら打ち明けていないのに。
そんな一途で不器用な秋紀君のことを、私は可愛くて仕方がないんです。
まあ、少しからかい過ぎちゃうんですけどね。」
コロコロと羽留ちゃんは可憐に笑った。本当に良い子だ。秋紀ちゃんにはもったいないくらい。私は感極まって思わず羽留ちゃんに抱きついた。
「羽留ちゃんっ…!なんて優しいのかしら。
ありがとう。私が男性だったら絶対に羽留ちゃんをお嫁さんにするのに!」
羽留ちゃんは柔らかくてお花のような香りがした。こんなに可愛い子を秋紀ちゃんはどうしてフッたりしたのかしら。もういっそのこと私が羽留ちゃんをこのまま連れて帰ろうかしら。
妄想している私を現実に引き戻すかのように、和磨さんが私の肩に手をかけた。
「ちょっと、冬桜子は私と結婚するんでしょう。」
「あら、和磨さんたら妬いているの?」
私がわざとらしく羽留ちゃんに抱きつくと、和磨さんはむっとした顔をした。意地悪かしらと思ったけど、和磨さんが意外にも素直に反応するので面白くなってしまった。
羽留ちゃんと言えば、先ほどからぶつぶつと何か呟いている。
「冬桜子お姉様がお兄様…?おっとり天然御曹司と腹黒天才クーデレ。それはそれでアリですね。薄い本が厚くなりますわ。」
「いや、羽留さんも乗らないでね。というか、腹黒って私のことかな?」
和磨さんが笑顔で凄むと、羽留ちゃんはハッと正気に戻って独り言を止めた。
「いえいえ、言葉の綾ですわ、和磨様。
そして冬桜子お姉様、お気持ちは嬉しいのですけど冬桜子お姉様には和磨様がいらっしゃいます。
私は和磨様に到底敵いませんので、辞退させていただきますわ。」
羽留ちゃんは、私からそっと離れて恭しくお辞儀をした。そんな風に言われてしまっては、私も無理強いできないわ。
「冬桜子もわかってるよね?」
「ええ。仕方ありませんわね。」
和磨さんが存外に必死になっている。私はわざとらしくため息をつきながら、和磨さんの腕を取った。
見上げると和磨さんと目が合った。2人してなんだか可笑しい気持ちになって、笑みが溢れた。
私たちに向かって、羽留ちゃんは念を押すように言った。
「お二人はとってもお似合いです。羽留は心からお祝い申し上げますわ。
どうか、素敵に熱烈に幸せになってください。そうしたら、秋紀君も諦めてくれると思います。」
「でも本当にこのまま婚約を継続していいの?例え気の迷いでも婚約破棄なんて愚かな事を告げた子なのよ?」
「いいんです。私も結構一途ですから。
いつか必ず振り向かせてみせますわ。
それでは、私は秋紀君を追いかけます。たぶん私の家に泣きついていると思うので。」
失礼いたします、と再び頭を下げて羽留ちゃんはバイクに跨り颯爽と去って行った。姿が見えなくなると和磨さんは感心したように言った。
「いい子だね。」
「本当にいい子なのよ。」
「でも、困ったなあ。藤堂の家はあんなに個性的ではないから。冬桜子は退屈しちゃうかな。」
「そう?秋紀ちゃんも、羽留ちゃんも普通の子だと思うけど。」
それより、明日はいよいよ和磨さんのご家族に会う日なんだわ。今からとても緊張してきた。
次の日、私は和磨さんの言うことが珍しくあてにならなかったことを知る。




