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第十六話


あれから、警察を呼んでいる間に誠一さんは逃げ出したらしい。

誠一さんがやってきてから、研究所の警備が厳重になった。それに、予定のない人の訪問は必ず目的を聞き、訪問先の人間に確認してから通すように運用が変わった。

和磨さんが働きかけてくれたみたい。


お礼を言うと、和磨さんは当然のことをしただけと言った。


「そもそも、この研究所には危険な薬品や機密情報があるのだから、今までが緩すぎたと思うよ。それを少し直しただけ。」


それだけではなくて、和磨さんは前よりもずっと過保護になった。

お互いに用事がある時以外はなるべく一緒にいることが多くなった。


「冬桜子、これからお昼?」


「ええ。」


「じゃあ、一緒に食べよう。」


実験室から戻ってきた和磨さんとカフェテリアに移動する。

中央のテーブルに座り、お弁当を広げた。

お弁当はいつものおにぎりとおかずと漬物。今日のおかずは牛のしぐれ煮だ。


「お隣よろしいかしら。」


私に声をかける人がいた。真中さんだ。


「どうぞ。」


私の返事に真中さんは微笑むと隣に座り、お弁当の蓋を開けた。

真中さんのお弁当は見るたびにすごいと思う。


とにかく華やか。サンドイッチはゆで卵の黄身が綺麗に見えるように挟まれているし、添え物は鮮やかなオレンジ色のキャロットラペ。

そのほかにフルーツも用意されていて、手が込んでいておいしそうだった。


「素敵なお弁当ですね。」


「そうかしら?いつもこんな物だけど。」


真中さんはかわいそうな物を見るように私のお弁当に視線を寄越した。


「六条さんは最近はいつもシンプルなお弁当ね。節約でもしているの?

だからって手を抜いてはだめよ。」


真中さんの言葉に私は困ってしまった。だって今日お弁当を作ったのは―


「やっぱり女性にとっては華やかなお弁当が良いんでしょうか。」


和磨さんだった。


真中さんは和磨さんに質問されて予想もしなかったのか、驚いていた。


「ええ?私は六条さんにお話ししていたのですけど。」


「ですが、今日のお弁当を作ったのは私です。

もし、私のせいで冬桜子に悲しい思いをさせていたらと思うと、申し訳なくて。」


そう言って、和磨さんは憂いを帯びた目で真中さんを見た。真中さんは慌てた様子できつく私に注意をしてきた。


「六条さん、あなた藤堂先生にお弁当を作らせているの?女性としてどうかと思うわ。」


「真中さん、それは違います。私が好きで作っているんです。

彼女が指を怪我したので料理は辛いと思って。」


ね、冬桜子。と和磨さんは私に微笑みかけた。

真中さんは和磨さんと私のお弁当が全く同じなのにようやく気が付いて、それから私の指に巻き付いている絆創膏を見て沈黙した。


「それで、どうしたらもっと見栄えが良くなると思いますか?」


「…赤や緑色の鮮やかな野菜を足したらいいと思います。」


「真中さん、ありがとうございます。明日からはもっと頑張るよ、冬桜子。」


和磨さんが私に言った。優しいまなざしに私はうっとりして食事中だということも忘れて和磨さんの手を取った。


「ありがとう、和磨さん。でも、いつまでもお弁当を作ってもらうのは心苦しいわ。」


「でも、傷がまだ完全に治っていないでしょう。私は冬桜子のかわいい指に傷跡を残したくないよ。」


和磨さんが私の手を包む。

もう傷は塞がり、触れられても痛くはなかった。


「でも…」


「なら、傷が完治したらとびきりのお弁当を作ってくれる?それを持ってドライブに行こう。」


「わかったわ。約束ね。」


そう言って私が笑うと和磨さんも笑った。

二人でドライブの行き先を話し合っていると昼休みの時間が終わろうとしていた。

二人して、慌ててお弁当を口に入れてカフェテリアを後にした。

真中さんはいつの間にか席を外していた。



―――


「六条さん、今度は藤堂先生とドライブに行くんですって?」


自販機に飲み物を買いにいく途中、廊下で泉さんが私に話しかけてきた。珍しいことなので驚きつつ、私は不思議に思った。


ドライブの話をしたのはつい先程のことなのになぜご存知なのかしら。


もしかしたら、カフェテリアで話していたのを聞かれていたのかも。そう考えると恥ずかしく思いながら答えた。


「そうですよ。」


「藤堂先生と付き合って順調なんですね。」


「ええと…」


泉さんの2回目の質問には答えにくく、曖昧に言葉をにごしていると、泉さんが重ねていった。


「今更隠さなくてもいいじゃないですか。みんな知ってますよ。藤堂先生と六条さんが恋人同士だって。

私はよかったと思ってるんです。

私ばかり幸せでは不公平なので。」


泉さんの言葉に引っ掛かりを覚えてどういうことかしらと、泉さんの顔をまじまじと見た。

泉さんは満面の笑みで心から幸せそうに言った。


「うふふ。私も彼氏ができました。」


泉さんの告白を聞いてよかったと私は思った。和磨さんが私と正式に付き合ってくれたことについてもちろん嬉しかったけれど、反面、泉さんに対しては出し抜いてしまったような、どこか申し訳なさがあったので。

素直に心からお祝いを言った。


「それはおめでとうございます。」


「ありがとうございます。」


泉さんが私にお礼を言って、それから沈黙した。

私が相手の方について詮索するのは良くないと思ったので、何も聞こうとしなかったからだ。


「あの、この幸せを誰かに共有したいのですけど。」


泉さんが露骨にアピールをしてきた。これは、聞かないと失礼だろう。


「泉さんのお相手はどんな方なんですか?」


「とっても格好いいんです。それに素敵なレストランを知っていて、お洒落なディナーに連れて行ってくれたり。私が欲しいといったものもプレゼントしてくれるし。私、こんなに幸せなの初めてです。」


こんなにもうっとりと楽しそうに話す泉さんを私は初めて見た。


「すごいわ。どんなところに行くの?」


泉さんが語りだしたのは県外からも人が訪れるレストランに老舗の旅館。

初めて行ったそこがどんなに凄かったか熱く語った。


「SNSで見たことはあったけれど、写真よりも実物の方がずっと良かったですよ。私がSNSに写真をあげたら友達に羨ましがられちゃって。

六条さんは行かれたことあります?」


「ないわ。」


私が首を横に振ると、泉さんは勝ち誇ったように笑った。


「そうですよね。六条さんも行ったことはないですよね。

藤堂先生とはどこに行くんですか。」


泉さんに言われてこの間の休日に行った場所を思い出した。


「ええと。この間は水族館に行きました。」


水族館は維持に大量の水が必要なので、ヨーロッパにはあまりないらしい。水族館に久しぶりに行きたいと和磨さんが希望したのだった。

和磨さんが大きな水槽を見て子供のようにはしゃいでいたのを思い出す。


「へ~意外と普通なんですね。」


泉さんは率直な感想を言った。

そう、誠一さんの時とのようなお洒落なレストランやホテルでのディナーは無いけれど、和磨さんとの時間は穏やかで、普通の恋人のようで、それがとっても幸せだった。


「そうなの。とっても普通なのよ。」


私は思わず顔をほころばせながら答える。

それに対して泉さんは悪気がなさそうに呟いた。


「良かった。藤堂さんと付き合わなくて。私だったら退屈で耐えられないもの。」


私は泉さんを見上げた。泉さんは、普通のデートだと物足りないのか、と思った。それなら和磨さんとは合わなかっただろうから、よかったのだろう。

自分でも嫌な考えだと思うけど、ホッとした。


「ねえ、六条さん。六条さんが良かったらこれからも恋バナしませんか?私、ここだとそういう話ができる人がいないので。」


「え?ええ。」


随分と前のめりな泉さんに押されるようにして私が頷くと泉さんは満足そうにして去っていった。

泉さんは、本当にただ恋人の話がしたかっただけらしい。

ただ、泉さんはデートの行き先ばかり話すだけで、肝心の泉さんの彼氏については、どんな人なのかよくわからなかった。

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