第十四話
家に着いたあと、研究室に荷物が届いているからと和磨さんはバスに乗って行った。
私は夕食の支度をしながら、どうしたらいいか考えていた。
なんて聞けばいいのかしら。
私のこと好きって聞くの?
ううん、それよりも先に昨日のことを謝った方がいいかも。
私は自分に言い訳をして和磨さんの気持ちを聞くことを避けようとしていた。
「ただいま。」
和磨さんが帰ってきた。心の準備ができていなかった私は、ビックリして手が滑った。
「いたっ」
指を包丁で切ってしまった。
パックリ割れた皮膚から血が流れてくる。
「冬桜子、指切ったの?!」
和磨さんが慌てた様子で私の指を見る。
「包丁で切った?」
「そう、そこの。でも大したことないわ。」
「いや、ちゃんと洗わないと雑菌が入るから。」
和磨さんは流しを捻ると、流水に私の指を浸した。
「染みるけど我慢してね。あと、包帯を取ってくるから。それまでこのままでいて。」
そうして、風のように飛んでいき、包帯とガーゼと消毒
液を手にして戻ってきた。
消毒液で濡らした脱脂綿で傷口を拭いたあと、ガーゼで押さえつけて包帯を巻く。
「和磨さん、少し大袈裟すぎないかしら。」
私は処置が終わった後の指を見て言った。
何しろ、巻かれた包帯で普段の2倍くらいに膨れ上がっていたからだ。
「止血も兼ねているから、10分はこれくらいキツくした方がいい。
冬桜子は安静にしててね。料理は私がやるよ。」
和磨さんは私をソファに置いて、キッチンに消えた。
和磨さんってお料理できるのかしら。
私はふと気になってこっそり覗いて、驚いた。
包丁さばきが速い。
お手伝いはいらなさそうだわ、と思い私は大人しく待つことにした。
できたのは、肉じゃが、それとネギとお揚げの味噌汁。加えて、ほうれん草の煮浸し。タコときゅうり入りもずく酢。
私が考えていた通りの献立だった。
「すごい!どうして私が作ろうとしていたものが分かったの?」
「冬桜子が下準備していたから、なんとなく。さあ食べて。」
和磨さんに勧められて、箸を取った。包帯は止血できたのを確認して取ってあるのでご飯を食べるのに不自由はなかった。
「おいしいわ。この肉じゃが、よく味が沁みていて。」
お世辞抜きにおいしくて箸が進む。和磨さんはそんな私を見て嬉しそうにしていた。
食べ終わった後、食器を片付けようとしたら「食器洗いは私の担当だよね。」と言って和磨さんが持って行ってしまった。
確かにいつもは私が料理を作るから和磨さんに洗ってもらうけれど、今日は何もしていないのに申し訳ない。
「そんな、なんでもやってもらったら悪いわ。」
「気にしないで。私がやりたいからやっているんだから。」
なんで和磨さんはそんなに優しいのかしら。
私、和磨さんのやさしさに何も返せてないのに。それに昨日だって。
「和磨さん」
「なに?」
「昨日はごめんなさい。」
「え?何のこと?」
「昨日のキス、本当は嫌だったんでしょう?なのに私ったら舞い上がっちゃってごめんなさい。」
和磨さんは拭いていたお皿を極めて慎重に食器棚の中へしまうと、私に向き直った。
「どうして、冬桜子が謝るの?」
「だって、和磨さんは冗談で言っていたのに、私が真に受けたから嫌いになっちゃったんじゃないの?」
「冬桜子のことを嫌いになるなんてありえないよ。」
「ならどうして、今朝からずっと目を合わせてくれなかったの?」
私が聞くと、和磨さんは顔を真っ赤にした。
お酒を飲んだ時よりも赤くしている。
それから顔を手で覆った。
こんなに余裕がない和磨さんを見るのは初めてだった。
「それは」
「教えて欲しいの。」
話すのを躊躇っている和磨さんを私は一歩踏み出して答えを迫った。
観念した和磨さんは話してくれた。
「冬桜子が綺麗すぎて、自分が抑えられそうになかったから。
昨日だって、本当はあんなことするつもりじゃなかったのに、自己嫌悪してて、気まずくて。」
「あんなことって?」
和磨さんは言いにくそうにしながら答えた。
「冬桜子のお返しにしたキスのこと。」
「私、あのキス好きよ。」
私の返しが意外だったのか、和磨さんは大きな目を見開いて一層大きくした。
「いや、だって、いきなりだったでしょ。」
「いきなりでもいいの。和磨さんのことが好きだから。愛しているから。」
私ははっきり言った。あのキスで私は和磨さんへの気持ちを自覚できたから。迷いなく和磨さんに気持ちを伝えた。
和磨さんは動揺して、手を泳がせて、それから私を抱きしめた。
「いいの?こうしても。」
私は静かに頷く。
「和磨さんは私のことをどう思ってるの?」
和磨さんは耳元に口を寄せていった。
「死ぬほど愛してる、大切な恋人。」
和磨さんと気持ちが通じ合ったけれど、特に変わったところはなかった。
むしろ、前より落ち着いて過ごせている気がする。
確かに自然に手を繋いだり、たまにキスをしたりするけどそれだけ。
変わらず、慎ましい暮らしだけれど二人で過ごすと一人の時よりもずっと楽しかった。
―――
東京出張のあと、研究室は東京土産であふれている。
教授と、和磨さんと、私の3人がそれぞれ個別に買ってきたからだ。
一生君が教授のお土産のかりんとうを食べながら言った。
「六条さんって最近変わりましたよね。」
「そう?」
東京のお土産を頂きながら午後のお茶をしている。ちょうど実験がひと段落ついた賀久士君と一生君も一緒だ。教授と和磨さんと私の3人分のお土産は、まだまだ消費しきれなさそうだった。
「変わりましたよ。なんていうか、そう。柔らかくなったというか、話しかけやすくなったというか。藤堂先生と仲良くしてるからかな。」
「な、なんのことかしら?」
「とぼけなくてもいいですよー。この間も二人で仲良く手を繋ぎながら帰っているところを見たっていう人がいましたよ。」
「ええっ、どうしましょう。」
隠しているつもりだったのに、見られていたなんて。
気をつけなきゃ。
「僕はいいと思いますよ。隣の教授も奥様は研究室で出会った人らしいですし。
研究室恋愛なんてよくあるじゃないですか。」
賀久士君が私のお土産のリーフパイを片手に言った。リーフパイをなんと、几帳面にかけらも落とさないように食べている。なんて器用なのかしら。
「そ、そうなのね。」
賀久士君の意見に私は納得した。研究室恋愛はよくあることだったのね。
だから室町教授も寛容だったのね。
実は、出張明けの月曜日、室町教授にあれからどうなったの?と聞かれたのでお付き合いすることになりました、と報告した。
室町教授は良かったね、とだけ言って終わった。
「噂をすれば、藤堂先生だ。」
和磨さんがやってきた。和磨さんは書類を取りに来ただけらしい。
私たちの横を通り過ぎる時、にこっとこちらを見て笑って、書類を持って帰るときも笑顔を向けてくれた。私も自然と微笑み返した。
和磨さんのお土産のマシュマロを食べながら。
「仲いいですね。」
賀久士君が冷静に言う。一生君はお腹いっぱいといったジェスチャーをしていた。
「ええ、だって、ふつう挨拶されたら返すでしょう。」
「ふつうは通り過ぎるくらいで挨拶しませんよ。アイドルじゃないんですから。」
「でも、藤堂先生はアイドル的だと思わない?」
客観的に見て和磨さんはこの研究所の女性たちのアイドルと言っても過言ではない気がする。ファンも多いし。
「それは一理ありますね。」
賀久士君が頷く。
「アイドルっていうより、光源氏みたいだけどね。」
一生君が混ぜっ返す。
「光源氏って源氏物語の?いやだわ、光源氏だなんて。全然違うわ。」
和磨さんは光源氏じゃないわ。と反論しようとしたけれど、内線から電話がかかってきた。
当然、私の仕事なので私が出る。
「はい、室町研究室でございます。」
「受付です。六条さんはいますか?」
「六条は私です。」
「それでは、受付にお客様がお見えになられているので、いらしてください。」
「わかりました。」
私は電話を切った。
私にお客様ですって。スケジュールには何もなかったけど、配達かしら?
受付に行くと、そこで待っていたのは予想もしたくなかった人だった。
「冬桜子、久しぶりだな。」
自信満々に笑う派手な顔。
格好つけた気障なポーズで私に言う。
「君を迎えに来た。」
「白条 誠一さん…!」
応援よろしくお願いします!




