第十三話
昨日の夜、和磨さんとキスをした。
始めは私から口に触れるキス。
そして、和磨さんがお返しにしたのは、親愛のキスよりももっと別な、のみこまれてしまいそうなキスだった。
思い出す度に頭がぼうっとして、顔が赤くなる。
あれは、恋人同士がするものじゃないの?
私と和磨さんは仮初の恋人。なのにこんなことをしたら、後戻りができなくなりそう。
どんな顔をして和磨さんと顔を合わせればいいの?
ホテルを早めにチェックアウトして、霞ヶ関に移動する。
その間ずっと和磨さんと目を合わせることはなかった。
なぜなら、和磨さんの方が私のことを避けていたから。
声をかけようとしても、さりげなく距離をとられてタイミングが掴めない。
私、嫌われちゃったのかしら。
霞ヶ関の委員会の傍聴席では、隣に座ったけれど、和磨さんは真剣に正面を向いていた。私はその横顔に思わずうっとりとしたけれど、ダメだと首を横に振った。
仕事とプライベートは分けないと!
私はまっすぐ前を見て、室町教授の発言に耳を傾けた。
委員会が終わったあと、室町教授は和磨さんを委員の先生方、官僚の方にご紹介していた。
時間がかかりそうだったので、二人に挨拶だけして先に出ていった。
―――
次の委員会の開始までには2時間ほど時間がある。
ちょうどお昼の時間だったので、近くにオフィスがある裕美に電話してみた。
「はい、藤原です。」
「裕美?冬桜子だけど」
「冬桜子?どうしたの?なにかあった?」
「いま東京に来ているの。相談したいことがあるからランチでもどうかしら。」
「ちょっと待って、予定を確認する。」
少しの間があって、返事が来た。
「いいよ。場所は虎ノ門で大丈夫?」
「大丈夫よ。」
待ち合わせのビルの前で裕美は言った。
「冬桜子、何か変えた?」
私は思い当たることがないので、聞き返した。
「何かって?」
「なんだろう。化粧とか?」
「化粧なら変えてないわ。気のせいじゃないかしら。」
私がそう返すと、裕美は納得したようにそっか、とつぶやいた。
日差しの差し込むカフェに入り、注文を終えたころに裕美が切り込んできた。
「相談したいことって何?」
「あのね、確認したいのだけど、私の婚約は破棄されているのよね?」
「そうだね。メールにも報告した通り、家同士の話し合いでは決まっている。結納の返礼を白条家が返してくれればそれで終わりになる。慰謝料をとらないことに冬桜子のご両親は怒っていたけれどね。」
「そうなの。」
「お父様もお母様も冬桜子のことをすごく心配していたよ。できれば顔を見せてあげた方がいいとは思うけど、誠一がいるからね。」
両親が私の心配をしているなんて、想像もつかなかった。私に知っている両親の姿は、2人とも忙しくて子供に構う余裕もない様子ばかり。学校の行事には一度も来てもらったことがなかった。
そんな両親が心配していると聞かされてもピンとこなかった。
それよりも、誠一さんの名前を久しぶりに聞いた気がして、昨夜以来、誠一さんのことをすっかり忘れてしまっていた自分に気が付いた。
その理由はわかっている。
だって、和磨さんが素敵すぎるんだもの!
昨夜のことを思い出して頬が熱くなる。
「どうしたの、冬桜子?顔が赤いけど。」
「ふふ。よかったと思ったの。婚約破棄できていて。」
「ええ?それはそうだけど、それだけじゃないでしょ。」
重ねて聞いてくる裕美に、私は誰かに話したい気持ちがくすぐられた。
「あのね、誰にも言わないでほしいんだけど。」
「う、うん?」
「私、好きな人ができたの!」
「ええ!」
裕美はすごく驚いたようだった。大きな声を出して、それから言葉が続かないようで口をパクパクさせていた。
「そんなに驚くことかしら。」
「驚くよ。冬桜子の恋愛観って小学生で止まっているじゃない。」
「まぁ、失礼ね。」
「あの恋愛話に興味のなかった冬桜子が好きな人ね…。」
「だって今までは婚約者がいたのだもの。恋愛なんて自分には無縁なことと思っていたのよ。」
「それはそうだけど。いままで私の彼氏の話にも全然乗ってこなかったじゃない。」
「こ、これからはちゃんと聞くわ!」
私は裕美の惚気話を聞き流していたことに気づかれて、慌てて言った。
裕美はならいいけど、と言って流してくれた。
裕美が心の広い人で良かった。いまならどれだけひどいことをしていたかがわかる。
「それより、どんな人なの?冬桜子の好きな人は。」
私は和磨さんを思い浮かべながら口にした。
「とっても優しくて、ちょっとお茶目で、かわいい人よ。」
裕美は乗り出していた体がずり落ちそうになりながら言った。
「それじゃあ全然わからないんだけど。もっとないの?外見とか。」
「和磨さんの魅力を私の言葉では表現しきれないわ。」
「へー和磨さんっていうんだ。」
裕美はにやにやしながら言った。
「和磨さんはどんなお仕事しているの?」
「えっと、同じ研究所で働いているのだけれど、とっても優秀なのよ。
まだ短期契約(2年)のポストだけど、私は絶対将来教授になると思うの。」
「そ、そうなの?」
「そうだ、裕美には言わなきゃって思っていたのだけど、誠一さん対策のために和磨さんに一緒に住んでもらっているの。」
「え、ええ?」
「そう、和磨さんったらとっても優しくて、誠一さんのことを相談したら、私のことを心配して一緒に住もうと言ってくれたのよ。」
「そ、そうなんだ。」
祐美はぎこちなく相槌を打った。
「でも、なぜかしら。今朝から少し冷たくて全然目も合わせてくれないの。私、どうしたらいいのかしら。」
裕美は難しい顔をして、言った。
「何か嫌われるようなことでもしたの?」
「そうねえ。」
私は考えたけれど、思い当たるのは1つしかない。
「キスしたからかしら。」
「き、キス?付き合ってないのに?」
「でも、だって。愛してるって言われたんだもの。」
裕美は目をつぶって頭を抑えた。頭が痛いのかしら。
「裕美、大丈夫?頭痛がするの?」
「違う。えーと、その時お酒が入っていたりした?」
「なんでわかるの?確かにお酒を飲んだ後だったわ。」
長い息を吐くと、裕美は言った。
「取りあえず、今日、話してみなよ。一緒に暮らしているんでしょう。
彼の気持ちははっきりさせないと。ちゃんとした人じゃないと、私は冬桜子のことが心配になる。」
真剣な様子で、冬桜子のためを思って言っているんだからね。と念押しされた。
「わ、分かったわ。」
―――
午後の委員会を終えた帰り道。
帰りの新幹線は席をバラバラにしていたので、私は話す機会を逃して少し残念だったけれども、今朝のような気まずい思いはしなくて済んだから、良かった。
駅で降りて、室町教授をタクシーに乗せたあと、和磨さんと二人きりになった。
「一緒に帰ろう。」
いつものようにニコリと笑う和磨さんは、なんだか少し無理をしているように見えた。
それを見て、私は裕美の言葉を思い出した。
和磨さんの気持ちを聞いてみないと。
本当は嫌われていたりしたら、怖いけれど…
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