第十一話
S大学は私立の4年制大学だ。華やかな校風の名門大学。
歴史ある校舎が美しいと評判だ。
そして、誠一さんの出身大学でもある。何度か呼び出されて行ったことがあるけど、その度にサークルで楽しそうにしている学生たちに憧れた。
室町教授が飲み終わったリンゴジュースの空きパックをぷらぷらとさせていた。
「ここに来ると若さっていうのの良さを感じるね。」
「室町先生はお若いですよ。」
和磨さんがそう返すと、室町教授は笑った。
「リンゴジュース、捨ててきましょうか。」
私がそっと近づいて提案すると、教授はお礼を言ってパックを渡してきた。
近くにあるゴミ箱に捨てる。
戻ると、室町教授と和磨さんがいた場所に人だかりができていた。
室町教授は人だかりから少し離れたところにいた。
「どうされたんですか?」
「藤堂君が女学生さんに囲まれているんだよ。」
室町教授は面白がっているようだった。
「藤堂君は昔からよくモテるからね。普通じゃなかなか見られない光景だから観察しているんだよ。」
目を爛々とさせて室町教授は言った。
そんなに面白いのかしら。
私は楽しそうにしている教授の隣に並んで様子を見てみた。
「新聞サークルです。キャンパスのイケてる男性特集ということで、取材をしています!インタビューよろしいですか?」
「ごめん。学生じゃないんだよね。」
「学生じゃなくても全然アリです。講師の方ですか?」
「これから予定があるから、他の人を当たってくれる?」
「なら、連絡先だけでも教えてください。」
その声に私も、私も、と賛同する声が聞こえた。和磨さんは迷惑そうだった。
私もとっても不愉快な気持ちになった。
「六条さん、そろそろ時間だし、藤堂君を呼んできたら?」
室町教授は学生に実験の種類を増やしてみたら?、と言う時と同じ調子で提案してきた。
「そうですね、そうしますわ。」
私は1歩、2歩と踏み出し、人混みに充分近づいて言った。
「藤堂先生。」
「冬桜子!」
和磨さんはすぐにこちらを向いた。すると、女学生達も私の方を一斉に向いた。
私は人混みをかき分けて和磨さんの手を握った。
「会議の時間ですので、早く行きましょう。」
和磨さんを室町教授の元に連れて帰ると、室町教授が拍手して出迎えた。
「すごかったねえ。あの人だかりの中に入っていくんだから。」
私は絶対無理だよ、と教授は言う。
室町教授に指摘されて、私は冷静になった。
つい頭に血が昇ってしまったけれど、なんて無礼なことをしてしまったのかしら。
私が振り返ると、女学生さん達はまだそこにいた。今更ながらその人数の多さに驚かされる。
「冬桜子」
声がしたので隣を見上げた。和磨さんが感激した様子で瞳を潤ませていた。
「ありがとう。」
そうして、私の指に口付けた。
女学生さん達からきゃあっと声が上がる。
私は恥ずかしくなって、手を振り解こうとしたけど、和磨さんが離してくれなかった。
「ほら、藤堂君。仕事なんだからもう行くよ。」
室町教授にそう言われてやっと、和磨さんは手を離してくれた。
口付けられた手が熱い。私はその手でそっと口を押さえた。
―――
夏の集中講義のための会議はとても活発に行われた。
前年度までの講義のアンケート結果を受けていくつか講義のパターンを和磨さんが提案する。
それに対して、大学側も要望を出す。
要望を受けて和磨さんが更に新しいプランを考え、それにコメントがつけられる。
講義の骨子が固まり、会議に終わりが見えた頃大学側の責任者さんがつい口を滑らした、という感じで言った。
「毎年、室町教授の授業は評判が良いんですよ。今年は新しい人になると聞いていたので心配していたのですが、藤堂准教授なら安心ですね。」
「ありがとうございます。教職としては駆け出しの身ですが、良い講義にするべく最善を尽くします。皆さん、ご協力お願いします。」
そう言って和磨さんはニコッと笑った。
和磨さんの笑顔に大学側の皆さんの心臓が射抜かれる音がした気がした。
それはそうだ。和磨さんはお仕事もできるし、謙虚な方だもの。沢山の人から好かれるのもよくわかる。
「いやいや、そんな。過去の講義についてもよく調べていただいて、こちらが説明する必要もなかったくらいですよ。
特にこの資料はよく作られてますね。我々も参考にさせて頂きたいくらいです。」
大学の人が紙の資料をめくりながら感心した様子で言った。和磨さんはそれはですね、と前置きして答えた。
「秘書の六条さんが作りました。ね、六条さん。」
「秘書の方が!すごいですね。どちらでこのスキルを身につけられたんですか?」
テーブルの端に座っていた私に注目が集まる。資料作りで褒められた事がなかったので、慌ててしまった。
「特別なことはしておりませんが…前職で先輩方に大変よくご指導いただきましたので…」
「失礼ですが、前のお仕事をお聞きしても?」
「前職はある企業で役員秘書をしておりました。」
「六条さんはできる人でね。私も大いに助かってますよ。」
室町教授まで褒めてくれた。私はこんなに褒められるなんて、雪でも降るのではないかしらと心配した。
だって、今まで出来て当たり前で、褒められる事が滅多になかったもの。
仕事で褒められる事がこんなにも嬉しいと初めて知った。
―――
会議が終わり、廊下を歩いていたら反対側から見知った人が歩いてきた。
あの方は…と思って室町教授に話しかけようとしたけれど、教授の方が先に動いた。
「理事長、ご無沙汰しております。」
「ああ、室町教授ですね。今年度もご講義よろしくお願いします。短期と言わず、東京が恋しくなったら我が校は歓迎しますよ。」
「ははは。ありがとうございます。
ご報告が遅れましたが、今年度の講義はこの者が担当する予定です。先月までEPFLにいた藤堂准教授です。藤堂君。」
「ご紹介に預かりました藤堂和磨と申します。
今月から室町教授の元に特任准教授として所属しております。」
理事長は和磨さんをスッと上から下まで眺めるとニカっと笑った。
「ああ、君なら知ってるよ!最近テレビで特集されてただろう?医学の王子様だっけ?」
豪快に笑う理事長を前にして、和磨さんは微笑みを絶やさなかったけれど、沈黙していた。
もしかしたら、王子という渾名が嫌いなのかもしれない。
「松浦のおじさま、ご無沙汰しております。」
私は理事長に挨拶をした。昔からの知り合いだったからだ。
「六条のお嬢様じゃないか!
最近はパーティーでお会いしないからどうされたのかと思いましたよ。
こんなところで会うなんて奇遇ですね。」
「ええ。ですが、先月から室町教授の元で秘書をしておりますの。」
「ほう。それならこれからもお会いできる機会がありそうですね。」
私はふふふ、と微笑んで返答を濁した。
しかし、理事長は近寄って小さな声で話しかけてきた。
「白条家とのことは噂で聞いておりますよ。
どうですか?よければ家の息子にお会いしませんか?」
理事長の提案に驚いて、私は思わず仰け反った。
「いえいえ、わたくし結婚なんて考えておりませんもの。」
「そうは言っても家の息子にお会いしたら気が変わるかもしれませんよ。長男は結婚しておりますので次男になりますが。国立の美大を出ておりまして、気配りができる優しい男ですよ。それに私に似て、イケメンです。」
私は断るものの、理事長はグイグイと来る。
家の関係もあって厳しく拒絶することも出来ない。
気を焦った理事長が私を逃さまいと、腕を振り上げてきて私は怖くて肩を竦めた。
だけど、何も起きなかった。
「理事長、お戯れが過ぎます。」
理事長を止めたのは和磨さんだった。
理事長の振り上げた腕を掴んでいる。
顔は変わらず軽く笑んでいた。和磨さんは笑顔で怒る人なのだと悟った。
理事長はバツが悪そうにして腕を下ろした。
それから、失態を誤魔化すかのように声を張り上げた。
「なんだね、君は。君には関係ないだろう。」
しかし、和磨さんは私の前に立つと言った。
「関係あります。私は彼女の恋人ですから。」
和磨さんがこの時、どんな顔をしていたのか知らない。だけど、理事長と和磨さんはしばらく睨み合っていた。
そして、理事長はフンと鼻を鳴らして去っていった。
「冬桜子、もう大丈夫だよ。」
和磨さんが優しく声をかけてきた。
「それより、ごめんなさい。私のせいで松浦理事長からお二人にご迷惑がかかったら…なんて謝れば。」
理事長が逆恨みして何かやってくる。和磨さんもその可能性に気づいたのか、室町教授に向かって謝った。
「勝手な事をして申し訳ありません。見ていられなくてつい、体が動いてしまいました。」
「いいよ。さっきの様子はスマホで動画に撮ったし。何かあれば逆にこちらが訴えればいいさ。」
教授は最近のスマホって便利だよね、と付け加えた。
「それよりさ、君たち付き合ってたの?」
室町教授に言われて、私たちは顔を見合わせた。
「ホテルにチェックインしたあと、事情聴取しようか。」
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