007 メイドの煩悩
抜刀された刃が、正面にたたずむリーダー格の男に向けて放たれた。
完全なる不意打ち。
相手は反応もできず、痛みをおぼえる刹那すら感じずに首が落ちる。
確信めいた予感と共に振り抜かれた黒閃は、しかし放たれることはなかった。
「っ、ぁ……ぁ?」
三人の男たちが情けない声をあげながらその場に倒れる。
意識を失っているようだ。白目を剥いて石畳と口づけを交わしている。
「———」
それの気配を、感じることはできなかった。
瞬きにすら満たない刹那の間に、三人の男を気絶させる技巧。
鞘から完全に刀が抜かれるまえに封じる手腕。
そんなこと、とうてい使用人の分際でできることではなかった。
「……マグノリア、つったな?」
リオンの左隣、すれ違うようにして立っている楚々(そそ)とした使用人は、手首を掴む力を弱めずに横目を送った。
「おまえ、何者だ?」
「質問の意図が理解できかねます。わたくしの名をマグノリアと認識しているようですが、なにが不明なのでしょう?」
淡々とした、機械のような口調。
感情という不純物を取り除いたかのようなその声色は、シリルに対するものと似て非なるものだった。
「随分と冷てえじゃんかよ。あたしは客人だぜ? 質問ぐらい答えてくれたっていいだろうがよ」
「シリル様はあなたを客人だと一言もいっておられません。ただ同じ宿に寝泊りしているだけの女――わたくしの中ではそういう認識です。
よって、わたくしがあなたの質問に答える義理はありません。
よって、わたくしがあなたをどうしようとこれは二人だけの問題です。
よって——大変失礼ではありますが少々質問よろしいですか?」
「ぐっ――」
視界が反転した。
投げ飛ばされたのだと、コンクリートの壁に激突する瞬間に理解した。
背中にひろがる衝撃。肺から空気を吐き出して、痛みに悶える間もなく両腕を壁に押しつけられる。
「――いってえな……ッ! なにすんだよ――いや顔ちけえなッ!? おまえ、もしかしてこっちなのか?」
「は? 意味がわかりません」
「痛いいたいって、バカわかったよ抵抗しねえよクソッ」
「そうですか。では質問に答えてください」
「……へいへい。こっちの質問には答えねえクセに虫のいい話じゃあねえか。くだらねえこと訊きやがったらどうなるかわかってんだよな、あ?」
「ご自分の立場を弁えてください。あなたに――」
ミシミシ、と尋常ではない握力によってリオンの手首が悲鳴をあげた。
「――質問を質問でかえす余裕などないと心得なさい」
「チッ、わぁったからさっさと話せッ! こっちは癖みたいなもんなんだよこの口上はッ」
痛みに耐え兼ねたリオンは、額に脂汗を浮かびあがらせながら叫んだ。
鼻と鼻が触れ合い、息が交わる。群青色の髪が首筋を撫でる。
凛々しく整ったマグノリアの相貌には、いっさいの感情というものが失せていた。
「では、尋問を開始します」
「おい質問じゃねえのかよ」
「どちらも大差ありません。バカなのですか?」
「てめえ……ッ!」
やる気あんのかよ、と喉から出かけて飲み込んだ。
これ以上話を長引かせるのは得策ではなかった。
短気な性格の彼女が、堪えるという選択肢をとらせるほどに眼前のメイドに畏怖の念を植え付けられていた。
「わたくしが知りたいのはただひとつ。あなたは——シリル様に好意を寄せているのですか?」
「……は?」
「真面目に答えてください。答え次第では、手首を粉砕して海に捨てます」
せめて山にしてくれよ、という言葉は飲み込んだ。
「どういう意図なのかさっぱりなんだが……あたしはあいつに好意なんて持ち合わせていねえよ。なんならぶっ殺してやりたいぜ」
本音を返答して、髪と同じ群青色の瞳を覗き返した。
しばらく見つめ合った後、凶暴な使用人は手首をあっさりと手放した。
「――そうですか。ならなにも問題はありません。お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」
フリフリが大量に散りばめられた黒と白のスカートを摘み上げ、恭しく頭を垂れたマグノリアの、手のひら返しに頬を引きつらせた。
「んだよ、そんなくだらねえ質問のためにあたしを――」
「——くだらなくはありません。とても重要な案件でした」
「……はあ?」
「これ以上シリル様の周りに女が増えてしまっては、わたくしの相手をしてくださるお時間が減ってしまうのです。――知っていますか? 一日は二十四時間しかないのですよ」
「おいバカにしてんのかそれ。……けど解せんな。おまえ、てっきりあいつのこと嫌いなんだと思ってたぜ。その口ぶりからするとあいつのこと好きなのか?」
昨晩の邂逅と、今朝の出来事を思い返す。
どこをどう見たって、シリルに好意を寄せているようには見えなかった。
「好きなんていう言葉ではとうてい収まりきれません。あのお方はわたくしの生きる道、憧憬、性欲処理の相手なのです」
「おい。おいおいおいおいおい、最後だけちょっとおかしかったぞ」
「これを愛と呼ぶのならそうなのでしょう。わたくしはあのお方に仕えるべくして生まれたのです。あのお方の子種を身に受けるためだけに存在しているのです」
「率直に気持ち悪いぞおまえ。引くわ、普通に」
「あなたにはわからないでしょうね。シリル様が女を連れてくる度に、わたくしは身を引き千切られるような痛みに襲われるのです」
「……なあ。帰っていいか?」
「ですがこれで安心しました。あなたは、シリル様に好意を寄せていない。つまり害悪ではないということです。始末する対象が減りました」
「あ、そ」
植え付けられた畏怖が浮上して剥がれ落ちていくのがわかった。
こんなヤツに追い詰められていたのかと思うと、自分が情けくなってきた。
――いっそのこと、ここでコイツをヤってしまおうか。
涅哩帝王の柄に触れて、今も真顔で下ネタを連発する変態メイドを見やる。
「――それにしても好戦的ですね。その心構えは、なるほど、あのお方が気に入るわけです」
「なんの話だよ」
「忠告しておきます。いまのあなたでは、わたくしどころかルドラにすら勝利を掴めません」
……戦意を読まれていた?
冷汗が背を伝う気持ち悪い感触を振り払うように、リオンは口元を綻ばせた。
「おいバカ言うなよ、舐めんじゃねえ。あたしはこれでも結構な修羅場を潜ってきてんだぜ? 一級冒険者とやり合ったことだってある。そう簡単に殺されねえし、ひとまわりも下のガキンチョに遅れをとるわけねえだろうがよ」
それに、と指先に触れる得物の脈動を感じながら、戦意を隠すことなく放出した。
「いまのあたしは絶好調だ。さっきは突然のことで面食らったが、正面からやりあうってなると話は違え。――試してみるかよ、色ボケメイド」
その明らかな挑発に、
「では、わたくしはこう言わせていただきましょう。――チェックメイト、と」
「――ッ!?」
ポン、と肩に手が乗っけられる。
耳元で、無機質な声色が囁いた。
「いくらシリル様から強力な武器を授かろうと、担い手が雑魚では宝の持ち腐れですね」
今のいままで眼前にいたはずのマグノリアが、背後から現れた。
呆然と動けずかたまったリオンの横を使用人が悠然と歩いていき、その言葉を最後に路地裏から消えた。
残ったのは、己の荒い息と空気に混じった香水の甘い匂いだけだった。
いつから向かい合って話していると錯覚していた……?