005 涅哩帝王
王都デネポラの南西にひろがる広大な森林は、比較的穏やかな地域だ。
魔族が支配する北と比べれば脅威度は雲泥の差であり、出没する魔物のランクはFからD相当。Dに部類されるオークは、この地域では強敵の部類に入る。
「………」
「………」
森林に踏み入るふたりの冒険者。
澄み渡った空気が充満する自然の中、暗雲とした空気を垂れ流す彼女に低ランクの魔物たちは近づくまいと遠くから様子を窺っていた。
「………」
「………」
この一帯に生息する魔物たちは、無視しようにも赤髪の女が垂れ流す瘴気にちかい何かを恐れ、気になって狩りもままならない。
早く立ち去れと心底迷惑そうに、茂みからふたりを見つめていた。
「ふむ」
そんな魔物たちの声が聞こえていたかのように、純白のタキシードに身を包んだ少年は、あたりを見渡した。
「怯えているな。何かに恐れているかのようだ。しかし俺の索敵には何も反応がないのはどういうことだ?」
もしや、自身の魔法を上回る隠密の使い手が潜んでいるのだろうか。
だが仮ににいたとして、なんのためにこの場所にいる?
森林の深部に行ったところで、特に珍しいものは何もないはず……。
そう考えて、やがて結論にたどり着く。
「……俺か」
それとも、俺以外か。
立ち止まり、三歩うしろを歩く女の顔を見やった。
「……あんだよ」
「……なるほど」
どうやら敵というのは考え過ぎのようで、魔物たちが怖がって出てこないのはツレに問題があるようだった。
幽鬼とは、おそらくこういう顔をした存在なのだろう。
シリルでさえ直視を躊躇うほどの険しい表情を浮かべたリオンは、得物があれば今にも刺殺してしまいそうな殺意を滲ませていた。
だからといって何か対策をするシリルではない。
謝罪はおろか、媚びることも下手に出ることもなければ先手を打つこともない。
シリルという少年は、そういう男故に。
しばらく無言のまま歩き続け、深部へと足を踏み入れた頃。
それは現れた。
「オーク……おでましか」
足を止めたシリルの視線のさき、薄桃色の肌を持つ体長二メートル強の魔物の姿を認めたリオンは、鞘から剣を抜いた。
「……あ」
買ったばかりの剣が折れていることを忘れていたリオンは、それを手のひらに叩きつけながらシリルに言った。
「てめえに折られたせいで得物がねえや。代わりにやってくんねえかな、特級冒険者さんよお」
皮肉を込めたその物言いに、シリルは薄く笑った。
「アレ如きに俺が手を煩わせろと? リオン、おまえの役割をしっかりと弁えろ」
「あんだと?」
「おまえを拾ったのは俺の愛人になる他に、ああいう雑魚を狩るという任もある。それを全うしろ」
「おいおいおい、おいおいおいおい――愛人云々から最後まで、初めて聞いたぞぶっ殺されてえのかああん?」
額に青筋を浮かびあがらせたリオンは、半ばから折れた剣でシリルをど突く。先端がさらに欠けた。
「あたしはてめえの愛人にだけはぜってえならねえ。死んでもならねえ、死んだ方がマシだくそったれッ!」
仕舞には剣をシリルに投げつけて、中指を突き立てた。シリルにぶつかる手前で跳ね返った剣が、茂みのほうへ飛んでいく。
ガサガサと鳴ったそれのせいで、五十メートルほど先にいたオークがこちらの存在に気がついた。
「こちらに気が付いたぞ。なんとかして殺せ」
「だっからッ! 武器がねえんだよッ! 魔法も使えねえし肉体が武器ってほど脳筋でもねえッ! せめて刃がついたものじゃなきゃオークの皮膚は越えらねえッ!」
わーわー喚く人間の女を視認したオークが、下卑た笑みを浮かべた。
近場の木を膝でへし折り、それを武器に屈強な魔物が近づいてくる。
「だから言っただろう。あんな安物でよかったのかと」
「あの剣がいちばん高かったんだよッ!!」
「メンカリナンには碌な鍛冶師がいないな」
「てめえが硬過ぎんだよッ」
「仕方ない。報酬を前借りさせてやろう」
言って、シリルは左腕を真横に伸ばした。
いつの間にか指先には赤色の魔方陣が浮かびあがっており、そこへ手を突っ込んだシリルはもったいぶるかのようにそれを引き抜いた。
「くれてやる。俺だと思って大切に使え」
収納魔法とは違う毛色の術に思考をまとめるよりも早く、リオンはそれの存在感に目を奪われた。
それは、太陽の光すら余さず吸い尽くしてしまいそうだと錯覚するほどに、深い黒。
俗にいう刀と呼ばれるその一振りは、柄から切先までペンキで塗りつぶしたかのような極黒。
盗賊として数多の戦利品を観てきたリオンは、一眼で悟る。
アレは、極上の業物だと。
「銘はない。好きにつけるといい」
雑に投げ寄越された刀を恐るおそる受け取り、震える手でもって観察する。
見た目の重苦しさより、ずっと軽い。
しかし刀身から放たれる威圧感のようなものは、生半可な持ち主を拒むイロを見せていた。
だが、それがどうしたと柄を握りしめ、力任せに薙いだ。
「……礼は言わねえぞ」
「相応の対価だ。おまえは俺に魂を売った。その見返りにしては安いだろ」
「なら他にも寄越せってんだよ」
「ふっ、おまえは盗賊だろ? なら奪いとって見せろ。この俺からな」
「――はっ」
シリルの前へ出て、着実と距離を縮めてくるオークに刀の切先を向けた。
先ほどまでの幽鬼のような表情はそこにない。代わりにあるのは、
「上等じゃねえか。なら奪いとってやる――残らず、ひとつ余さずおまえの全てを」
貪り、奪い、喰らい尽くす盗賊の貌。
信頼を得て殺すだとか、色々と殺しの算段を考えていた自分がアホらしく思えるほどに、明確な答えはすぐそこにあった。
あたしは盗賊だ。ならばそう在れと、頭の中で声が響く。
誰にも屈せず、法に囚われず、あるがままを受け入れ――奪い続ける。
なればこそ、
「そうだな……ならおまえの銘は〝涅哩帝王〟だ」
人を惑わし喰らう地獄の悪鬼――その名に反応するかのように、黒刀が胎動した。
まるで生きているかのような感触。
ニィと口角を歪めたリオンは、腰を落として反りに指を這わせ……刹那、勢いよく地を蹴り上げたリオンはオークに肉薄した。
「らぁッ!!」
「――ッ!?」
オークの硬い皮膚が難なく切り裂かれ、返す刃が片方の腕を切り飛ばす。肺から漏れた悲鳴が、黒閃によって断末魔へと変わる。
三撃でオークを斬殺したリオンは、刀を振って血を払う。
まるでバターを切るかのようにすんなりと刃が通った。
病みつきになりそうな感触。
あるいは、これならば――
「届くかもしれねえな……っ!」
悟られぬようシリルに背を向けたまま、内に渦巻く炎が滾る。
しかし、まだだ。まだ時期ではない。
殺すのは、全てを奪ってから。
それまでは充分に利用させてもらう。
「はっ、来やがれ来やがれ。何体だって相手してやんよ」
死に際の声を聞き駆けつけたオークの群れへ、悪鬼さながら顔を歪めたリオンが飛び込んだ。
全身を満たす全能感。
溢れ出す脳内麻薬に酔いしれながら、リオンは刀を叩きつけた。
武器が強かったら自分も強くなったと勘違いしちゃいますよね。拳銃もってイキってる大学生みたいな。そんなの聞いたことないけど。