山羊の神の世界 イース・タール⑤ クシナ
日の光の代わりである照明が、緩やかに落とされていき、演出される夕暮れが、まだこの世界が機械によって支配されていることを証明しているみたいだ。
白い監視ロボットは相も変わらずに上空を飛び回り、逃げ出した人々を追い詰める。
俺は、途中で助けた少女と共に食料を求めて、まだまだ遥か先の一際高層の建物を目指していた。
「これで、十体目か。おーい、出てきていいぞ」
地面に横たわるロボット兵にグングニールを突き立てて、建物の陰に潜んでいた少女を呼びつける。
赤毛の長い髪を邪魔臭そうに弄りながら、俺の足にしがみつく。
何度となくロボット兵を倒しているうちに、少女は俺に“助けられた”のだと気づいたのかも知れないな。
その黒い瞳には、もう怯えの色は見えず、寧ろ透き通った無垢な瞳で俺を見上げてくるではないか。
随分と懐かれた。
もしかしたら、所謂“刷り込み”というやつか──って、鳥じゃあるまいし。
ただ似ているのかもしれないな、生まれて初めて顔を見るということと、生まれて初めて感情を出すということは。
「こういうのも悪く……ないか」
別に少女趣味があるわけではない。なんだろう、疑似父親体験とでもいうのか、頭を撫でてやると目を細めて嬉しそうな表情をしてくる少女を見ると心が踊る。
とてもこの世界の住人とは思えないくらいに、彼女は俺に色んな表情を見せてきた。
わずか数時間……くらいか、時計等無いため正確には判らないが、彼女と出会ってからそれくらいの時間は経過していた。
一度感情が出ると、それを切っ掛けとして様々な感情が表に現れる。
「あー、やっぱり名前要るか……な」
俺と少女は、建物内に隠れると、少女に念のため名前をもう一度尋ねる。
しかし、名前という概念が無いのか、首を傾げるばかり。
「名前っていうのは……うーん、そうだな。呼び名……じゃまんまか、名称……そう名称だ」
俺は少女の服を掴み「これは“服”だ」と教える。自分の髪を触り「これは“髪”だ」と、続けて自分の顔を指で円を描きながら「これは“顔”」と教えていく。
最後に「キミは?」と少女を指差すと、必死で何か考えている素振りを示す。
そして、彼女の答えは自分の服に付いているタグを俺に見せてきた。
そのタグには“947-79689”と、書かれているのが読み取れた。
(認識番号──そんなところか)
これは名前とは呼べない。こんな数字の羅列で呼んでやるのも嫌だし、呼ぶ方も嫌だ。
「947……きゅうよんなな……く、し、な……よし! キミは今日からクシナだ」
我ながら安直だって実感はあるが、名前を名付けるなんて初めての経験だ。
俺はクシナを指で差し「ク、シ、ナ」とゆっくり、それが自分の名前だと教える。
それから、少し距離を取り「クシナ」と呼ぶと、満面の笑みを浮かべながら俺の足へとしがみつき、俺を見上げてくる。
生まれて間もない頃の赤ん坊のような澄んだ瞳に、俺は吸い込まれそうになっていく。
クシナの両頬を両手で掴みくすぐるように撫でてやると、「あははは」と声を上げて笑う。
いつまでもこうしていたい──と、思ったが俺はハッとする。
なにやっているんだ、俺は。
「んんっ、そ、それじゃ行こうか、クシナ」
俺はクシナを脇に抱えると、今は嫌がるどころかしっかりと俺の白いシャツを小さな手で落ちないように掴むのだった。
◇◇◇
疑似である空は、証明が完全に落とされて辺りは真っ暗になる。外出する者などいないからか、街灯などはなく、完全な闇──なのだろう、本来は。
しかし、今は違う。空を飛び回る監視ロボットや、まだ逃げ出した人を追っているロボット兵などから多少の明かりが、闇をぼんやりとさせていた。
夜になってからも、何度かロボット兵の襲撃を受けた。俺一人だと、無視もするが、今側にはクシナがいる。
隠れても温度センサーなのか、暗視なのか判らないが、見つかってしまう。
「また来たか」
俺は建物内に入ると机の角にクシナを隠す。
「いいか、声を出すなよ」
グングニールと呪血銃を装備して、プシューッと空気の抜ける音がする方向で待ち構える。
音を立ててくれるのは、本当にありがたい。
もう、この世界には逆らうものがいないため、隠密性の装備は無くなったのだろうと、容易に想像出来た。
ガラス扉の向こうにぼんやりと小さな赤い光が見えると、俺はトリガーを引く。鮮血のように赤い直線的な光が銃口から発射されると、ガラス扉を粉々に砕きながら、扉の向こうのロボット兵を通り抜ける。
残念ながら、一撃とはいかなかったようで、俺に向けてロボット兵も絶えず射ち続けながら建物内へと入ってくる。
足を止めないように走り回り、ロボット兵を中心に円を描く。
そして、壁を蹴り俺は一気にロボット兵に詰め寄り、頭をグングニールで貫いた。
赤い小さな光は消えて、稼働を止めたロボット兵に俺は何度か突き刺してトドメを刺す。
最後のは、万が一に備えてだ。
クシナを呼びつけると、俺は早々にこの場から立ち去る。
あまり同じ場所に居たくはないし、何より一刻も早く食事が摂りたい。
闇夜に紛れて俺とクシナは、先を目指す。
俺の背中で可愛い寝息を立てるクシナ。俺も少し眠気が来た為に建物内へと入り周りを確認すると、眠っているクシナを懐に抱えて俺は、少しだけ仮眠を取ることにした。
三十分……いや、小一時間くらいだろうか、俺は仮眠から覚めると未だに俺にもたれ掛かり眠るクシナを見て、なんだかくすぐったく感じる。
ふと思ったのは、クシナを助ける切っ掛けとなった覚えの無い女の子がダブったこと。
ちょうどいいかと、俺は今まで転移、転生を行って来た過去の記憶を探る。
手のひらに収まった球体を意識して出すと、球体に映像が映し出される。
指でスライドさせながら、ザッと流し見た感じでは、そんな女の子は出てこない。
そもそも、こうして意識しなければ俺が過去行った世界の記憶を思い出すことはないはずなのだ。
俺はダブった女の子を思い出しながらクシナと比べる。赤く伸びきった赤い髪のクシナに比べて、あの女の子は黒髪でもっと短い。
背格好も、十歳程度のクシナに比べて、あの時の子はもう少し幼そうであった。
◇◇◇
朝を示すように、闇夜からうっすらと照明が点けられて辺りの建物などの外観が見えるようになってきた。
クシナは一つ大きな欠伸をすると、眠い目を擦りながら俺の肩に頭を置いて完全に俺の背中に身体を預ける。
「おはよう、クシナ」
「あ、……お」
まだ上手く喋ることの出来ないクシナだったが、懸命に話そうとしている雰囲気は伝わる。
「お腹空いたな、クシナ。もうすぐだからな」
食料があると思われる一際大きく高い建物は、近づくに連れて、その全貌を徐々に現し始めていた。
急ぐためにも、敢えてロボット兵を見かけると、少し大回りをしていく。
背中にクシナがいるのだ、いちいち戦っていたらクシナに危険が及ぶし却って時間もかかる。
俺も腹が空いたが、クシナも空かしているはずだ。
ふと、俺はいつの間にか自分の事よりクシナの事を優先していた。
これが子に対する愛情……なのか?
初めての経験に、少し戸惑いながらも俺の心は弾んでいた。
もちろん、俺にも親は居たのだろうが、その記憶は無い。
転生の時には、仮初めの親はいるが俺の中では、よそよそしく感じていた。
何より今は与えられる側ではなく、与える側。
不思議とクシナには、もっともっと喜んでもらいたいと、俺の足は自然と動かすのが、早くなっていった。
次回投稿予定明日0時