水瓶の神の世界 ファルブーク③ 外の世界から来た者
早朝に出発したにも関わらず、既に日は傾き始めていた。
御者のオッサンは目を覚ます。
岩や木と、チョロっと生えた草があるくらいのただの荒野で、俺達は食欲を満たすべく、馬車の荷台に積まれた調理せずとも食べられる果物や野菜、干し肉を食べている時であった。
「目を覚ましたみたいよ、クリス」
「今、行く」
一応、交代で見張りをしていたメイリーに呼ばれた俺は、馬車から飛び降りると、手首と足首を馬車の車輪に繋がれたオッサンの元へ向かい、メイリーと共に仁王立ちで見下ろす。
「さてと……何故こんなことをしたのか理由を教えて貰いましょうか?」
俺からの質問に反応したのは、御者ではなくメイリーが一歩早かった。
「クリス? 理由って、ガイガルの街まで御者を大人しくやるように説得するんじゃなかったの?」
「あ……ほら、いや、気にはなるじゃない。やっぱり」
笑って誤魔化す。ついつい探る癖が出てしまう。
「それもそうね。教えて下さらない? オジサン」
メイリーも意外と乗り気なようで、御者のオッサンを問い詰める。
初めは黙ったままだったオッサンも、ちょっとミョルニルを装着して握り拳を作ると手首から指にかけて電流を走らせると、アッサリと口を開いてくれた。
「君たちは……君たちは、洗脳されているんだ! 目を覚ますのだ! 勇者なんて………勇者に嫁いだって良いことなど何もないぞ!」
洗脳とは、これまた跳んだ発想をするものだ。
確かに、そういう考えも出来そうではあるが、文明や思想などと言ったものは、移り変わることもあり、時にはおかしな方向を向くこともある。
勇者がハーレム築こうが、独裁政治を行おうが、この世界の住人が容認したのも、魔王を倒したという経緯があっての話だ。
何より洗脳は、無い。俺がいい証拠で、魔法のあるこの世界で魔法を使用しての洗脳ならば転生してきた俺にもかけられているはずだし、人の言葉による洗脳ならば、まずは何より俺の両親が洗脳してくるはずであるが、そんな様子は一切無かった。
「面白いことを言うわね、オジサン。例えそうであったとしても、貴方が行った子供を拉致する理由にはならないわよ」
メイリーの言葉に馬車から見物していた女の子達も、同意していた。
しかし俺はオッサンよりもメイリーの言葉に引っ掛かる。面白いことだって?
洗脳は無いが、この世界の住人は勇者に嫁ぐことを栄誉なことだと捉えているはずだ。
それを、馬鹿にされて面白いで済ませるだろうか。
もしかしてメイリーって──。
俺がメイリーに気を取られて考えに更けていると、メイリーと視線が合い「オジサンを説得しないのか」と急かされる。
「オッサンがどう考えているのかは、知らないけれど、どうされたい? 私達を黙ってガイガルの街に連れていくのか、それとも、ここに首だけ埋められたい?」
「え?」
「えっ!?」
説得にかかった俺に対して、オッサンだけでなく何故かメイリーも驚く。
「貴女って、見かけによらず……悪逆非道ね」
「嫌だ……頼む命だけは……」
いきなりメイリーから、突拍子のないことを言われてしまうは、オッサンは急に泣き出すはで、俺は思わずきょとんとしてしまう。
「ねぇ、クリス……せめて全部、埋めてあげましょうよ……」
「嫌だ……死にたくない……俺の頭は根っこじゃないぞ……」
「いやいやいや、全部埋めたら、このオッサン死んじゃう」
メイリーこそ悪逆非道じゃないか、それではまさに生き埋めだ。それにオッサンの根っこってのは、一体なんのことだ──!?
「貴女が言い出したんじゃない。首だけ埋めるって」
「えっ…………あっ! 違う、違うわよ! 首だけ残して地面に埋めるって意味よ」
「なんだ、そういうことか」と早とちりしてしまったと、メイリーは俺に笑顔を向けた。
いや、メイリー。君も大概ひどいからね。
見逃してやることを条件にガイガルの街に連れていくと納得してくれたオッサンは、さっきの「根っこ」がどうとか言ってた事を俺に話してくれた。
どうやら俺が、オッサンを生きたまま、体を逆立ちにして首だけ地面に埋めるのかと勘違いしたらしく、まるで木のようだと言いたかったみたいであった。
メイリーは、馬車に揺られながら再び本に目を落とす。
俺はメイリーに少し興味を抱いていた。それは、やはり先程の面白いという発想だろう。
少なくとも、この世界において、勇者に嫁ぐことは栄誉とされているにも関わらず、彼女は、笑い飛ばせるくらいには考えていることになる。
メイリーに気を取られながらも、俺はオッサンから情報を探るのを忘れない。
「ねぇ、オッサン」
「君は口が悪いな。それに俺はまだ二十代だ。オッサン呼ばわりはやめてくれ」
口元から顎、頬にかけて毛むくじゃらに髭を生やして顔が半分隠れているのに、年齢なんて判別つくはずがなく、俺はそのまま話を続けた。
「オッサンは、どうして皆が洗脳されていると思うの? 誰かに吹き込まれた?」
「……そうだよ。ある人が教えてくれたんだ。俺達は、その人のお陰で目が覚めたんだ」
「俺達……ねぇ。オッサンの他にも仲間がいるのね?」
「あっ!」
いや、口、軽すぎだろ。仲間がいるということは、今回のことが初めてじゃないのかもしれないな。
そんなことを考えていると、本から目を離さなかったメイリーが顔を上げて、眼鏡の奥に覗く瞳をオッサンへと向けた。
「オジサンは、私達を拐った後、どうするつもりだったのかしら?」
「そりゃあ、君たちが納得してくれるまで、説得するさ。勇者なんかに嫁いでも良いことなんかないぞって」
「それで、納得した人はいるのかしら?」
メイリー上手い誘導だな。いると言えば、今回が初めてじゃないことを意味する。
オッサンは、簡単に「沢山いる」と、相当の回数拉致を行って来たことを自白した。
「それで、その人たちは無事なの?」
「当たり前じゃないか! 俺達は危害なんか加えない!」
「拉致している時点で、危害加えているじゃない」
メイリーのツッコミに、オッサンは黙りこんでしまった。悪いことをしている自覚はあるのだろう。少なくとも、このオッサンには。
「それでも……それでも、今は幸せなはずだ! 中には仲間と結婚している子もいるぞ」
「オッサンの仲間以外に結婚した人は?」
俺のツッコミにオッサンは再び黙りこむ。子供を拉致して、説得して結婚させる。勇者と何ら変わらない。
そう言ってやると、オッサンは、激しく落ち込む。
このオッサンにも、多少思う所があるのだろう。
「だけど、だけど……あの人は、言ったんだ『外の世界では、誰もが自由に相手を選び、結婚出来る』って」
「オジサン、よく考えて。そこに勇者という選択を奪っている時点で矛盾しているわよ」
賢いな。
メイリーは、自由の意味を、よく理解している。
自由ってのは、ナニモノにも縛られず、ナニモノにも与えられず、全ての事柄を選択出来て初めて自由と言える。
あの人──そう呼ぶオッサンは、そいつの事を随分と信頼しているらしいが、他にやり方は幾らでもあるはずだ。
だが今の俺には『外の世界』と言う言葉が、耳から離れなくなっていた。
この世界の歴史はシロさんから色々と教わった。しかし、一度たりとも、この国以外の国の名前が出てきた事はない。
このファルブークという世界=この国そのものにあたると、俺は考えていた。
そうなると、あの人が言う『外の世界』とは──
もしかして、あの人ってのは、俺と同じ転移者か転生者なのか?