七話 世界を赤く染める
もっとこの世界のことを知る必要があると思った。
ベンチで休む暇そうな老人に声をかけたり、様々な店舗を覗いてみたり。ギルドにも行ってみた。ハニの町とは比べ物にならないほど依頼の数があって、中には元は茶色かっただろう紙が変色して薄黒く変色して文字が読みづらくなっていた。試しにその依頼を見ると〝魔王討伐隊、募集〟と書かれていた。
他にも魔物退治や護衛、錬金や調合の依頼など、城下町だけあって高ランクの依頼もあった。でも受けるならランク一つ星の簡単な依頼がいいな。武器もないのに魔物退治なんてできるわけない。
ただ今日は疲れているから明日からにしよう。
誰がそばにいる訳でもないのにそう言い訳してギルドを出た。
そのまま帰ろうと思ったが、やはり入らずにはいられないお店があった。
「いらっしゃい」
もちろん武器屋である。
ギルドの依頼もそうだったが、武器もハニの町と比べ数も種類も豊富で、価格もやはり相応にして、とてもじゃないが買えそうになかった。
諦め店を後にしようとしてふと思いだしたのは、先ほど財布から百円玉と取り出した時のマッチョの、煎餅屋の店主の反応だった。
「あのー、これって使えます?」
試しに百円玉を見せると、店主は一瞬驚いた後、わざとらしくにやりと笑った。
「おめぇ、そりゃニサリー銀貨か。つーことはコットー大陸から来たのか。ずいぶん遠くから来たな」
愛想はいいが、店主の笑顔からは人を騙そうとする匂いがぷんぷん漂ってくる。
「ええ、まあ」
「何がいいんだ? 好きなのと交換してやるよ。うちの一番のお勧めはこのバスタードソードだな。どうだい? 買っていくかい?」
ニサリー銀貨の価値がまるで分からない僕には、どれほどぼったくられているのかも分かりはしないが。
そうは言っても目の前に掲げられたその剣を見て、それが自分のものになるんだと思えば高揚を抑えきれなかった。
そのデザインのかっちょいいバスタードソード、ぜひ欲しい。
「うげっ」
試しに持った瞬間、危うく落としそうになる。
なんだ、この重さは。十キロ近くあるんじゃないか。こんなの、持って歩くだけで疲れそうなものを、戦闘で使うなんて到底できそうにない。
無理だ、諦めよう。
店主はしつこく勧めてきたが、やはり身の丈にあったものを買うべきだと、店内を見渡してみる。すると丁度目の高さにあった、シンプルなデザインではあるが扱いやすそうな刃渡り三十センチほどの短剣が目に入った。
「これにします」
持ってみると重すぎず軽すぎず、自分にはこれが良いと思った。
「そ、そんな安物でいいのか」
「はい、これください」
でも少しは抵抗しないとな。
「でも価値が釣り合わないですよね。お釣りください」
「もちろん、それと交換じゃ釣り合わねーもんな。いま持ってくるから待っててくれ」
…………だからなんでこうなる。
店主が持って来たのは十センチほどの袋に入った大量の硬貨である。覗くとリン硬貨がぎっしりと入っていた。
「鞘もサービスしといたぜ」
これでもまだ、ぼったくられているのだろうか。あとでテイラさんに聞いてみよう。
それにしても異世界の物の価値は未だに掴めそうもない。
その後もそうだ。今度は出店で防具を売っている商人に話しかけた時だ。紺色の魔術師ローブみたいな服が売っていて、いい加減薄汚れてきた服を一新しようと手に取り、百円玉をだそうとして、財布からカードが落ちてしまった。
前世でよく使っていたスーパーの会員カードだったが、そのカードを見るや小太り髭面の店主は声を上げた。
「なんと美しい!」
いや、全体に光沢があって、印字された名前が日を浴び銀色に光っているだけの、スーパーの会員カードなんですけど。
「ぜひそれを譲っていただけないでしょうか」
なんて言って膝をつく始末。
「いいですけど、この紺色のローブとこれください」
一番高い値の付いた、木彫りの龍を指差した。
「どうぞ差し上げます」
さっそく人気の少ない路地で服を着替え、鞘を腰に巻く。
なんだかようやくこの世界に馴染んだ気分。
そしてまだ手放せずにいる財布とスマホ、家の鍵をポケットに入れた。
テイラさんの家に着く頃にはすっかり日も落ちてしまっていた。
「戻ったよー」
漂ってきた匂いに、僕はキッチンへと急いだ。
「改めまして、僕の名前はロヤ・キューブと言います」
そう言えば少年の名前をまだ聞いてなかった。
「私はテイラ・テンダー」
「僕は……」
あれ、自分の名前、なんて正式名称だっけ。
「……アリィって呼んで」
「テイラさんにアリィさん、今日は本当にありがとうございました。おまけに家にまで泊めていただいて」
「気にしないでください。それに大勢での食事は数年ぶりで、私も楽しいです」
数年ぶりって、両親はいないのだろうか。
「それに宿はどちらにしろ取れなかったと思います。いま丁度、他の町からも魔王討伐隊に入隊希望者が集まって来てます。この時期はどこもいっぱいで野営組が街の外にテントを張るくらいですから」
楽しい談笑。このままずっとここに居たいくらいだ。
「それよりも私、アリィさんに聞きたいことがあるんですけど」
いつか来るとは思ったよ。
「ローブと短剣と、木彫りの龍と……そのお金、一体どうしたんですか?」
「話せば長いような短いような」
今日の一連の出来事をなかなか納得はしてもらえなかったが、信じてはくれた。
「これだけあれば、しばらくの食事代は平気でしょ?」
「しばらくどころか、十年は平気ですっ」
うーん、やっぱりまだこの世界の硬貨の価値を把握しきれてないようだ。
「それにしてもこのトマト、美味しいですね」
「当然です、私の固有スキルで作ったんですから」
固有スキルという言葉に、ロヤの表情が曇っていく。
「いいですね、優秀な固有スキルをお持ちで。僕なんか何にも使い道がないスキルですから」
「どんな?」
つい間髪入れず聞いてしまったが、彼の心をえぐることにはなっていないだろうか。
「〝レッドワールッド〟と言います」
名前だけ聞くと、カッコいいが。
「しかも発動条件が未だにはっきりと分かっていなくて。でも効果は簡単です。物を赤に変えることが出来るんです」
「それで?」
無邪気に聞くテイラさん。今にも泣きそうなロヤ。
「…………それだけです」
僕は呑み込めたさ。物を赤く変える力。要するにそれだけってことだろ。俯いて、言葉を失い食事が喉を通らなくなる。そんな気持ちにもなるさ。
「……嘘ですよね?」
テイラさん、その言葉がさらに追い打ちをかけると言うのに。
「何を変えられるか分かったところで、使い道はないんですけどね。はは」
自嘲気味な笑い声が、食事時のテーブルに静かに響く。
「だ、大丈夫ですよ。私だって最初は何をトマトに変えられるか分からなかったし、それに、絶対何かの役に立つはずですよ」
「そうだといいんですけど……」
「そうに決まってます。だからほら、私一生懸命作ったんですから、暗い顔してないで明るく楽しく食べましょう」
その後もロヤを励まそうと調子を変え言葉を変え、話し続けていると食事が終わる頃には、すっかり元気になっていたので結果オーライと言うことで。