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月がこんなにきれいな夜は  作者: 芦谷かえる
第一章「killer tomato」
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五話 ホヘット村

 

 今思えば荷物の殆どをテイラさんに持たせて自分は軽装で、どう考えたって僕が全部とまではいかないが道中少しぐらいは持ってあげるべきだった。

 そんな考えはテイラさんの表情でかき消された。

 体力には自信があった。男なんだからいくらテイラさんが年上だからって、負けるなんて想像もつかなかった。

 身軽なくせして息切れをしている僕。

 荷物を背負っているにも関わらず涼しい顔のテイラさん。

 旅に慣れているのか、足取り変わらず進んでいく。

 とっくに体力の限界が来ていたらしい僕は、その背中をどうにか追いかけていく。足はプルプル震え、一刻も早く座るなり転がるなりしたかった。

「げっほ、げっほ」

「喉、大丈夫ですか?」

 おまけに変な咳まで出て、頭もふらふらしてきた。

「うん、平気……げっほげっほ……げっほ」

 止まりそうにない。

 ホヘット村。随分小さな村で、民家から推測するに人口は二、三十人程度だろうか。まさか全員親戚で、姓が全員佐藤さんとかだったりするのかなんて、くだらないことをぼーっとする頭で考えながら一軒の、というか村で唯一の民家以外の建物に入る。

 そこは宿で、二人合わせて2リンで泊まれる。

 異世界もやはり地域によって物価は違うらしい。

 こんな日々が定番化してしまうのも嫌だったが、部屋に入るなり、僕は真っ先に壁側の一角、草木で作られた布団のような場所に寝っ転がる。

「あー、気持ちいや…………げっほ」

 寝付いて目が覚めたのは、目に入った光のせいだった。もう朝かと思って目を開けると、視界に入って来たのは月だった。前世よりも肉眼で十センチほど大きい月。何度も見て少しは見慣れた、けれどまだ新鮮な気持ちで見続けられる月。

 部屋に吹き込む夜風は心地よくて、思わず宿の外に出る。咳が止まらない中、村を一周するのに十分も掛からなかった。

「おかえりなさい」

 門の前で迎えてくれたのはテイラさんだった。

 前世ではお目にかかったことのない不思議な色合いの建物を背景に、月明かりに照らされたテイラさんの顔立ちが余りに幻想的で、やっぱりここは異世界なんだなと改めて思い知る。

「暗い時間に出歩く悪い子は、リルー様のご加護をいただけませんよ、って小さい頃教わりませんでした?」

「言いつけはあまり守らない子供だったから」

「それはいけませんね」

 ちょっと冷えていたのかな。引っ張られるように掴まれた腕に伝わった彼女の体温が全身を温めていくようで。

「さ、朝まで眠りましょう」

 返事をする間もなく目を閉じていたが、どうにもおかしい。

 不規則な生活を繰り返していたせいで、すっかり睡眠リズムが狂ってしまったのもある。

 けど眠れないのは、村中に響き渡る音のせいだった。

「げっほげっほ」

「……げっほ……げっほ」

 小さな村だからこそ、大声を出せば村の両端にいても聞き取ることができるだろう。けどその場所を特定することができないのは、四方全てから聞こえてきたからだった。

「みなさん、風邪ですかね?」

 その咳は僕がしていた咳に似ていた。もしかして僕が村中の人々に感染させたのだろうか。でもテイラさんは大丈夫みたいだが。

 ふと、部屋の外に気配を感じた。ドアに耳を張り付け、廊下の様子を伺う。

「何してるんで――っ?」

 咄嗟に僕はテイラさんの口を手で塞いでしまう。

「静かに」

 気が気でないのは、もちろん廊下にいる誰かに気づかれてしまうことなんかじゃなくて、僕の手のひらに直接かかるテイラさんの生温かい吐息と、唇の柔らかすぎる感触のせいだった。

 涼しかったはずの気温の中、身体はほんの少しばかり汗を掻いていた。

 廊下の話し声は、足音と共に徐々に近づいてきていた。

 静かに、気配を殺して近づいてくるような足音。

「――あい――せ――しんだ」

 よく聞き取れなかったが、きっと僕らのことを話しているに違いない。

 聞き取れなかった言葉を、どうにかつなぎ合わせる。

 そして導き出された答えに、僕は背筋がぞっとした。


 〝あいつのせいで死んだ〟


 そう言ったに違いない。

 村の誰かに僕の風邪がうつって死んでしまった。それで村人たちは、原因である僕を殺しに来るんだ。ここは異世界だ。きっと人が人を殺すことぐらい、よくある世界なんだ。

 これから起こることは分かった。

 だったら僕がすることは一つしかない。

「逃げよう」

「え?」

 こういう時、身軽な旅はいいなと思った。

 荷物は殆どない。窓際にあった袋を肩にかける。たったそれだけの所持品を持って彼女の手を掴もうとして、でもそれはいくら異世界だからと言って恋人でもない僕がするには憚られ、代わりに手首を優しく掴んだ。

「アリィさん? ちょっと――――」

 それ以上の言葉を待っている余裕などなかった。

 威嚇が肝心だと思い、ドアを勢い良く開けるとそこにはカンテラを持った亭主と、後ろには複数の男どもがいた。

 立ち止まってはいけないと思い、廊下を走り男どもの間を抜け階段を下りていく。彼女が転んでしまうとか、追いつかれたらどうしようとか、そんな雑念を振り払いながら店の入り口まで行き、ドアを開けようとしたが鍵が掛かっていて開きそうにない。

 閉じ込められたらしい。

 いや、これくらいの扉なら。

「てやーっ」

 ドアを蹴飛ばすと、両開きの片方の鍵が壊れたのか開けることができた。

 そしたらもう、走るだけだった。方向なんて分からない。行く当てもない。ただ僕は掴んだ手首だけを離さないよう、月明かりだけを頼りに走り続けた。

 村を出てどこまでも続く荒野を後ろを振り返らずに、疲れても疲れても。疲労がピークに達して足がもつれて、転ぶその瞬間まで前だけを向いて……。



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