三話 トマト
さっきのかっこつけはものの数分で無に帰した。
「相部屋かい? じゃあ朝食は一人分追加でいいね」
無愛想な亭主が、頬杖をつきながら、手のひらを広げた。
「はい、食事代2リン」
どうしよう、お金ない。
「えっと……」
ポケットを探すふりをするが、ふりはふり。出てくるはずもない。どうにかこの場を切り抜けるんだ、と思いながらも打開するアイデアは浮かばない。ふりが通せる時間もそろそろおしまいだ。
いっそ、走って逃げ去るか。
僕がそんな屑同然の選択をしないで済んだのは、彼女のお陰だった。
「もしかして、森の中で落としたのかもしれませんね。いいですよ、私が払いますね。はい2リンちょうどです」
「まいど」
情けないし恥ずかしい。僕を見る亭主の目が心なしか嘲笑っているように思えて仕方ない。いや、実際そうに違いない。
「ごめん、払ってもらって」
部屋に着くなり、まず彼女に頭を下げずにいられなかった。
「いいんですよ、旅は道連れと言うじゃないですか。それに……アリィさんはおいくつですか?」
「十六歳ですけど」
「ほら、私の方がお姉さんです。私は十七ですから。気にしないで奢られなさい、分かりましたか、アリィくん…………なんてね」
ペロッと舌を出す仕草がどうしようもなく可愛くて、思わず床に倒れ込む。
やっぱ異世界最高、そう思いながらも床に頭をぶつけて痛かったけど、なんかどうにも気持ちが良くなって、そのまま瞳を閉じていた。
「ちょっとアリィさん、どうしたんですか急にっ」
なんか今の衝撃で一気に疲れが出たのかも。どんな場所に転がっているのか分からなかったけれど、今日はこのまま眠りたかった。
「テイラさん、おやすみぃ」
「こんな場所で眠らないでください、アリィさんってば!」
揺さぶり方が、丁度ゆりかごのようで……。
目が覚めると、だから異世界ってやつはと思わずにいられなかった。
今までにあっただろうか……いやない。
女性の裸を見たことなど、一度たりともない。
それが目の前で、ごく自然に晒されている。
僕は冷静に狸寝入りをしつつ、目を限りなく細めばれない様に見続けた。
これが異世界、これが生着替え。流石に下は履いていたが、ブラジャーがない世界なんだから、ないものはないに決まっている。身体を拭いているらしく、サービス精神旺盛と言わんばかりに背中を向け、横を向き前を向き、ぐるぐると向きを変えながら全身を拭いた後、袖に手を通し服を着るまでの時間は、本当に生きててよかったと心の底から思える時間だった。
適当なタイミングで起きた僕の胸は高鳴り、しばらく彼女を見て会話が出来なかった。
異世界の朝食は割と美味しくて、少なくてもこれから先食事に困ることはなさそうだった。
「今後はどうする予定ですか?」
朝食を終え、部屋に戻るなり彼女は僕に尋ねた。
「まだ特に決まってないんだよね」
「確かミース地方からいらしたんですよね。でしたらチリヌール城までご一緒しませんか。まさかまたトサイの森を突き抜けようなんて考えてませんよね?」
「そりゃ、もうあんな思いは御免ですから」
なんかチリヌール城とかトサイの森とか、分からない地名が出てきたが、RPG感覚で捉えるとそれほど物怖じせずに済んだ。
「私、チリヌールに住んでいるので途中まで一緒ですね。それとも寄るところがあります?」
「僕ももう家に帰ろうと思ってたんで……。もうトサイの森でキノコ狩りは散々な目に遭いましたから、さっさと帰りたいですね。チリヌール城までですけど、よろしくお願いします」
森から来た時とは違う場所から村を出ると、どこまでも伸びる少しうねった一本の道が続いていた。
二人並んで歩く異世界道中。魔物が出る訳でも何かイベントがある訳でもなく、すれ違う旅人だか商人に会釈をしつつ、半日歩くと最初にいたイーロ村よりもずいぶん大きい街が見えた。あれがチリヌール城だろうか。城なんてどこにも見えないが。
かといって余計なことを言ってぼろを出して、信じてもらえるか分からない、自分は別の世界から来ましたなんて真実を打ち明けなければならない状況にもしたくない。
黙ったままでいると、幸い彼女が声を上げた。
「こうして歩くと、ハニの町はやっぱり近いですね」
「そうだね、近いね」
知ったか振りで話を合わせる。
街に入りどこに行くのかと思えば、彼女はお腹を押さえた。
「まずは食事にしましょう、って言ってもアリィさんはお金ないんでしたね。実を言うと私もそれほど持っている訳ではなくてですね、これからのことを考えたら、少しギルドで依頼を受けようと思うのですが、いかがでしょう?」
確かに僕はお金がない。それも一銭も。魔物に殺されたならともかく、空腹で死にかけるなんて、せめてそんな情けない死に方だけは避けたい。
なら、まだよく知らないこの世界ではあるが、せっかく来たこの世界。前の世界では失敗したが、今度は失敗しないように生きてみようと思った。
考えた結論は至ってシンプルだった。お金さえあれば衣食住どうにか揃えられて生きていける。だったら稼ごう、まずはこれからの生活の為に。
「だったら早速ギルドに行こう」
自分の中でやることが明確に決まったからか、あるいは進むべき道が見えたからか、久しぶりに身体に活力が戻ってきた気がする。
「はい……でもまずは、食事ですよ」
やってきたのは川辺だった。途中、腹の虫を鳴かせる香りに堪えながら、どのお店にも入ることなく、僕らはいま浅瀬で丸い石を探している。
「どういうこと?」
「言いませんでした? 私たちはお金がないんです」
ときどき彼女と会話が噛み合わないのは、どうやら彼女が説明すべき部分の根底を説明し忘れるからだと、ここに来て気づいた。
「それで、どうしてこんなことを?」
「トマトですよ」
やはり意味が分からない。
「トマトって?」
足首から先を水につけ、拾った石は十を超えた。彼女のものと合わせたら二十近くあるだろうか。
数秒経って合点がいったらしく、少し笑いながら彼女は集めた石の一つを手のひらに乗せた。
「言ってませんでしたっけ、私の固有スキル……ちょっと待ってくださいね」
彼女が服のポケットから小さな容器を取り出し、その中に入った血のように赤い液体を数滴石に垂らし、全体に馴染ませていくと、灰色だった石は真っ赤に染まった。そして両手で覆い、ふぅと一度呼吸を整え、目を瞑った。
「〝チェンジ〟」
それはまさしく魔法だった。
種も仕掛けもない、正真正銘の魔法。赤く丸い石は、彼女の手から発せられた玉虫色の光によってそっと優しく包み込まれたかと思うと、次の瞬間……赤く、艶がある、なんとも美味しそうなトマトに変わっていたのである。
「これが私の固有スキル〝トマトチェンジャー〟です。赤く丸い物なら、例外はありますがトマトに変えることができるんです」
「そ、そんなことが……」
人生最大の驚きを、まさかトマトから受けるとは露ほどにも思っていなかった。
「でも食べ物に困らないってわけではないですよ。一日に出来る回数に上限はありますし、赤く丸い物がなければできません。最初の頃は、一体何を変えられるのか分からなくて苦労しました。ギルドで鑑定してもらった時、すごく珍しい能力だって言われて、あまり例がなかったみたいで……」
固有スキルと言ういかにもファンタジーな設定に高揚しながら聞いていたが、ならば自分にも固有能力はあるのだろうかと、確かめずにはいられなくなっていた。
頭をよぎったのはよく使われる四元論だったり、もっと言えば選ばれし者にしか使えない選ばれた能力的な、世界を動かす能力を期待してしまう。火だろうか水だろうか、それとも空間とか光とか……。
異世界からやってきた、導かれし勇者だったらどうしよう。
「――――あーだらこーだらした、そんな苦労があったんです」
そんな空想に浸っていたせいで、彼女の苦労話を殆ど聞いていなかったが、喋り終えると少しは満足したらしい。
「アリィさんもどうぞ」
受け取ったトマトを食べる。甘くて酸味があって、これ以上ないくらいに絶妙なバランスのトマトは、確かに固有能力のなせる技(魔法)かもしれない。
歩きながら先に見える、街にある中では大きめの建物を目指す。とんがり帽子のような建物で、入口前では武具を身に付けた冒険者らしき人達が談笑していた。おそらくあれがギルドなのだろう。
「ところでアリィさんの固有スキルはなんでしょうか? もちろん、言いたくないなら言わなくても大丈夫ですよ。自分のスキルを隠したがる人も多いですからね」
知らないというのは変だろうか。けれど適当なことを言って見せてほしいなどと言われても困ってしまう。
「えーと……実を言うと、ギルドで鑑定してもらったことないんだ」
「なるほど、アリィさんは流れの冒険者なんですね」
流れの冒険者がどんなものかは知らないが、そんな存在がいてくれて助かった。
「これから行くのですから、せっかくなので鑑定してもらいましょうよ」
「そうだね、鑑定してもらおうかな。もしかしたら、今後役に立つかもしれないからね」
だめだ、そんな謙遜しつつも、自分の隠された能力に期待してしまう。
中に入ると二階建てであるが真ん中が吹き抜けになっていた。天井は外見通り三角錐になっていて思ったより広々していた。
右手に受付のようなカウンターがあり、彼女はそこに一直線に歩いていった。
「すいません、鑑定をお願いしたいのですが」
カウンターに置いてあった小さなベルを鳴らすと、出てきたのはこの世界の平均的な格好をした普通のおばさんだったことに、そりゃ少しはがっかりしたさ。
若くて可愛い女の子が出てくると、ちょっとは期待してたからさ。
「鑑定するのはあんたかい?」
しかも愛想もない。もうちょっと親近感がないと、前の世界じゃ即刻クビだな。
「そこに手を置きな、すぐ出るから」
不思議な石だった。濁った白い色をしていて、平らだったので手のひらを置くとひんやりしつつも吸い付くような感覚があった。身体の中から何がが吸いだされるようで気持ち悪かった。
「……はい、出たよ。この型は…………おや、これは珍しいね」
ついに来た、ついに来たんだ。前の世界じゃろくなことなかったけど、この世界じゃ選ばれし者になれるんだ。もう前の世界なんて考え方も止めて前世とし、今いる世界を現世として生きていくんだ。
これからが新しい人生のスタートだ。
「おばさん、何の能力ですか」
「〝かぜ〟使いだね」
風か、固有スキルは風なのか。悪くない、なかなか主人公っぽい能力じゃないか。突風を巻き起こしたり風の刃を操ったり、いつかは空を飛べたりもするのだろうか。
「アリィさん、私以上に珍しい能力ですね。〝かぜ〟使いだなんて」
「鑑定は以上だよ。依頼を受けたかったら、またここに来て手続きしておくれ」
さっそく依頼を受けようと依頼書が貼られている壁際に行くと、そこには子供の世話だのペットの散歩だの、店番や探し物と言った雑用ばかりの依頼が並んでいた。
「こんだけ? 魔物退治とか迷宮探索とか、護衛とか……そういうのはないの?」
「ギルドがあると言っても、あまり大きな町ではありませんからね。治安も良いですし、どうしてもこういう依頼ばかりですよ。それに……アリィさんはギルド初めてですよね。でしたらランクは一番下のはずですから、あっても受けられませんよ。迷宮探査なんて、最低でも三ツ星はないと」
僕が項垂れている間に、彼女は数十枚ある依頼書の中から一枚剥がして持ってきた。
『家の掃除』報酬12リン、半日ほど
ランク一つ星~
「掃除のお手伝いをお願いします。結構重たいものもあるので、最低でも男性が一人いてほしいです」
「アリィさんの記念すべき最初の依頼はこれでどうでしょう?」
正直大変そうであるが、前世でも仕事はしていたんだ。どうにか頑張れるだろう。未だにこの世界の紙幣の価値がてんで分からないが、他の依頼と比べると、時間に対しての報酬は平均よりは高い。要するに、
「時給は高いに限るってことね」
「じ、きゅう? なんですかそれ」
「ううん、気にしないで独り言」
依頼書を受付のおばさんに渡し受けることを伝えると、やはりあまり愛想のない顔で、それでも一応「始めてなんだろ。ま、がんばんな」と声を掛けられた。
別に態度が悪いとかではなく、愛想がないのは性分なのかもしれない。確かに前世で言うところの接客マナーは何一つなっていないが、嫌な気分にはならなかった。
依頼は文字通り本当に掃除だけで、朝から始めたが終わる頃には昼になっていた。
お金は手渡しらしく家のご主人から直接頂いた。
それを彼女と半分で分け、僕の分である6リンをポケットに入れた。
あとで彼女から聞いたのだが、依頼主は後日仲介料をギルドに支払いに行くのだとか。なるほど、ギルドはボランティアではないのね。
その一部がさっそく昼飯で消えてしまうかと思ったら、依頼主の奥さんの厚意で僕らの分の食事も作ってくれたらしい。
宿で食べた食事よりもおいしくて、図々しくもお代わりをしてしまったが、奥さんは気にすることなく、それどころか笑みでよそってくれた。帰り際、彼女の作ったトマトを置いていった。彼女曰く、依頼を受けた家には毎回置いていくのだとか。彼女なりのルーティンだろうか。