三十五話 歩き続けて
そんなはずあるわけもなく、相変わらず薄ら寒い森の中で僕は寝そべっていた。
「おい、時間がないんだろ。起きろ」
ロイズの声は、僅かに震えていた。
見上げると、気まずそうに目を逸らす。
もしかして力加減間違えて、本当に殺されかけたんじゃないだろうな。
帰って追及したら、慌てふためくロイズを見られるのかな。
無事、帰れたらね。
ロイズにあんなことされなくてもすでに満身創痍。
よく自分の体が保ってくれていると思う。
悪いんだけど、もう少し保ってくれよ。
「ったく、今度はなんだ?」
「…………」
僕はもう、言葉を吐く余裕も残ってない。
「コープスネイク、ドロンフログ。聞いたことあるだけで、実際見るのは初めてだな。そんな魔物ばっかだなこの森は」
肉体がなく、骨だけに近い蛇。
全身を茶色い泥が生きているかのように蠢く一メートルほどの蛙。
前者がコープスネイク、後者がドロンフログだろうか。
ロイズは剣先を普段よりも落として構えた。通常が上段なら、下段寄りの位置。鞘に納めたまま息を小さく吸い込み、低めの体勢で駆けだした。
ドロンフログの肉体をあっと言う間に真っ二つにするも、効いている様子はなく、逆にロイズに向かって身体を何倍にも膨らませて、覆い被さるようにその身体を地面に直撃させた。後ろに大きく飛んだロイズは幸いその身体からは逃れることが出来たが、衝撃で泥が一面に飛び散り、大量の泥に塗れてしまった。離れていた僕やヨーコちゃんにさえ、泥は飛び散っていた。
ドロンフログは死んでしまったのかと思われたが、飛び散った泥はまるで磁石のように一点に集まっていき、再び元の形に戻っていた。
そして今度は、僕に向かってまるで僕自身に引き寄せられるかのように勢いよく向かってきた。
速すぎて剣を構える余裕もなかった。
距離を取ろうとして右足が下がらず、それどころか一歩前に出てしまう。
きっと、右足に付着した泥が関係しているのだろうと、泥とは思えないほどの硬い肉体で突進された僕は吹き飛ばされ、後ろにあった木の幹に背中をぶつける。痛がっている場合ではないとどうにか目を開けた瞬間、今度は複数の泥が飛んできていた。
腕に胸に、最後の一つは顔に直撃する。石でも投げつけられたような痛み。
自分の限界が、死が近づいてきてるのではと思えるほど意識は遠くなっていく。朦朧としてきて、それでもどうにか剣を杖代わりに立とうとするも、途中で地面に倒れてしまう。
「はぁはぁ」
息が苦しいのはどうしてだろう。全身が自分の体とは思えないほど言うことを聞いてくれないのはどうしてだろう。
でもまだ、僕はどうにか生きている。
死んじゃいない。
振り絞れるだけ振り絞って、立ち上がって、歩く。
ドロンフログは再度ロイズに向かって身体を膨らませていた。
「よし、ここだな」
ロイズは小さく呟き、両手を地面についた。
そしてフドロンフログが落ちていき、ロイズの姿が消えていき完全に覆い被される直前、その隙間が真っ赤に光った。
「ファイヤーウォール」
風船が爆発するように泥が先程よりも広範囲に飛び散り、ロイズの前に残っていた泥の塊は、数メートル程伸びた火の壁の下で激しく音を立て燃えて、あっと言う間に溶けてなくなっていた。
「次は…………ん?」
恐らくもう一匹の、魔物を探しているのだろう。
確か名前はコープスネイクだったか。
見渡してもどこにも姿はなく、ドロンフログとの戦闘で巻き添えを食ったかどこかに行ってしまったのだろうかとほんの僅か気を抜いた瞬間、何かが真下から顔に向かって飛んできていた。反射的に払いのけたそれは、見失っていたコープスネイクだった。
コープスネイクは地面に着地すると同時に、再び僕へと向かってきた。
なんで僕ばっかりにくるんだよ。
逃げる体力なんてもうなくて、殆ど木の幹のように動かなくなった足に牙をくい込ませた。
足を骨ごと食いちぎりそうなほどの力で身体を大きく振り、そのたび痛みが走るが麻痺してきているのか思ったほど感じなかった。
だからと言って引きはがすこともできずにただ徐々に深く食い込んでいく牙をただ僅かな抵抗で受け入れることしかできなかった。
「アリィ、そのまま!」
そのままっていうか、どうせすぐに動けそうもないけどね。
走って来たヨーコはいつの間にか手にしていた鉄の棒で、コープスネイクを薙ぎ払った。噛まれたまま強引に引きはがされたので、皮膚が抉られたような痛みが走り、さすがにそれは泣き叫びたいほど痛かったが、まだ戦いは終わってはいないかもしれないと思い、吹き飛ばされた行方を追うと、地面に落ちるや否やヨーコが鉄の棒をうねうねと動くコープスネイクごと地面に突き刺した。
「ファイヤーボール!」
ヨーコの手から放たれた日は、動けなくなったコープスネイクに直撃し、溶かすようにゆっくりと消滅させていった。
地面から引き抜いた棒は先端が赤くなっていて、落ちてきた枯れ葉が触れた瞬間、煙と共にその場から焼失した。
「ふぅ……生きてる?」
ヨーコはボサボサになった前髪を掻き分け、地面に棒を付き転がる僕を見下ろした。
「かろうじて」
息も絶え絶え。
辺りは暗くて、月は隠れて、何かを探すには不適な状況。
でも僕は探し続けた。
人間ってすごいな、生命力ってすごいな。
自分のボロボロになった体を見て思う。
こんなになっても、痣だらけ血だらけで、恐らく骨にひびが入っているかあるいは折れていると言うのに、まだ歩けるんだもんな。
待っててくれメリビィ、絶対に見つけて戻るから。
不思議と
足下の雑草一つ一つに注視しながら、時に立ち止まり時に膝をつきむしって顔を近づけて。
月さえ出ていれば葉が光ってすぐ見つけ出せるのに。月は分厚い雲の向こう。
「アリィ、あと一時間くらいで戻る時間だ」
気丈に振る舞うロイズの声も白々しく聞こえてしまうが、良かった、まだ時間は残されているんだな。
せめて、ほんの一瞬でもいいから、月が顔を覗かせてさえくれれば。
月明かりの見えない空を、木々に遮られて逆に僕が覗く形となっている空を見上げていると、地面が大きく揺れ出した。
次から次へと、この森は忙しないな。
「きゃ!」
収まった揺れの直後、ヨーコの悲鳴が響いた。
二人と少し離れた場所を歩いていたらしく、急いで来た道を戻ると四、五メートルはあろうかという大木の枝葉が片足に巻き付き、宙づりになっていた。
灰色の大木は何十もある太い枝を触手のように滑らかに動かしていた。
「まだ出るのかよ」
魔物が出たことに愕然としつつ、けどヨーコを助けようとして足が膝から崩れ落ちた。
「あ、れ……?」
敵の攻撃だろうと思ったが、足を見ても変化を見つけられない。
理由も分からずにいると後ろからロイズの声が聞こえた。
「ファイヤーボール」
同時に僕の真横を明るく熱い火の塊が通り過ぎていく。
魔物が動いたせいか、火は魔物の右側を掠めただけで後ろに逸れていった。
「デビルウッド、馴染みのあるやつだな」
ロイズはひとっ飛びで魔物の懐に入って行きもう一度日の塊をゼロ距離でぶつけた。
地響きのような悲鳴でロイズはバランスを崩しそうになるも、どうにか倒れることなく持ちこたえる。けどその一瞬の間に魔物は枝を伸ばしロイズの体へと巻き付かせていった。
「しまっ」
あんな距離で、見れば随分と焦げた臭いが立ち込めていると言うのに魔物はまだ死んではいなかった。
「くそ……ファイヤーボール!」
放たれた火は何もない上空へと消えていった。
防ぐ間もなく一気に巻き付かれ、手足の自由を奪われてしまい、魔物に向かって魔法を放てなくなっていた。
魔物は間髪入れずに枝を鞭のようにしならせてロイズの体を叩いていく。
「ロイズっ……ファイヤーボール!」
ヨーコは宙づりのまま魔物に攻撃するも、ロイズとは火力が違いすぎるせいか、まるで相手にされていない。
「アリィ、なんとかしてよ」
ヨーコの声にも身体が動かない。
僕だってどうにかしたいよ、でも身体が、どうしても動かない。
「ねぇアリィ、メリビィを助けるんでしょ?」
そんなの分かってる。
「ぼっとしてないで助けてよ。このままじゃ、みんなやられちゃうよ」
分かってるって。
「動いてよ。ねぇ聞いてるの? 聞こえてんのっ?」
いま動くから、どうにかするから。
「アリィ! さっさと動けよ!」
うるさいな、ちょっと黙っててくれよ。どうにか立ち上がろうとしてるんだから。
「もう限界とか思ってんの、もう諦めたの?」
そんなわけないだろ、好き放題言いやがって。
「何にも出来てないくせに、あたしはまだ何一つ諦めてないってのに、勝手に諦めんなバカやろぉぉぉーーーーっ!!」
一瞬時が止まった。
森全体が静まり返ったかのように無音に包まれ、全ての生き物は呼吸を止めてしまったようだった。
ヨーコから発せられた空気の塊は爆風のようにそこら中の木々の葉を吹き飛ばし、魔物の動きも止めていた。
その瞬間をロイズは見逃さなかった。
強引に手のひらを魔物へと向けていく、けど魔物の標的はロイズではなくヨーコへと変わったのか、枝を鞭のようにしならせて、意識はあるもののぐったりとしているヨーコへと向けた。
あぶない。
もうとっくに力なんて残っていないと思っていた。
歩くことで精いっぱいだと思っていた身体が、不思議と走り出していた。剣を構えていた僕は、その今にもヨーコに届きそうな枝を目がけて。
頭の中でなぜその言葉が浮かんだのかすぐに理解できなかった。
「勝手に――」
ただ吐き捨てるように、その枝を切るのと同時に口から出した。
「決めつけんなぁーーーっ!」
吐き出した後に、言葉がさっきのヨーコに対してのものだったと気付く。
枝は真っ二つに千切れ、一部力が緩んだのかヨーコが地面へと落下していく。咄嗟に、僕は剣を魔物へと投げつけた。ダメージを与えたかは分からない。
地面との距離を縮めていくヨーコ。受け止める事なんて出来なさそうだった僕はただその落下地点へと身体を滑り込ませるように地面へと倒れた。
「ファイヤーボール!」
あとはロイズがなんとかしてくれるさ。
背中に感じた衝撃に、どうやら上手く言ったかなと安心して気を失った。
きっと一分も落ちていなかったと思う。
頬を叩かれ目を開くと、ヨーコが僕の体を起こしてくれた。
「ありがとう」
「ありがとう」
二人同時に出た言葉。
思わず目を合わせるも、それにどんな意味があるのかと無表情で見つめ合う。
力が入らず倒れそうになる身体を、ヨーコは僕よりも一回り小さな体でどうにか支えてくれていた。
でも、流石にもうだめだ。
何時間も探し続け、何回も魔物と戦って、どうにか窮地を切り抜けて来たけど、やっぱ駄目だよな。都合よくいかないよな。
漫画の主人公みたく、最後の最後にはどうにかなるなんて、現実はそんなに甘いわけないよ。
死と言うものが、そこまで来ているのが分かる。
「ここで、僕はおしまいみたいだ」
「何言ってんの?」
支えていた僕の腕を指先でつねるヨーコ。
「だって無理だよ。もう身体の感覚が無くなって来てるってのに、まだ動いて探さなくちゃいけない。時間もないってのに、ネシュギーリュ草がまるで見つからない。きっとここが、僕の限界なんだ」
助けられなくて悲しいのか、自分の不甲斐なさか、涙がぽろぽろと零れる。
「弱音ばっか」
「最初から無理だったんだ。僕には過ぎた行為だったんだよ。能力を見誤って、こんな場所に来て、死ぬんだよ」
僕を睨みつけるヨーコ。何かを言いかけて、歯を食いしばって僕の頬にそっと手を当てる。
「あの時と一緒、結局どこの世界でも僕は何にもなれないで、中途半端に生きて死ぬんだよ」
ヨーコは僕と同じ高さに位置を変え、視線を合わせる。
優しい言葉鼓舞して、頬を撫でてくれるのかな、と思ったが違ったらしい。
「そんなセリフ、死んでから言え」
「もう死ぬんだよ」
思いっきり頬を引っ叩かれた。
今のは致命傷だよ。
そのまま仰向けに倒れ、空を見上げる。
木々の隙間からは雲が見えた。
薄白く光る、明るい雲が。
ヨーコは何かを待っているように僕を見下ろす。
なんだ、バレてんのか。
そんなわけないよな、態度も言葉も取ってないし。
でもさ、何だろう。
そんな風にさ大きな目で、色んな物が輝いたりくすんだり、色付いたり影んだりしそうな、僕の奥の奥まで見透かされてそうな不思議な目でじっと見つめられたら、隠せなくなるじゃないか。
いつまででも、時間なんて忘れて見つめられたら、思わず零れちゃうじゃないか。
「ヨーコちゃん」
何も言わずに次の言葉を待って、何を言っても許されそうな表情で僕を見つめて。
「死にたくない……メリビィを助けたいよ」
「そんなの知ってる」
知ってるなら、こんな恥ずかしいこと言わせないでくれよ。
ああ、瞼が重い。視界がどんどん狭まっていく。
木々が消え、ヨーコの顔も消えて、映るのは空に浮かぶ雲。
白かった雲は徐々に明るくなっていき、僅かな雲の隙間からほんの僅かに月が顔を覗かせた。
今さら見えたって遅いよ。
月さえ見たくなくて、顔を横に向ける。
そこに広がっていたのは、一面薄っすらと緑色に染まっていた雑草だった。視界のどこまでも遠くまでその光は伸びていた。
なんだ、すぐそばにあったのかよ。全く騙された。絵と全然違うのな。なんだよあの爺さん、絵心ないじゃんかよ。そりゃ見つかる訳ないよな。
ヨーコちゃん、ロイズ。メリビィを助けてあげて。
お願い…………。




