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月がこんなにきれいな夜は  作者: 芦谷かえる
第三章「listen to my」
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三十四話 ただひたすらに

 

 太陽が真上に昇り一番暖かい時間のはずが、どこか薄ら寒い空気が肌に当たる。

「ここだな、よし行くぞ」

 逡巡している僕を余所にロイズとヨーコは、霧の立つ見通しの悪い森の中へと足を踏み入れていった。

 霧と、木々が複雑に入り組んで伸びているせいで、数メートルも離れてしまえば見失ってしまうそうだったため、慌てて追いかけた。

 森へ入るとそこら中から不気味な鳴き声が聞こえたが、動物なのか魔物なのかまるで区別がつかず、物怖じして自然と歩みが遅くなってしまう。

「ロイズ、どう?」

「この辺にはなさそうだな、もっと奥まで行ってみよう」

 二人してどんどん先に行っちゃうけどさ、僕がいること忘れてない?

 進むにつれ霧は濃くなり、地面は泥濘み、寒気は増していった。

 気温だけじゃない、この場所自体に異様な気配が漂っていて、身体と精神の両方から冷やされていっているようだった。

 何の収穫もないまま。

 まだ森に入って数時間も経ってないだろうけど、身体が限界に近づいていくのを感じていた。

 もちろん、限界を超えたって歩き続けるつもりでここに来たんだ。メリビィの命が掛かっている状況で、それくらいで弱音を吐こうなどとは微塵も思わない。

「…………」

 それにしても、よく剣や鎧が落ちていた。

 こんな場所で投げ捨てたとは考えにくい。

 死んでしまった誰かのだろうか。でも死体を一つも見ないのはなぜ。

「アリィ、敵襲だ」

「え、どこ?」

 足音も鳴き声も聞こえなかった。

 でも確かに、ロイズ達の正面にはそいつはいた。

 白く煙のような魔物。

 手も足もなく、けど顔のようなものが、それも皮膚が溶けてしまったかのようなおどろおどろしい表情が浮かび上がっている。まるで幽霊……いや、亡霊と言う方がしっくりくるだろうか。

 時間がない。

 その思考は一切の無駄と躊躇いを省かせた。

 敵の強さも考える時間も、全て初動の速さに集約させた。

 ヨーコが手を相手に向けるより早く、ロイズが剣を構えるのより少しだけ早く、僕は飛び出し魔物の身体を袈裟斬りにした。

「うわっ」

 剣は魔物を間違いなく切り裂いていた。

 白く揺れる身体は振り返ると二つに分かれていた。

 魔物は何事もなかったかのように振り向き身体から白い炎のような物体を僕を目がけて飛ばしてきた。

 ガードが間に合わず、それは僕の腹にぶつかって弾けた。

「かっ……ぁ……」

 ぶつかった衝撃は思ったほどなかったが、途端に呼吸が苦しくなり、身体の内側から鈍く重い痛みが数秒程続いた。

「はぁはぁ……何、いまの……」

「大丈夫か!」

「なんとか……」

 敵はゆらゆらと身体を揺らしながら、僕を見る。

 その目は敵意とは違う、別の何か強い念が籠っているように感じられた。冷たく、突き刺さるような負の念ともいえばいいのだろうか。

 試しに近くにあった石を投げてみると、石は魔物の身体を貫通して後ろに転がった。

 こいつ、物理攻撃が効かないのか。

 立って剣を構えるも、切った部分は消えていた。

「ファイアーボール!」

 魔物の後ろから向かってくる炎。暗い一帯を照らしながら、その炎は魔物にぶつかった瞬間一気に燃え上がり、あっと言う間に魔物を跡形もなく焼失させた。

 何もない場所。ただほんの少しの熱が残るだけ。

「ヨーコちゃん」

 駆け寄った僕に、何食わぬ顔をして一言。

「アリィ、私より弱い?」

「いや、今のはね――」

「ゴーストか、初めて見たな」

 言い訳を遮るようにロイズが魔物のいなくなった場所を凝視する。

「物理攻撃が聞かないらしい。確かカースミストが残る場所には出やすいと聞いたが、やはりここはまだ、カースミストが」

 植物や動物、人間さえも変異させてしまうと言う魔の霧。

「もしかしてこの霧って」

「だとしたら? 急いで引き返すのか?」

「まさか」

 歩き続けてさらに数時間、日は沈み始め辺りは一層暗く、夜へと近づいていった。足は一歩動かすたびに痛み、体中が草木の枝葉や棘で擦りむけ、あるいは傷口から血が垂れていた。

 少しだけ、ほんの二、三秒休もうと足を止めた。すぐに動き出すつもりだった。ゆっくりと目を閉じ、開けたとき、景色が違って見えた。

 凝らしてネシュリーギュ草を探しているつもりだった。

 まだない、まだないと思っていたが、よくみると、数メートル先に小さな花が見えた。緑色の小さく丸い花。

「あった……ロイズ、あったよ!」 

 僕はその花に近づいていき根ごと引き抜こうとして、距離感を誤ったのか、花は手の少し先にあった。

 再度手を伸ばし、引き抜くと、それはあっさりと抜けた。

「ロイズ」

 聞こえないのか、呼んでも振り向かなかった。

「ヨーコちゃんっ」

 叫んでも、一向に振り向かない。

 僕は慌てて追いかけた。

「ねえ、あったよ。二人とも」

 疲れ果てた身体にどうにか鞭をうち、走るもなかなか追いつけなかったが、次第にあったはずの寒気はなくなり、心なしか温かくなってきた気がした。

「ロイズ、ヨーコちゃん」

 二人を完全に見失ってしまったが、僕は目線の先が明るくなっている気がした。

「あれ……」

 それは、よく見ると森の出口だった。

 ぼんやりと見える外の景色は間違いなく、入って来た場所と同じだった。

 もしかして、ぐるっと一周して戻ってきてしまったんだろうか。

 二人とはぐれてしまったが、メリビィを助ける方が先だと思い、僕は街へ向かって走った。嘘のように身体が軽く、一日かかるはずの距離を僅か数十分で走ってしまったのか、もう街が見えていた。

「持って来たよ、メリビィ」

 息は荒かったが、思ったほど状態は変わっていなくて安心した。

 医者はネシュギーリュ草を受け取ると、あっと言う間に調合して飲み薬を作ってくれた。

「メリビィ、これ飲んで、すぐ良くなるから」

 僕はそっとメリビィを起こし、グラスを口に運び傾けると、あっと言う間に飲み干してしまった。

「はぁはぁはぁ…………あれ、あれあれ……痛くない、苦しくない。不思議、あっと言う間に治っちゃった……ありがとう、アリィ」

「そんな、別に当然のことをしただけだよ。僕はメリビィを救いたかったから」

「それでも」

 そっとメリビィは僕の手を握り締めた。

「アリィがいなかったら、私はきっと死んじゃってた。本当にありがとう」

 まだ熱があるのか、仄かに染まった頬で僕を見つめる。

「それでね、あのね……」

「ん? どうしたの? まだつらいなら横になってても」

「ううん、違うの。そのね、私はアリィに助けてもらった。ちゃんとお礼をしたいの。でも、今の私はアリィに返せるもの何も持っていないから、だから……」

 メリビィは握っていた僕の手を自身の胸に引き寄せた。

「その……私の体なんかでよかったら、好きにしてください」

 僕の手は、強くメリビィの胸に押し当てられる。

「ここも……」

 次に指先が唇へと運ばれる。

「ここも……」

 僕の手はゆっくりとメリビィによって下げられていき、そのスカートの中へと吸い込まれていく。

「それから、ここ。アリィの好きにしていいよ」

 冷静さはとっくに崩壊していた。

 幸い医者はどこかに行ってしまいいなくなっていたのをいいことに、強引にメリビィをベッドへと押し倒した。

 恥ずかしそうしつつも、切なげに僕を見つめるメリビィの瞳。

 優しく、時間をかけて、なんて出来なかった。

 僕はただ早く、メリビィの中に入れたくて――――

「――――――」

 その瞬間、自分が宙を飛んでいる感覚があった。

 上下左右分からなくなり、まるで無重力空間にいるような。

 何かが横から飛んで来たような、そんな衝撃があった。けどこの場所にそんなものあるはずもない。ここには僕とメリビィがいるだけで……。

 数秒遅れてやってきた骨を軋ませるような痛みに悶えながらも、僕は何がおきたか確認しようとするも何も見えなかった。

 おかしい、どういうことだ。

 正確には見えるのだが、視界がぼやけているのか焦点が合わないのか、目の前にあるものを把握することができない。

 人のような形をしているが、目を擦っても凝らしても、やはりぼやけたまま。

 後ろからは何か音が聞こえ、向くとこれまた人影だったが、よく見ると背格好がメリビィに近かった。

「メリビィ?」

 その影は返事こそしなかったが、ゆっくりと近づいてきた。

「大丈夫だった? けがはない?」

 見れば見るほど、その影はメリビィ以外に考えられなかった。

 身体に触れようと手を伸ばそうとして、先程の痛みのせいで身体は上手く動かなかった。激痛と共にバランスを崩し、あろうことかメリビィを再度押し倒してしまう。

 いや、もうこの際どうでもいい。

 どうせしようと思っていたんだ。

 僕は何も言わず、続きをしようとメリビィの胸に手のひらを乗せた。

「…………ん?」

 あれ、思ってたより小さい?

 メリビィってもっと大きくなかった?

「おい」

 待て、メリビィがそんなどぎつい声でそんな言葉を発するだろうか。

 でも僕の下にいるのは、間違いなくメリビィ――――じゃない!

「え、よよ、ヨーコちゃん?」

「お前は……お前は何なんだ!」

 本気だったと思う。

 ヨーコちゃんの拳は綺麗な曲線を描きながら、僕の頬を思いっきり殴り飛ばした。

 脳みそが揺れている気さえしそうなほどの目眩と痛みで、立とうと思っても足が全く動かない。

 なぜか全身が震え、歯がガタガタと鳴る。

 何が起きているんだ、何一つ状況が理解できない。

 これは一体どういう事なんだ。

「お前はほんっとにどうしようもないな」

 その声の主は僕の頭の上に立っていた。

 知っている匂い。

 チョコレートに似た、甘ったるいこの匂いの正体。

「ロイズ?」

「目は覚めたか?」

 たぶん……いや、あんまり自身ないかも。でもこの光景は現実だよな?

「そんな位置に立ってるから、見えてるぞ」

「は?」

 どうやらすぐには察しがいかなかったらしいが、時間差で意味に気づいたロイズは、その硬そうな靴で僕の頭を踏みつけた。

「痛い痛い痛い。ちょっと、それダメな強さっ。頭が、頭蓋骨割れるって!」

「割りたいんだよ」

「頼む……助け……」

 やばい……意識が…………。

 …………。

 ……。

 ぐちゃ――――。


 次に目が覚めた時、僕は前世のベッドの上で仰向けに寝ていた。

「……夢か」

 そう、今までのことは全部夢、僕の妄想……。



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