三十二話 不穏
しばらく歩くと広場のような場所に出た。
歩きづくめで疲れた僕らは一旦休もうと腰を下ろしかけ、その鳴き声に慌てて武器を構えた。
見るからに獰猛で大きな猿のような魔物が、赤く鋭い目で僕らを睨んでいた。逆立った長い尻尾は蛇のようにうねうねと動いている。今にも襲い掛かって来そうで、相当警戒しているのが分かる。
「依頼書に書いてある。あれはクロムデビルだね。この遺跡で一番強い魔物だって。三ツ星の魔物だよ。どうする、戦う?」
ジャスティンは二歩三歩と後ろに下がって行き、依頼書の情報だけ読んで僕に意見を委ねる。
「どうするって、今来た道には無かったんだから進んでみるしかないけど、強そうじゃない?」
「そりゃあ三ツ星だからね。それなりに強いんじゃない?」
だめだ、こいつと話していても押し問答で何も進展しない。
「あの魔物はさ、元々はただの動物だったみたい。だけど食べ物に含まれていたか自発的に取ったかは分かってないけど、クロムを飲み込んだ結果、その影響で狂暴化したみたい」
「てことは、この先にクロムがある可能性が」
「高いってことだね」
うんうんと後ろで首を縦に振る。少しは戦う意思を見せたらどうなんだ。ロイズが居る時はカッコつけたがるくせに。
「じゃあメリビィ、そういうことだから行くよ」
「え、あ……う、うん…………」
僕とジャスティンの会話を余りに聞いていなかったのか、慌てて僕に頷いた。
ジャスティンの毒気にでもやられたのか、メリビィもなんだかぼーっとしてないか。大丈夫なんだろうか。
一歩距離を縮める。まだ二十メートルほど距離があるにも関わらず、その一歩がきっかけだったといわんばかりにクロムデビルは勢いよく襲いかかって来た。
「補足だけど」
敵が迫って来ていて、目の前に集中したいタイミングでジャスティンは言う。
「基本的には自分の縄張りを冒されなければ襲ってくることはないらしい。それと」
「まだあんの?」
だめだ、待っていたら攻撃が遅れる。僕は剣を横に薙ぎ払おうとして、それよりも早くクロムデビルの爪が僕を捉えようとしていた。
僕の剣か、クロムデビルの爪か、際どいタイミングだった。
「爪の先端には毒があって、引っかかれた部分は痺れて動かなくなるらしい」
「うわっ」
僕は慌てて後ろに飛び退いた。
「それを先に言えよ!」
剣か爪かじゃないよ、そんなリスクの高い掛けならしないよ。
クロムデビルは当たらなかったのが余程気に入らなかったのか、怒りを露わにするように爪で地面を薙ぎ払った。
その威力に僕は思わず息をのんでいた。石の地面はまるで土で出来ているかのように抉れ、その部分から紫色の煙が上がっていた。奇妙な音と異臭。それが地面を溶かしているのだと気付いた僕はさらに一歩引いていた。
あの威力に毒もある。こっちの攻撃は効くかどうかすら分からないのに、少なくてもクロムデビルの攻撃は場所が悪ければ一撃で死にかねない。
臆病風がどんどん強くなっていって、攻撃することよりも避けることばかり考えが浮かぶ。
足は震え、さらに一歩引きかけたところで僕の横に並んだ人影。
「どうやって戦おっか?」
メリビィは短剣を構え、ゆっくりと呼吸をしていた。
どうしてだろう。
こうして一緒にいるだけで、横に並ぶだけで、その息遣いが聴こえるだけで、剣を握る手に力がこもる。
「さっきの一撃を見ると攻撃力は高そうだけど、速さにはどうにか対応出来そう。メリビィは?」
雑念が静まり返ったように、頭の中では状況が整理できていく。
「たぶん平気、でも避けるだけで反撃は出来ないかも」
戦うイメージ、攻撃するイメージを膨らましていく。
「よし、こうしよう。まず二人で同時に敵を挟むように攻撃を仕掛けていく。でも最初はお互い、確実に一撃入れる為に攻撃するふりをして敵の一撃をかわすことに専念しよう。僕にきたらメリビィが、メリビィに行ったら僕が攻撃。もしそれをかわされたら互いがすぐに次の攻撃を入れる。どう?」
良い作戦なんじゃないか、イメージしたら行けそうな気がしてきた。
「うん、それでやってみよ。じゃあアリィ、行くよ?」
「おっけー」
僕らは同時に走り出した。一瞬戸惑ったような素振りをみせたクロムデビルだったが、爪を僕に向け奇声を発しながら飛び掛かって来た。
大ぶりの一撃、先ほど見たこともあって、それだけに専念すればかわすのは容易かった。
「えいっ」
僕が真横に避けた直後、メリビィの一撃は完全に死角からで避けられはしないだろうと思った。
間違いなく身体に当たった刃は、クロムデビルの背に少しくい込んだだけで、致命傷どころか少しの切り傷程度にしかなっていないかもしれない。
完全に攻撃力不足だった。
何が良い作戦だ。全く話にならないじゃないか。
攻撃はメリビィじゃなくて僕がすべきだった。
不快そうな声を出しながらメリビィへと向いたクロムデビルは、くい込んだ剣を爪で弾き飛ばした。武器の無くなった無防備なメリビィに近づいていく。
まるで、僕など眼中にないと言わんばかりに背を向けて。
「こんの、やろぉ」
今度は失敗しないぞ。
もしかしたら僕でも攻撃力不足で、致命傷を負わせられないかもしれない。でも余裕か、怒りの矛先がメリビィに向いているだけか、千歳一隅のチャンスには変わりない。
剣を横に構え腕を引き、先端をクロムデビルに向ける。
一歩二歩、たったそれだけで距離は随分と縮まった。
そして三歩目、いける。そう思った瞬間高ぶった気持ちが口から零れた。
「うりゃ!」
その言葉に反応し振り向いたクロムデビル。だが避けることは出来なかった。
刃はまるでスローモーションのようにゆっくりと突き刺さっていく。止まることなく、根元まで突き刺さり、そのまま後ろに吹っ飛んでいった。
「やった」
メリビィの声、喜ぼうとした束の間、クロムデビルは立ち上がった。剣が刺さった場所から血を流しながらも、爪を振り回す。場所が悪かったのか、致命傷には至っていないのかもしれない。
でも弱っている今なら。
数メートル先に落ちているメリビィの剣を取りに走る。
油断でも、過小評価もしたつもりは無かった。早く止めを。そう思って走り出したが、思ったより大きな声を上げたクロムデビルに足を止め振り向いた。
立っているものの、攻撃などできないと思っていたが、先ほどよりも少し遅いだけの動きメリビィに爪を向けていた。
逃げようにも、運悪く後ろには大きな岩。
クロムデビルは届く間合いに入るや否や、間髪入れずメリビィへとその爪を振り上げた。
どうしたって防ぎようのない距離、武器も何もない。
けれど、悲鳴を上げたのはクロムデビルだった。
僕の後ろから飛んで来たのは手の指ほどの大きさの黄色い何か。それが当たり、ゆっくりと足から崩れ落ちた。
「メリビィ、尻尾を狙って!」
ジャスティンの声。
後ろにあった剣は、地面を回転しながらメリビィへと転がっていく。
メリビィのやや横で止まった剣。本来なら拾うことなど出来なかったかもしれないが、クロムデビルは未だに立てずにただメリビィを睨みつけていた。
剣を拾ったメリビィは、身体ではなく、地面に垂れた尻尾を目がけて剣を振り落とした。
いとも簡単に分断された身体と尻尾。
それだけでクロムデビルは倒れ、全く動かなくなっていた。
「こ、今度こそ倒したんだよな」
独り言のつもりだったが、ジャスティンが応えた。
「たぶんね」
小走りでやってきてさも自分も戦いに参加していたかのように、汗一つ掻いていない額を拭いながら。まあそのジャスティンのお陰で、勝てたような部分も少なからずあるのだが、なんとも認めたくはない感じである。
「なんで尻尾が弱点ってわかったの?」
不思議そうに首を傾げたメリビィだったが、ジャスティンも持っていた紙に気づく。
「もしかして」
「いや、まあ……」
合点がいったのか、メリビィはその紙を覗き込んだ。
「クロムデビル。クロムを体内に故意、あるいは誤って飲み込んだデビルモンキーの総称。普段は大人しいが、縄張りに一歩でも踏み込むと襲い掛かってくる。爪の先端には微量ながら毒性がある。クロムの影響で皮膚は硬化しているが、尻尾は変化していないため、唯一の弱点となっている……だ、そうです」
メリビィは含みのある言い方で、僕にその細めて冷めた目を向ける。
「ってことはさ、もっと早く教えてくれたら、楽に勝てたんじゃないの?」
慌てふためくジャスティンに詰め寄ったのはメリビィ。
「そうでしょ?」
「でもほら、やっぱり僕しか見てないってのもよくなかったよね。みんなで情報の共有っていうかさ」
「あんたがこっちは任せてって言うからでしょ。それに戦闘は最初っから参加する気なかったわよね。だったらそれぐらい全部読んで、しっかり伝えなさいよっ」
「ひぃぃ、ごめんなさい」
「ほら、直ぐ近くにあるんでしょ、クロム。さっさと探して帰るわよ」
「はい、探してきます」
ジャスティンは忠実な犬のように、あるいは一刻も早くこの場から立ち去るように遺跡の奥へと一人消えていった。
「はぁ、もう。すっごく疲れた」
歩こうにも頭を押さえふら付いていた。
休む間もなく戦闘、そしてジャスティンへお灸をすえて。
「ごめん、アリィ。私、少しだけ休んでから行くね」
余程疲れたのか、近くに岩に腰掛け申し訳なさそうに笑みを浮かべた。
「分かった。ま、ゆっくり休んでてよ」
疲れを見せないようにしているのだろうが、僕でさえ気づくほどにその笑みは空元気だった。
気づかない振りをして、早くその表情を崩せるようにと僕もジャスティンを追いかけた。一度も振り返ることなく。
クロムはその先にまるで石ころのように転がっていた。
ジャスティンと集めていたが、そのうち来るだろうと思われたメリビィは最後まで来なかった。
「お待たせ」
岩に座るメリビィの背中に手を乗せただけのつもりだった。
なのに、そのまま何も言わずに、岩から落ち地面へと倒れ込んだ。
事態が呑み込めなかった。
慌てて抱き抱えた身体が、生きているとは思えないほど冷たくて、なのに顔中からはあり得ないほどの大量の汗が噴き出ていた。
ただ苦しそうに呼吸を繰り返すメリビィ。
僕に何が出来るのだろうかと考えて、何も出来ないと思い知らされるのに時間は掛からなかった。
「アリィ、何してるの。早く街に戻ろうっ」
ジャスティンの言葉でようやく、今は一刻も早くメリビィを運ばなくてはいけないと気付く。
人形のように四肢に力が入っていない身体を背負い、来た道を急いで戻って行った。途中、メリビィに何度も声を掛け続けたが、苦しそうに呼吸を繰り返すだけだった。
死なないでくれと何百回、何千回、あるいは何万回、祈り続けた。




