二十九話 もっと
旅の目的、それはコットー城を見ること。
ならば港で船に乗りコットー大陸を目指すべきだが、僕らは漁師町ヒフーミを出て、内陸へと向かっている。
「本当に、ありがとうございました」
僕はもう、他の四人に足を向けて眠れやしない。
ヒフーミで船に乗ろうとして僕らは躓いた。ショウガン大陸とチガク大陸では、どうやら船代が大きく違うらしい。
本来それぐらいの金銭は払えるのだが(主にロイズが)、この大陸に来る前のトラブルで随分と金銭を使ってしまった。そう、僕がワイバーンに連れ去られたせいだ。ロイズは船を港でも何でもない場所に停めてもらうため、金銭での交渉をしたのだが相手もなかなかに交渉上手で、急を要すると思い破格の大金を叩いて早期成立を図ってくれた。
船代がなくなる可能性があるのも承知で、全員が納得してくれたらしい。
その数十秒、いや数秒の判断の違いで僕は恐らく、底なし沼に呑み込まれる寸前のところでメリビィに手を掴まれた。
結果として僕らにはお金がなくなってしまった。
ヒフーミのギルドで依頼を受けるよりも、もっと内陸の方が数も多ければ報酬も多い。
船代どころか明日の生活費すら危うい僕らは迷うことなく目的地を設定した。
「ま、俺も行ってみたかったからな、礼には及ばないさ。ただ暫くは扱き使わせてもらうけどな」
軽快に笑うロイズだが、ロイズに使われるって正直命がいくつあっても足らなそうな危険なことしか想像できない。
そんなしたくもない覚悟を胸に、今は積極的に荷物持ちなどで恩を減らそうと鋭意努力中である。
丸二日、荷物持ち当番をどうにか全うし、辿り着いたのが娯楽と大ギルドの都、共産主義国家ヨイム王国である。
王国の東にギルド、西にカジノ。南は港、北には余すところなく立ち並ぶ魔道具の店。その中心には法則も合理もなく出鱈目にブロックを積み重ねた、まるで子供の積木のような、けれどかろうじて建物としての体裁は整えている建造物。それこそが王国の象徴とも言えるヨイム城であった。
祭りでも行われているのではと思う人の多さと賑やかさ。けれど至って平常、王国は何一ついつも通りの一日。
「今の俺たちは明日の食事もままならない。まずはギルドに行って依頼でも受けて懐を温めるか」
ロイズを先頭にギルドへ入っていくと、内部は今までと明らかに違っていた。まず壁には一枚も依頼書が張り付けられていない。そして行き届いた掃除に丁寧な案内板。何よりも……。
「いらっしゃいませー」
初めてだ、この世界のギルドで初めて言われた。しかも受付嬢が若いお姉さん、しかもミニスカートの制服に親しみやすい笑顔。
これこそ僕が思い描いていたギルドだ。
ヨーコはギルド自体が初めてのようだが特に興味なさそうに高い天井を見上げ、「変なところね」と呟いた。そのまま近くの小さなツボを覗き込み、しゃがんで膝に顎を乗せた。どうやらツボの中を泳ぐ小魚に目を奪われたらしい。
「ロイズ、依頼書はどこにあるの?」
メリビィは都会にやってきた田舎っ子みたいにきょろきょろと落ち着きなく辺りを見渡す。
「…………さあ」
ロイズも不思議そうにメリビィと目を合わせていると、ジャスティンが嬉しそうに二人の前に出た。
「それはですね、あそこに置いてあると思います」
指差したのは中央の書物が積み重なった円柱の棚。ジャスティンはその棚から一冊の本を取ると、本というより紙が何枚も挟まったファイルのようなものだった。僕はそれを受け取りパラパラめくると、確かにその一枚一枚が依頼書だった。
「これ全部そうなのか?」
「もちろん」
こりゃすごい。この一冊だけでもざっと二、三十枚はあるだろう。それが十冊以上。つまり少なくても二百を超える依頼があるということか。
今までは大きかったサキュ上でも五十位。比べれば数の多さは群を抜く。
「しかもですよ、従来はランクも内容もバラバラに配置されている依頼書が、なんと項目ごとにきっちり分類されてるんで一目瞭然なんすよ」
「よく知ってたな」
「僕の住んでた街のギルドも、同じやり方をしてましたから」
時々、妙に詳しい知識をひけらかすジャスティン、一体どこ出身なんだ。そこまで興味ないから別に聞かないけどさ。
早速僕らは依頼を受けることにした。五人いて一つの依頼しか受けないのは効率が悪いとロイズは指摘したが、僕は一人で依頼を受けて万が一があったらどうするんだと頑なに固持し、結局二組に分かれることになった。
本当は僕がメリビィと一緒にいたかっただけではあるのだが、都合よくもっともな言い訳が浮かんだのでつい力説してしまった。
僕とメリビィ。ロイズにヨーコ、ジャスティンはギルドを出て二手に分かれた。
ロイズたちの依頼はヨイム王国内の手紙配達。範囲は広いが地理を把握するには丁度いいとの理由でロイズが選んでいた。
一方の僕らはというと、正直もっと簡単な依頼もあったが、悩んで末に魔物の討伐依頼にした。
やはり異世界で何かに遭遇した時、明らかに自分の実力不足を思い知らされることが多々あった。チート能力もなければ転生ボーナスもない僕は、まずは基礎を磨いたほうがいいと考えていた。剣の基礎、それからこの大陸は魔法が発達しているので、せっかくなら付け焼刃でもいいから使えそうな魔法も習得したい。
前世の試験もそうだ。たとえ普段勉強なんてしていなかったとしても、一夜漬けで覚えた場所が偶然テストに出て、赤点を免れることだってある。
最強なんてものは既に出遅れているうえ、特殊な能力がない僕が目指す場所ではない。何かに巻き込まれたとき、少しでも生き延びる確率を上げるための小さな努力を積み重ねていけばいいんだ。
でも無理はよくない。
だったら分相応の二つ星の魔物退治から始めようと、僕とメリビィは水車がゆったり回り、トウモロコシ畑が広大に広がるナヤッコ村に来ていた。
畑を荒らすフレイムウルフの退治が依頼内容である。
一見強そうな名前に、依頼書片手にもっと弱そうな名前の魔物はいないか探していると、ロイズが丁寧に教えてくれた。
二つ星の中でも弱いほうに入り、獰猛で尻尾が常に燃えているが、それ以外はいたって特徴のない魔物。ヒフーミで聞いた話だと、海賊の倅なら十歳にもなれば倒せるレベルらしい。
どんだけ強くてもたかが十歳、自分にも行けるんじゃね。控えめに見積もっても十歳より弱いことはないだろ。フレイムウルフ、きみに決めた!
トウモロコシ畑の伸びた幹の葉がわっさわっさと風になびく。
ベンチに腰掛け温かい日差しの中、目を閉じたら眠ってしまいうそうな陽気に、いつフレイムウルフが来てもいいように、身の回りの確認だけは怠らないようにしないとな。
来ることが多い方角、死角になりそうな場所、すぐ手に取れる位置に武器と、あとは万が一に備え逃げ道の確保。抜かりはない。入念な用意、完璧だ。
先ほどからメリビィは静かにしている。久しぶりの戦闘で緊張しているのだろうか。大丈夫、メリビィは僕が守るから。
でも緊張を解すのも大事な、何か安心して僕に任さられるような勇ましい言葉と少しのユーモアでメリビィがリラックスさせよう。
「あのさ」
二人並んで座っていたはずのメリビィの肩が倒れる。
僕に体重を預けるように凭れ掛かり、小さく呼吸をする。
まさか、勇ましい言葉など言うまでもなく、メリビィは僕を信用してくれているのか。その意思表示で僕に身を委ねているというのか。
「……すぅ……すぅ……」
違った。
メリビィはただ、瞳を閉じ寝息を立てていた。
緊張も不安も、あるのは僕だけだったようで。
随分と余裕なのね、羨ましい限りです。
時折、手のひらに書いた「人」という字を飲み込んで、まだかまだかと待つ僕をよそに、たっぷりと一時間ほど睡眠をとっていた。
僕が体を揺さぶってようやく目を覚ましたメリビィは、口元から垂らした涎を慌ててふき取った。
「来たの?」
「うん、もう目の前に」
フレイムウルフは一体。尾は静かに燃え、僕らなど気にする様子もなく実ったトウモロコシを貪っていた。
こちらから攻めない限り、襲ってきたりはしないのだろうか。
なら事前に罠でも作れば簡単に倒せるのではと思ったが、そんな負け気でどうする。相手は十歳でも倒せる魔物だぞ。せめてこれくらい正攻法で倒してみたい。
短剣を抜くと、一瞬フレイムウルフがこちらを見たが、気にせず食事を続ける。
僕は走っていき、先手必勝フレイムウルフに切りかかったが、思いのほか素早く避けられてしまう。
なんの、続けざまに二回三回と剣を振るうがまるで当たらない。
すでに自信を失いそうである。
僕が構えたままでいると、フレイムウルフは再度近くにあったトウモロコシに手を付け始めた。相手にされていない、それどころか弄ばれているのか僕は。
ふざけやがって、みてろ。
「てやぁ、とりゃ、うおりゃーー」
…………まるで当たる気配がない。
かわしてはトウモロコシ、かわしてはトウモロコシ。さすがに十分もこうしてると疲れてくる。根本的に戦い方が間違っているのかもしれない。何か別の方法を模索しなくては。
「よぉーし、今度は私ね」
失態を繰り返している僕を見かねたのか、気合を入れ前に出る。
「アリィ、剣貸して」
「え、メリビィ」
不慣れな感じで剣を持ち、両手でしっかり握りしめた。
僕と違ってゆっくりと近づいていき、何やら小さく呟いた。
「〝恵みの雨よ〟」
剣を左手で持ち、右手を胸の前で開く。
すると手のひらの中心目掛け青い光の線が収縮を始める。集まった青い光は次第に丸くなっていき、手のひらに水の塊を作りだしていた。
てっきりその水の塊で攻撃をするのかと思ったが違った。
先ほどの僕とフレイムウルフの動きで掴めたのか逃げないぎりぎりの距離まで近づき、左手の剣を振るった。当たりそうにない、ふらふらの遅い剣。それでも避けなければ当たってしまうため、フレイムウルフは反対の右に逃げる。後ろは背の高いトウモロコシ畑、正面はメリビィ。当然、選択肢は右しかない。
「残念、そっちも行き止まりだよっ」
相手が動くより早く、メリビィは右手にあった水の塊をその場所向かって投げた。狙ったのか、それとも偶然か、水の塊は尾の先端、燃えている場所に直撃した。
鳴き声とともにひっくり返りうずくまるフレイムウルフは、近づくメリビィから逃げようとするも、その動きは明らかに鈍かった。
「えいっ」
メリビィの遅く、剣筋の乱れたひと振りを食らうほどに。
剣は体を半分ほど切り裂いたところで止まってしまい、食い込んだ形になったがそれで十分だった。身体が勢いよく仰け反ったせいで剣を離してしまったが、フレイムウルフは数秒大きく痙攣したのち動かなくなった。
燃えていた尾の火は、ゆっくりと消えていった。
「へへぇ、どう? 私にだってこれくらいは出来るんだよ?」
自慢気に僕に詰め寄るもすぐさま表情を変え、何かを言いたげに僕の瞳を覗き込むが、どうにも意図が分からない。褒めてほしいとかじゃないと思うし、一緒に喜びを分かち合うような、そんな雰囲気でもない。
「知ってた?」
「もちろん知ってたよ。でも思ってたより、メリビィも戦えるんだなって……」
「ううん、アリィは知ってない」
何か悪いことでもしてしまったのか、言い方が良くなかったのか。少し棘のあるような言い方に聞こえるのは、気のせいじゃない気がした。
「前々から気になってたんだけどさ、アリィって私のこと、どう思ってる?」
長いと言うのか短いと言うのか、自分の中ではっきりと断言できない時間を一緒に過ごしてきたけど、出会った時から一貫して好きという気持ちはある。最初は一目ぼれだったかもしれないけど、次第にメリビィの内面も見えてくると、もっと好きという気持ちは強くなっていった。
けど何かが違う〝好き〟という感情だった。
前世だったら、もっと浮足立つような、高揚や妄想で四六時中支配されているような感覚だった。なのに今は、同じ感情を抱いているはずなのに、もっと近づきたいとか、深い行為をしたいとか、そういう欲求は湧いてこなかった。正確に言うと、少ししか……。
「メリビィのこと……」
今この瞬間、メリビィが聞きたいのは僕のそんな感情なんかじゃないというのは分かった。でも、じゃあ何を言えばいいのか僕には分からない。
「今まで何んとなーくって感じだったんだけど、今日の態度で確信したっていうか、感じ取ったっていうか」
自分の過ちに気づけない。そんなことは今までいくらでもあったと思うけど、メリビィにだけはしたくなかった。
気を付けていたはずだった。
傷つけないように、それはきっと嫌われたくないからっていうのもあっただろうけど、結局僕は、事が表沙汰にならないと気づけない人間らしい。
「アリィってさぁ、私のこと。守らなきゃいけないみたいに考えてない?」
「だって、そりゃ……」
片時も考えなかったことはないと思う。
好きだから当然だし、それこそ進んでしたいとさえ思っている。
続けようとして、〝好きだから〟に代わる言葉が見つからずに詰まってしまう。
「気持ちは嬉しく思う時もあるよ。でも、私はアリィの子供じゃないんだから、アリィがいなきゃ何もできないなんてことないんだよ? アリィに出会う前は依頼だって移動だって、全部一人でしてたんだから。何でもかんでも私じゃなくて自分がって、まるで私には任せられないみたいに見えてくる」
「違うよ、僕はただメリビィが傷つかないようにって」
僕の言い訳を最後まで聞かずに首を横に振る。
「その気持ちは伝わってるよ。でも私だって子供じゃない。いつも後ろで見てばっかだと、今まで一人でやってきたことを否定されてるような、私の強さを全く信頼してもらってないような気持ちになる。いっつも自分が前に立って戦って傷ついて、それでいいって思ってるならそれは自分勝手だよ、アリィ。だってそこには、私の気持ち入ってないもん」
メリビィを子供のように扱ってたつもりはなかった。けど、自分が守らなきゃいけない存在のようには考えていて、思えば確かにそれは、メリビィ自身のこれまでの冒険者としての時間を生かしてない、ないものとして動いていた。
「今回も、最初からアリィ一人で戦うつもりだったでしょ。折角一緒にいるのに私は悲しかった。戦力に見られてないんだって」
「……ごめん」
その一言を絞り出すので精一杯なほど、僕は自分でさえ気づいていなかったことを指摘され、返す言葉などまるで浮かばない。
「もしね、」
そんな中でも感じ取れた、棘がなくなり柔和になったメリビィの声色と雰囲気で、まだ取り返しがつくんだと安堵できてしまう。
「アリィが私のこと考えてくれるならね、私はアリィと並んでいたいの。前でも後ろでもなくて、一緒に並んで、助け合ったり協力し合ったりしたい」
久しぶりに見たような気さえする笑顔は、僕の何もかもが取り込まれてしまいそうな強力な引力。
不思議だと思った。
さっきまでの重く、ざらつくような空気が今はもう居心地のいい、言ってしまえば甘美な雰囲気。
叶わないことがなさそうな、夢見心地に陥りそうで。
「うん、これからは一緒にしよう」
「ありがとう、アリィ…………あ、その……誤解しないでね」
宙に投げられた賽のよう、ころころと変わる表情はどれも僕を幸福感に満たしてくれる。
少し眉を寄せ、心配そうにのぞき込むメリビィ。
「別にアリィのこと嫌いじゃないからね。だからこんなこと言ったんじゃないの。うまく説明出来ないんだけど、きっと私のこの気持ちはね、もっとアリィと仲良くなりたいって気持ちから来てるんだと思う」
そんなもじもじしながら言うなんて、メリビィらしくないじゃないか。
「うふぇ……はい……あ、ありがとう……」
さっき思ったばかりじゃないのか、欲求は湧いてこないとか……。
「アリィ、なんか変じゃない?」
動揺してる、浮足立ってるんじゃないか、これって。
「仲良くなりたい」なんて言われたら仕方ないよね。
今ならちょっとくらい浮ついたことを言えそうだった。
「僕ももっと――――」
声は震えて、しかも小さかったせいで「え?」と聞き返されてしまう。
でも僕はメリビィにそのことを伝えたかったし、浮足立った感情は普段よりも色々な麻痺させていた。
「僕ももっと、メリビィと仲良くなりたい」
少なくても、こんな恥ずかしいことを二回言えてしまうくらいには。
「二人して仲良くなりたいって言うのも、何だか変だね」
メリビィの反応は思ったよりもあっさりしていて、それ以上踏み込むような言葉は何もなかったけれど、言えたことに妙に満足して帰路に着いた。




