二十七話 あたしのこと
渡った先に小さなピコラの実は大量にあったが、それだけだった。
天井が高く、声がよく反響した。
結局レッドキマイラは見つからず、そろそろ戻らなくてはならない時間になってきた。正直このままで勝てない可能性が高い。
焦り始めるも、それは感覚を鈍らせ能力を発揮できなくなる。どうにか冷静になろうと一度立ち止まる。
ゆっくりと目を瞑る。
音を、風を、気配を感じ取ろうと意識を体の奥深くに沈めていくイメージ。
――――――。
なんでもいい、レッドキマイラへと続く道を示してくれ。
一度戦っているんだ。ヒントはもう十分あるはず。
――――――――――。
レッドキマイラの気配、特徴、ピコラの実、水の流れ。
そういえば、水流の音が来た時よりも大きくなっている気がする。
川の水位も、奥に行くほど上がっている。
――――――――――――――。
…………いや、奥に行くほど上がっているんじゃない。時間だ。これから満潮を迎えようとして、水位が上がってきてるんだ。
思えば低い場所にあったピコラの実は小さく、高い場所、例えば壁から生えている実の方が大きかった。
そういえばさっきシャークデビルがいた場所は、天井が随分高かった。
辺りを見ても、他と特別変わらなさそうにも関わらず、ピコラの実が大量に生えていた。
もし登った場所に大きな実があり、その胞子が風に乗って上から下に落ちてきていたとしたら。
可能性だが、残り時間も少ない。やってみるか。
「戻るぞヨーコ」
「え、また? ロイズぅ、あたしだって走れるよっ?」
少しでも早いほうがいい。
俺はヨーコを今度は肩に乗せ、急いで戻っていく。
見上げると、暗くてどこまで続いているのか分からないほどだった。
幸い、でこぼこした壁はどうにか登れそうで、ヨーコを背負い、よじ登っていく。
いくら子供とは言え、人ひとり背負って登るのは骨が折れそうだが、置いていくわけにもいかない。
せめて目に見える、休めそうなでっぱりがある岩肌までは行こうと決めた。
手の皮は剥け食いしばった唇からは血の味がしたが、今さら大した問題じゃない。あと少しだ、指の力を緩めないよう最後は慎重に、少しずつ登って行った。
どうにか目標としていた場所に手をつき、体を乗せようとして目の前の光景に言葉を失う。
それは今まで見たどのピコラの実よりも圧倒的に大きく、取ってくれば間違いなく勝てるだろういう大きさだった。
けれどその実の横。戦ったレッドキマイラの三倍か、あるいはそれ以上の強大なレッドキマイラが大きな翼で身を包み、目を閉じ眠っていた。
さすがにあれには勝ち目はない。
けど…………。
俺は静かに登り、ヨーコを下ろす。
「そこで待ってろ」
約束しちまったからな、絶対に勝つって。
「ロイズ……」
そんな心配そうな目で見るなよ、それに戦うわけじゃない。こっそり取ってくるだけさ。
息を殺し、足元に注意しながら距離を詰めていく。
大丈夫、起きやしない。
レッドキマイラの真横までくる。ピコラの実を取ろうとするも大きい分、茎も太く千切れそうにはなかった。
そっとダガーを抜き茎を切る。普段から手入れは欠かさないお陰で物音ひとつなく切ることが出来た。
あとは同じように慎重に戻ればいい。
背を向け、ヨーコの元へと歩みを進める。
それは人為的なものではないと思った。微動だにせず祈るように合わせた手を組み、俺を見るヨーコの結わいた後ろ髪が蝋燭の灯のようにはらりと揺れた。
誰のせいでもない。それは仕方のない自然現象だ。ほんの少し強めの風が吹き、それが岩場の石を僅かに削り落とし、石は登ってきた岩肌十数メートルを落下した。
コツンと響いた音。
本来は危険信号でもなんでもなく、ふと目を開けただけで何事もなくそのまま眠っているはずだった。それが戦闘の合図になってしまったのは、他ならないこの場に俺たちがいたからだ。
地鳴りのような低い雄たけびを上げ颯爽と宙に羽ばたき、上空から俺たちを見下ろす巨大なレッドキマイラ。
羽ばたいているだけにも関わらず地面に押しつぶされそうな風圧。とてもじゃないが戦闘なんて出来なさそうな狭い足場、その上後ろは断崖絶壁。
俺の魔法で一番威力のある熱魔法は耐性でもあるのか小さなレッドキマイラにすら効かない。他の魔法じゃ攻撃力不足。連携には使えるかもしれないがダメージは与えられないだろう。
やはり剣を使った近距離戦しかないか。
まずは意識を俺に向けさせよう。間違ってもヨーコに目がいかないように。
熱魔法を顔めがけて放つ。次に移動しながら土魔法で作った手のひらサイズの石をいくつも放つ。ぐるっと百八十度回り、ヨーコはレッドキマイラの視野からは外れた。
懐に入り込もうにも通常のジャンプでは届きそうにない。狙うはレッドキマイラの攻撃を躱しカウンターで一撃必殺を狙う。
レッドキマイラは後ろに反動をつけ、一気に急降下してくる。体勢や角度を考え左側前足を振り下ろすだろう。体に触れる寸前で左に躱し、左手に持った短剣を首のやや下目掛け突く。狙うは心臓だが場所は山勘だ。もし外れた場合すぐさま強引に振り上げ頸動脈を断ち切る。
大丈夫、想定さえしていれば予想外は何も起きない。
レッドキマイラの攻撃速度は想像より遅く、難なく躱し剣を突き刺そうとして、右下に風の流れを感じた。
躱したはずの爪、それをレッドキマイラは振り上げる動作をした。
まさか最初から二連撃だったのか。だが憶することはない。俺の剣が、すでに胴体に突き刺さったのだから。
だが反応は鈍い。急所は外れたか。次の手に移ろうと柄を両手で力いっぱい握り強引に剣を振り上げようとして、なぜか剣から手が離れる。
違う、直後に脇腹に走った激痛に、体が吹き飛ばされたのだと知る。
空中で体勢を整える前に体は壁に激突し、地面に落下した。
さすがに予想外だった。レッドキマイラは剣が突き刺さったまま、効いていないわけではないだろうに、痛みを物ともせず二撃目を実行した。
最近雑魚ばかり相手にしてたのが仇になったかな。
読み間違えるなんて久しぶりだ。
骨が何本か折れたのかもな。攻撃を食らった箇所の激痛は止まない。それでも立ち上がりどうにか次の手を考えないとな。
剣は刺さったまま。どうにか取り返さないと、手持ちのダガー一本じゃ勝負はできない。
レッドキマイラは再度急降下してきた。しかし前後の爪に攻撃の気配はない。違うとすれば尾の角度が先ほどよろ三十センチ左に寄っていることか。
この速度と尾の大きさから考え、その威力を受けることはできそうにない。なら飛べばいい。
俺は横薙ぎの一撃を躱し、正面にきたレッドキマイラの目ダガーを突き刺し、重力のまま落ちつつ刺さった剣の柄に手を伸ばし、レッドキマイラを蹴りつつ引っこ抜いた。
噴き出した血を浴びるも目を見開き場所を定める。地面に着地するやいなや右足から左足に体重を移動しつつ体を捻り、腕を鞭のようにしならせ剣を横一線に振るった。
レッドキマイラの叫び声は聞こえたが入りが浅い。致命傷には遠いはず。想像以上のレッドキマイラの硬さに切り終えた後のバランスが悪い。できれば首から下へ斜めに振り下ろしたかったが厳しい。
けど動きが弱まったこの好機を無駄になどしない。
俺は勢いのまま右足を上げ、左足は踵を少しだけ浮かし、指先だけで体重を支えながら屈めた回転させる。四分の三ほど回転したところで、右足と左足の踵を地面を突き破る勢いで同時に踏み締め、さらに体を飛び跳ねんばかりに勢いよく起こす。
全身の筋肉が、折れた骨がメキメキと軋む感覚。
折れそうなほど力を込めた手の指先。
一瞬の出来事のはずが、終わりなど来ないかのように引き延ばされていく時間。
じっと絵を眺めるように、いまこの瞬間を脳は正確に把握する。
――――――そして俺は、レッドキマイラの体を宙に吹き飛ばす如く、体の中にある胴体の中心、切った瞬間に最も気持ちよく感じられそうなその一点だけを見誤らないよう、下から上に薙ぎ払った。
大きく宙に吹き飛んだレッドキマイラの胴体は腹を裂かれ、真っ二つにこそならなかったが、左右がかろうじて僅かな肉と皮で繋がっている状態だった。
これで終わっただろう。
そう思い、出力最大だった全身の力を少し弱めただけで、体は膝をついてしまった。手をつき、倒れるのだけは避ける。
「ロイズ、上っ」
ヨーコの声。反射的に向くと、レッドキマイラが槍のような尾の先を俺に向けていた。まだ戦う意思が残っているのかよ。このまま落下すれば間違いなく刺さる。なのに、体が言うことを聞かない。
まずい…………。
「ロイズーーーっ!」
飛び出すヨーコ。けれどどうしたって間に合わない。
頭の中で始まるカウントダウン。
3……2……1――――――。
「――――――――っっっ!!」
それは耳の奥に響き、体を、空気を、大地を震わすほどの振動。
ヨーコから発せられたそれはレッドキマイラの体を数メートル吹き飛ばした。レッドキマイラは壁にぶつかり、地面に激突した。そのままごろんと向きを変え尾は岩肌の端、何もない場所に垂れ、重さで体ごと引っ張られるように崖下へと落下していった。
「…………ヨーコ?」
ヨーコは両手を胸の前に重ねる。
返事はない。何を思っているのか、俺を見つめ佇んでいる。
「ヨーコ!」
そのまま魂が抜けてしまったかのように力なく崩れたヨーコをどうにか受け止める。
「はぁ……はぁ……大丈夫。ちょっと疲れただけ……」
早くピコラの実を持って帰らなくては。
頭を過ったものの、すぐにそんなことはどうでもいいと思えた。
少なくてもこの時俺は、ヨーコが回復するまで待ち続けていたかった。
自分の感情が抑えきれなくなった時、それは出るの。
人買いに買われる前、奴隷として飼われているとき、躾と言いつつ暴力を振るわれ続けていて、苦しくて痛くて何度も何度も叫び続け、そのうち声すら出せなくなってこのまま死んじゃうに決まってる、でも死にたくない。そう思って声すら出なくなった口で叫ぼうとすると、それは起きた。
誰もが耳を抑え、周囲にあったガラスは割れ、私は激しい眩暈と体の震えでその場にうずくまる。その度にまた別のところに売られた。
悪魔を宿す子だって、一日のご飯よりも安いお金で。
それが出た瞬間は少しだけ何かから解放されたような気になるけど、自分の中にある得体のしれない物体に覚える気持ち悪さだけは残り続けた。
「いまもその、気持ち悪さはあるのか?」
「うん……」
いつかその物体に自分が呑み込まれちゃう気すらして、怖くて、私の中にあるそれを忘れてしまいたいって思う。
「気持ち悪くはないさ、得体が知れなくもない。それはな、たぶんヨーコのスキルだと思う。どんな効果かは分からないけどな。けどな、そのスキルのお陰で俺はいま助かったんだ。誰が何を言おうと、どんな風に思おうと、俺はヨーコがそのスキルを持ってたことをうれしく思う、ありがとう」
自分が必死に避けていたこと。
できるなら切り離して捨ててしまいたかったもの。
それをロイズは嬉しいと言った。
否定し続けた自分という存在が、まるで意味があることのように抱きしめてくれるロイズ。
不思議と涙がこぼれた。
つらい時にしか流れないと思っていた涙が、今までに起きたどんなつらい時よりも溢れ出てくる。
嬉しいはずなのに、喜ばしいはずなのに。ぽろぽろ、ぽろぽろと。
ロイズの服をあっという間に、まるで雨に打たれたかのようにしみ込んで色を深く染めていく。
溢れる涙は今までのどんな涙よりも温かくて、叶うなら、またこんな涙を流したいと思えるほど、あたしの頬を伝う涙は温かい。
~ view of Lloyds and Yohco ~ end.




