二十四話 二度あることは……
二度あることが三度あるなんて、そうそうないと思っていた。
油断もしていなかったし、万が一に備え脱出用の小船の位置の確認も怠らなかった。きっとうまくいく、何も問題なくコットー城に着ける。
……でもダメだった。
船旅三日目、どこからともなくやってきたはぐれワイバーンに、僕は落ち着いて対処した。水夫たちが前に立ち戦闘の準備をするなか、外にいた僕は逃げるように船の後ろに回り、樽の陰に隠れてやり過ごそうと考えた。
甘かったんだ。
まさかワイバーンがもう一匹いたなんて、考えもしなかった。
はぐれワイバーンだよ?
群れからはぐれたってことだよね。
二体もはぐれるなんて、そんなのありかよ。
抵抗したけど無駄だった。
急いで船内に逃げようとしたけど、背中をくちばしでつかまれ、そのまま空に連れ去られてしまう。
慌てて出てきたメリビィたちが何か言っているが、遠すぎて何も聞こえない。
どこに連れていかれるんだろうか。
下手に動くと落ちそうで、何もできずにいた。
ちょうど近くに大陸が見えたが、予定だとコットー大陸に到着まで日にちがある。どこだか全く知らない大陸に向かって飛んでいくワイバーン。
この高さから落ちたら死ぬんじゃね?
何かの手違いで振り落とされないようワイバーンの足を掴んだ。
どうもそれが気に食わなかったらしい。
突然暴れだし、加えていた服を離し、その場で激しく翼をはためかせる。
必死に足にしがみつくも、ものの数秒で僕の体はワイバーンから離れ、地面に向かって落ちていった。
下を見ると木々に覆われ地面は見えなかったが、運が良ければ木に引っかかって助かるかもしれない。
僅かな可能性にかけて、僕は目を閉じた。
祈りが通じたのか木の枝に引っかかりながら落ちたため、奇跡的にも軽症で済んだのかもしれない。見る限り大きな怪我もない。右足が痛かったが、捻挫程度だろう。もしかしてこのローブのお陰もあるのだろうか。防具は大事だな。
運がいいのか悪いのか、相変わらず全くもって分かりやしないが。
右足を引きずりながらではあるがどうにか歩けそうだった。
実をいうと僕には僅かながら余裕があった。腰には短剣がある。万が一魔物が出ても今までの僕とは違う。多少なら経験も積んで戦える。
森で中で一人という状況も三度目だ、流石に慣れたものさ。
「おしっ」
意味もなく上げた声は空しく響いただけだったが。
迷わないよう歩く方角を定めた。西だ。とくかく西に歩こう。どうしてかって、少なくても僕はこの大陸の東に落ちた。なら東は海、西は内陸。村か町かに出るだろう。
歩き始めて数時間は経った。
……おかしい、まだ森だ。方角は間違っていないはずなのに、どこにも着かない。いや、もしかしたら一日では着かない距離にあるのかもしれない。
今日は野宿覚悟で歩き続けよう。
夜になり暗い森の中、月明かりだけが頼りだった。木の幹に寄りかかり、空を見上げる。葉の隙間から見る月はいつも変わらず僕の心をほっとさせる。けど同時に寂しい気持ちもあった。
どうしてだろう、メリビィに会いたないな。
また会えるかな。もう二度と会えないのかな。こんな場所で一人ぼっちのせいかな、どんどん悲観的に考えてしまって、どうしようもなく胸が締め付けられるよ。
ふと、葉を揺らす風の音に紛れて、何か別の音が聞こえた。草木をかき分けるように近づいてくるその音からは、人か魔物か判断が付かなかった。
せめて人でありますようにと、念のため短剣を構えて待ち伏せる。
現れたのは、見たこともない生物だった。
宙を鳥のように羽ばたくものの、鳥と呼んでいいのかは疑問だった。
バラのように棘のある蔓が複雑に絡み合い鳥の形を模していたが、肉や皮、骨すらあるのか分からない。けれど口ばしも翼も尾もあって、針のように鋭い目はほんのり赤く光る。何かと聞かれたらやはり鳥と答えるかもしれない。
異形に驚いてしまったが魔物に変わりない。武器さえあれば戦える。
先手必勝、僕は魔物に向かって剣を振りぬいた。魔物だろうとしても体は蔓、切れない道理はない……はずだった。
触れた瞬間、ありえない硬さに震動で手が痺れ、金属でも叩いたような音が響いた。切るどころか、衝撃で握っていた剣を離してしまう。
慌てて取りに行こうも魔物に道を塞がれ、それどころか口ばしを向け、僕へと向かってきた。避けようと思った時にはすでに左肩を貫通していた。
あと数センチずれてたら心臓だったという事実が、痛みよりも死に対する恐怖を増長させていた。
魔物は僕の体を足で蹴飛ばしながら強引に口ばしを抜き、鳥とは似ても似つかない金切り声で鳴く。余りの大きさに思わず目を閉じ耳に手を押し当てるも、どうにか目だけは開き魔物を見ると、頭部を残し、ぐるぐると胴体だけを回転させねじっていく。
四回五回とねじるとピタッと停止し、次の瞬間、一気に元の形に戻そうと逆回転を始める。あたりに一面に飛び散る棘は、石のように固く木に当たれば幹を抉り、地面には深く突き刺さっていく。
背を向け逃げるもいくつかが背中に足にあたり、その場に転んでしまう。
せめてこれ以上は当たらないよう這いつくばって木の陰に隠れようとして、黒い影が行く手を塞ぐ。
後ろにいたはずの魔物はいつの間にか目の前にいて、蔓で模した歪な翼をゆったり揺らしたかと思えば、どうしたって体が反応し切れないほどの速さで翼を僕にぶつける。
それは空っぽの容器のように、僕の体をいともたやすく吹き飛ばした。
吹っ飛ばされた体は地面に落ちても勢いは死なず、さらに数メートルほど這いずっていった。
苦しさで声を上げようにも、打ち所が悪かったのか呼吸すらままならない。
まるで勝機のない桁違いの強さに、逃げることだけを考えているのに動くたびに一方的にダメージを負っていく。
けどまだ走れる。
隙さえあれば、ほんの少しでもきっかけがあれば、森の中だ目をくらませることぐらいできるはずだ。
例えばそう、手元に転がる石を投げつけたりすれば――――。
考えも途中で僕は迷わずその石を魔物に向かって投げた。どうなったかは分からない。投げると同時に背を向け全力で走り去ったのだから。
後ろでカンッと何かに当たった音が聞こえ、それが魔物であることだけを祈りつつ方向なんて構っていられない。前だけ向いて、傷みを堪え、どうせ死ぬなら自分の呼吸がつきて死んでやる。そんな決死の思いで走った。
それは結果として、何も意味をなさなかった。
魔物はあっという間に頭上を飛び越え、僕の前に立ちふさがる。
勢いあまってぶつかり、その刺々しく鉄のように固い体に弾き飛ばされる。
体が内臓から壊されるような衝撃に、口から血反吐がこぼれる。
ひゅーひゅーと音痴な笛のような呼吸、咽るたびに口内に広がる血の味。
体はもう動きそうにない。
魔物が口を開け、吐き出した紫色の煙が足に掛かるのもただ見ていることしかできない。足は壊死したかのように紫に染まり、感覚がなくなっていく。
もうやめてほしかった。
せめてこのまま煙が全身に回って意識を失わせてくれればよかったのに、それさえも許さないといわんばかりに、魔物は動けなくなった僕をさらに翼で叩いた。
一度叩かれ、転がった身体を弄ぶように魔物は再度叩く。
一層大きな金切り音に似た鳴き声が、森中に響き渡る。
目を開くのもやっとの中、魔物はまだ足りないらしく向かってきたが、すれすれのところで僕には触れず宙に戻る。
もう飽きたのかな、そう思いかけて全身が何かに包まれている感覚があった。視線をどうにかずらし確認すると、体が地面に沈んでいくことに気づいた。
……底なし沼かな。
ずるずると引き込まれるように足が消え体も消える。
首まできてどうにか足掻くも、口が鼻が目が沈む。
苦しい……でも呼吸もできない。
かろうじて手だけまだ地上に残っていたが、際限なく沈んでいき手首までほんの数秒もかからなかった。
そしてそのまま…………僕の身体も……手も……初めからそこには何もなかったかのように…………姿を……消して――――――最後にもう一度会いたかったなぁ……メリビィ――――――?
「アリィ!」
突然、温かいものに手が触れた。
指が折れそうなほど強く掴まれ、腕を思いっきり引っ張られていく。
沈んでいた手が空気に触れ、顔が、胸が、腹が、最後には足が、濡れてひんやりする風にあたる。
「前にもこんなことあったね、アリィ」
かろうじて目を開けると、涙ぐんだメリビィがいた。
「間に合ってよかった」
虚ろな意識の中、抱きしめられた体はメリビィの柔らかさを感じることができた。僕についた泥で汚れたメリビィの腕、服、髪。
ごめん、でも心地いいからもう少し抱きしめられたい。
僕も手を回そうとメリビィの体の位置を確認しようとして、気づいてしまう。よほど必死に駆けつけてくれたのか、肩が大きくはだけ、普段隠されているはずの一部分が顔をのぞかせていた。僕の目は、こんな朦朧とする意識の中でも、その透き通るような肌の色付きと、美しく丸い膨らみに目を奪われていた。
なんとも柔らかそうで、思わず喉が鳴ってしまうほどの艶めかしさがあった。
それは故意ではなかった、不可抗力だと言っていいかもしれない。
背中に回そうとした手は自分が思っていたより力が入らず、途中で方向を変え、本来の方向から逸れていってしまった。
その先は、その先には……柔らかく、体温を持った、メリビィの胸があった。弁明しようにも、どうした僕の体、機敏に動けずそのまま胸を掴んでしまった。
……………今まで気づかなかったけど、意外とあるのなメリビィ。
いや、そんなことじゃなくて。
すぐさま謝ろうとして、けれどメリビィは僕を抱きしめたまま、小さく呟いた。
「本当に……無事でよかった……」
何かが小さく萎んでいった。
動かないと思った手は、ゆっくり地面に落ちていった。
意識はあった。
ただ僕を抱きしめるメリビィに、体を委ねていたかった。
頭の中は真っ白で、メリビィの温もりだけを感じていたかった。




